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第一章 決起
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烏有は郵亭の書茶室で、出された茶に手もつけず、返書が運ばれてくるのを待っていた。
早ければ届いているはずだからと、蕪雑に告げて甲柄に入った烏有が、受付で「烏有宛の文はないか」と問い合わせると、ここに通された。
前に見た少女が茶菓を運んできたが文はなく、もう少々お待ちくださいと言われて、どのくらい経つだろう。
「遅い」
もしや郵亭馬車が到着したばかりで、文の仕分けをしているのか。そうだとすれば、文は未着と言われる可能性もある。
そうなったらそうなったで、落胆をせぬようにいようと、烏有はせわしなく揺れる気持ちに言い聞かせた。
そもそも、すぐに返書がくるほうが不思議なのだ。前代未聞の願いを、したためて送ったのだから。むしろ未着のほうが、どう扱おうか考えてもらえている可能性が高くなる。すぐにも返事がくる場合は、却下という結果のほうが強い。
「大丈夫だ」
もしも「前例がない」とつっぱねられたら、何度でも願いの文を出そう。その場合、両親から受け継いだ財を投じ、有利に運べるよう取り計らってもらうつもりでもいる。そういう姑息な手段は好まないが、興国のためなら仕方ない。
剛袁に言ったように、烏有は自分のすべてを蕪雑に賭けると決めていた。
烏有は小窓から外をながめた。
行き交う人々は、商人、農夫、工夫など、さまざまだ。これらの人々が心安く、安寧とした日々を過ごせる国。そんなものは夢物語だと、諸国を流浪しているうちに、思うようになっていた。府として認められる前の、豪族の国も、町や村も、どれもが支配階級の快適なように造られていた。労働者たちが必死に働いている姿を横目に見ながら、ただなにかを命じるだけで、安穏と過ごしている豪族や官僚の在り方は、絶対的な理のように、どこを訪れても、おなじだった。
豪奢な傘を差した一団が、小窓の下を通る。豪族か官僚だろう。烏有は小窓から離れ、イスに落ち着いた。
気をせかしても、どうしようもない。あの少女が文を運んでくるか、まだ到着しておりませんと言いにくるまで、着工に関することを考えておこう。
烏有は茶に手を伸ばした。
許可が下りなくとも、村を造ることはできる。国造りを発表した折に、不満を漏らした人々の気持ちを静め、賛成へと意識を移行させた剛袁の言葉を思い出す。
国を造るとなれば大げさだが、村を造ると考えてみればいい。
あれは夢想をぐっと手元に引き寄せられた瞬間だったと、烏有は口元をほころばせた。国を造る壮大な計画の足元を、剛袁は見せてくれた。当人はどう考えているのかわからないが、あのひと言に烏有の気は引き締まった。
人々の気持ちを惹きつける蕪雑の素朴さと、器の広さ。
理想を堅実なものへと落としこめる、思慮と配慮を持ち合わせている剛袁。
「僕は、すばらしい相手と出会えたのかもしれないな」
蕪雑がひとりひとりの名を呼んで、彼等がどんなことを山の集落で成したのか、語っていた光景を思い浮かべる。そんな彼だからこそ、兄と呼び慕われているのだろう。あれは、持って生まれた気質が成せる技だと、烏有は思う。
「蕪雑なら」
ああいう人柄の彼なら、民を中心とした国を造れる。書物で見た、父や母が理想としていた国を、現実のものとできる。
烏有の肌が興奮に粟立った。
蕪雑なら、書物にあった国を具現化できる。そのためならば、己のすべてを捧げよう。時間はかかるだろうが、彼ならきっと、やりとげる。
前に送った文には、興国の具体的な場所や計画を記載していなかった。それを記した文を追送しようと、烏有は紙に手を伸ばす。筆を手にしたところで、扉が軽く叩かれた。
烏有の心臓が、緊張に硬くなる。
「どうぞ」
声をかければ、扉が開いた。その向こうにいたのは、あの少女ではなかった。すらりとした長身の、身なりのいい柔和な顔つきをした青年が立っている。
瞠目した烏有を見て、下がり気味の目じりをさらに下げた青年は、両腕を広げて「ああ」と小さく叫んだ。小走りに近づいてきた青年に、烏有は抱きしめられる。
「鶴楽!」
嬉々とした声となつかしい顔に、驚きという名の金縛りにあった烏有は、なにも応じられなかった。
「君からの文が届いたときは、ほんとうに安心したぞ。いままで、いったいどこで、何をしているのかと、ずっと心配をしていたのだからな」
「……玄晶」
ようやっと唇を動かせた烏有は、青年を呼んだ。烏有より、ふたつかみっつ上らしい玄晶は、庇護者のような包む目をして、烏有を見た。
「どうしてここに……。いや、その前に扉を閉めてくれないか。外聞をはばかる」
「ああ、そうだな」
喜びを全身からにじませつつ、玄晶は烏有から離れ、扉を閉めた。
「私がここにいる理由を答えよう。烏有とは何者かを知るためだ。君からの文に、返書は烏有に宛ててほしいと書いてあったからな。――しかし、烏有が君だとは思いもしなかった」
扉から離れた玄晶が喜色満面に、しみじみとした声を出す。
「会いたかった。どこでどうしているのかと、気にかけていたのだぞ。鶴楽」
膝を折った玄晶に顔を覗きこまれ、烏有は気まずそうに目を逸らした。
「大きくなったな、鶴楽。君が旅に出てから、5年になる。立派な青年になって、見違えたぞ」
「いつまでも、子ども扱いをしないでくれないか。玄晶、僕はもう17だよ」
「そう。そして私は20になった。父にならって、文官をしている」
「叔父上は、お元気なのかい」
「ああ。すこしは弱ってくれてもいいと思うくらいに、精力的に仕事をこなしている。母も鶴楽のことを気にかけ続けている。その証拠に、母から鶴楽に渡してほしいと、着物をあずかってきた。宿にあるから、そちらに行こう。ここで話すよりも、そちらのほうが、いろいろと語り合うのに都合がいいからな。……ここは5年もの話を聞くには、いろいろと不足すぎる」
烏有はわずかにためらい、玄晶の真意を探りつつ言った。
「ここでは、僕のことを烏有と呼んでくれないか。旅に出てからずっと、僕は烏有という名の楽士として生きてきたんだ。ここでも、そのように名乗っているんだよ」
「鶴楽という名でも、問題はないだろう。楽士としても、一流のように感じられる名前じゃないか」
「玄晶」
硬い声で、烏有は乞う。
「烏有、と」
玄晶は幼子のわがままを認める顔つきになった。
「わかった、烏有。これでいいだろう? だが、そう名にこだわるのなら、鶴楽という名の口止めを、しておいたほうがいい相手が、もうひとり、できてしまったかもしれないな」
「え」
玄晶はニッコリとして、滑るように扉に近づき、すばやく開いた。
「わっ、わわ……」
扉に耳を当てて盗み聞きを働いていた影が、均衡を崩して室内に倒れこむ。
「袁燕!」
「あいたたた」
「旅をしていたのなら、こういう気配に敏感になっているものと思っていたのだが。気を配れないほど、私との再会に驚いていたのかな」
玄晶は烏有に向けてしゃべりつつ、袁燕に手を差し伸べた。
「はじめまして。さっき烏有が袁燕と呼んでいたが、名前はそれでいいのかな」
袁燕はバツの悪い顔をして、玄晶の手を取り起き上がると、はいと答えた。
「そうか。――袁燕。それと、烏有。これから私の宿泊している宿に、招待をしよう。もちろん、受け入れてくれるだろう?」
柔和だが、有無を言わさぬ威厳のこもった申し出に、ふたりは無言でうなずいた。
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「遅い」
もしや郵亭馬車が到着したばかりで、文の仕分けをしているのか。そうだとすれば、文は未着と言われる可能性もある。
そうなったらそうなったで、落胆をせぬようにいようと、烏有はせわしなく揺れる気持ちに言い聞かせた。
そもそも、すぐに返書がくるほうが不思議なのだ。前代未聞の願いを、したためて送ったのだから。むしろ未着のほうが、どう扱おうか考えてもらえている可能性が高くなる。すぐにも返事がくる場合は、却下という結果のほうが強い。
「大丈夫だ」
もしも「前例がない」とつっぱねられたら、何度でも願いの文を出そう。その場合、両親から受け継いだ財を投じ、有利に運べるよう取り計らってもらうつもりでもいる。そういう姑息な手段は好まないが、興国のためなら仕方ない。
剛袁に言ったように、烏有は自分のすべてを蕪雑に賭けると決めていた。
烏有は小窓から外をながめた。
行き交う人々は、商人、農夫、工夫など、さまざまだ。これらの人々が心安く、安寧とした日々を過ごせる国。そんなものは夢物語だと、諸国を流浪しているうちに、思うようになっていた。府として認められる前の、豪族の国も、町や村も、どれもが支配階級の快適なように造られていた。労働者たちが必死に働いている姿を横目に見ながら、ただなにかを命じるだけで、安穏と過ごしている豪族や官僚の在り方は、絶対的な理のように、どこを訪れても、おなじだった。
豪奢な傘を差した一団が、小窓の下を通る。豪族か官僚だろう。烏有は小窓から離れ、イスに落ち着いた。
気をせかしても、どうしようもない。あの少女が文を運んでくるか、まだ到着しておりませんと言いにくるまで、着工に関することを考えておこう。
烏有は茶に手を伸ばした。
許可が下りなくとも、村を造ることはできる。国造りを発表した折に、不満を漏らした人々の気持ちを静め、賛成へと意識を移行させた剛袁の言葉を思い出す。
国を造るとなれば大げさだが、村を造ると考えてみればいい。
あれは夢想をぐっと手元に引き寄せられた瞬間だったと、烏有は口元をほころばせた。国を造る壮大な計画の足元を、剛袁は見せてくれた。当人はどう考えているのかわからないが、あのひと言に烏有の気は引き締まった。
人々の気持ちを惹きつける蕪雑の素朴さと、器の広さ。
理想を堅実なものへと落としこめる、思慮と配慮を持ち合わせている剛袁。
「僕は、すばらしい相手と出会えたのかもしれないな」
蕪雑がひとりひとりの名を呼んで、彼等がどんなことを山の集落で成したのか、語っていた光景を思い浮かべる。そんな彼だからこそ、兄と呼び慕われているのだろう。あれは、持って生まれた気質が成せる技だと、烏有は思う。
「蕪雑なら」
ああいう人柄の彼なら、民を中心とした国を造れる。書物で見た、父や母が理想としていた国を、現実のものとできる。
烏有の肌が興奮に粟立った。
蕪雑なら、書物にあった国を具現化できる。そのためならば、己のすべてを捧げよう。時間はかかるだろうが、彼ならきっと、やりとげる。
前に送った文には、興国の具体的な場所や計画を記載していなかった。それを記した文を追送しようと、烏有は紙に手を伸ばす。筆を手にしたところで、扉が軽く叩かれた。
烏有の心臓が、緊張に硬くなる。
「どうぞ」
声をかければ、扉が開いた。その向こうにいたのは、あの少女ではなかった。すらりとした長身の、身なりのいい柔和な顔つきをした青年が立っている。
瞠目した烏有を見て、下がり気味の目じりをさらに下げた青年は、両腕を広げて「ああ」と小さく叫んだ。小走りに近づいてきた青年に、烏有は抱きしめられる。
「鶴楽!」
嬉々とした声となつかしい顔に、驚きという名の金縛りにあった烏有は、なにも応じられなかった。
「君からの文が届いたときは、ほんとうに安心したぞ。いままで、いったいどこで、何をしているのかと、ずっと心配をしていたのだからな」
「……玄晶」
ようやっと唇を動かせた烏有は、青年を呼んだ。烏有より、ふたつかみっつ上らしい玄晶は、庇護者のような包む目をして、烏有を見た。
「どうしてここに……。いや、その前に扉を閉めてくれないか。外聞をはばかる」
「ああ、そうだな」
喜びを全身からにじませつつ、玄晶は烏有から離れ、扉を閉めた。
「私がここにいる理由を答えよう。烏有とは何者かを知るためだ。君からの文に、返書は烏有に宛ててほしいと書いてあったからな。――しかし、烏有が君だとは思いもしなかった」
扉から離れた玄晶が喜色満面に、しみじみとした声を出す。
「会いたかった。どこでどうしているのかと、気にかけていたのだぞ。鶴楽」
膝を折った玄晶に顔を覗きこまれ、烏有は気まずそうに目を逸らした。
「大きくなったな、鶴楽。君が旅に出てから、5年になる。立派な青年になって、見違えたぞ」
「いつまでも、子ども扱いをしないでくれないか。玄晶、僕はもう17だよ」
「そう。そして私は20になった。父にならって、文官をしている」
「叔父上は、お元気なのかい」
「ああ。すこしは弱ってくれてもいいと思うくらいに、精力的に仕事をこなしている。母も鶴楽のことを気にかけ続けている。その証拠に、母から鶴楽に渡してほしいと、着物をあずかってきた。宿にあるから、そちらに行こう。ここで話すよりも、そちらのほうが、いろいろと語り合うのに都合がいいからな。……ここは5年もの話を聞くには、いろいろと不足すぎる」
烏有はわずかにためらい、玄晶の真意を探りつつ言った。
「ここでは、僕のことを烏有と呼んでくれないか。旅に出てからずっと、僕は烏有という名の楽士として生きてきたんだ。ここでも、そのように名乗っているんだよ」
「鶴楽という名でも、問題はないだろう。楽士としても、一流のように感じられる名前じゃないか」
「玄晶」
硬い声で、烏有は乞う。
「烏有、と」
玄晶は幼子のわがままを認める顔つきになった。
「わかった、烏有。これでいいだろう? だが、そう名にこだわるのなら、鶴楽という名の口止めを、しておいたほうがいい相手が、もうひとり、できてしまったかもしれないな」
「え」
玄晶はニッコリとして、滑るように扉に近づき、すばやく開いた。
「わっ、わわ……」
扉に耳を当てて盗み聞きを働いていた影が、均衡を崩して室内に倒れこむ。
「袁燕!」
「あいたたた」
「旅をしていたのなら、こういう気配に敏感になっているものと思っていたのだが。気を配れないほど、私との再会に驚いていたのかな」
玄晶は烏有に向けてしゃべりつつ、袁燕に手を差し伸べた。
「はじめまして。さっき烏有が袁燕と呼んでいたが、名前はそれでいいのかな」
袁燕はバツの悪い顔をして、玄晶の手を取り起き上がると、はいと答えた。
「そうか。――袁燕。それと、烏有。これから私の宿泊している宿に、招待をしよう。もちろん、受け入れてくれるだろう?」
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私が死ぬまでには完結させます。
追記:最後まで書き終わったので、ここからはペース上げて投稿します。
追記2:ひとまず完結しました!
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