災嵐回記 ―世界を救わなかった救世主は、すべてを忘れて繰りかえす―

牛飼山羊

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第四章

夢(二)

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(――――?)

水底に軽く背をぶつけたカイは、その反動で浮き上がった。
目を開けると、自分の作る水疱が、きらきらと光りながら上に昇っていくのが見えた。
水面にたたきつけられて、カイは死ぬはずだった。
けれど澄んだ渓流はカイをまるで包み込むように受け止めた。
カイは自分より先に、シェルティが浮上していく姿を見た。
シェルティも気を失っていたが、その口からは気泡が溢れ、怪我を負っている様子もない。
カイの朧な視界の中で、シェルティはシャボン玉に包まれていた。
そしてカイもまた、気づくとシャボン玉にくるまれていた。
虹色に光る薄い膜は、カイをゆっくりと持ち上げる。
カイはシャボン玉によって、水面に運ばれていく。
透明で、明るく、冷たい水底から、曇り空の下へと。









カイは夢を見る。

それはラウラが最後にみた夢の続きだった。
カイは黒く淀んだ井戸の中でもがいている。
井戸の底から延びる、無数の人の手によってカイは沈められている。
それらの手には皮膚がなく、肉と骨がむき出しで、腐りかけていた。
手は脆かった。
カイのわずかな抵抗でひしゃげ、崩れてしまった。
崩れた手は水に溶け、その濁りの一部となった。
手は脆かったが、どれだけ振り払っても、次から次へと伸びてきた。
カイがどれだけ暴れても、その身は沈み続けた。

カイはやがて力尽きた。
手に全身を絡みとられながら、井戸の口に手をのばした。
そこから漏れる光は、まるで月のようだった。
遥か彼方にあって、とても届かないとわかっているけれど、手を伸ばさずにはいられなかった。
カイは願った。
ここから出たい、と。
すると白い手が差し伸べられた。
どこからともなく現れたその手は、花が開くように、カイの目の前で広げられた。
その手には小指と薬指がなかった。
カイはなにを考えることもなく、その手に縋った。
これで助かると、光のもとへ戻れると、歓喜した。
白い手はカイの望み通り、カイの身体を井戸の上へ持ち上げた。
そうはせるまいと、さらに多くの手が、カイの身体にまとわりつく。
カイは身をくねらせ、足を蹴りだし、それを振り払った。
激しく暴れながら、ふと、不安に襲われた。
ああ、これは蜘蛛の糸かもしれない、と。
自分の縋るこの白い手は、ほどなくして切れてしまうのではないか、と。
けれどそれは杞憂だった。
白い手はカイを力強く引っ張り上げた。
やがてカイの身体は水から離れ、すべての手をふりほどいた。
カイの身体は光に包まれる。
すべての苦痛から解放される。

外だ!

黄金の麦畑の中に、カイは投げ出される。

バシャンッ!

カイは井戸から出たが、それと同時に、なにかが井戸に落ちる音が響いた。
なんだろう、カイはそう思ったが、麦の穂のベッドは温かく、心地よく、すぐに起き上がることはできなかった。

しばらく休んでから、カイは起き上がった。
井戸に落ちたものがなにか確かめようとした。
けれど、井戸はどこにもなかった。
淡い春の空と、夏風にそよぐ黄金の麦畑が、どこまでも広がるばかりだ。

ラウラ!

カイは叫ぶ。

ラウラ!

カイは本当は気づいていた。
あの手がラウラのものであることを。
気づいていたが、それでも縋ってしまった。
縋らずには、いられなかった。
そしてカイは救い上げられた。
代わりにラウラは落ちていった。
もう助けることはできない。
井戸はすでに麦畑に埋もれてしまっていた。
穏やかな陽気の下、実り豊かな麦畑の中で、カイはひとりだった。

カイは蹲った。
小指と薬指のない、白く小さな手で、柔らかい地面を掘った。
ラウラはこの世界で最も暗い場所に沈んで行ってしまった。
本当は自分が行くべきだった場所に。
井戸はもうなくなってしまった。
カイがその場所にいくためには、自分で深い穴を掘るしかない。
カイは麦畑を掘った。

ごめんなさい。
ごめんなさい。
ごめんなさい。

そう懺悔しながら、素手で、柔らかい地面をかき続けた。

カイ。

遠くで、誰かが、カイの名を呼んだ。

カイ。

声は、カイを探しているようだった。
けれどカイは答えなかった。

カイ。知ってるよ。そこにいること。

声はカイのいる場所へまっすぐ向かってくる。

くるな!

泣き叫ぶカイに対して、その声は、喜びに弾んだ。

よかった。やっぱり、いたんだ。

カイはなおも叫んだ。

なにがいいもんか!おれは、ここにいちゃいけないんだ!

そんなことない。

おれは行かないといけないんだ!本当は、あの井戸の底に行くのは、おれだったんだから……!

だめ。

地面に伏せるカイは、声の主に、抱きあげられる。

「そんなところには、行かせない」
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