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3章

29 敗者の苦悩 ①

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 執務棟にある会議室にて、ルディオは書類を睨みつつも全く別のことを考えていた。
 このあと重要な会議が控えているため、資料の確認をしようと早めにやってきたのだ。
 ここにはまだ自分と、見慣れた一人の部下しかいない。

「ルーゼから聞いたよ。正式に結ばれたんだって? おめでとう」

 隣に座ったハランシュカが、ニヤリと笑いながら問いかける。
 ちょうど頭に思い浮かべていた人物の話題を出され、やれやれと頷いた。

「その言い方は誤解を生みそうだが……まあ、そうだな」
「妃殿下は、僕の奥さんにはいろいろと話してくれるみたいだ」

 誰のことを指しているのかは、言うまでもない。
 彼女は随分ルーゼと親しくなったようで、時間があれば二人でお茶を飲みながら、会話を楽しんでいるようだ。

 それもそうだろう。
 ヴェータの王女として、一人でアレストリアにやってきたのだ。頼れるのはルーゼくらいしかいない。

 そんな彼女を自分の都合で一人にしていたことに、今更ながら罪悪感が募る。そう思うこと自体が、自分本位だというのに。

「それにしても、君がなんて楽しそうなことをしていたとはね。あれほど相手の選定には慎重になっていたのに、もう骨抜きじゃないか」

 皮肉のこもった言葉に、溜め息で返す。

 ハランシュカがそこまで知っていることに驚きはない。
 ルーゼを通して、シェラの様子を探るように命令していたのは自分だ。まさか、あのような形で彼女に知られることになるとは、思っていなかったが。

「まあ、あの娘が君に気があるのは分かりやすかったしねぇ」

 確かに初めはぎこちなかったが、いつからか自分と関わることに、躊躇いがなくなっていたように思う。

 一番変化を感じたのは、夜会の夜だ。

 同じベッドで寝ている間、ルディオは一度たりともシェラより先に寝入ったことはなかった。
 それはもちろん彼女を警戒していたからで。さすがに出会ったばかりの者を全面的に信用できるほど、軽率ではない。

 あの夜会の夜、彼女はなかなか寝付けないようだった。
 たくさん泣いて気持ちが昂っていたのか、何度も寝がえりを打っていたのを覚えている。
 それからしばらくして、背中に温かいものが触れたのだ。感じた熱が彼女の体温だと気づくのに、時間はかからなかった。

 それまで、向こうから触れてきたことはなかった。
 あの夜、確かに彼女の中で、何か変化があったのだ。

 そしてそれは、自分も同じで――

「で、何か悩みごとでも?」

 机に並べた資料を見ているようで、実は全く別の事を考えていたのはお見通しだったようだ。
 その問いかけには、深い溜め息を吐きだしながら答えた。

「それが……部屋に戻ると、私のベッドで寝ているんだ……」

 ハランシュカは一瞬眉を寄せて、それからぽつりと呟く。

「あー……それは、お気の毒に」

 すぐに事情を察したようで、酷く憐れみを湛えた顔を向けられた。
 それから苦笑を浮かべ、感心したように言う。

「二人きりにされたら何をしてしまうか分からない、とか言うから馬車を別にしたのに、向こうから攻め込まれるとは。なかなかやるねぇ、あの娘」

 夜中に忍び込んでいたのが知られた翌日、その日も夜遅くに部屋に戻ったのだが、いつもと様子が違っていた。寝室に入ると小さな明かりが灯っており、ベッドの中に彼女がいたのだ。

 その瞬間にやられたと思った。
 頭を抱え、踵を返しそうになる足をなんとか止めて、ベッドに近づく。
 彼女は寝息を立てて、気持ちよさそうに眠っていた。
 近くのテーブルには小さな紙が置かれており、そこにはこう書かれていた。

『寝顔を見たいのでしたら、お好きなだけどうぞ』

 思わず膝から崩れ落ちそうになった。
 仕返しのつもりなのか。
 内容は可愛げがあるが、ダメージは絶大だ。

 シェラと距離を置いていた理由は二つある。
 ひとつはこれ以上好きになってしまったら、この先彼女に嫌われることがあった場合、自分自身が辛いから。そしてもうひとつは、彼女への気持ちを自覚してしまった以上、手を出さない自信がなかったから。
 そんな、身勝手なふたつの理由からだった。

 だというのに、これでは完全に負け戦である。
 思っていた以上に、彼女は達者なようだ。

「好きなら我慢しなくていいと思うけどねぇ。すでに夫婦なんだし」
「世間的にはまだ婚約者だ。下手に手を出して万が一のことがあったら、数え月が合わなくなるだろう」
「婚約はしているんだし、それほど問題はないんじゃないのかい?」

 書類上はすでに夫婦であるが、世間にはまだ婚約の段階と認知させている。
 今後結婚式を挙げた時点で婚姻が成立したことにするため、それまで手出しはしないと決めているのだ。婚約していると言えども、婚前交渉はあまり体裁がよろしくない。

「私がうるさく言われる分にはいいが、彼女が非難されることは避けたい」
「君がそれほど過保護になるとは。僕はてっきり、側室にするのかと思っていたよ」

 意外だとでもいうような表情で、ハランシュカは言う。
 眉根を寄せ、不機嫌を滲ませた顔で反論した。

「側室なんて、母が認めるわけがないだろう」
「それもそうか。王妃殿下は恋愛結婚を推奨しているしねぇ」

 この国の現王妃である母は、基本的に政略結婚をよしとしていない。幼いころからずっと、必ず好いた者と結婚するようにと教えられてきた。

 昔は深く考えずに頷いていたが、今となっては、それがどれだけ難しいことかよくわかる。
 王太子という立場と、呪いを持って産まれてしまった自分には、特に。

「そうでなければ、おまえはルーゼと一緒にはなってないだろ」
「そうでございました」

 もし母の考えが違っていたら、自分はとっくにルーゼを娶っていただろう。
 家柄も、器量も、外見も、彼女は全てにおいて申し分ない。

 だが、それと自分の好みは全く別の話だ。恋愛対象として見られるかと言われれば、そういうわけでもなく。
 それはルーゼも同じだったようで、結局彼女とは友人以上の関係になることはなかった。

「フェルーシア様も無茶を言うよねぇ。自分たちは第二妃を認めておいて」

 苦笑をもらしながら、母の名前を口にする。

 現在アレストリアには二人の王妃がいる。
 ルディオの母親であるフェルーシアは第一王妃だが、それとは別に、弟である第二王子を産んだ二番目の王妃が存在している。
 二人は同じ北方の国の出身で、その昔は主人と、それに使える騎士という関係だったらしい。

「父と母たち三人も、いろいろあったらしいからな。私は詳しくは知らないが」

 アレストリア王家に伝わる呪いは、基本的に男児にのみ受け継がれる。
 もちろん現国王である父も呪いを継いでいる。

 この呪いと呼ばれている現象は、特定の条件を満たすとその姿を獣へと変えてしまう。
 条件は人それぞれ違うため、呪いが発動しやすい者やそうでない者もいた。

「そりゃ、そんな呪いを抱えてれいば、いろいろあるよねぇ……」

 横目でルディオを見てから、ハランシュカはわざとらしく視線を逸らした。

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