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第四話
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子連れの夫婦が、歩道の正面からやってくる。
あいにく、曲がれそうな角はどこにもない。仕方なく、顔だけを俯かせる。それでも、彼らが楽しげに会話をする声が耳に届いてくるのは、どうすることもできない。
足を速め、夫婦の脇を通り過ぎる。話し声が遠ざかり、聞こえなくなってから、ようやく速度を緩めた。
あの夫婦が羨ましくてたまらない。羨ましくて妬ましく、殺してしまいたいほどだった。
下腹部に手を当てる。ずっと子どもが欲しかった。女としてこの世に生を受けた自分にとって、それはただ一つの大きな望みだった。
だが現実の自分は、二度と子どもを授かることはない。
二十代後半、都会の中小企業の事務員をしていた頃、同僚だった男と交際し、二年後に結婚した。
自分も夫も、子どもが好きだった。そのため、早く自分たちも元気な子どもをたくさん作って、明るく賑やかな家庭を築く夢を、互いに語り合うことも多かった。
結婚して一年経ち、二年経ち、三年が経った――それでも、なぜだか一向に身籠らなかった。
自分と夫の、どちらかに問題があると思った。それで二人とも病院で検査を受けた。
その結果、自分の卵巣に生まれつき障害があり、子どもを産むことは不可能だと分かった。
耳が遠くなり、視界が真っ暗になった。何かの聞き間違いではないかとも思ったが、いくら自分が拒もうと、残酷な現実は覆らなかった。
以来、夫の自分に対して急に冷たくなった。子どもを作れないことではなく、子どもを産めない妻に失望したとでも言いたげな態度だった。
そんな生活に自分の方が耐えられなくなり、離婚を切り出すと、夫はあっさりと承諾した――同時期に他の女と浮気をしていたことを知ったのは、離婚が成立した後のことだった。
今では、きっと夫はその女との子どもをもうけ、理想的な家庭生活を送っていることだろう。
夫への怒りも、浮気相手の女への恨みもなかった。ただ絶望だけを感じていた。きっと自分は、心のどこかで期待していたのかも知れない。たとえ子どもを作ることが叶わなくても、夫はそんな自分ごと受け入れ、愛してくれるだろう――と。
子どもを産むことがすべてではないことぐらい、分かっている。だがどうしても、自分に自信を持つことができなかった。再婚について考える度、自分の体のことが頭に浮かんでしまう。また夫のように拒絶されたらと思うと怖くなり、二の足を踏んでしまい、いつまでも先に進めない。
そうして自分は、女としての人生を諦めた。
夕飯の買い物をするために、近場のスーパーに向かった。頭の片隅で献立を考えつつ、カートを押しながら店内をゆっくりと見て回る。
そのとき、視界の端を誰かが通り過ぎた。何気なくそちらを向くと、大きな腹部の主婦らしき女が、カートを押しながら生鮮食品の売り場へ歩いていくところだった。
いた。見つけた――主婦の後ろ姿を目で追いながら、心の中で呟く。
――次は、あの子にしよう。
そう決めると踵を返し、主婦の後を尾けた。
あいにく、曲がれそうな角はどこにもない。仕方なく、顔だけを俯かせる。それでも、彼らが楽しげに会話をする声が耳に届いてくるのは、どうすることもできない。
足を速め、夫婦の脇を通り過ぎる。話し声が遠ざかり、聞こえなくなってから、ようやく速度を緩めた。
あの夫婦が羨ましくてたまらない。羨ましくて妬ましく、殺してしまいたいほどだった。
下腹部に手を当てる。ずっと子どもが欲しかった。女としてこの世に生を受けた自分にとって、それはただ一つの大きな望みだった。
だが現実の自分は、二度と子どもを授かることはない。
二十代後半、都会の中小企業の事務員をしていた頃、同僚だった男と交際し、二年後に結婚した。
自分も夫も、子どもが好きだった。そのため、早く自分たちも元気な子どもをたくさん作って、明るく賑やかな家庭を築く夢を、互いに語り合うことも多かった。
結婚して一年経ち、二年経ち、三年が経った――それでも、なぜだか一向に身籠らなかった。
自分と夫の、どちらかに問題があると思った。それで二人とも病院で検査を受けた。
その結果、自分の卵巣に生まれつき障害があり、子どもを産むことは不可能だと分かった。
耳が遠くなり、視界が真っ暗になった。何かの聞き間違いではないかとも思ったが、いくら自分が拒もうと、残酷な現実は覆らなかった。
以来、夫の自分に対して急に冷たくなった。子どもを作れないことではなく、子どもを産めない妻に失望したとでも言いたげな態度だった。
そんな生活に自分の方が耐えられなくなり、離婚を切り出すと、夫はあっさりと承諾した――同時期に他の女と浮気をしていたことを知ったのは、離婚が成立した後のことだった。
今では、きっと夫はその女との子どもをもうけ、理想的な家庭生活を送っていることだろう。
夫への怒りも、浮気相手の女への恨みもなかった。ただ絶望だけを感じていた。きっと自分は、心のどこかで期待していたのかも知れない。たとえ子どもを作ることが叶わなくても、夫はそんな自分ごと受け入れ、愛してくれるだろう――と。
子どもを産むことがすべてではないことぐらい、分かっている。だがどうしても、自分に自信を持つことができなかった。再婚について考える度、自分の体のことが頭に浮かんでしまう。また夫のように拒絶されたらと思うと怖くなり、二の足を踏んでしまい、いつまでも先に進めない。
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そのとき、視界の端を誰かが通り過ぎた。何気なくそちらを向くと、大きな腹部の主婦らしき女が、カートを押しながら生鮮食品の売り場へ歩いていくところだった。
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