罪ノ贄

黒砂糖

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第六話

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 革手袋をはめて塀の陰に隠れ、寝室の明かりが消えるのを、身動ぎせずに待ち続けた。この家の夫は今夜、出張で不在であることは前もって確認していた。だからこそ、この日を逃す手はない。
  消灯後も念のため、日付が変わるまで様子を窺った。それから手提げ鞄を持ち、ようやく行動に移る。
  都会ならともかく、このような田舎町における防犯対策などたかが知れている。門をよじのぼり、庭に着地する。路地から死角にある窓は、手提げ鞄に入れた金槌とガムテープがあれば充分だ。
  鍵のすぐ脇にガムテープを貼って音が出ないようにしてから、金槌で窓を砕く。破片で怪我をしないように気をつけながら手を差し入れ、鍵を開ける。拍子抜けするほど簡単だ。
  家の中に侵入し、足音を殺しながら寝室を目指す。自分の呼吸音で気付かれないかと、そちらの方が不安だった。
  寝室に着くと、ふすま越しに聞き耳を立てる。かすかな寝息意外に、聞こえるものはない。
  ここからがもっとも難しい。ふすまを滑らせるときに、大きな音を立てないようにしなければならない。
 心持ちふすまを浮かせるようにして、慎重にゆっくりと開けていく――何とかうまくいった。心中でほっと息を吐く。
  女は寝室の奥まったところで眠っていた。膨らんだ腹部が大きく上下している。
 金槌を右手に、女の寝る布団に接近していく。意志とは関係なく体が震える――緊張のためか、それとも興奮のためか、自分にも分からない。
 女の頭の横で屈み込んだ。安らかな寝顔をしばらく、凝視する。
 深々と息を吸い込み、金槌を徐々に持ち上げていく――手汗で滑りそうなので拭いたかったが、一度持ち上げた金槌を戻す気になれなかった。

 ――と、女の目が、ぱちりと開いた。
 
 反射的に、金槌を女の顔に振り下ろしていた。女の右眼が潰れる感触が、金槌から右手、右手から全身へと一気に伝わった。
 女が苦痛の悲鳴をあげる間を与えず、何度も金槌を叩きつけた。凶器を振るうたびに血が飛び散ったが、薄暗いためその赤い色までは認められない。折れた前歯が数本、畳を転がっていた。
  疲労を感じてから、自分は手を止めた。見下ろす女の顔は歪に変形して目鼻立ちの判別もできず、もはやそれは人間の顔とは呼べなかった。
 言うまでもなく、女は絶命していた。血で汚れた金槌を手提げ鞄にしまう。
  そうして代わりに取り出したものは、裁ちバサミだった。
  女の死体に胸元までかけられた掛け布団と毛布を剥ぎ取った。パジャマをたくしあげ、腹部を露わにする。 
  口の中に溜まった唾液を飲み込む。ここからは体の震えを、無理にでも止める必要がある。
  開かれた裁ちバサミの刃を、そっと下腹部にあてがう。気を引き締め、柄を握る右手に力を込めた。
  じょきっ――裂けた皮膚の隙間から、血が後から後から溢れてくる。余計なことは考えず、あくまで機械的に、目の前の作業に没頭する。
  
 じょきっ――。
 じょきっ――。
 じょきっ――。
 じょきっ――。
 じょきっ――。
 じょきっ――。
  
 裁ちバサミの刃を開いては閉じ、閉じては開く――繰り返すうち、血と脂が刃に絡みつき、切れ味が悪くなる。いったん中断し、タオルで刃を拭う。
  乳房の下辺りまで作業を終えると、裁ちバサミを脇に置く。両手を使って邪魔な臓器を取り除きながら、目当てのものを探る。
  
 ――あった。
  
 それは、体を丸めた血塗れの胎児だった。
  裁ちバサミで臍の緒を切り、腹腔からゆっくりと取り出す。あらかじめ用意していた新聞紙に、胎児をくるみ、その他の道具と一緒に手提げ鞄にしまった。
これですべきことはもうない。後は一刻も早くこの場を立ち去るだけだ。
  腰をあげ、残された女の、無残な死体を見下ろす。
  この死は決して、無意味ではない――すべてはたった一つの、尊い命のためなのだから。       
  そう自身に言い聞かせ、噎せ返るほどの血臭に満ちた寝室を、足早で後にした。
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