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3章

14 頭に浮かぶのは

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 ぼんやりと白い天井を見つめる。

「はあ……」

 ここは屋敷にある自室。
 スーリアはベッドに横になりながら、もう何度目かも分からない溜め息を吐き出した。

 自分の手に視線をやる。
 そこにはひまわりの花が象られた、金細工の髪留めがあった。
 そっと指先でなぞりながら、これを贈ってくれた人物の顔を思い浮かべる。

「ロイ……」

 名前を呼ぶ。それだけで、胸が苦しい。
 こんな感情、今まで知らなかった。

 元婚約者のヒューゴとは物心ついたころから婚約関係にあり、幼馴染のような関係に近かった。
 幼い頃はそうでもなかったのだが、いつからかヒューゴはスーリアを嫌うようになり、気づいたら二人の関係は冷え切っていた。スーリアは特別嫌っていたわけではなかったのだが、ヒューゴの態度のせいもあり、わざと距離を置いていた。

 当然二人の間に恋愛感情などあるはずもなく。
 スーリアは21歳にして初めて抱いた恋心に、毎日翻弄されている。

「最悪だわ……」

 気づかなければよかった。
 気づいていないふりをすればよかった。
 こんな気持ち。
 知ってしまってからはもう、落ちていくばかりで。

 毎日寝る前に髪留めを手に取り、眺める日々を繰り返している。
 これをもらってから、もう二週間近く経つ。
 あれからまた昼下がりの秘密の逢瀬は再開し、毎日とはいかないが、数日に一度は彼と話している。

 スーリアは会うたびに、ロイに惹かれていく己の心を自覚していた。
 それでも、気持ちを伝えることなどできない。

 今のスーリアは、平民として王城で働いている。
 彼はどう見ても高位の貴族だろうし、平民と釣り合うわけがない。
 スーリアの本来の身分を明かせばいいのだが、それにはさまざまなリスクが伴う。場合によっては、もう庭師として王城で働けなくなるかもしれない。
 それだけはどうしても避けたかったので、結局恋心を隠す方を選んだのだ。

 それに、この歳で婚約者に捨てられた容姿の悪い女が、彼に好かれるはずはないし、世間的にもつり合わない。もし身分の問題が解決できたとしても、彼の隣にいる資格などないのだ。

「そういえば私、ロイのこと名前以外なにも知らないわ……」

 笑顔の似合う黒髪のあの人は、いったいどこの誰なのか。知っているのは近衛騎士ということくらいだ。

 でも、知らなくていいのかもしれない。
 どうせこの関係は一時のものだ。あきたら、彼はあの木陰にはこなくなるだろう。
 そうすれば、きっともう会うことはない。
 スーリアから会いに行くという選択肢など、最初からないのだ。

 だから、いつかこの関係が終わるその時まで、この気持ちは隠すことにしよう。
 大丈夫。今ならまだ、引き返せる。
 触れてほしいなんて、そんな願い、今すぐ捨てる。

「はぁ……」

 追加で溜め息をついた時、部屋の扉をノックする音が聞こえた。

「お嬢様、旦那さまがお呼びでございます」
「お父様が? 分かったわ、すぐ行きます」

 扉の外からかけられた声に返事をして、ベッドから起き上がる。
 そのまま部屋を出て階段を下り、一階のリビングへと向かった。

「お父様、何かしら?」

 父はソファに座り、コーヒーを飲みながら寛いでいた。

「スーリア、とりあえず座りなさい」
「はい」

 促されるままに、向かいの席に腰かける。
 それを見届けた父は、コーヒーカップを机の上に置いてゆっくりと口を開いた。

「スーリアも知っていると思うが、来月王宮で夜会が開かれる」

 アレストリアの王宮では、数カ月に一度、王族主催の夜会が開催されている。
 かなり規模の大きな夜会で、名のある王侯貴族からそれほど身分の高くない貴族まで、出席者は多岐にわたる。基本的に平民は参加できないのだが、特別な招待状があれば入場が許可されるような、幅の広い夜会だ。

「ええ、それがどうかした?」

 スーリアが頷くと、父は言いにくそうに口を開く。

「それに参加してもらいたい」
「いやよ、いつも言ってるでしょう? 王宮の夜会には行かないって」

 スーリアは夜会が苦手だった。
 派手に着飾って社交辞令にまみれたあの空間にいるなど、一秒たりとも耐えられない。掃除でもしているほうがましだ。
 特に王宮での夜会は規模の大きさゆえに、さまざまな人が集まる。面倒な対応も増えてくるだろう。

 問答無用で却下する娘に、父は眉尻を下げて困ったような顔で言う。

「王宮の夜会には、いろいろな種類の人間が参加する。おまえが気に入る人も見つかるかもしれない」
「……まさか、結婚相手を探せってこと?」
「ヒューゴのことは悪かったと思っている。まさか、あいつの息子があそこまで馬鹿だとは思わなかった。残念だがあの家とはもう縁を切るから、スーリアには新しい幸せを探してほしい」

 父は苦渋の決断とでも言うように、顔を歪めて言った。
 スーリアとヒューゴの父は、若い頃からの友人らしい。ヒューゴの父はスーリアに良くしてくれており、両家の関係は良好だったのだが、いかんせんその息子がどうしようもなかった。

 父親同士が勝手に決めた婚約とは言え、父の友人である男の娘を地味で華がない顔と罵り、挙げ句の果てに一方的に婚約を破棄した。

 スーリアにとってあの婚約破棄は決して不幸ではなかったが、彼女の立場が悪くなったことに変わりはない。
 そんなスーリアが結婚相手を探すには、なかなかの苦労が伴う。

「私としてもスーリアの気持ちを尊重してやりたいが、結婚は早いうちの方がいい。いろいろあったがおまえはまだ若いし、いま探せばいい相手も見つかるよ」

 スーリアとしてはもう結婚や婚約はこりごりだと思う気持ちはあるが、確かにずっとこのままというわけにもいかない。
 父としても、ゆくゆくは結婚して、幸せな家庭を築いてもらいたいと思っているのだろう。

「どうしても嫌だというなら仕方がないが、少しでもその気があるなら、お父さんが全力で力添えするよ」
「…………」

 一瞬想い人の顔が頭をよぎる。
 しかし全力でそれを振り払って、スーリアは言った。

「……分かったわ、夜会には参加します。でも今の仕事を辞める気はないから、それを許してもらえる方とじゃないと結婚はしません」
「そうか。うちの財力なら婿に入りたいという者も多いだろうから、その方向で探してみよう」

 父の言葉にスーリアは目を丸くした。実家がそこそこ裕福なのは自覚していたが、それほどとは。
 スーリアはあまり家の事情には詳しくない。
 婚約を破棄された上に見た目の悪い自分など、もらってくれる相手はなかなかいないだろうと思い込んでいたが、どうやらそうでもないらしい。

「さて、そうと決まったらドレスを新調しなければな!」

 父は楽しそうに目を輝かせて言った。
 何故かスーリア本人よりも楽しそうだ。

「お父様、ドレスなら以前作ったもので――」
「何を言っているんだ、スーリア。あれはもう二回は着ているし、王宮の夜会に行くのであればもっと豪華なものにした方がいい」
「はあ……」

 ドレスや宝石に興味のないスーリアは、今まで両親が見繕ってくれたものを、言われるがままに身に着けていた。
 注文を付けるとしたら価格くらいだ。あまり高すぎるドレスは、自分にはつり合わない。
 だが、今回はそうもいかないらしい。
 確かに結婚相手を探しに行くのであれば、それなりのものを身に着けるべきだろう。

「希望があるなら取り入れるが、どうだ?」
「それはお父様に任せま――……いえ、そうね。金細工の髪留めが似合う、ドレスにしてくれるかしら?」
「金細工? わかった、そうしよう」

 父との会話を終わらせて、スーリアは自室へと戻る。

 廊下を歩く足取りはひどく重たい。
 できることならば、夜会になど参加したくはない。ましてやその目的が結婚相手を探すだなんて。
 恋心を自覚したばかりのスーリアには、つらすぎる現実だ。

 自然と脳裏に彼の姿が浮かぶ。
 何度振り払っても、それが消えることはなかった。

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