いつか、君とさよなら

夜乃すてら

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第二部 結婚五年目編

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 雪がやんだ午後、ニコルは帽子を被り、コートの上に作業用のエプロンを付け、レインとともに庭にいた。
 ニコルがすることは特になく、単に野菜を見て回っているだけだ。
 せめて何か作業をさせてあげようと思ったのか、レインがハーブを示した。

「ニコル様、タイムをみましょう。朝、せきをされていたでしょう? 風邪の引き始めには、タイムのハーブティーでうがいです」
「ああ、そうだね」

 子どもの頃は、魔力切れになると眠ってしまうせいで体力が無く、体調を崩しやすかった。咳をすると、レインがうがい薬だと言って、タイムのハーブティーを持ってきたものだ。
 葉をいくつか摘んで、籠に入れる。
 ついでに、夕飯で使うためのローズマリーも摘んだ。肉料理のくさみ消しだ。

「さ、今日の庭仕事は終わりですよ。中に入りましょう。俺も寒いんで」
「そうだね、そうしよう」

 芯まで冷える寒さである。
 ニコルははさみを籠に入れて立ち上がる。レインについて玄関のほうへ向かうと、男の声がした。

「お方様!」
「え?」

 振り返ると、黒衣の制服を着た青年が馬上にいた。リッツフィールドの魔法師団の制服だ。彼はすぐに馬を降り、垣根越しにお辞儀をする。

「お捜し申し上げておりました。やっと見つけた!」

 門へ近づく青年を制したのは、この小さな屋敷に護衛として派遣されている騎士だ。

「止まれ! 勝手に中に入るなら、切り捨てる。これはただの脅しではないぞ」

 喜びをあらわにして門に手をかけていた青年は、後ろに退いた。

「アダム」
「なりません、ニコル様。フェザーストン伯爵から、リッツフィールドの者は一切近づけるなと命じられております」
「え?」

 ニコルは目をみはった。
 こんな森の中の屋敷で静養するように言ったのは、もしかして彼らの目から隠すためだったのだろうか。

「ブラッドリー様からのお手紙は読まれましたか?」
「おい、余計なことを言うな!」

「あいにくと私の主人はブラッドリー様なので」
「ニコル様に薬を盛った挙句、離縁までさせるような女を野放しにした罪は重い! お引き取り願おうか」

 騎士アダムと青年がバチバチとにらみあう中、ニコルは慌ててアダムのもとへ駆け寄る。

「アダム、手紙って? ブラッドが手紙を?」
「ニコル様……。いけません。優しくしてはつけあがりますぞ。このまま縁を切ったほうがよろしいかと」

「そう、お父様がおっしゃったのか?」
「左様にございます」

 アダムは苦々しい顔で頷いた。
 ニコルはアダムを手で制し、門のほうへ問いかける。

「ブラッドは……?」
「竜が冬眠するまでは、どうしても魔法障壁を離れられず、我らを派遣なさいました。冬眠し次第、すぐにこちらに来られるとおおせです。そろそろいらっしゃる頃かと」

 頭では分かっていたが、やはりお役目のほうを優先するのだ。ニコルは落胆して、足元を見つめた。

「お方様、団長が魔法障壁を離れるのは一週間が限界なのです。こちらまで来られても、帰るには間に合わないのですよ。もし障壁を竜が突破したら、この国は地獄と化します。障壁を守ることは、お方様を守ることにもつながるのです。どうかご理解くださいませ。あの方は、命の安全を最優先なさって」

「黙れ! ならば、ニコル様がここまでお体を壊される前に、どうにかなされば良かったのだ」
「うるさいな! あんたは先代の奥方が、どれほどの毒婦か知らないくせに。流産の原因を知った団長が、あの毒婦を殺そうとなさったくらいだぞ」

 尋常でないことが聞こえたので、ニコルは目を丸くする。レインも思わずという調子で口を挟む。

「どういうことですか?」
「これ以上、どうもならないなら殺すしかない、と、剣で切り殺そうとなさいました。結局、副団長が止めたので親殺しの罪は犯しませんでしたが、今は避暑用の別荘に、ユリア様を幽閉なさっているそうですよ。お方様と接触しない、危害を加えないという誓約書にサインさせて、たがえたら処刑だそうです」

 ブラッドリーの徹底的な処断に、ニコルは複雑な気持ちになった。そこまでしてくれてうれしいが、親にそこまでさせたことに罪悪感もある。

(そこまでされたらうれしいだけだと思ってたけど、実際に言われると違うものだな)

 すかっと心が晴れたような気がした後、もやもやとなんとも言えない後味の悪さが来て、ブラッドリーの青ざめた顔が思い浮かんだ。

「ブラッドはどうしていますか」

 ニコルが問うと、青年はおやという顔をして、返事に困った。

「私は手紙での報告しか受け取っておりませんので、詳しくは存じ上げません」
「そうですか」

 ニコルは青年にお辞儀をする。

「今日はお帰りください。もし私と話し合いたいのなら、本人が来るべきでしょう」
「お方様……。分かりました。今回は従います。ですがどうか、逃げないでください。よろしくお願いします」

 深々とお辞儀をすると、青年は馬に乗って帰っていった。

「逃げるなだと……失礼な!」

 アダムが憤慨して、後ろ姿に悪態をついている。
 ニコルは屋敷に入ると、ぼんやりしながらタイムのハーブティーを淹れた。香りが辺りに漂う。生の葉のほうが色味や味が良く、においが強いのだ。色鮮やかな黄色っぽいお茶をカップに注いでいく。四人分を淹れると、ニコルは自分の分を持って、洗面所に向かう。そのままうがいをした。

 ガラガラと喉を潤わせ、茶を吐き出す。それから、洗面台の鏡を眺める。青白い肌は相変わらずだが、きちんと食事をとれているせいか、頬は少し丸みを帯び始めていた。
 悪夢を見て飛び起きることもあり、不眠がちなので、目元にはくまが浮いている。

「手紙、くださってたんだ……」

 じわっと胸に喜びが浮かぶ。
 ブラッドリーがニコルに会いに来る。もうニコルに興味がないのではないかとか、最後にあいさつすれば良かったとか、思い悩んで夜中にぐるぐると考え込まなくていいのか。

(でも、彼の話は本当?)

 アマースト家に戻ったら、何食わぬ顔でユリアが待ち受けているかもしれないと想像して、背筋がゾッとする。
 ため息をついて、鏡にこつんと額を当てる。ひんやりして気持ちが良い。

(ブラッドの言うことじゃないと信じられない。でも、離縁届は大奥様に渡したのに、戻れるんだろうか?)

 はたして戻れるのか?
 ブラッドリーが完全に離縁するため、こちらに向かうとしたらどうだろう。
 浮いたり沈んだりと、ころころと気持ちが移り変わる。
 鏡から離れて、目元に手を当てた。

「とりあえず、この隈をどうにかしよう」

 温かいタオルを目の下に当てることに決めた。
 こういう時、ニコルはブラッドリーが好きなのだと自覚する。どんな時でも、彼の前ではちゃんとした姿をしていたいのだ。
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