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第10話 見えない鎖
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ある日を境に、悠の生活は少しだけ変わった。
都榛の両親が、悠を息子の世話係に任命したのだ。
可愛い子の頼みを無下にできず、渋々という形で。
理由は単純だった。
都榛が、あまりにも悠を気に入って離れようとしなかったから。
両親は何とも言い難い顔をしていた。
花として買った存在に情を移すなど、想定外だったのだろう。
だが、悠が家事も礼儀もよく心得ていたため、下働きとしてなら都合が良い。
結局、都榛の根気に折れる形で、二人の主従生活は始まりを告げた。
「都榛さん、食事の時間です」
パンとスープ、それから色鮮やかなサラダ。
トレーを持つ悠の顔はどこか誇らしげだった。
「悠は食べないのか?」
「俺はまだ仕事が残ってるので」
都榛は浮かない顔で、パンをちぎる。
「少しだけならいいだろ?」
にっと笑ってそれを悠の口に押し込んだ。
驚いた悠は、思わず目を細めて柔らかいそれを飲み込む。
温かな生地が喉を滑り落ちる間、胸の奥で小さな音が鳴った。
それからの日々、悠は毎日都榛の服を整え、食事を運んだ。
昼は勉強机の傍らで本を整え、時折質問に答える。
慣れない手つきで紅茶を淹れ、夜はベッドサイドにそっと置いて帰る。
「もう帰るのか?」
微かに揺れる都榛の瞳が、切なく悠を見つめていた。
悠はそれを見ないように頭を下げ、温室へと戻る。
独りきりの夜は、いつもより長く、冷たかった。
その夜は妙に静かだった。風もなく、まるで植物だけが呼吸しているような夜。
ふいに、扉が微かな音を立てた。
「悠……入っていい?」
ランタンを手にした都榛が、裾を握って立っていた。
「どうしたんです、もう夜遅いですよ」
「……なんか、寂しくて」
都榛はそう言って笑い、土の上に腰を下ろす。
悠の止める声を無視して、ひんやりとした床に寝転んだ。
冷たい床の感触に身をすくめながら、都榛は「少しだけ」と目を閉じた。
薬草の香りの中で、都榛の寝息が静かに溶けていく。
悠は起こさないようそっと毛布をかけ、夜明けまでその姿を見つめていた。
翌朝。
草花が露を抱え、小鳥がさえずりはじめる。
「―――都榛様!?」
使用人の悲鳴が穏やかだった温室に響いた。
人の寄りつかないハウスにできる人だかり。
ガラス越しに見える都榛は、泥にまみれた寝巻きのまま立たされ、
父親に叱られていた。
どんなに近くにいても、触れられない。
伸ばした手が空を切る。
陽だまりの中に立つ彼は、やっぱり遠かった。
◇
季節がひとつ巡る頃、都榛には専属の家庭教師がついた。
悠はその背中を見守りながら、同じ日々を繰り返す。
食後の片付け、眠る前の僅かな合間。
親や他の使用人の目を盗んでは、指を絡めるような静かな逢瀬が続いた。
そんなある日。
「おい、そこの――――悠だったか?」
都榛の部屋を出た悠は、ふと聞こえた声に足を止めた。
「はい。どうかされましたか」
振り返ると、真っ白いコックコートを身に着けた男が満面の笑顔で立っていた。
「随分都榛様と仲が良いんだな」
「そうですか?」
悠は曖昧に返事をし、そのまま配膳室へ足を進める。
男も軽い足取りで隣を歩いた。
「正直、君たちってどういう関係なの」
「……主と使用人ですけど」
悠はなぜだか胸に引っ掛かりを覚えた。
だが表情ひとつ崩さない。
「ふうん、そうは見えないけど」
皿が小さく音を立てた。
男は「若いっていいねえ」と笑う。
悠は俯き、下唇を噛んだ。
頬がほんのり熱を帯びる。
「いやあ、最近都榛様もお勉強頑張っておられるみたいだし、ケーキでも作ろうかと思って」
そしたら君にも振舞うよ、と男は懐から何かを差し出す。
衛生第一の厨房に相応しい、純白のコックコートから漂白されていない紙片が覗く。
「これ、買ってきてくれないか。生クリームと牛乳を少し」
「……俺が、行くんですか?」
「おう。今から食事会の準備で手が離せなくて。頼む、都榛様の為だと思って」
両手を合わせ頼み込むような男に、悠は溜息を吐いた。
「旦那様に許可を」
「その必要はねえよ」
「……どういう意味ですか」
「いや、深い意味はねえ。ただ君たちは”特別”だからな」
男はふっと笑いを消した。
「旦那様には気をつけな。血も涙もない人だ。息子には優しいけど、君にはどうだか」
そう言って、男は紙片を押しつけるように渡した。
◇
久しぶりの市場は変わらない喧騒に包まれていた。
悠はどこか夢心地のまま歩いている。
許可も見張りもなく簡単に外へ出されたことが不思議でならないのだ。
通りを満たすざわめき。
焼きたてのパンの香ばしい匂い。
果実を潰す音と、人々の笑い声。
数年前までこれが日常だったのだ。
広間で花を咲かせれば、こぞって人が買いに来た。
どれもこれも、思い出したところで良いことなんてない。
頭上に広がる、どんやりとした雲のように悠の心も灰色だった。
「うわ……最悪」
頬に冷たい雨粒が落ちた。
無彩色の空には黒い雲が流れ、雨脚が強まっていく。
屋根のある路地に逃げ込むが、冷えと空腹で手が震えた。
懐に手を差し入れると、もらった銀貨が数枚残っている。
悠は仕方なく近くにある青果店に足を踏み入れた。
「いらっしゃい」
奥の方から、年配の店主の声がする。
棚には果汁や蜂蜜、他にも栄養価の高そうな瓶が並んでいた。
悠は一つ、明るいオレンジ色のジュースを手に取る。
果実の甘い香りがして、喉が鳴った。
「それ、人間用だよ」
不意にかけられた声に、指先がぴたりと止まる。
振り向くと、店主が無表情のまま棚の奥を指していた。
「こっち。花生みの子なら、これの方がいい」
差し出された瓶の中身は、透き通るような淡い青色をしている。
「……どうして、それを」
「見りゃわかるさ。お前、花が咲くんだろ?」
店主の視線にはっとした。
見つめられた項に――あの花が静かに芽吹いている。
悠はそれを振り払うように引きちぎった。
「……ああ」
そう答えると、主人は気まずそうに笑った。
「悪い悪い、別に変な意味じゃない。ただ、身体に合うもんが違うだけさ」
「……ありがとうございます」
差し出されたパックはいつもの点滴にそっくりだった。
光を透かす液体は、どこか悠の咲かす花のように青い。
――ああ、やっぱり自分は普通とは”違う”んだ。
そう思った瞬間、身体の奥が冷たく沈んだ。
封を切り、雨音を聞きながら瓶の口を傾ける。
喉を伝うのは、甘くも苦くもない空虚な味だった。
飲み干しても、何も変わらない。
満たされない。
空腹が、胸の奥でゆっくりと痛みに変わっていく。
気づけば、背中に肌を刺すような痛みがして歯を食いしばった。
白む視界。音を立てて芽吹いていく花。
雨音が遠ざかる。
――何かが足りない。
そう思ったところで、世界が白く消えていった。
◇
次に目を開けたとき、見慣れた天井があった。
「悠!」
駆け寄ってきた都榛は、息を荒くしていた。
頬に数的、滴が落ちる。
「……すみません、ご心配をおかけして」
「心配したに決まってるだろ」
強く叱る声。
焦る口調はが涙交じりで、けれど、どこまでも優しい。
「……その話し方やめろよ」
「え?」
「“です”とか“ます”とか。……前みたいに話せよ」
悠は困惑して、唇を噛んだ。
「でも、旦那様に叱られてしまいます」
「二人の時なら、いいだろ」
そう言って笑った都榛の目は、あの日のままだった。
悠は小さく頷き、かすれた声で返した。
「……わかったよ、都榛」
その瞬間、都榛が身を寄せた。
唇が触れ、ぺろりと唇をなぞられる。
それだけで不思議なほど身体が軽くなった。
空腹も、痛みも、何もかもが満たされていく。
「どうした、ぼーっとして」
「……なんでも、ないです」
そう答えながらも、胸の奥で何かがざわめいた。
◇
夜、ガラス張りのハウスに戻ると、使用人が点滴を持って立っていた。
「あの……」
悠が口を開くと、使用人は僅かに目を見開いて、それから熱のない声で「はい」と返事した。
ここに来て数年、初めて使用人と話した瞬間かもしれない。
「えっと、その栄養剤って何か違うんですか」
悠の質問に使用人は能面のような顔のまま答える。
「それは”特別製”ですから」
「特別製……?」
「ええ」
それ以上、彼女は何も言わなかった。
身に着けた白衣の懐からいつもの点滴針を取り出す。
まだ注射痕の無い皮膚に、ぷすりと針が沈んでいった。
血管を伝って、温かな液体が流れ込んでくる。
ゆっくりと身体が癒されていくようだった。
「では失礼します」
悠が大人しく目を閉じると、使用人は白衣を翻す。
ガラス戸が閉まる音が妙に響く気がした。
彼女の姿が見えなくなると、悠はそっと点滴の針を抜いた。
滴る液を指先に受け、恐る恐る舐めてみる。
――甘い。
優しい味。
どこか、都榛と同じ匂いがした。
「やっぱり……」
胸が締めつけられる。
理解した瞬間、息が止まった。
どくん、どくんと脈打つ心臓が喉のすぐそこで鳴っているみたいだ。
点滴のパックを裂く。
ぴしゃりと溢れ出した中身を口に含んでみた。
その瞬間、都榛と口づけた時のような幸福感に満たされていく。
まるで、今目の前に都榛がいるような。
口内で溶け合う熱―――これは、都榛の血が混じっている!
花生みの最も効率の良い栄養は花食みの体液だ。
普通の栄養剤が効かない原因。
彼の両親が、とっくの昔に悠の体に「満たされない理由」を作ってしまったのだ。
都榛を求めずにはいられない身体。
この屋敷から離れられない心。
冷汗が頬を伝って空気に溶けた。
目には見えない鎖が、手にも足にも絡みついている。
都榛はそれを知らない。
優しい笑顔で、ただ悠の名を呼んでいる。
――離れられない。
どれほど望んでも、この手は自由にならない。
それでも、都榛の傍にいられるならそれでもかまわないと悠は思った。
都榛の両親が、悠を息子の世話係に任命したのだ。
可愛い子の頼みを無下にできず、渋々という形で。
理由は単純だった。
都榛が、あまりにも悠を気に入って離れようとしなかったから。
両親は何とも言い難い顔をしていた。
花として買った存在に情を移すなど、想定外だったのだろう。
だが、悠が家事も礼儀もよく心得ていたため、下働きとしてなら都合が良い。
結局、都榛の根気に折れる形で、二人の主従生活は始まりを告げた。
「都榛さん、食事の時間です」
パンとスープ、それから色鮮やかなサラダ。
トレーを持つ悠の顔はどこか誇らしげだった。
「悠は食べないのか?」
「俺はまだ仕事が残ってるので」
都榛は浮かない顔で、パンをちぎる。
「少しだけならいいだろ?」
にっと笑ってそれを悠の口に押し込んだ。
驚いた悠は、思わず目を細めて柔らかいそれを飲み込む。
温かな生地が喉を滑り落ちる間、胸の奥で小さな音が鳴った。
それからの日々、悠は毎日都榛の服を整え、食事を運んだ。
昼は勉強机の傍らで本を整え、時折質問に答える。
慣れない手つきで紅茶を淹れ、夜はベッドサイドにそっと置いて帰る。
「もう帰るのか?」
微かに揺れる都榛の瞳が、切なく悠を見つめていた。
悠はそれを見ないように頭を下げ、温室へと戻る。
独りきりの夜は、いつもより長く、冷たかった。
その夜は妙に静かだった。風もなく、まるで植物だけが呼吸しているような夜。
ふいに、扉が微かな音を立てた。
「悠……入っていい?」
ランタンを手にした都榛が、裾を握って立っていた。
「どうしたんです、もう夜遅いですよ」
「……なんか、寂しくて」
都榛はそう言って笑い、土の上に腰を下ろす。
悠の止める声を無視して、ひんやりとした床に寝転んだ。
冷たい床の感触に身をすくめながら、都榛は「少しだけ」と目を閉じた。
薬草の香りの中で、都榛の寝息が静かに溶けていく。
悠は起こさないようそっと毛布をかけ、夜明けまでその姿を見つめていた。
翌朝。
草花が露を抱え、小鳥がさえずりはじめる。
「―――都榛様!?」
使用人の悲鳴が穏やかだった温室に響いた。
人の寄りつかないハウスにできる人だかり。
ガラス越しに見える都榛は、泥にまみれた寝巻きのまま立たされ、
父親に叱られていた。
どんなに近くにいても、触れられない。
伸ばした手が空を切る。
陽だまりの中に立つ彼は、やっぱり遠かった。
◇
季節がひとつ巡る頃、都榛には専属の家庭教師がついた。
悠はその背中を見守りながら、同じ日々を繰り返す。
食後の片付け、眠る前の僅かな合間。
親や他の使用人の目を盗んでは、指を絡めるような静かな逢瀬が続いた。
そんなある日。
「おい、そこの――――悠だったか?」
都榛の部屋を出た悠は、ふと聞こえた声に足を止めた。
「はい。どうかされましたか」
振り返ると、真っ白いコックコートを身に着けた男が満面の笑顔で立っていた。
「随分都榛様と仲が良いんだな」
「そうですか?」
悠は曖昧に返事をし、そのまま配膳室へ足を進める。
男も軽い足取りで隣を歩いた。
「正直、君たちってどういう関係なの」
「……主と使用人ですけど」
悠はなぜだか胸に引っ掛かりを覚えた。
だが表情ひとつ崩さない。
「ふうん、そうは見えないけど」
皿が小さく音を立てた。
男は「若いっていいねえ」と笑う。
悠は俯き、下唇を噛んだ。
頬がほんのり熱を帯びる。
「いやあ、最近都榛様もお勉強頑張っておられるみたいだし、ケーキでも作ろうかと思って」
そしたら君にも振舞うよ、と男は懐から何かを差し出す。
衛生第一の厨房に相応しい、純白のコックコートから漂白されていない紙片が覗く。
「これ、買ってきてくれないか。生クリームと牛乳を少し」
「……俺が、行くんですか?」
「おう。今から食事会の準備で手が離せなくて。頼む、都榛様の為だと思って」
両手を合わせ頼み込むような男に、悠は溜息を吐いた。
「旦那様に許可を」
「その必要はねえよ」
「……どういう意味ですか」
「いや、深い意味はねえ。ただ君たちは”特別”だからな」
男はふっと笑いを消した。
「旦那様には気をつけな。血も涙もない人だ。息子には優しいけど、君にはどうだか」
そう言って、男は紙片を押しつけるように渡した。
◇
久しぶりの市場は変わらない喧騒に包まれていた。
悠はどこか夢心地のまま歩いている。
許可も見張りもなく簡単に外へ出されたことが不思議でならないのだ。
通りを満たすざわめき。
焼きたてのパンの香ばしい匂い。
果実を潰す音と、人々の笑い声。
数年前までこれが日常だったのだ。
広間で花を咲かせれば、こぞって人が買いに来た。
どれもこれも、思い出したところで良いことなんてない。
頭上に広がる、どんやりとした雲のように悠の心も灰色だった。
「うわ……最悪」
頬に冷たい雨粒が落ちた。
無彩色の空には黒い雲が流れ、雨脚が強まっていく。
屋根のある路地に逃げ込むが、冷えと空腹で手が震えた。
懐に手を差し入れると、もらった銀貨が数枚残っている。
悠は仕方なく近くにある青果店に足を踏み入れた。
「いらっしゃい」
奥の方から、年配の店主の声がする。
棚には果汁や蜂蜜、他にも栄養価の高そうな瓶が並んでいた。
悠は一つ、明るいオレンジ色のジュースを手に取る。
果実の甘い香りがして、喉が鳴った。
「それ、人間用だよ」
不意にかけられた声に、指先がぴたりと止まる。
振り向くと、店主が無表情のまま棚の奥を指していた。
「こっち。花生みの子なら、これの方がいい」
差し出された瓶の中身は、透き通るような淡い青色をしている。
「……どうして、それを」
「見りゃわかるさ。お前、花が咲くんだろ?」
店主の視線にはっとした。
見つめられた項に――あの花が静かに芽吹いている。
悠はそれを振り払うように引きちぎった。
「……ああ」
そう答えると、主人は気まずそうに笑った。
「悪い悪い、別に変な意味じゃない。ただ、身体に合うもんが違うだけさ」
「……ありがとうございます」
差し出されたパックはいつもの点滴にそっくりだった。
光を透かす液体は、どこか悠の咲かす花のように青い。
――ああ、やっぱり自分は普通とは”違う”んだ。
そう思った瞬間、身体の奥が冷たく沈んだ。
封を切り、雨音を聞きながら瓶の口を傾ける。
喉を伝うのは、甘くも苦くもない空虚な味だった。
飲み干しても、何も変わらない。
満たされない。
空腹が、胸の奥でゆっくりと痛みに変わっていく。
気づけば、背中に肌を刺すような痛みがして歯を食いしばった。
白む視界。音を立てて芽吹いていく花。
雨音が遠ざかる。
――何かが足りない。
そう思ったところで、世界が白く消えていった。
◇
次に目を開けたとき、見慣れた天井があった。
「悠!」
駆け寄ってきた都榛は、息を荒くしていた。
頬に数的、滴が落ちる。
「……すみません、ご心配をおかけして」
「心配したに決まってるだろ」
強く叱る声。
焦る口調はが涙交じりで、けれど、どこまでも優しい。
「……その話し方やめろよ」
「え?」
「“です”とか“ます”とか。……前みたいに話せよ」
悠は困惑して、唇を噛んだ。
「でも、旦那様に叱られてしまいます」
「二人の時なら、いいだろ」
そう言って笑った都榛の目は、あの日のままだった。
悠は小さく頷き、かすれた声で返した。
「……わかったよ、都榛」
その瞬間、都榛が身を寄せた。
唇が触れ、ぺろりと唇をなぞられる。
それだけで不思議なほど身体が軽くなった。
空腹も、痛みも、何もかもが満たされていく。
「どうした、ぼーっとして」
「……なんでも、ないです」
そう答えながらも、胸の奥で何かがざわめいた。
◇
夜、ガラス張りのハウスに戻ると、使用人が点滴を持って立っていた。
「あの……」
悠が口を開くと、使用人は僅かに目を見開いて、それから熱のない声で「はい」と返事した。
ここに来て数年、初めて使用人と話した瞬間かもしれない。
「えっと、その栄養剤って何か違うんですか」
悠の質問に使用人は能面のような顔のまま答える。
「それは”特別製”ですから」
「特別製……?」
「ええ」
それ以上、彼女は何も言わなかった。
身に着けた白衣の懐からいつもの点滴針を取り出す。
まだ注射痕の無い皮膚に、ぷすりと針が沈んでいった。
血管を伝って、温かな液体が流れ込んでくる。
ゆっくりと身体が癒されていくようだった。
「では失礼します」
悠が大人しく目を閉じると、使用人は白衣を翻す。
ガラス戸が閉まる音が妙に響く気がした。
彼女の姿が見えなくなると、悠はそっと点滴の針を抜いた。
滴る液を指先に受け、恐る恐る舐めてみる。
――甘い。
優しい味。
どこか、都榛と同じ匂いがした。
「やっぱり……」
胸が締めつけられる。
理解した瞬間、息が止まった。
どくん、どくんと脈打つ心臓が喉のすぐそこで鳴っているみたいだ。
点滴のパックを裂く。
ぴしゃりと溢れ出した中身を口に含んでみた。
その瞬間、都榛と口づけた時のような幸福感に満たされていく。
まるで、今目の前に都榛がいるような。
口内で溶け合う熱―――これは、都榛の血が混じっている!
花生みの最も効率の良い栄養は花食みの体液だ。
普通の栄養剤が効かない原因。
彼の両親が、とっくの昔に悠の体に「満たされない理由」を作ってしまったのだ。
都榛を求めずにはいられない身体。
この屋敷から離れられない心。
冷汗が頬を伝って空気に溶けた。
目には見えない鎖が、手にも足にも絡みついている。
都榛はそれを知らない。
優しい笑顔で、ただ悠の名を呼んでいる。
――離れられない。
どれほど望んでも、この手は自由にならない。
それでも、都榛の傍にいられるならそれでもかまわないと悠は思った。
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(2月の看病編/3月のホワイトデー編公開予定です)
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作者の励みになります!!
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【完結しました】
【エールいただきました。ありがとうございます】
【たくさんの“いいね”ありがとうございます】
【たくさんの方々に読んでいただけて本当に嬉しいです。ありがとうございます!】
恋人に捨てられた悠の心情。
話は別れから始まります。全編が悠の視点です。
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