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番外編
番外編 アイザックの苦い過去 21
しおりを挟むラファエルが退場してアイザックとルガート王は他愛のない話を二言三言交わしていたが……。
「陛下にミドルトン公爵、孫娘を壁の花にでもする御積りですか?」
薄ら笑いを浮かべてはいるものの無視された状態のイリーネならぬ彼自身にとってやや苛立ちが隠せなかったらしい。
国王に次ぐ宰相という立場でもあり、現王の外祖父でもある彼にとって今や影の王と言ってもいいくらいの権力を誇示していた。
だから並みいる貴族達は皆強大な権力を握るマリス侯爵に対して額に己が頭を擦りつけるくらいに彼の発する言葉や態度一つに対して過剰な程気を使っているというのに、このミドルトン公爵だけは彼にその様な媚びる仕草等全くといってしないのだっっ。
無論、家柄そして格式から言ってもアイザックのミドルトン公爵家の方が何倍も高位なのは当たり前。
普通ならば王とアイザックが話しているところへ態々割って入り茶々を入れるなんて愚行はまず出来ない――――だが、権力に肥え太り国を裏切るマリス侯爵には然程問題ではないのだ。
こうなれば何が何としても今夜こそミドルトン公爵家と縁付きその莫大な力や財力を我が物に――――っっ!?
「ミドルトン公爵、こうして陛下の御前に我が孫娘であるイリーネを同伴させているという事は……イリーネの祖父としてミドルトン公爵家と我がマリス侯爵家の婚姻も間近……という意味にとっても宜しいのかな?」
「お、お祖父様っっ」
そんな傲慢不遜過ぎる祖父の物言いに感極まったイリーネは、涙を滲ませながら思わず叫びそして自然に口角はにやりと厭らしく上がっていた。
この祖父にしてこの孫……といった感じだ。
「あぁイリーネ美しい女性よ、そんな涙を浮かばせないで」
「アイザックっっ」
アイザックはマリス侯爵よりそう言われると優しげな笑みを湛えたまま、まるで恋人を迎え入れる様に彼女へと手を差し伸べる。
そしてイリーネはさも当然だと言わんばかりに愛する彼の手に自身のそれを重ねようと伸ばす――――が、アイザックはくるりと身体を王のいる方向へ向きを変え返答をする。
そんな彼の態度にイリーネはお預けを食らった子供の様に唇をやや尖らせてみせる。
王の御前だというのに、然もマリス侯爵家の権力の方が上だと誇示するかの様に愚かな娘の愚行は止まらない。
しかし王とアイザックにとってそんな不遜な態度は瑣末の事なのだ。
だから――――。
「ミドルトン公爵、美しい女性は涙も美しいものだな」
「はい陛下、先程のお話の続きですが涙の種類も様々にありまして、心を打たれる程美しい涙を私は知っておりますが、彼女の、イリーネ・レイチェル・クルーウェルの涙程――――」
私の涙程美しいものはない……と貴方は言うのね!!
あぁ陛下やお祖父様の前だというのに貴方は私への愛をやっと言葉にしてお話ししてくれるのねっっ。
アイザック、恥ずかしいけれど私は大丈夫よ、だから、さぁ、私への愛をその薄く男らしい唇で熱く囁いて頂戴っっ!!
イリーネは今か今かと待っていた。
愛しいアイザックが自分への愛に気づき公衆の面前で愛を囁き、そして愛溢れる求婚……そう今彼女の胸は最高潮に高鳴っていたのだ、そして――――。
「醜くて醜悪で下劣極まりないとお思いになりませんか、陛下?」
そう言ってアイザックは先程までの優しげな眼差しではなく、振り向いたその瞳には怒りや蔑みそして侮蔑しきった冷たい瞳でイリーネとマリス侯爵を捉えていた。
「あ、アイザック?」
最初は彼が何を言っているのかわからなかった。
イリーネもそしてマリス侯爵自身も……。
そしてあれ程優雅な音楽を奏でていた楽団達もいつの間にかその音を奏でるのを止め、ホールで個々に会話を愉しんでいた貴族達も鳴りを潜め国王とアイザック、そしてマリス侯爵にその孫娘のイリーネの動向を注視していた。
それから何処からともなくほんの今迄いなかった騎士達が出入り口や窓際にそっと待機している。
マリス侯爵とイリーネを逃がさない様に……。
その様子を見たマリス侯爵は勿論激高したのは言うまでもない。
「――――これは如何いう事でしょうかなミドルトン公爵、そして何かの間違いではないでしょう陛下?」
し……んと静まり返ったホールにマリス侯爵の怒気を孕んだ声はとてもよく響いたが――――。
「いや、間違いではないマリス侯爵、私が命じたのだ」
「陛下っっ」
何を言うのかっ――――と言わんばかりに顔を思いきり歪ませマリス侯爵は王へ抗議しようとした。
「――――ルガートの宰相閣下にあるまじき宿敵シャロンと密約を交わし麻薬の売買には蒼弓国の闇組織とも絡み、平民のみならず貴族方にも高値で売り付け、あぁ先の戦では武器の売買にルガートの情報をシャロンへ横流しもされましたね。戦の名目もシャロン側が国内に侵攻してきたのではなく、アイザック様や陛下を戦場へ誘き出す為に貴方が仕組み、そして罪もない人々を貴方は何の躊躇いもなく己が目的の為に配下の者に殺害をお命じになられましたね」
「な、何をいうきっ、貴様っっ!?」
顔が真っ赤になっていく侯爵に遠慮する事なく話は続けられた。
「当初の目的は我が国屈指の名門ミドルトン公爵家を手に入れるお心積もりだったのでしょう? だから陛下と先のミドルトン公爵そして現ミドルトン公爵がお傍にいられては事をそのまま進める事が出来なかったのですね。ですから如何でもいい、いえ失礼、貴方にとっては取るに足らない者達の命を私利私欲の為に奪いそしてそれをシャロンの所為とし戦を起こさせたのですよ。皆様が留守の間にイリーネ様と共謀してミドルトン公爵の想い人であられるシーウェル男爵令嬢クラウディア様をかどわかし、また貴方が仕組んだ戦を貴方の捻じれた愛情でご子息のへフリー伯爵と貴方の娘婿であられるシーウェル男爵へ罪を着せ、そしてその口を永遠に封じられましたね。他に貴方の御息女であられたリリアナ様に義理の娘であるへフリー伯爵夫人も同時に攫われ命を奪いになられました……」
「いやっ、違うっ、あれはっ、あれはっ、私の目の前で自ら窓より飛び降りたのだっっ!! わ、私は決してリリアナを失うつもりではなかった、いや、決して失いたく等ないのだっ、あれは、リリアナは私のものだっっ!! 誰にも渡す訳にはいかなかったのだっ、なのにっ、リリアナは私の元より逃げたのだっっ」
マリス侯爵は両手で顔を覆いながら自身の娘を殺してはいないと必死に否定をした。
だが追及する者は更に手を緩める訳でもなくギャラリーが聞き耳を立てている間よりゆっくりとマリス侯爵へと向かって真っすぐに歩みを進めていく。
「それは方法でしょう? ですが結果的に貴方は己の慾の為に罪もない人々の命を奪ったのですよ、そしてイリーネ様、貴女もミドルトン公爵を我が物とせんが為に数多なる女性方をシャロンと繋がりのある者達の手によって闇へと葬りなさいましたね、とても美しいお顔をしてなんて罪深いお方ですね?」
「あ、や、その、違うのっ、違うのよアイザックっっ!! 私はその様な事――――っっ!?」
イリーネは酷く取り乱しながら隣にいるアイザックの腕に縋りつこうとしが――――が、彼は縋り付かれる前に身を翻し彼女から距離を置き冷たく一瞥する。
そして寸でのところで彼を逃がしてしまったイリーネは縋り付くものがないまま体勢を崩しそのまま床へと倒れこむが、誰も彼女を助ける者はいなかった。
「イリーネとお祖父様に騙された――――彼女はね、私の愛おしいディアはね、亡くなる前にそう教えてくれたのだよ、残り少ない最後の力を振り絞ってね」
「あ……イザック?」
掠れる様な声でイリーネは先程まで隣にいた男の名を口にする。
「どんな気持だったのかわかるイリーネ? この私が心の底から、魂より愛したディアを攫い貶め苦しませた君をどんな思いで見ていたと思う?」
「あ、あ、私、貴方の事が……」
「先程言っただろう、心打たれる程に美しい涙を見た事があるって? あれは君なんかじゃない、ディアの事だよ、ディアはどんなに貶められていても決して希望を失わなかった。そして言葉にも出来ないくらい辛い目に遭っていたというのにディアは最期の瞬間まで私を愛していると言ってきらきらと透き通るくらいに輝く美しい涙を流して逝ってしまったのだよ」
「わ、私も貴方を愛――――っっ!?」
「無理だよ君には……。私利私欲の為に何人もの女性を直接ではないにしろ手に掛け、その穢れきった醜い心と手を持った君の涙は美しく等ない。ディアの様に穢れのない心を持った者しかあの涙は流せやしない」
そうアイザックはイリーネに冷たく言い放った。
「あ、わ、私はどうすれば……」
床で蹲り涙を流す彼女に誰も同情する者はいない。
そしてその涙を流している理由も必ずしも自ら犯した罪を反省して流しているものではない。
ただ悲しいだけ……。
自分程恵まれた人間が如何してこの様な理不尽を受けなければならないのかを思うと悲しく辛い。
そう、だから悲しくまた悔しくてならない。
選ばれた人間だけが幸せになれればそれでいいのではないの?
私は生まれし時より選ばれた者、そしてあの女達は賤しく決して選ばれる事のない者。
然も一番憎らしい存在であるクラウディアがアイザックに選ばれそして穢れのない人間で、選ばれた私が如何して穢れているというのっっ!?
だってあの女達は私とは決定的に違うっっ
そう、だってあの女達は――――。
選民意識にガチガチに囚われた哀れな女イリーネはその美しい顔を憎しみで歪め、身体をゆっくりと左右に揺らしながら1人で立ち上がると何を思ってか勝ち誇った様に高らかな声、いや雄鶏の暁鶏かと思わせる様な甲高い声で叫び始めたっっ。
「おーっほほほっ、そうよっ、私は確かに違うわっっ、私とあの女達とは違うのよっ、だってあの女達の身体なんてもう――――ぎゃっっ!?」
ぱしぃぃぃ――――んっっ!!
「穢れたお前の口より彼女達をこれ以上冒涜する事は許さんっっ!!」
イリーネが二の句を告げる前にアイザックはツカツカと足早にふら付いている彼女へと近づき、彼女の口、いや彼女から発せられる全ての事に蓋をする様に王の御前も衆人環視もなんのその、彼は思いっきり彼女の頬を叩いた。
そしてイリーネは叩かれた反動で体勢を崩し再び床に倒れこんだ。
「あ、あ、アイザック何故?」
「これ以上お前の言葉等聞きたくもないっっ」
叩かれた頬に手を当てそれでも何故叩かれたのか今以って理解出来ないイリーネは、信じられないという様にアイザックを恨みがましく見つめる。
そして一方――――。
「王よっ、それにミドルトン公爵っ、冗談にも程があるっっ、こ、この私を、宰相であり王の外祖父たる私に何という無礼な物言いただで済まされるとはよもや思っておいでではないでしょうなっっ!! 然も黙って聞いておれば外患誘致等、我が息子が犯した罪だけでも心を痛めたというのにっ、なのにこの私が我が息子と義理の息子の両名をその罪に陥れあまつさえ殺害し、娘まで殺した等とよくもその様な世迷言を……陛下っ、陛下はこの様な者達のお言葉をお信じなさるのかっっ!? 外祖父であり長年宰相として先王そして貴方を支えてきたこの私を疑われるのかっっ!?」
叩かれた孫娘の事等微塵も心配しないどころか一瞥さえもせず、己の保身のみマリス侯爵は声を大にして叫んでいた。
そしてそこには王や自身より高位であるアイザックへの敬意や配慮等一切ない。
「マリス侯爵、もうその辺りにしておくがいい」
あまりに見苦しいその様相に思わず王は声を掛ける。
だがそんな王の声も最早侯爵には届かなかった。
「いいでしょう、ここまでそう言うのならば証拠があっての事でしょうなっっ。 この私を陥れよう等と……断じて許されるものではないっ、如何かっ、王、そしてミドルトンの子倅がぁっっ!!」
高位貴族であるアイザックだけでなく王にまで信じられない暴言を吐いていた。
普通ならば投獄する事なく問答無用で無礼打ち――――そう処刑されても可笑しくない。
可笑しくないのに誰もその場を動けなかった。
彼らを取り囲む貴族や騎士達もただ固唾を飲むばかりであった。
それでも相変わらず証拠証拠を出せと連呼するマリス侯爵にとうとう最後の瞬間が訪れるのだ。
彼はゆっくりとマリス侯爵へ近づいていく。
「お、おまえは誰……だ、何者だっっ」
彼はマリス侯爵の目の前に立ち、恭しくそして大仰に礼をして涼やかな表情そして色香を纏わせた艶のある笑みを浮かべて答えた。
「はい、私はミドルトン公爵家の執事でヨルムと申します――――」
「はっ、執事風情が何をしておるっっ、王宮はお前らが来るような場所ではないっ、早々に立ち去るとよい!!」
一瞬ヨルムの一部の隙もない佇まいに情けなくも「ひぃっ」と小さく叫んだ侯爵が、彼の身分が分かると途端に横柄な物言いでヨルムを追い出そうと試みるが……。
「構わぬ、私がその者の出入りを許したのだ」
「何ですと、私はその様な事聞いてはおりませんっ、如何な陛下といえど宰相である私に一言の相談もなく――――」
「何故だ? 何故そなたに全て相談せねばならないのだ?」
「う、い、わっ、私は宰相です」
何時もなら王が口答えする事等なかったのだ。
そう何時もなら政も何もかも今まで王がマリス侯爵の意のままにならなかった事――――そうたった一つだけあったのだ。
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