ピュアブルーにくちづけ

南野うか

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第3話 共に咲く理由

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 昼下がり。
 訪れたのは都内のはずれにある落ち着いた雰囲気のカフェ。
 かなりの人気店らしく、空席はほとんどない。
 窓際のカウンター席に通された二人は、足の長い椅子に並んで腰かけた。
 大きな窓にガラスの天井。
 爽やかな観葉植物が街路樹のように並んでいる。
 都榛とばりは、愛しい我が子を見るようにテラス席に座るチワワを見つめていた。
「都榛さん、犬好きですよね」
「まあな、悠みたいで好きだ」
 はるは思わず呆けてしまい、慌てて出された水を煽った。
「なんだよ、照れてるのか」
 にやりと笑う都榛は、いつもより機嫌がいい。
「俺を犬だと思ってるなんて失礼な人だと思っただけです」
 そう口走って、悠はもう一度グラスを手にした。
 中でカラリと音を立て、氷がぶつかり合う。
 悠が目を伏せると、長いまつ毛が頬に影を落とした。
「ここ、温室みたいだな」
 悠は頷いて、ゆっくりと背もたれに背を預けた。吸った二酸化炭素を酸素に変える植物のように静かに呼吸する。
 都榛はその様子を眺めながら、緩やかに微笑んだ。
 陽光に包まれるカウンター席。
 心地良いBGMに誘われるように、注文した料理が運ばれてくる。
「悠、何にしたんだ?」
「チーズケーキとチョコケーキとカタラーナと―――」
 都榛は思わず口元を抑えた。
「全部甘いものかよ」
「これが一番効率よく糖分取れるんですよ」
 悠はいくつかカトラリーを取り出し、都榛に手渡す。だが紙ナプキンを取ろうとした手を都榛が優しく包んだ。
「俺の世話はいいから。早く食べろよ」
「分かってますって」
 都榛に急かされて、悠も自分の分のフォークを手に取った。
 この店一番人気だというチーズケーキを一口。
 冷たい甘さが溶けるように口の中で消えていった。
「うわ、美味……」
「そんなに美味いのか?」
 ストローから口を離した都榛は愛おしそうに悠を眺めている。
「甘いんだけど爽やかで、くどくない。雪みたいに消えてきました」
「相変わらず食リポのプロだな」
 都榛は笑って、悠の口元を拭った。
 悠は逃げるように視線を落とす。
 皿の上でカトラリーがかちゃりと鳴った。
「……都榛さん、引越しの件ですが」
「嫌なら無理にしなくていい。深刻に考えるな」
 意外な返事に、悠は拍子抜けする。
 初めて日本に来て右も左も分からず借りた今の部屋。日当たりは微妙だが他に気になる点は無い。むしろ家賃も場所も気に入っていた。
「都榛さんがそう言うのなら」
 悠がほっとしたのを見て都榛は少し微笑んだ。
 悠の顔にかかった横髪を払い、そっと頬を撫でる。
「それ、そんなに美味いのか?」
 頬が熱くなるのを誤魔化すように、悠はフォークを差し出す。
「ん……」
 都榛が口をつけ、舌でゆっくりと唇をなぞる。
「悠が言うんだからそうなんだろうな」
 悠は黙ってストローを回した。
 カランと音を立て、氷が崩れる。
 やけに大きく聞こえるBGM。
 先に言葉を紡いだのは都榛の方だった。
「なんでお前がそんな顔するんだよ」
「別になんも……」
 悠が握りしめたストローの先は潰れている。
「お前が美味いなら、俺も美味い」
 その言葉は、あまりにやさしくて残酷だった。
 都榛には、生まれつき味覚がない。
 花食みは、優れた才能と引き換えに、何かを失う。
 都榛は才能、容姿、努力、そのすべてを持ちながら、味だけを知らない。
 悠は、その痛みを想像することさえできなかった。
「……じゃあ追加で頼みます」
 悠は冗談めかしてメニューをめくる。だが、フォークを咥えたまま動きを止めた。
「どうした」
 黙りこくる悠の顔を、都榛が覗き込んだ。
「甘い……」
 口にしたケーキは、さっきよりずっと甘かった。
 夢の中で味わったような、現実離れした甘さ。
 妙に軽い身体。まさか───。
「都榛さん……」
 返事の代わりに都榛は顔を上げた。
 悠を癒す太陽光が都榛の肌をゆっくりと焦がしていくみたいだ。
「昨日の夜、何をしてましたか?」
「ん? 本を読んでた……多分」
「何時頃、眠りましたか?」
「……忘れた」
「夜中、俺の部屋に来てましたよね?」
 沈黙。
 都榛は嘘が下手だ。特に悠に対してだけは。
「都榛さん……もうあんなことしないでください」
「普通にしてたらお前は受け取らないだろう?」
 その一言に、悠は何も返せなかった。
 腕に乗せていた右手にぐっと力を入れる。
 都榛は黙って悠の部屋を訪れ、静かに弱っていく悠に自ら栄養を分け与えていたのだろう。
「都榛さんをこんな、栄養剤のように扱いたくはないんです」
「俺が好んでやってるんだ。栄養剤のようにされたなんて少しも思っていない」
 都榛の声に熱が宿る。
 机の上の手が、強く握られた。
 悠の胸の奥で、痛みがじわりと広がる。
「違います……俺が嫌なんです。もう、あの"庭"にいたころに帰りたい」
 悠ははっとしたように口を塞いだ。
 その顔からは血の気が失せ、唇は震えている。
 酷い罪悪感。一番言ってはいけないことを言ってしまった。
「そうか、悪かった」
 都榛は静かに俯いた。
 悠は都榛を悲しませたいわけじゃない。困らせたい訳でもない。ただ黙ってその命尽きるまで都榛の元で都榛のゆく道について行くと決めただけなのに。
「都榛さん……、俺は」
「ちょっと頭冷やしてくる」
 悠の言葉を遮るように、都榛はガラスの向こう側にある喫煙所へと向かってしまった。
 都榛は煙草なんて吸わないのに。
 その後ろ姿を追いかけたいのに、足が思うように動かない。
 ガラス越しに映る都榛。
 それはまるで己はそこに根をはってしまった植物のようで。それは昔によく見た景色で悠はそれを否定するように立ち上がった。
 ガラス戸から顔をのぞかせると都榛が隣を空けてくれる。来ていいという合図のようで悠はそこに腰かけた。
 煙の匂い。
 都榛がむせる音だけが響く。
「悠はもう吸わないのか?」
 悠は肯定の代わりに都榛の名を呼ぶ。
 都榛の伏せた淡いまつ毛は、金糸のように輝いていた。
「悪かった」
 悠の歯を立てた唇は、血が出そうなほどくい込んでいる。
「顔上げてくれ」
 悠がゆっくりと顔を上げると都榛の大きな手が頬を包み込む。
 温かくて大きくて、悠の大好きな手だ。
「お前に、悠にそんな顔をさせたいわけじゃない。あの場所からお前を連れ出したのはお前にもっと楽しい想いをさせたかったからだ」
「楽しい……?」
「ああ、お前にそんな顔させないくらいもっと幸せにする」
「それ……」
 プロポーズみたいだ、なんて思わない。
 思ってはいけない。
 都榛はただあの場で死を待つだけだった悠を哀れに思っただけだ。抜き去った花を枯れるまで大事にする。ただそれだけ。
「都榛さん……」
 都榛はあの"手紙"を見てもまだこんな風に言ってくれるだろうか。
 彼に宛てられたそれを悠は未だに渡せていない。
 それを読んだ都榛は、お前なんか要らないと言って塵みたいに悠を捨ててくれるだろうか。
 もう二度と顔を見せるなと叱責してくれるだろうか。
 いや、都榛はそんなことできないと悠は分かっていた。
 都榛は悠が自分のすべてを奪ったと知ったら苦しんで、悲しんで、それでも自分の隣にいてほしいと言ってくれるような気がして。
「……なんでもありません」
 これが悠の弱さで、甘えで、同時に都榛と人生を共にする理由だった。

 都榛の掌の温度が頬に残っている。
 外の風が、焦げた煙の匂いを運んできた。
 春はすぐそこまで来ているのに、二人の時間だけが凍っていた。
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