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第十三話:最初の収穫
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最初の芽吹きから、三週間が過ぎた。
フロスラントは、完全な冬の支配下にあった。分厚い雪が大地を覆い、太陽は日に日に力を失い、時には一日中、地吹雪が荒れ狂う。それは、あらゆる生命活動を停止させる、白く、冷たい独裁者のようだった。
だが、その独裁に唯一抗う場所があった。
丘の麓に立つ、温室だ。
獣皮の壁を通り抜けた光の中で、小さな双葉は見事な本葉を広げ、力強い緑の絨毯となって畝を覆っていた。地熱によって温められた室内は、湿潤な土の匂いと、青々しい植物の香りに満ちている。外の雪景色が嘘のような、生命の聖域(サンクチュアリ)だった。
そして今日、私たちは最初の収穫の日を迎えた。
「いいかい、根っこから抜くんじゃないよ。外側の葉から、一枚ずつ丁寧に摘むんだ。そうすりゃ、内側からまた新しい葉が生えてくる」
マルタが、村の子供たちに愛情のこもった、しかし厳しい声で指示を飛ばす。
温室の中は、村人たちでごった返していた。誰もが、これから起こる奇跡の瞬間を、自分の目で見届けようと集まってきたのだ。
私は、収穫に適した葉を見極め、レオンに小さなナイフを渡した。
「レオン様。どうぞ」
「…俺が?」
「はい。あなたがこの土地の未来に種を蒔いたのですから、最初の収穫は、あなたの手で行うべきです」
私の言葉に、レオンは一瞬ためらった後、覚悟を決めたように頷いた。
彼はゆっくりと畝の前に膝をつくと、まるで赤子に触れるかのように、慎重に、一枚の瑞々しい葉を切り取った。
その瞬間、温室の中に、わっ、という歓声が上がった。
レオンが掲げた一枚の葉は、決して大きくはない。だが、それはフロスラントの民が、自らの手で冬から勝ち取った、最初の勝利の証だった。
その日の昼食は、特別なものになった。
毎日配給される薬膳スープに、収穫されたばかりの新鮮な葉がたっぷりと加えられたのだ。
「…うまい…」
一口食べた村人が、呆然と呟いた。
「なんだ、この歯触りは…! シャキシャキしてる…!」
「味が濃い…これが、野菜の本当の味なのか…」
彼らは、塩漬けの干し肉と、貯蔵されて味の抜けた根菜しか知らなかった。冬に、これほど鮮烈な生命力に満ちた味を口にするのは、生まれて初めての経験だった。
それは、ただ腹を満たす食事ではない。生きる活力を、細胞の隅々まで直接注ぎ込むような、生命そのものを食べる行為だった。
◇◇◇
その頃、王都の近衛騎士団訓練場では、乾いた金属音と、荒い息遣いが響いていた。
「そこまで!」
騎士団長の厳しい声と共に、オスカーの持つ剣が、カラン、と音を立てて地面に落ちた。彼の目の前には、息一つ乱していない若手の騎士が、訓練用の剣を構えたまま立っている。
「…副団長、オスカー・ベルティエ! 近頃の貴様の体たらくは、目に余るぞ!」
団長の怒声が、訓練場に響き渡る。
「動きにキレがなく、判断力も鈍っている! 騎士団の副団長が、聞いて呆れるわ! それでも我が騎士団の『顔』か!」
周囲の騎士たちの、侮蔑と憐憫が入り混じった視線が、オスカーに突き刺さる。
彼は、膝に手をつき、必死に呼吸を整えようとした。だが、心臓は嫌な音を立てて脈打ち、体は鉛のように重い。
(なぜだ…なぜ、体が言うことを聞かない…!)
頭の中では、完璧な剣筋を描いているはずなのに、肉体が全くついてこない。
その時、彼の脳裏に、かつて捨てた婚約者の声が蘇った。
『今日の訓練内容に合わせ、筋繊維の修復を早める薬草を多めに調合してあります』
その食事は、常に彼の体を最高の状態に保つため、精密に計算されていた。
彼の肉体は、あの「効率的すぎる食事」によって、常に騎士として最高の能力を発揮できるよう最適化されていたのだ。
それに気づいた今、エルミナの作る甘くこってりとした料理は、彼の体を内側から蝕む、甘美な毒にしか思えなかった。
「オスカー副団長。一週間の謹慎を命じる。その間に、己の剣と体を見つめ直し、騎士としての自覚を取り戻せ。それができぬのなら…お前が立つ場所は、ここにはないと思え」
団長の冷たい宣告が、オスカーのプライドを粉々に打ち砕いた。
彼は、自分が何を失ったのかを、その価値を、この屈辱の瞬間に、ようやく理解し始めたのだった。
一方、北の地では。
吹雪が窓を叩く領主の執務室で、私とレオンは、温かいスープを静かにすすっていた。
スープの中の鮮やかな緑が、この部屋のランプの光よりも明るく、未来を照らしているように見えた。
フロスラントは、完全な冬の支配下にあった。分厚い雪が大地を覆い、太陽は日に日に力を失い、時には一日中、地吹雪が荒れ狂う。それは、あらゆる生命活動を停止させる、白く、冷たい独裁者のようだった。
だが、その独裁に唯一抗う場所があった。
丘の麓に立つ、温室だ。
獣皮の壁を通り抜けた光の中で、小さな双葉は見事な本葉を広げ、力強い緑の絨毯となって畝を覆っていた。地熱によって温められた室内は、湿潤な土の匂いと、青々しい植物の香りに満ちている。外の雪景色が嘘のような、生命の聖域(サンクチュアリ)だった。
そして今日、私たちは最初の収穫の日を迎えた。
「いいかい、根っこから抜くんじゃないよ。外側の葉から、一枚ずつ丁寧に摘むんだ。そうすりゃ、内側からまた新しい葉が生えてくる」
マルタが、村の子供たちに愛情のこもった、しかし厳しい声で指示を飛ばす。
温室の中は、村人たちでごった返していた。誰もが、これから起こる奇跡の瞬間を、自分の目で見届けようと集まってきたのだ。
私は、収穫に適した葉を見極め、レオンに小さなナイフを渡した。
「レオン様。どうぞ」
「…俺が?」
「はい。あなたがこの土地の未来に種を蒔いたのですから、最初の収穫は、あなたの手で行うべきです」
私の言葉に、レオンは一瞬ためらった後、覚悟を決めたように頷いた。
彼はゆっくりと畝の前に膝をつくと、まるで赤子に触れるかのように、慎重に、一枚の瑞々しい葉を切り取った。
その瞬間、温室の中に、わっ、という歓声が上がった。
レオンが掲げた一枚の葉は、決して大きくはない。だが、それはフロスラントの民が、自らの手で冬から勝ち取った、最初の勝利の証だった。
その日の昼食は、特別なものになった。
毎日配給される薬膳スープに、収穫されたばかりの新鮮な葉がたっぷりと加えられたのだ。
「…うまい…」
一口食べた村人が、呆然と呟いた。
「なんだ、この歯触りは…! シャキシャキしてる…!」
「味が濃い…これが、野菜の本当の味なのか…」
彼らは、塩漬けの干し肉と、貯蔵されて味の抜けた根菜しか知らなかった。冬に、これほど鮮烈な生命力に満ちた味を口にするのは、生まれて初めての経験だった。
それは、ただ腹を満たす食事ではない。生きる活力を、細胞の隅々まで直接注ぎ込むような、生命そのものを食べる行為だった。
◇◇◇
その頃、王都の近衛騎士団訓練場では、乾いた金属音と、荒い息遣いが響いていた。
「そこまで!」
騎士団長の厳しい声と共に、オスカーの持つ剣が、カラン、と音を立てて地面に落ちた。彼の目の前には、息一つ乱していない若手の騎士が、訓練用の剣を構えたまま立っている。
「…副団長、オスカー・ベルティエ! 近頃の貴様の体たらくは、目に余るぞ!」
団長の怒声が、訓練場に響き渡る。
「動きにキレがなく、判断力も鈍っている! 騎士団の副団長が、聞いて呆れるわ! それでも我が騎士団の『顔』か!」
周囲の騎士たちの、侮蔑と憐憫が入り混じった視線が、オスカーに突き刺さる。
彼は、膝に手をつき、必死に呼吸を整えようとした。だが、心臓は嫌な音を立てて脈打ち、体は鉛のように重い。
(なぜだ…なぜ、体が言うことを聞かない…!)
頭の中では、完璧な剣筋を描いているはずなのに、肉体が全くついてこない。
その時、彼の脳裏に、かつて捨てた婚約者の声が蘇った。
『今日の訓練内容に合わせ、筋繊維の修復を早める薬草を多めに調合してあります』
その食事は、常に彼の体を最高の状態に保つため、精密に計算されていた。
彼の肉体は、あの「効率的すぎる食事」によって、常に騎士として最高の能力を発揮できるよう最適化されていたのだ。
それに気づいた今、エルミナの作る甘くこってりとした料理は、彼の体を内側から蝕む、甘美な毒にしか思えなかった。
「オスカー副団長。一週間の謹慎を命じる。その間に、己の剣と体を見つめ直し、騎士としての自覚を取り戻せ。それができぬのなら…お前が立つ場所は、ここにはないと思え」
団長の冷たい宣告が、オスカーのプライドを粉々に打ち砕いた。
彼は、自分が何を失ったのかを、その価値を、この屈辱の瞬間に、ようやく理解し始めたのだった。
一方、北の地では。
吹雪が窓を叩く領主の執務室で、私とレオンは、温かいスープを静かにすすっていた。
スープの中の鮮やかな緑が、この部屋のランプの光よりも明るく、未来を照らしているように見えた。
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