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8(ライナス視点)
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朝起きたらアッシュは既に支度を整えたらしく、部屋にはいなかった。
俺が寝坊した訳でもなく、宿屋の食事の時間は然程タイトでもないのに、部屋にいないと言う事は、そう言うことなのだろう。俺と顔を合わせるのが気まずくて、先に部屋を出たのだ。
やっっっっってしまったーーーー。
ベッドに腰掛け、思わず額を両手で抑えながら項垂れる。
アッシュに手を出してしまった。最後まで致していないとは言え、完全にアウトだろう。
なんか変な空気になったので、調子に乗ってしまった。誰かと間違えただとか、言い逃れも出来ないほどにやらかした。
あのアッシュが隣に寝ているとか、少し手を伸ばせば手が出せてしまうなとか、寝息がやけにエロいなとか、そんなことを考えていたらムラついて眠れなくなってしまい、一発ヌきに行った結果がこれである。情けないったらない。
自身の犯した事実に冷えていく脳と胃とは裏腹に、アッシュの痴態を思い出すと下半身にはどんどん熱が募っていくのでとことんどうしようも無い体である。
快感に悶えるあいつ、可愛かったな……
潤んだ空色の瞳に、ほんのりと朱に色づいた頬、小さな口は一生懸命に俺の舌を受け入れていて、唾液でびしゃびしゃになった唇も柔らかだった。
そんでもって、細い腰からまろい尻に掛けてのラインなんか、まるで女みたいでーー
そうだ、思い出した。
あいつ、無かったよな? 本来男ならあるべき、その……アレが。
アッシュの後孔を探すべく、尻を撫でていた時だ。そこにあるべき膨らみは存在せず、代わりに下着を浸透するほどに湿った、よく知った窪みがあったのを覚えている。
一瞬指を掠めた程度で、熱に浮かされた脳による記憶違いと判断してしまえばそれまでだが……。
何人もの女を抱いて来た自分が間違える筈もない。
アッシュは、女だ。
筋肉の少ない細っこい柔い体に、然程高く無い身長、声は女にしては低めだが、嬌声は女のものと聞き間違えたほどに可愛らしく、甘い。
アッシュを抱き締めたのは戦闘中も含めたら初めてでは無いのに、今まで何故気付かなかったのだろう。女だと思えば、これまでの行動にも不審な点はあった。
あいつは共同風呂にも俺やヴェインと一緒に入らなかったし、野営中も連れションをしなかった。ルーナと同室になっても手を出さなかった鉄壁っぷりも、女同士ならそりゃ当然のことだろう。
そういう男もいるよなと特に気に留めていなかったが……。
身支度を整えると、部屋を出て下の階の食事処へ向かう。夜は酒場として機能しているそこは、朝は眠そうな旅人達が集い、穏やかな時間が流れていた。食事処の端に、ヴェインと渦中の人物であるアッシュが座っていた。既に提供されている朝食に舌鼓を打ちながら、談笑している。
「おはよう」
声を掛けると、アッシュは分かりやすく動揺したように全身を跳ねさせた。
「お、オハヨウ」
「おはよう、今日はルーナが最後のようだな」
ヴェインの言葉に相槌を打つと、俺は並んで座る二人の、アッシュの前に腰掛けた。
程なくしてトマトとベーコンが挟まった、バゲッドサンドと、玉ねぎのスープがウェイトレスの手によって運ばれて来た。配膳担当の歳若いウェイトレスの視線を感じたので適当に微笑み返すと、サンドイッチに手を掛けながらアッシュを盗み見る。
黄金色の髪は相変わらず四方八方に踊っており、小さな口のキャパを超過した量のパンを頬張っているようだった。
アッシュが女なのは間違い無い。……けれど、何故わざわざ女だということを隠しているんだ?
女だからといって旅に参加できないこともないだろうし、隠す方が何かと不便だろうに。
王国側に性別を誤っていることを指摘することを恐れたとか? いやその程度で断罪するほど、国の政の部分は腐っていないし、そもそも、性別を間違えることなんてあるのだろうか……。
盗み見ていたのがバレたのか、アッシュと視線がかち合う。
頬袋いっぱいに朝食を詰め込んだ姿は、宛らリスのようだ。女っ気のかけらも無い様子だが、一度女だと思ってしまえば、もう女にしか見えない。
へらっと、平静を装って営業スマイルを投げ掛けると、アッシュは盛大にむせ返った。これまで振り回されていた立場が逆転して、少し胸がすく思いだ。
照れているのか、女だとバレたかもしれないことを恐れているのか、動揺の理由は分からないが、前者だったら尚のことしてやったりという気持ちだ。アッシュが自分を意識してくれていたらいい等と、そんな事は断じて考えていない。
「あ。おいアッシュ。口からこぼれた何かが付いてるぞ。汚いな」
「!」
ガタン
ヴェインがアッシュの顎に付いたマスタードか何かを己の指で拭いながら、不思議そうな顔で俺を見上げている。アッシュもぎょっと目を見開いて、こちらを見上げていた。
俺は思わず立ち上がっていたらしい。
「……ゴホン。……ルーナのやつ、寝坊だと思うからちょっと見てくるよ」
咳払いをして、あくまで用事がある風を装って席を立つ。
何度か痴態を目撃して、一夜体を重ねた程度で、この俺の方が意識しているだなんて、そんなことも断じて、そう、断じてあり得ない。
* * *
……本当に、あり得ない。
「ヴェイン達ってば、武器や防具のことになると人が変わったようになるよねぇ」
「……そうだな」
雑踏の中、アッシュと顔を見合わせ、空を仰ぐ。
遡ること数分前。
『なにっ! 銀加工の武具が新装開店に伴い割引実施中だと!?』
『なんですって! 行きましょうヴェイン! 高給取りのライナス以外、私たちは王命とは名ばかりのジリ貧なんだから!』
道中立ち寄った街で、高級武具のセールがあるという張り紙を見るや否や、ルーナとヴェインは脱兎の如き勢いで街中へ消えてしまった。
そして残された俺とアッシュ。
どうする? 別行動するべきか、奴等がすぐに戻ってくることを考えて、一緒にいるべきか……
ちらとアッシュを見下ろすと、同じことを考えたのか、奴もこちらを盗み見ていたようで、視線がかち合った。
金色の長いまつげに縁取られた空色の瞳は、困ったように泳いでいる。
桃色の小さな唇が恐る恐る開きかけた瞬間、俺は咄嗟に口を開いた。
「どっか店入るか? 俺達がこの辺からいなくなったらあいつらが戻ってきた時、逸れるかもしれないし」
「あ……う、うん。そうだね、そうしよう」
アッシュがへらりと笑うと、内心胸を撫で下ろす。
別行動を取ろうものなら、ますます気まずくなり兼ねない。アッシュはもしかしたら俺と距離を取りたかったかもしれないが……断られなかったのなら、まあ、ひとまずはアッシュの傍にいても問題ないということなのだろう。
手近な飲食店に入り、窓際のカウンター席へ腰掛ける。昼間のみ営業しているらしいここは、若年層の町娘やカップルに人気のようで、木目細工のインテリアや、各所に飾られたドライフラワーが可愛らしい雰囲気を醸し出していた。
少なくとも、野郎二人で入るような店では無い。
隣にちょこんと座ったアッシュを横目で見ると、一丁前に内装にときめいているようで、控えめにあちこち見回していた。
「好きなのか? こういうの」
「えっ!? あ、いや、……故郷の妹が好きそうだなぁって、」
「ふぅん」
妹ねぇ……。
少女のように頬を赤らめて周りを見回す表情は、なかなかにかわいい……じゃなくて。少なくとも、他人のために心躍らせているようには見えないが……嘘か真実かは分かり兼ねる。
アッシュを観察していると、ウェイトレスの女性が注文を取りに席へやってきた。紅茶を頼み、店員の顔を見上げるが、ウェイトレスはこちらを見ていない。おや、と思い彼女の視線を追うと、彼女は一生懸命メニューと睨み合いをしているアッシュを見つめているようだった。メニューが決められないアッシュを微笑ましく思っているのだろうか。
「メニューに迷われているようでしたら、彼女さんには、こちらのストロベリーティーがおすすめですよ」
「え!?」
可愛らしい生き物を見つめるような表情で、ウェイトレスは俺たちに向かって微笑み掛ける。
「あ、えっと、いや……」
「あら、ごめんなさい! もしかして、まだ彼女さんじゃありませんでした……?」
「いや、そうじゃなくて僕は……」
どうやらウェイトレスに恋人同士だと勘違いされたらしい。そりゃあんなに可愛い顔をしていたら、女だと間違われても無理はないだろう。
困ったように弁解しようとしているアッシュに被せるようにして、俺は思わず緩みそうになる表情を潜ませ、営業スマイルをウェイトレスへ向けた。
「いいじゃん、これでお願いします。美味しかったら俺にも一口頂戴よ」
「あっ、ちょっと!」
「かしこまりました」
ほんのり頬を赤らめると、ウェイトレスはそそくさとキッチンへ足を向けた。
「もー。なんで弁解してくれないんだよ。勘違いされたじゃん」
唇を尖らせるアッシュに、俺はわざとらしく首を傾げた。
「勘違い? 何を? 恋人同士だって? それとも……女だって?」
俺の意地の悪い問いかけに、アッシュは言葉を詰まらせた。困ったように視線を泳がせ、はくはくと口を開閉させている。
俺が気付いていることに、流石に気付いただろうか。困惑した様子のアッシュの様子を見る。
しばらくの沈黙ののち、アッシュは視線を逸らしながら口を開いた。
「……両方、だよ」
あくまで、俺に隠し通すつもりなんだな。
なんとなく、面白くなくて、胸の内に燻りのような感覚が湧いた。なんだろう、これは。ヴェインとアッシュが一緒にいるのを見ていた時とは違う。
これは、アッシュに信頼されていないのだと分かって、俺は落胆しているのだろうか。
どんな理由があるのかは知らないが、俺にくらい、打ち明けてくれても良いんじゃないかと。そんなに俺は頼り無いのかと、情けない気持ちになる。
「そう」と、適当に相槌を打ち、頬杖を突いてそっぽを向くと、アッシュが明らかに困惑したような顔をした。つい嗜虐心が湧いてそのままにしてやろうと思ったが、可哀想だったので、目の前で困った表情をした彼女の鼻を摘んでやった。
「ふがっ!? なにふんの!?」
「俺は、お前と恋人同士だと間違われたままで良いと思ったけど?」
「えっ!?」
「なんてな」
「……」
鼻を解放してやると、ジト目でこちらを睨まれた。
紅茶達が運ばれてきたので、アッシュの視線を無視して俺は微笑みながらカップとソーサーを受け取る。
「ライナスはさ、」
「ん?」
「僕が男だからあんなことしたの?」
「ぶはッ!?」
思わず口にしていた紅茶を吹き出してしまった。
咳き込みながらアッシュを見やるが、彼女は至極真剣な表情だ。
あんなことって、昨夜のことだよな?
これ、どう返すのが正解なんだ? というか、俺だってあの時はアッシュを男と思っていた訳で、しかもここ暫く調子の悪かった俺が反応するのが、アッシュだけになっていた訳で。けれど俺に男色の気はこれっぽっちも無い訳で……。
「ええと、だな……」
「ライナスは女の子が好きだよね?」
「ああ、俺はまあ、語弊はあるが……。知っての通り、性的嗜好は女性にある」
「じゃあなんで? 性欲を吐き出せるなら、誰でもよかった?」
「んなわけーーッ」
思わずアッシュの顔を見下ろしたら、思ったよりも距離が近い位置にあって、面食らった。
……俺にだって分かり兼ねているのに、そんなこと答えられる訳がない。
どこぞの顔も知らない女と添い遂げさせられ、遊べなくなる前にと、俺は言い逃れようの無いほどに、女遊びを繰り返していた。見境の無い軟派野郎と後ろ指を差されても、文句は言えない。
しかし男が好きな訳では断じてないし、それにはっきりと言えるのは、仲間であるアッシュを欲望の捌け口にするほど、落ちぶれちゃいないことだ。
じゃあどうして? 俺はアッシュに手を出してしまったんだ?
気付けば、カウンター席の上にある、子供のような小さな手に、己の手を重ねていた。
そのまま握りつぶせてしまいそうなほどに柔く、細っこい手の甲はびくりと震え、強張っている。
「……性欲の捌け口なんて、そんなこと思っちゃいない。誰でもよかったなんて、つもりもない」
俺は何を言おうとしているんだ?
数多の女を抱いてきて、適当な甘い言葉を吐き出してきた唇は、口にしてはいけないことを紡ごうとしてはいないだろうか。
けれど、アッシュには誤解されたく無い。
その一心は真実で、脳内を占拠していた俺のまっすぐな熱意だった。
座っていても頭ひとつ分高い位置にいる俺を不安げに見上げるアッシュに、また胸が締め付けられるような気持ちになる。
「ライナス……」
「アッシュ、俺は……」
ガタンッ
唐突に、アッシュが目の前から消え失せた。
同時に、掌に感じていた温もりも、手中から抜け落ちる。
アッシュが席から立ち上がったのだ。
視線は窓の外一点に集中しており、その表情は強張っている。
「アッシュ、どうしーー」
「ごめん、ライナス! あとでお金返すから!」
アッシュが弾かれたように駆け出し、店を出て行くのを俺は呆然と見送ることしかできなかった。
手のひらに残った、小さな手の甲の感触が残っている。
拒絶された?
いやでもあいつ、確か席を立った時確か、「兄さん」って……。
俺が寝坊した訳でもなく、宿屋の食事の時間は然程タイトでもないのに、部屋にいないと言う事は、そう言うことなのだろう。俺と顔を合わせるのが気まずくて、先に部屋を出たのだ。
やっっっっってしまったーーーー。
ベッドに腰掛け、思わず額を両手で抑えながら項垂れる。
アッシュに手を出してしまった。最後まで致していないとは言え、完全にアウトだろう。
なんか変な空気になったので、調子に乗ってしまった。誰かと間違えただとか、言い逃れも出来ないほどにやらかした。
あのアッシュが隣に寝ているとか、少し手を伸ばせば手が出せてしまうなとか、寝息がやけにエロいなとか、そんなことを考えていたらムラついて眠れなくなってしまい、一発ヌきに行った結果がこれである。情けないったらない。
自身の犯した事実に冷えていく脳と胃とは裏腹に、アッシュの痴態を思い出すと下半身にはどんどん熱が募っていくのでとことんどうしようも無い体である。
快感に悶えるあいつ、可愛かったな……
潤んだ空色の瞳に、ほんのりと朱に色づいた頬、小さな口は一生懸命に俺の舌を受け入れていて、唾液でびしゃびしゃになった唇も柔らかだった。
そんでもって、細い腰からまろい尻に掛けてのラインなんか、まるで女みたいでーー
そうだ、思い出した。
あいつ、無かったよな? 本来男ならあるべき、その……アレが。
アッシュの後孔を探すべく、尻を撫でていた時だ。そこにあるべき膨らみは存在せず、代わりに下着を浸透するほどに湿った、よく知った窪みがあったのを覚えている。
一瞬指を掠めた程度で、熱に浮かされた脳による記憶違いと判断してしまえばそれまでだが……。
何人もの女を抱いて来た自分が間違える筈もない。
アッシュは、女だ。
筋肉の少ない細っこい柔い体に、然程高く無い身長、声は女にしては低めだが、嬌声は女のものと聞き間違えたほどに可愛らしく、甘い。
アッシュを抱き締めたのは戦闘中も含めたら初めてでは無いのに、今まで何故気付かなかったのだろう。女だと思えば、これまでの行動にも不審な点はあった。
あいつは共同風呂にも俺やヴェインと一緒に入らなかったし、野営中も連れションをしなかった。ルーナと同室になっても手を出さなかった鉄壁っぷりも、女同士ならそりゃ当然のことだろう。
そういう男もいるよなと特に気に留めていなかったが……。
身支度を整えると、部屋を出て下の階の食事処へ向かう。夜は酒場として機能しているそこは、朝は眠そうな旅人達が集い、穏やかな時間が流れていた。食事処の端に、ヴェインと渦中の人物であるアッシュが座っていた。既に提供されている朝食に舌鼓を打ちながら、談笑している。
「おはよう」
声を掛けると、アッシュは分かりやすく動揺したように全身を跳ねさせた。
「お、オハヨウ」
「おはよう、今日はルーナが最後のようだな」
ヴェインの言葉に相槌を打つと、俺は並んで座る二人の、アッシュの前に腰掛けた。
程なくしてトマトとベーコンが挟まった、バゲッドサンドと、玉ねぎのスープがウェイトレスの手によって運ばれて来た。配膳担当の歳若いウェイトレスの視線を感じたので適当に微笑み返すと、サンドイッチに手を掛けながらアッシュを盗み見る。
黄金色の髪は相変わらず四方八方に踊っており、小さな口のキャパを超過した量のパンを頬張っているようだった。
アッシュが女なのは間違い無い。……けれど、何故わざわざ女だということを隠しているんだ?
女だからといって旅に参加できないこともないだろうし、隠す方が何かと不便だろうに。
王国側に性別を誤っていることを指摘することを恐れたとか? いやその程度で断罪するほど、国の政の部分は腐っていないし、そもそも、性別を間違えることなんてあるのだろうか……。
盗み見ていたのがバレたのか、アッシュと視線がかち合う。
頬袋いっぱいに朝食を詰め込んだ姿は、宛らリスのようだ。女っ気のかけらも無い様子だが、一度女だと思ってしまえば、もう女にしか見えない。
へらっと、平静を装って営業スマイルを投げ掛けると、アッシュは盛大にむせ返った。これまで振り回されていた立場が逆転して、少し胸がすく思いだ。
照れているのか、女だとバレたかもしれないことを恐れているのか、動揺の理由は分からないが、前者だったら尚のことしてやったりという気持ちだ。アッシュが自分を意識してくれていたらいい等と、そんな事は断じて考えていない。
「あ。おいアッシュ。口からこぼれた何かが付いてるぞ。汚いな」
「!」
ガタン
ヴェインがアッシュの顎に付いたマスタードか何かを己の指で拭いながら、不思議そうな顔で俺を見上げている。アッシュもぎょっと目を見開いて、こちらを見上げていた。
俺は思わず立ち上がっていたらしい。
「……ゴホン。……ルーナのやつ、寝坊だと思うからちょっと見てくるよ」
咳払いをして、あくまで用事がある風を装って席を立つ。
何度か痴態を目撃して、一夜体を重ねた程度で、この俺の方が意識しているだなんて、そんなことも断じて、そう、断じてあり得ない。
* * *
……本当に、あり得ない。
「ヴェイン達ってば、武器や防具のことになると人が変わったようになるよねぇ」
「……そうだな」
雑踏の中、アッシュと顔を見合わせ、空を仰ぐ。
遡ること数分前。
『なにっ! 銀加工の武具が新装開店に伴い割引実施中だと!?』
『なんですって! 行きましょうヴェイン! 高給取りのライナス以外、私たちは王命とは名ばかりのジリ貧なんだから!』
道中立ち寄った街で、高級武具のセールがあるという張り紙を見るや否や、ルーナとヴェインは脱兎の如き勢いで街中へ消えてしまった。
そして残された俺とアッシュ。
どうする? 別行動するべきか、奴等がすぐに戻ってくることを考えて、一緒にいるべきか……
ちらとアッシュを見下ろすと、同じことを考えたのか、奴もこちらを盗み見ていたようで、視線がかち合った。
金色の長いまつげに縁取られた空色の瞳は、困ったように泳いでいる。
桃色の小さな唇が恐る恐る開きかけた瞬間、俺は咄嗟に口を開いた。
「どっか店入るか? 俺達がこの辺からいなくなったらあいつらが戻ってきた時、逸れるかもしれないし」
「あ……う、うん。そうだね、そうしよう」
アッシュがへらりと笑うと、内心胸を撫で下ろす。
別行動を取ろうものなら、ますます気まずくなり兼ねない。アッシュはもしかしたら俺と距離を取りたかったかもしれないが……断られなかったのなら、まあ、ひとまずはアッシュの傍にいても問題ないということなのだろう。
手近な飲食店に入り、窓際のカウンター席へ腰掛ける。昼間のみ営業しているらしいここは、若年層の町娘やカップルに人気のようで、木目細工のインテリアや、各所に飾られたドライフラワーが可愛らしい雰囲気を醸し出していた。
少なくとも、野郎二人で入るような店では無い。
隣にちょこんと座ったアッシュを横目で見ると、一丁前に内装にときめいているようで、控えめにあちこち見回していた。
「好きなのか? こういうの」
「えっ!? あ、いや、……故郷の妹が好きそうだなぁって、」
「ふぅん」
妹ねぇ……。
少女のように頬を赤らめて周りを見回す表情は、なかなかにかわいい……じゃなくて。少なくとも、他人のために心躍らせているようには見えないが……嘘か真実かは分かり兼ねる。
アッシュを観察していると、ウェイトレスの女性が注文を取りに席へやってきた。紅茶を頼み、店員の顔を見上げるが、ウェイトレスはこちらを見ていない。おや、と思い彼女の視線を追うと、彼女は一生懸命メニューと睨み合いをしているアッシュを見つめているようだった。メニューが決められないアッシュを微笑ましく思っているのだろうか。
「メニューに迷われているようでしたら、彼女さんには、こちらのストロベリーティーがおすすめですよ」
「え!?」
可愛らしい生き物を見つめるような表情で、ウェイトレスは俺たちに向かって微笑み掛ける。
「あ、えっと、いや……」
「あら、ごめんなさい! もしかして、まだ彼女さんじゃありませんでした……?」
「いや、そうじゃなくて僕は……」
どうやらウェイトレスに恋人同士だと勘違いされたらしい。そりゃあんなに可愛い顔をしていたら、女だと間違われても無理はないだろう。
困ったように弁解しようとしているアッシュに被せるようにして、俺は思わず緩みそうになる表情を潜ませ、営業スマイルをウェイトレスへ向けた。
「いいじゃん、これでお願いします。美味しかったら俺にも一口頂戴よ」
「あっ、ちょっと!」
「かしこまりました」
ほんのり頬を赤らめると、ウェイトレスはそそくさとキッチンへ足を向けた。
「もー。なんで弁解してくれないんだよ。勘違いされたじゃん」
唇を尖らせるアッシュに、俺はわざとらしく首を傾げた。
「勘違い? 何を? 恋人同士だって? それとも……女だって?」
俺の意地の悪い問いかけに、アッシュは言葉を詰まらせた。困ったように視線を泳がせ、はくはくと口を開閉させている。
俺が気付いていることに、流石に気付いただろうか。困惑した様子のアッシュの様子を見る。
しばらくの沈黙ののち、アッシュは視線を逸らしながら口を開いた。
「……両方、だよ」
あくまで、俺に隠し通すつもりなんだな。
なんとなく、面白くなくて、胸の内に燻りのような感覚が湧いた。なんだろう、これは。ヴェインとアッシュが一緒にいるのを見ていた時とは違う。
これは、アッシュに信頼されていないのだと分かって、俺は落胆しているのだろうか。
どんな理由があるのかは知らないが、俺にくらい、打ち明けてくれても良いんじゃないかと。そんなに俺は頼り無いのかと、情けない気持ちになる。
「そう」と、適当に相槌を打ち、頬杖を突いてそっぽを向くと、アッシュが明らかに困惑したような顔をした。つい嗜虐心が湧いてそのままにしてやろうと思ったが、可哀想だったので、目の前で困った表情をした彼女の鼻を摘んでやった。
「ふがっ!? なにふんの!?」
「俺は、お前と恋人同士だと間違われたままで良いと思ったけど?」
「えっ!?」
「なんてな」
「……」
鼻を解放してやると、ジト目でこちらを睨まれた。
紅茶達が運ばれてきたので、アッシュの視線を無視して俺は微笑みながらカップとソーサーを受け取る。
「ライナスはさ、」
「ん?」
「僕が男だからあんなことしたの?」
「ぶはッ!?」
思わず口にしていた紅茶を吹き出してしまった。
咳き込みながらアッシュを見やるが、彼女は至極真剣な表情だ。
あんなことって、昨夜のことだよな?
これ、どう返すのが正解なんだ? というか、俺だってあの時はアッシュを男と思っていた訳で、しかもここ暫く調子の悪かった俺が反応するのが、アッシュだけになっていた訳で。けれど俺に男色の気はこれっぽっちも無い訳で……。
「ええと、だな……」
「ライナスは女の子が好きだよね?」
「ああ、俺はまあ、語弊はあるが……。知っての通り、性的嗜好は女性にある」
「じゃあなんで? 性欲を吐き出せるなら、誰でもよかった?」
「んなわけーーッ」
思わずアッシュの顔を見下ろしたら、思ったよりも距離が近い位置にあって、面食らった。
……俺にだって分かり兼ねているのに、そんなこと答えられる訳がない。
どこぞの顔も知らない女と添い遂げさせられ、遊べなくなる前にと、俺は言い逃れようの無いほどに、女遊びを繰り返していた。見境の無い軟派野郎と後ろ指を差されても、文句は言えない。
しかし男が好きな訳では断じてないし、それにはっきりと言えるのは、仲間であるアッシュを欲望の捌け口にするほど、落ちぶれちゃいないことだ。
じゃあどうして? 俺はアッシュに手を出してしまったんだ?
気付けば、カウンター席の上にある、子供のような小さな手に、己の手を重ねていた。
そのまま握りつぶせてしまいそうなほどに柔く、細っこい手の甲はびくりと震え、強張っている。
「……性欲の捌け口なんて、そんなこと思っちゃいない。誰でもよかったなんて、つもりもない」
俺は何を言おうとしているんだ?
数多の女を抱いてきて、適当な甘い言葉を吐き出してきた唇は、口にしてはいけないことを紡ごうとしてはいないだろうか。
けれど、アッシュには誤解されたく無い。
その一心は真実で、脳内を占拠していた俺のまっすぐな熱意だった。
座っていても頭ひとつ分高い位置にいる俺を不安げに見上げるアッシュに、また胸が締め付けられるような気持ちになる。
「ライナス……」
「アッシュ、俺は……」
ガタンッ
唐突に、アッシュが目の前から消え失せた。
同時に、掌に感じていた温もりも、手中から抜け落ちる。
アッシュが席から立ち上がったのだ。
視線は窓の外一点に集中しており、その表情は強張っている。
「アッシュ、どうしーー」
「ごめん、ライナス! あとでお金返すから!」
アッシュが弾かれたように駆け出し、店を出て行くのを俺は呆然と見送ることしかできなかった。
手のひらに残った、小さな手の甲の感触が残っている。
拒絶された?
いやでもあいつ、確か席を立った時確か、「兄さん」って……。
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これは、女性が少ない世界に転移した二十九歳独身女性が、あれよあれよという間に精霊の愛し子として囲われ、いつのまにか四人の男性と結婚し、あれよあれよという間に溺愛される物語。
あっさりめのお話です。それでもよろしければどうぞ!
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