ピュアブルーにくちづけ

南野うか

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第1話 温室

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 花が咲くたびに、はるの身体は焼けるように痛んだ。
 夜の静寂に、カサカサと乾いた音が響く。
 服の下で、蕾を付けた茎が緩やかに手足を伸ばしてゆく。
 目の前に深紅の花弁が一枚、ゆっくりと床に落ちた。

 ──また咲いてしまった。

 月光に照らされる部屋は、絶望に満ちていた。


 この世には、花を生む体質を持つ者がいる。
 彼らは【花生はなうみ】と呼ばれ、対になる【花食はなはみ】にのみ花を与えることができる。
 互いを結ぶ行為を、人々は【ブートニエール】と呼んだ。
 けれど悠は、都榛とばりと結ばれたくはなかった。
 都榛から家族を奪ったあの日から、悠の花は赤く染まってしまった。
 本来なら純粋な青──ピュアブルーであるはずの花。
 それが今は、血を思わせる色で咲き誇っている。
 この痛みこそが、自分への罰。
 都榛の”糧”になれるのなら、それでいい。
 その昔悠は、いつか都榛が自分を不要とする日までこの身体に花を咲かせようと誓ったのだ。

「……っ…、うぅ……つ、はぁ…っ、」
 都榛のいない部屋で、悠は今日も黙って痛みに耐える。
 次から気を付けると言った、舌の根の乾かぬ内に床に寝転んでいた悠を襲う激しい苦痛。浮かぶ脂汗。
 硬い床の冷たさを感じながら、背を丸め何とかやり過ごす。
 ぎゅっと瞼を閉じると、カサカサと嫌な音を立てて花が咲いていくのを感じた。
 胸のちょうど真ん中。着ていたトップスを全て剥ぎ取り、その痛みの根源を捉える。
 淡い赤の花びらが五枚、まるで星のように上を向いて咲いていた。
 今ここに都榛はいない。今日も遅くまで帰らない。だからこの悠の胸の上で存在を主張する赤は誰に食まれることもなくその命を終えていく。
 この花を何というか悠は知らない。知りたくもない。
「うっ………っ、……はぁ、っ、はぁっ…」
 悠は自分の胸に生まれた花を一思いに抜き去った。
 何にも例え難い苦痛。
 花に根はなく、本当にここに生えていたのか疑問になるほど、そこには白く健全な肌だけが残っている。
 なだらかな胸には酷く骨が浮き出ていて、栄養失調だということは明白だった。
「ああ……だる……」
 悠は腕で目を覆い、脱力した。
 不気味なほどに白い肌、ボロボロな爪。
 花生みはその身体に花を生み出すべく、常人の何倍もの栄養を欲する。
 中には普通の食事だけでは養分を賄えず、特殊な【栄養剤】を持ち歩く者もいるくらいだ。
 もっとも、花生みにとっての一番の栄養は【花食みの体液】なのだが、花生みが当たり前に享受するそれを悠は必要以上に拒絶した。
「ぅあ゛……、ぁっ、…うっ」
 徐々に狭くなっていく気道。
 肩で呼吸をする悠の背に新たな花が芽吹いた。
 先程引き抜いたそれと同じ花である。どれだけ抜き去っても腹に胸に、花は息付く間もなく生まれていく。
 栄養が足りないせいか、花が生まれるのが止まらない。
 花生みたちはそれを【狂い咲き】と呼んで恐れた。
 本来、ブートニエールを結んだ花生みにしか起こりえない現象なのだが、一度都榛の体液を受け取ってしまって以来、悠の身体は度々狂い咲きに陥る事があった。
「はぁ…っ、たす、けて……くるしっ……、うっ」
 悠の無意識のうちに助けを求めたが、その手を都榛が取ることはない。
 都榛はこのことを知らない。
 悠が狂い咲きの症状を繰り返していることを。
 後から知った都榛がどんな顔をすることくらい分かっているのに、悠はこれを隠していた。
「うっ……、くる、し……、とば、りさ……ん」
 三時間もの間、悠は花を生み出し続けた。
 普通の花生みと比べても異常な時間である。
 床は一面血の海のようで、鬱陶しいことこの上ない。
 前回同じ症状に陥った時よりも格段に長くなっている。
 幸い、いずれも都榛のいる場所で狂い咲きを起こしたことが無かったので、悠は安心してその痛みをしていた。
 滲んだ汗が粒となって床を濡らしていく。
 悠はサイドチェストから何かを取り出した。
 それは鎮痛剤でも栄養剤でもないただの紙きれ。
 随分古いもののようで、ところどころ綻びたそれが汗で汚れないよう気をつけながら目を通す。
 再び襲い来る激しい痛み。
 先程とは比較にならないほど大きな花が芽吹き始める。
 それを引き抜いて、悠は手の中でぐしゃぐしゃにした。
「…っ、っはっ……ははは……っぅ゛」
 まだまだ、こんな痛みでは足りないくらいだ。

 ◇ ◇ ◇

 【CafeBarカフェバー:Blueブルー】には喫煙所がない。
 その代わりに小さな【温室】が存在する。
 一面ガラス張りのその場所で、日光を欲する者、すなわち悠と同じ花生みが日の光を浴びている。
 悠がガラスの向こう側を覗くと、そこには見慣れた先客がいた。
 純白の髪、淡いステンドグラスのような瞳───羽山はやま 壮太そうただ。
「また喧嘩したの?」
 体中の色素が抜け落ちたような彼は、透き通るような声で呟いた。
「してない」
 悠の声は僅かにざらついていた。
 長いベンチの隅、壮太から離れたところに腰掛ける。
 だが壮太は、悠の真隣に座りなおした。
 鬱陶しそうにしながらも、悠はそのまま目を閉じる。
 白い光。悠の白い肌を昼間の日差しが優しく包んだ。
 日焼けはしない。それどころか、太陽から得た栄養をまるで植物のように吸収してきめの細かい肌にしてくれるのだ。
「都榛が言ってたよ。悠を怒らせたって」
「怒らせた?」
 悠の顔に影が落ちる。
 壮太はそれを見透かすように視線を落とした。
 このバー兼カフェで同じ昼間スタッフを務める都榛と壮太は同い年で、休日も共に過ごすような仲だ。二人とも悠なんかとは違い、愛想が良い。そのためよくお偉方に飲み会に連れていかれ、断れないうちに友情が芽生えたとか芽生えていないとか。
「またブートニエールになろうって言って怒らせたって」
 そんなに悪くないけど、と言って壮太は両手の指を絡ませながら上を向いた。
 まるで祈るように、日を浴びる姿は素敵だ。
 彼は先日、愛してやまない恋人と晴れてブートニエールになった。昼夜問わず突然やってくる発作に、失神するほどの痛みを訴えていた壮太だったが、今では毎日元気に煙草に火を点けている。
「おい、ここ禁煙」
「少しだけならいいだろ」
 すっと新品の煙草を差し出されて、悠は顔を顰めた。
 本当は喉から手が出るほどそれが欲しかった。
 だが、栄養不足の悠にとって、喫煙などもってのほかだ。
「やめたんだよ。ニコチン依存症なんて俺はごめんだ」
 壮太は何も言わなかった。 
 黙って火を点けた煙草をくゆらせる。
 緩慢な仕草の中には、妙な色気があった。
「悠もさ、煙草もっかい吸いたいならブートニエールになればいいのに」
「そんな理由なら尚更ない」
 悠はぐっと掌を握りしめた。
 壮太が吐き出す煙から避けるように顔を背け、溜息を吐く。
 眩しかった太陽に、僅かな雲がかかり温室にやんわりと影を落とした。
「悠は都榛が嫌いなの?」
 突然、喉元を締め付けられたようだった。
 悠の瞳は不自然なほどにくらくら揺れている。
「違う、俺は……」
 漂う副流煙を吸い込むように深呼吸して、悠は空を仰ぎ見た。
 太陽はすっかり顔を覆われ、灰色の空が続いている。
「俺が都榛さんを嫌うことなんてない」
 悠は静かに首を振った。
 都榛が悠にとって、何にも代えられない唯一の存在であることは、ブートニエールになどならなくても変わらない。
「じゃあなんで悠は都榛の傍に居続けるの」
 心臓が大きく鼓動した。
 悠の開いた唇が微かに震え、静かに閉じられる。
 腹の底に押し込めていた感情が悠の心を嵐の夜のように真っ黒に染めていった。

 たった一人のために花を生み出すことができる奴には分からない。
 人知れず生まれた花を抜き去る痛みを、全身が飢えたまま生きる苦しみを。これが、ただの八つ当たりなのは分かっている。他人を羨み、妬み、苦しむ。そういう汚い人間であることは自分が一番よく分かっていた。
 悠は他の花生みとは違って、都榛以外の体液を栄養にできない。
 しかし都榛はそうではない。
 都榛は誰の花でも食むことができる。
 都榛にとっては数多存在する花生みの一人でも、悠にとって都榛はたった一人の花食みなのだ。
 自分が都榛の生涯でたったひとりのブートニエールなのだと胸を張って言えたのなら。
 しかし悠にそれを乞う資格などありはしない。愛だの恋だのはとうの昔に捨ててきた。
 悠はただ糧として、都榛の為だけに生きる罰を選んだのだ。

 ぐっと握りしめた左手にあの赤い花が咲いているのを感じて全身が粟立った。見れば掌にあの星のような花が二つ、今まさに咲こうとしている。なんて気持ちが悪い。まるで人間ではないみたいだ。この花を都榛が綺麗だと褒めてくれたのに、少しも好いてはあげられない。
 悠が掌に生み出された新しい花を抜き去ろうとした時、壮太が言った。
「多分間違ってないと思う。僕の独断と偏見なんだけど────」

 悠は「お前の独断だろ」とだけ言って天を仰いだ。
 全身を包み込むような陽の光は、都榛にその名を呼ばれた時のように温かい気持ちにさせてくれる。
 栄養剤も要らない、花食みである都榛から体液を奪わずともエネルギーに変えられる太陽光が悠は好きだ。
 誰に頼らずとも生きていきたいのに、一度その温もりを知ってしまったから。
 なんでそこまでして都榛の傍に居続けようとするのか。
 そんなこと簡単だ。
 悠がどんな痛みを我慢してでも花を生み出したいと思うのも、その花を与えたいと思うのも。悠にとって都榛が唯一の花食みだからに決まっている。

 温室に鳴り響くノックの音。
 外を見やると壮太の恋人――園田そのだ りんがこちらに向かって手を振っていた。
 ふわふわな茶髪が、壮太に会えたことを喜ぶように跳ねる。
 壮太は今まさに懍のために咲かせた花を手にこの暖かい温室を後にした。
 カラン。
 氷がぶつかるような音を立て温室のガラス戸が閉まる。
 隔たれたたった一枚の戸の向こうで、二人が寄り添いあうように手を合わせていて、悠はその姿を暫く見つめていた。

『都榛は悠のこと大好きだと思うよ。すごく大切にしてる』

 悠の中で、壮太の言葉が反響する。
 都榛が悠を大事にしてくれているなんて、そんなこと分かっている。分かった上で、受け取れないと言っているのだ。

 悠は今日も、都榛が帰らない冷たい部屋に一人帰っていった。
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