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第2章 雄飛の青少年期編

154 練習試合前の一幕

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 シーズンが開幕する前に行われるオープン戦の正式名称は春季非公式試合。
 非公式とは言っても、日程はペナントレースと同じような形で決められている。
 ルールは公式戦と少し異なる部分があるものの、全試合で統一されてはいる。
 1部リーグは1部リーグのチーム同士で試合を行い、記録にもしっかりと残る。
 まあ、ここでの成績が選手の査定に直接影響することはないだろうが、ペナントレースでの起用には関わってくるので無関係とまでは言えないというところ。
 色々な意味で境界線上にいる選手達にとっては重要なアピールの場でもある。

 一方で2部リーグ以下のオープン戦は割とゴチャ混ぜだ。
 場合によっては2部リーグのチームと3部リーグのチームが戦うこともある。
 しかし、それでも1部リーグのチームと戦うことは決してない。

 翻って春季キャンプの練習試合。
 こちらは球団同士の合意があればリーグの垣根を超えて自由に対戦カードを組むことができるし、細かいルールを試合毎に変えてしまうことも許される。
 何なら、一度交代した選手をもう一度試合に出したりなんてこともできる。
 故に、今回のように公営1部の宮城オーラムアステリオスと私営3部昇格し立ての村山マダーレッドサフフラワーズの試合が成立するのもおかしな話ではない。
 勿論、互いに十分なメリットがあれば、の話ではあるけれども。

 同じ久米島で春季キャンプを行っているので移動が楽。
 戦力が既に3部リーグを逸脱していると噂されている。
 俺やあーちゃんという界隈では話題になっている存在を直接見ておきたい。
 恐らく、この辺りが決め手だろうか。

「しゅー君、あそこ」
「お、岩中将志選手だ。挨拶に行こう」

 そんな練習試合の前のウォーミングアップ中。
 俺はあーちゃんと連れ立って宮城オーラムアステリオスの陣営に向かった。
 公式戦では試合前に相手チームの選手と談笑したりすることは規則によって原則禁止されているが、今はオープン戦ですらない練習試合。
 挨拶をするぐらいなら特に問題はない。

「岩中選手」
「君達は……野村秀治郎君と鈴木茜さんだね」
「はい。初めまして。野村秀治郎です」
「秀治郎の婚約者の鈴木茜です」
「こ、婚……?」

 あーちゃんの自己紹介に一瞬戸惑いを見せつつも、それ以上は取り乱さないのはさすが宮城オーラムアステリオスのエースというところか。
 岩中将志。背番号21。
 技巧派右腕として名が知られている彼は今年で10年目を迎えるベテランで、通算100勝以上を挙げている日本野球界を代表するピッチャーだ。
 初年度から高卒ルーキーながらローテーションを守り抜いて最優秀新人賞を獲得し、以後コンスタントに勝利を重ねてきている。
 最多勝と最優秀防御率のタイトルを獲得したこともある。
 宮城オーラムアステリオスのファンである父さんの推し選手の1人だ。

「今日は挨拶と、不躾ながらお願いがあって参りました」
「お願い?」
「はい。その、よければサインを頂けないかと。父が岩中選手の大ファンでして」
「ああ、構わないよ」
「ありがとうございます!」「ます」

 快くボールと油性ペンを受け取ってくれた彼に、あーちゃんと共に礼をする。
 画面越しのイメージ通り、爽やかな好青年という印象だ。

「はい。どうぞ」
「ありがとうございます」

 サインボールを差し出す岩中選手に、もう一度軽く頭を下げてから受け取る。
 父さんも喜んでくれるだろう。きっと。

「…………ところで、君自身はどうなんだい?」
「と、言いますと?」
「お父さんがファンとは言ったけど、君はどうなのかなって思ってね」

 どこか挑戦的な目を向けてくる岩中選手。
 さすがに聞き逃さなかったか。
 まあ、初対面で波風を立てないようにするつもりだったら、わざわざ「父が」などとつけて言う必要はない。
 その程度の配慮は俺もできる。
 逆に言えば、そうした配慮はしていないということだ。

「俺は、誰のファンでもありません。プロ野球選手を目指したその瞬間から、全員超えるべき壁だと思っているので。勿論、高い壁か低い壁かの差はありますが」

 ニュートラルな口調で告げ、岩中選手の目を気負わず真っ直ぐに見据える。
 こういうことで嘘を吐く訳にもいかないだろう。
 そう思いながら、しばらく視線を交わし続けていると――。

「……成程。君は、自分自身に確信があるようだ」

 彼はニヤリと好戦的な笑みを浮かべた。
 日本プロ野球の最高峰たる1部リーグで、チームのエースピッチャーとして常に最前線で戦い続けてきた選手だ。
 強烈な闘争心が全身から滲み出ている。
 ファン向けの姿とは異なる競技者としての姿をこうして直に見るのは、同じグラウンドの上に立たなければ不可能なことだろう。

「近い将来、1部リーグの舞台で勝負することになるのは間違いないだろうね」
「はい。そのつもりです」

 まあ、岩中選手がどういう形を頭で思い描いているかは分からないけれども。
 最も可能性が高そうな想定は俺が1部リーグに移籍する形か。
 宮城オーラムアステリオスは公営で、村山マダーレッドサフフラワーズは私営。
 交流戦やプレーオフ、日本シリーズぐらいしか勝負の機会はないしな。

 あの入れ替え戦で、俺は世間に実力を示した。
 野球の成績は相対的な部分が多いが、少なくともサウスポーで160km/h台の直球をコースに決めることができるという部分は客観的な事実と見なしていい。
 1部リーグで投げるに足る実力があることは、岩中選手も承知しているはず。
 村山マダーレッドサフフラワーズの1部昇格はともかくとして、俺が1部の舞台に上がることについては非現実的な話ではない。
 そう思ってくれているからこその、その発言だろう。

「……ですが、それで終わるつもりはありません」

 そう続けると、岩中選手は俺の意図を計りかねたように微かに首を傾げた。

「俺はWBWでアメリカ代表に勝つことを目標にしていますから」

 対して俺は、淀みなく淡々と。ひたすら事実を告げるようにそう続ける。
 すると、岩中選手は驚いたように目を見開いた。
 アメリカ代表の洗礼を受けたこともない新人選手が一体何を言うのか。
 そう呆れられてもおかしくはない宣言だ。
 彼自身、日本代表としてWBWに出場しているし、アメリカ戦では登板していないとは言え、あの無惨な敗戦を直接目の当たりにしている。
 俺の発言に憤慨する資格はある。

 しかし、岩中選手は黙したまま見定めるような視線を向けてきた。
 俺の態度が自然過ぎて、少なくとも単なるホラ吹きとは違うと感じたのだろう。
 そうした冷静さが一流のプロ野球選手たる所以かもしれない。

「その時は同じチームになることもあるでしょう」
「……そうだね」

 アメリカ打倒の可否はともかくとして。
 WBWで共に戦う可能性については否定せずに頷く岩中選手。

 日本国内では敵チームの選手であり、数多くいるライバルの内の1人。
 だが、世界が相手となれば仲間だ。

「いずれは君とバッテリーを組む可能性もある訳だ。楽しみにしておくよ」
「はい。俺も楽しみです」

 俺の返答に表情を和らげて頷く岩中選手。
 彼はそれから少し考えるようにしながら再び口を開いた。

「……折角だから、ウチの新人を紹介させてくれないか?」
「ええ。お願いします」

 彼がそう言うからには期待の新人なのだろう。
 そして宮城オーラムアステリオスでそう言える人物は、ほぼ間違いなく……。

「山崎!」

 岩中選手が口にした名前に、やはりと思う。
 それから少しして、1人の選手が駆け足で近寄ってくる。

「岩中さん、何か御用ですか?」

 俺達を軽く一瞥してから要件を問うた彼は、昨年のドラフトで宮城オーラムアステリオスの1位指名を勝ち取った大卒ルーキー、山崎一裕選手だった。
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