流浪の興国ー託しきれない夢を、相棒と呼んでくれる君とー

水戸けい

文字の大きさ
7 / 31
第一章 決起

しおりを挟む
 烏有は郵亭の書茶室で、出された茶に手もつけず、返書が運ばれてくるのを待っていた。

 早ければ届いているはずだからと、蕪雑に告げて甲柄に入った烏有が、受付で「烏有宛の文はないか」と問い合わせると、ここに通された。

 前に見た少女が茶菓を運んできたが文はなく、もう少々お待ちくださいと言われて、どのくらい経つだろう。

「遅い」

 もしや郵亭馬車が到着したばかりで、文の仕分けをしているのか。そうだとすれば、文は未着と言われる可能性もある。

 そうなったらそうなったで、落胆をせぬようにいようと、烏有はせわしなく揺れる気持ちに言い聞かせた。

 そもそも、すぐに返書がくるほうが不思議なのだ。前代未聞の願いを、したためて送ったのだから。むしろ未着のほうが、どう扱おうか考えてもらえている可能性が高くなる。すぐにも返事がくる場合は、却下という結果のほうが強い。

「大丈夫だ」

 もしも「前例がない」とつっぱねられたら、何度でも願いの文を出そう。その場合、両親から受け継いだ財を投じ、有利に運べるよう取り計らってもらうつもりでもいる。そういう姑息な手段は好まないが、興国のためなら仕方ない。

 剛袁に言ったように、烏有は自分のすべてを蕪雑に賭けると決めていた。

 烏有は小窓から外をながめた。

 行き交う人々は、商人、農夫、工夫など、さまざまだ。これらの人々が心安く、安寧あんねいとした日々を過ごせる国。そんなものは夢物語だと、諸国を流浪しているうちに、思うようになっていた。府として認められる前の、豪族の国も、町や村も、どれもが支配階級の快適なように造られていた。労働者たちが必死に働いている姿を横目に見ながら、ただなにかを命じるだけで、安穏と過ごしている豪族や官僚の在り方は、絶対的なことわりのように、どこを訪れても、おなじだった。

 豪奢な傘を差した一団が、小窓の下を通る。豪族か官僚だろう。烏有は小窓から離れ、イスに落ち着いた。

 気をせかしても、どうしようもない。あの少女が文を運んでくるか、まだ到着しておりませんと言いにくるまで、着工に関することを考えておこう。

 烏有は茶に手を伸ばした。

 許可が下りなくとも、村を造ることはできる。国造りを発表した折に、不満を漏らした人々の気持ちを静め、賛成へと意識を移行させた剛袁の言葉を思い出す。

 国を造るとなれば大げさだが、村を造ると考えてみればいい。

 あれは夢想をぐっと手元に引き寄せられた瞬間だったと、烏有は口元をほころばせた。国を造る壮大な計画の足元を、剛袁は見せてくれた。当人はどう考えているのかわからないが、あのひと言に烏有の気は引き締まった。

 人々の気持ちを惹きつける蕪雑の素朴さと、器の広さ。

 理想を堅実なものへと落としこめる、思慮と配慮を持ち合わせている剛袁。

「僕は、すばらしい相手と出会えたのかもしれないな」

 蕪雑がひとりひとりの名を呼んで、彼等がどんなことを山の集落で成したのか、語っていた光景を思い浮かべる。そんな彼だからこそ、兄と呼び慕われているのだろう。あれは、持って生まれた気質が成せる技だと、烏有は思う。

「蕪雑なら」

 ああいう人柄の彼なら、民を中心とした国を造れる。書物で見た、父や母が理想としていた国を、現実のものとできる。

 烏有の肌が興奮に粟立った。

 蕪雑なら、書物にあった国を具現化できる。そのためならば、己のすべてを捧げよう。時間はかかるだろうが、彼ならきっと、やりとげる。

 前に送った文には、興国の具体的な場所や計画を記載していなかった。それを記した文を追送しようと、烏有は紙に手を伸ばす。筆を手にしたところで、扉が軽く叩かれた。

 烏有の心臓が、緊張に硬くなる。

「どうぞ」

 声をかければ、扉が開いた。その向こうにいたのは、あの少女ではなかった。すらりとした長身の、身なりのいい柔和な顔つきをした青年が立っている。

 瞠目どうもくした烏有を見て、下がり気味の目じりをさらに下げた青年は、両腕を広げて「ああ」と小さく叫んだ。小走りに近づいてきた青年に、烏有は抱きしめられる。

「鶴楽!」

 嬉々とした声となつかしい顔に、驚きという名の金縛りにあった烏有は、なにも応じられなかった。

「君からの文が届いたときは、ほんとうに安心したぞ。いままで、いったいどこで、何をしているのかと、ずっと心配をしていたのだからな」

「……玄晶げんしょう

 ようやっと唇を動かせた烏有は、青年を呼んだ。烏有より、ふたつかみっつ上らしい玄晶は、庇護者ひごしゃのような包む目をして、烏有を見た。

「どうしてここに……。いや、その前に扉を閉めてくれないか。外聞をはばかる」

「ああ、そうだな」

 喜びを全身からにじませつつ、玄晶は烏有から離れ、扉を閉めた。

「私がここにいる理由を答えよう。烏有とは何者かを知るためだ。君からの文に、返書は烏有に宛ててほしいと書いてあったからな。――しかし、烏有が君だとは思いもしなかった」

 扉から離れた玄晶が喜色満面に、しみじみとした声を出す。

「会いたかった。どこでどうしているのかと、気にかけていたのだぞ。鶴楽」

 膝を折った玄晶に顔を覗きこまれ、烏有は気まずそうに目を逸らした。

「大きくなったな、鶴楽。君が旅に出てから、5年になる。立派な青年になって、見違えたぞ」

「いつまでも、子ども扱いをしないでくれないか。玄晶、僕はもう17だよ」

「そう。そして私は20になった。父にならって、文官をしている」

「叔父上は、お元気なのかい」

「ああ。すこしは弱ってくれてもいいと思うくらいに、精力的に仕事をこなしている。母も鶴楽のことを気にかけ続けている。その証拠に、母から鶴楽に渡してほしいと、着物をあずかってきた。宿にあるから、そちらに行こう。ここで話すよりも、そちらのほうが、いろいろと語り合うのに都合がいいからな。……ここは5年もの話を聞くには、いろいろと不足すぎる」

 烏有はわずかにためらい、玄晶の真意を探りつつ言った。

「ここでは、僕のことを烏有と呼んでくれないか。旅に出てからずっと、僕は烏有という名の楽士として生きてきたんだ。ここでも、そのように名乗っているんだよ」

「鶴楽という名でも、問題はないだろう。楽士としても、一流のように感じられる名前じゃないか」

「玄晶」

 硬い声で、烏有は乞う。

「烏有、と」

 玄晶は幼子のわがままを認める顔つきになった。

「わかった、烏有。これでいいだろう? だが、そう名にこだわるのなら、鶴楽という名の口止めを、しておいたほうがいい相手が、もうひとり、できてしまったかもしれないな」

「え」

 玄晶はニッコリとして、滑るように扉に近づき、すばやく開いた。

「わっ、わわ……」

 扉に耳を当てて盗み聞きを働いていた影が、均衡を崩して室内に倒れこむ。

「袁燕!」

「あいたたた」

「旅をしていたのなら、こういう気配に敏感になっているものと思っていたのだが。気を配れないほど、私との再会に驚いていたのかな」

 玄晶は烏有に向けてしゃべりつつ、袁燕に手を差し伸べた。

「はじめまして。さっき烏有が袁燕と呼んでいたが、名前はそれでいいのかな」

 袁燕はバツの悪い顔をして、玄晶の手を取り起き上がると、はいと答えた。

「そうか。――袁燕。それと、烏有。これから私の宿泊している宿に、招待をしよう。もちろん、受け入れてくれるだろう?」

 柔和だが、有無を言わさぬ威厳のこもった申し出に、ふたりは無言でうなずいた。

しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

さようなら、たったひとつの

あんど もあ
ファンタジー
メアリは、10年間婚約したディーゴから婚約解消される。 大人しく身を引いたメアリだが、ディーゴは翌日から寝込んでしまい…。

【完結】ひとつだけ、ご褒美いただけますか?――没落令嬢、氷の王子にお願いしたら溺愛されました。

猫屋敷 むぎ
恋愛
没落伯爵家の娘の私、ノエル・カスティーユにとっては少し眩しすぎる学院の舞踏会で―― 私の願いは一瞬にして踏みにじられました。 母が苦労して買ってくれた唯一の白いドレスは赤ワインに染められ、 婚約者ジルベールは私を見下ろしてこう言ったのです。 「君は、僕に恥をかかせたいのかい?」 まさか――あの優しい彼が? そんなはずはない。そう信じていた私に、現実は冷たく突きつけられました。 子爵令嬢カトリーヌの冷笑と取り巻きの嘲笑。 でも、私には、味方など誰もいませんでした。 ただ一人、“氷の王子”カスパル殿下だけが。 白いハンカチを差し出し――その瞬間、止まっていた時間が静かに動き出したのです。 「……ひとつだけ、ご褒美いただけますか?」 やがて、勇気を振り絞って願った、小さな言葉。 それは、水底に沈んでいた私の人生をすくい上げ、 冷たい王子の心をそっと溶かしていく――最初の奇跡でした。 没落令嬢ノエルと、孤独な氷の王子カスパル。 これは、そんなじれじれなふたりが“本当の幸せを掴むまで”のお話です。 ※全10話+番外編・約2.5万字の短編。一気読みもどうぞ ※わんこが繋ぐ恋物語です ※因果応報ざまぁ。最後は甘く、後味スッキリ

愛する夫が目の前で別の女性と恋に落ちました。

ましゅぺちーの
恋愛
伯爵令嬢のアンジェは公爵家の嫡男であるアランに嫁いだ。 子はなかなかできなかったが、それでも仲の良い夫婦だった。 ――彼女が現れるまでは。 二人が結婚して五年を迎えた記念パーティーでアランは若く美しい令嬢と恋に落ちてしまう。 それからアランは変わり、何かと彼女のことを優先するようになり……

【完結】姉は聖女? ええ、でも私は白魔導士なので支援するぐらいしか取り柄がありません。

猫屋敷 むぎ
ファンタジー
誰もが憧れる勇者と最強の騎士が恋したのは聖女。それは私ではなく、姉でした。 復活した魔王に侯爵領を奪われ没落した私たち姉妹。そして、誰からも愛される姉アリシアは神の祝福を受け聖女となり、私セレナは支援魔法しか取り柄のない白魔導士のまま。 やがてヴァルミエール国王の王命により結成された勇者パーティは、 勇者、騎士、聖女、エルフの弓使い――そして“おまけ”の私。 過去の恋、未来の恋、政略婚に揺れ動く姉を見つめながら、ようやく私の役割を自覚し始めた頃――。 魔王城へと北上する魔王討伐軍と共に歩む勇者パーティは、 四人の魔将との邂逅、秘められた真実、そしてそれぞれの試練を迎え――。 輝く三人の恋と友情を“すぐ隣で見つめるだけ”の「聖女の妹」でしかなかった私。 けれど魔王討伐の旅路の中で、“仲間を支えるとは何か”に気付き、 やがて――“本当の自分”を見つけていく――。 そんな、ちょっぴり切ない恋と友情と姉妹愛、そして私の成長の物語です。 ※本作の章構成:  第一章:アカデミー&聖女覚醒編  第二章:勇者パーティ結成&魔王討伐軍北上編  第三章:帰郷&魔将・魔王決戦編 ※「小説家になろう」にも掲載(異世界転生・恋愛12位) ※ アルファポリス完結ファンタジー8位。応援ありがとうございます。

叶えられた前世の願い

レクフル
ファンタジー
 「私が貴女を愛することはない」初めて会った日にリュシアンにそう告げられたシオン。生まれる前からの婚約者であるリュシアンは、前世で支え合うようにして共に生きた人だった。しかしシオンは悪女と名高く、しかもリュシアンが憎む相手の娘として生まれ変わってしまったのだ。想う人を守る為に強くなったリュシアン。想う人を守る為に自らが代わりとなる事を望んだシオン。前世の願いは叶ったのに、思うようにいかない二人の想いはーーー

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

ゲーム未登場の性格最悪な悪役令嬢に転生したら推しの妻だったので、人生の恩人である推しには離婚して私以外と結婚してもらいます!

クナリ
ファンタジー
江藤樹里は、かつて画家になることを夢見ていた二十七歳の女性。 ある日気がつくと、彼女は大好きな乙女ゲームであるハイグランド・シンフォニーの世界へ転生していた。 しかし彼女が転生したのは、ヘビーユーザーであるはずの自分さえ知らない、ユーフィニアという女性。 ユーフィニアがどこの誰なのかが分からないまま戸惑う樹里の前に、ユーフィニアに仕えているメイドや、樹里がゲーム内で最も推しているキャラであり、どん底にいたときの自分の心を救ってくれたリルベオラスらが現れる。 そして樹里は、絶世の美貌を持ちながらもハイグラの世界では稀代の悪女とされているユーフィニアの実情を知っていく。 国政にまで影響をもたらすほどの悪名を持つユーフィニアを、最愛の恩人であるリルベオラスの妻でいさせるわけにはいかない。 樹里は、ゲーム未登場ながら圧倒的なアクの強さを持つユーフィニアをリルベオラスから引き離すべく、離婚を目指して動き始めた。

【完結】使えない令嬢として一家から追放されたけど、あまりにも領民からの信頼が厚かったので逆転してざまぁしちゃいます

腕押のれん
ファンタジー
アメリスはマハス公国の八大領主の一つであるロナデシア家の三姉妹の次女として生まれるが、頭脳明晰な長女と愛想の上手い三女と比較されて母親から疎まれており、ついに追放されてしまう。しかしアメリスは取り柄のない自分にもできることをしなければならないという一心で領民たちに対し援助を熱心に行っていたので、領民からは非常に好かれていた。そのため追放された後に他国に置き去りにされてしまうものの、偶然以前助けたマハス公国出身のヨーデルと出会い助けられる。ここから彼女の逆転人生が始まっていくのであった! 私が死ぬまでには完結させます。 追記:最後まで書き終わったので、ここからはペース上げて投稿します。 追記2:ひとまず完結しました!

処理中です...