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2章

11 呪いの力

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 人気のない廊下に、二つの靴音が響く。

「殿下! お待ちください!」

 前を行く人物に、慌てた様子で声が投げられた。

「ロイアルド殿下!」

 制止の声を無視して、ロイアルドは廊下を進む。
 苛立ちを隠そうともしないその態度に、後ろを追う者は頭を抱えながら大きく息を吐いた。

「あぁ、俺はまたやらかしてしまったのか……」

 呟きが聞こえていたのか、ロイアルドはぴたりと足を止め振り返る。
 眉間に深く刻まれたしわが、その怒りの大きさを表していた。

「クアイズ、あれは俺への当て付けか?」
「あれと言うのは……」
「髪紐のことだ」
「あれは特に深い意味はなく……」

 この同年の副官はいつもこうなのだ。
 決して悪気があった訳でも、わざとやっているわけでもない。至って単純に善意でやっている。だからこそ逆にたちが悪い。

 彼女があの時間に、あの場にいたことは想定外だった。休憩に入るにはだいぶ早い時間だったので、鉢合わせることはないだろうと思っていたのだが、不運にも偶然が重なったらしい。

 それにより、彼女にもうひとつの姿を見られてしまった。
 黒い毛皮に、程よく筋肉のついた体躯。
 そこから伸びる長い尻尾に、暗闇で光る銀色の瞳。
 まごうことなき、獣の姿。

 これがアレストリア王家に伝わる秘密。
 呪いの枷。

 何百年も前から男系の王族にのみ受け継がれているこの呪いは、ある条件に触れるとその姿を獣へと変化させる。
 発動条件はさまざまで、人によって異なる。人の姿に戻るにも条件があり、それを満たさないことには獣の姿でいるしかなく、生きていく上ではなかなか厄介な枷となっていた。

「殿下の機嫌と引き換えになりましたが、無事に戻られたようで安心しました」

 ロイアルドの苦悩など気に留める様子もなく、クアイズはほっとしたように胸を撫で下ろす。
 確かにこの副官の発言で人の姿に戻れたようなものだが、簡単に納得はできない。

 ロイアルドの呪いは精神的な部分に大きく影響する。
 基本的には滅多に発動しないような条件のため、普通に生活していれば問題はないのだが、ロイアルドの場合はそうもいかない理由があった。

「今回は長引きましたね」
「主犯を取り逃がしたからな、あれを引きずったらしい」

 執務室の扉を開け中へと入る。そのあとをクアイズが続いた。

「作戦が失敗した原因は殿下ではありません。あれは白隊の問題です」

 白隊というのは、近衛騎士団とは管轄の異なる王宮騎士団を指す。
 彼らの白い隊服から、内々でそう呼ばれているのだ。

「せっかくロイアルド殿下があそこまで追い詰めたのに、詰めが甘いんですよ」
「否定はできないがな、本人らの前で言うなよ」
「分かってますよ」

 納得ができない様子でクアイズは頷く。
 念のためここで釘を刺しておかないと、王宮騎士たちの前でまたとんでもないことを言いかねない。

「犯人はそこそこの深手を負ったはずだ。しばらくは大人しくしているだろ」
「だといいのですが」

 ここ最近、王都周辺で貴族の娘を狙った誘拐事件が頻発している。
 捜査をする過程で大規模な犯罪組織の関与が分かり、つい先日、そのアジトへと奇襲をしかけた。
 作戦は途中までは順調だったのだが、最後の最後で味方の失態により、リーダー格の男を取り逃がしてしまう。

 本来こういった事件は王宮騎士団の管轄なのだが、近衛騎士であるロイアルドとクアイズもこの作戦に参加していた。

 王族の護衛が主な任務のはずの彼らだが、二人が作戦に携わった理由が、ロイアルドの呪いと関係している。

「殿下の手を借りて失敗しておきながら、困ったときはまた頼みます、なんてよく言えたものですよ」
「仕方がないだろ。彼らは俺の飼っている黒ヒョウを使っているとしか思っていないんだから。別にそれでいい」

 厄介なだけに思える呪いだが、使いようによっては武器にもなる。訓練次第で、その獣の能力を自在に操ることができるのだ。
 黒ヒョウ時のロイアルドは特に聴覚に優れており、かなり広い範囲の音を聴き分けられる。それを利用して犯人の位置特定などに役立てていた。

 この呪いは王族に近しい関係にある者と、特務隊に所属している近衛騎士しか存在を認知していないため、一般の騎士は黒ヒョウの正体を知らない。
 第二王子が飼育している、任務に使える便利な獣くらいにしか思っていないのだ。

「あなたはもう少し、怒っていいと思いますが」
「おまえには怒っているぞ」

 上着のボタンを外しながら、鋭い視線でクアイズを睨みつける。その銀灰色の瞳の奥には鋭利な刃物のような煌めきがあり、ロイアルドが本気で怒っていることを証明していた。

「いや……本当に、あれは他意はなく……」
「他意があったら、俺はおまえを殺しているところだ」
「申し訳ありませんでした……」

 過激な言葉を使っているが、二人の付き合いは学院時代からであり、そこそこ長い。
 ロイアルドの言葉が本気ではないことも、クアイズに悪意がなかったことも、お互いに理解はしている。

「それほど想っているのなら、奪ってしまってはどうです?」

 脱いだ上着を椅子にかけようとしたロイアルドの動きが、ぴたりと止まった。
 窓の外へと視線を走らせ、物憂げな顔で言う。

「……それをしたら、もうにはなれないかもしれない」
「あれは過ぎた力です。無ければないで、どうとでもなりますよ」
「そうかもしれないな……」

 民のためになるならと、今まで無理やり呪いを発動させて力を使ってきた。

 国政に携わる兄や弟と違って、ロイアルドはあまり知略を働かすことが得意ではない。
 この国の王子として産まれてきた自分に何ができるのか。何度も考え、悩み、そして行き着いた先が、呪いの力に頼ることだった。

 しかし、呪いを発動させるには精神的負担が大き過ぎる。このようなことを続けたら、いつか本当に壊れてしまうかもしれない。

「あまり無理をなさらないでください。あなたの心を犠牲にして得る幸せなど、誰も望んではいません」
「……わかっている」

 自ら進んでやり始めたことだ。
 今では頼りにされることも多いが、もともと望まれてやったことではない。
 やめる時は自分で決める。

「それに呪いの力がなくとも、殿下の剣に敵うものはそうそうおりません」
「おまえに言われると、嫌みにしか聞こえん」

 ロイアルドの剣技は、アレストリアの騎士の中でも一位、二位を争うほどの腕前だ。その国内最高峰の剣と互角に渡り合えるのが、クアイズなのである。

 彼は将来侯爵家を継ぐことになっており、身分的にも申し分ない。たまに空気の読めないところはあるものの頭脳も明晰で、無意識にライバルとして視てしまうのも仕方がないだろう。
 クアイズ本人からしたら、尊うべき自国の王子からそのような感情を向けられることは、はた迷惑極まりないのだが。

 そんな事実はあれども、お互いを信頼し合っていることは確かだ。

「体調はどうです? 何か召し上がりますか?」
「いや、だるいから少しねむ――」

 窓の外を見ていたロイアルドの顔色が変わる。
 言葉は最後まで紡がれることはなく、沈黙のあとに聞こえてきたのは小さな舌打ちだった。

「……今日は出かける。俺はまだ人に戻っていないことにしておけ」
「え!? 外出されるんですか?」
「そうだ」
「……分かりました。護衛は?」
「必要ない」

 隊服の上着を、乱雑に椅子に投げつける。
 そのまま重力に従い床へと落下してしまったが、ロイアルドは気に留めることもなく、着替えのために仮眠室へと消えていった。

 黒い隊服を拾い上げ、クアイズは窓の外に目を向ける。

「あー……」

 その視線の先には、こげ茶色の長い髪を見覚えのある髪紐で一つに結った、女性の庭師の姿があった。

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