20 / 39
3章
20 衝動的な感情
しおりを挟む「殿下、珈琲でも飲まれますか?」
「……いらない」
気遣うように訪ねてきたクアイズを見ることもせず、机に突っ伏したままロイアルドは答えた。
窓の外からは暖かな陽射しが降り注ぎ、のどかな鳥のさえずりが聞こえてくる。
そんな穏やかな日常とは打って変わり、ロイアルドの執務室にはどんよりとした空気が漂っていた。
「まさか兄さんがあんな攻め方をするなんて、さすがの僕もびっくりだよ」
窓際にあるソファに座り、声を投げてきたのはシュニーだ。
珈琲を啜りながら、あきれたような顔をしている。
「だから、拗らせるとろくな事にならないって言ったのに」
「うるさい」
弟の言葉を一蹴して、ロイアルドは昨夜の出来事を思い出す。
ここ数日、自分の失態から彼女とは会っていなかった。
あの木陰で衝動的にしてしまった行為のせいで、スーリアから拒絶されたのだ。会う勇気など持てず、彼女もまたロイアルドを避けているようだった。
もう彼女のことはあきらめるしかないかと思いかけていた時、参加した夜会で、思いもよらぬ人に出会った。
彼女がいたのだ。
いつもとは違う豪華なドレスに身を包み、化粧をして、女性らしくおしゃれをしたスーリアが。
しかも見知った人物の娘だという。
どうやら身分を偽って、王城で働いていたようだ。
驚きや喜び、さまざまな思いが一度に押し寄せてきたが、その時のロイアルドの心を占めていたのは、ただひとつの感情だった。
――彼女が欲しい。あきらめることなど、できない。
それからは、己の欲望のままに行動していた。
彼女を手に入れるために、手段など選んではいられなかった。
しかし、妻になってほしいと言ったロイアルドの願いは、またしても拒絶される。
それもそうだ。
スーリアはもともと、ロイアルドを恋愛対象としては見ていないのだろうから。
ただの気の合うお菓子をくれる友人、それがこの国の第二王子だったなんて知ったら、余計に近づきたくなんてないだろう。
自分にどういう噂が流れているのかくらいは知っている。
「後悔してるの?」
弟の言葉に顔を上げる。
机の上を見つめながら、重苦しく口を開いた。
「後悔は、していない。でも、彼女には嫌われた……と思う」
あの場で強引に宣言して、逃げ道を塞いだのだ。
完全に嫌われていたとしてもおかしくはない。
それでも彼女が欲しかった。
どんな手を使っても、逃がしたくはなかった。
こんな感情、初めてだ。
「変なところで強引なのはそっくりだね、僕たち」
確かに、これでは弟のやったことに文句を言えるような立場ではない。
ただの似た者同士だ。
しかし要領のいい弟とは違って、自分はただ墓穴を掘っただけではないか。
今考えれば、もっとやりようはあったはずだ。
強引に婚約者に据えた上に、彼女に嫌われるなんて……
「最悪だ……死んでしまいたい――」
負の感情が込み上げる。
こんな馬鹿な自分は消えてしまえばいい。
いいや、いっそ消してしまえ。
そうすれば、彼女は解放される。
そうだ、自分が消えれば――
「ちょっと兄さん、それ以上は――」
兄を宥めようと、シュニーが慌ててソファが立ち上がる。
その瞬間、ロイアルドの身体が光の粒子となってはじけた。
一瞬の眩しさに、その場にいた者は目をつむる。
気づくと、ロイアトルドが座っていた椅子の上で、大きな黒いヒョウが項垂れるようにお座りをしていた。
「あーあぁ……」
額を片手で押さえながら、シュニーは困ったように息を吐く。
黒ヒョウへと姿を変えてしまった兄を見て、シュニーはあきれを滲ませた声で言った。
「気持ちは分からなくもないけど、兄さんが死んだらその娘も悲しむんじゃないかな」
背中を丸めて俯いていた黒ヒョウが、顔を上げた。
「言ってしまったことは仕方がないんだから、どうやったらその娘に好かれるか、まずは考えてみたら?」
弟の提案に、黒ヒョウは考え込むようにして視線を彷徨わせてから、小さく頷いた。
弟なりに慰めてくれようとしているのだろう。
黒ヒョウの様子を見て、シュニーは側にいた兄の副官へと視線を向ける。
「クアイズ、兄さんの予定は?」
「本日は特別な任務はありませんが、明日はバース伯爵がお見えになる予定です」
「となると、明日までに戻る必要があるか……」
スーリアの父親であるバース伯爵は、王家の呪いについて知っている人物だ。
事情を話せば日を改めてもらえるだろうが、いつ戻るかはロイアルド本人にも保証ができない。
ロイアルドの呪いは、発動にも元に戻るにも感情が引き金になる。
「生理現象で呪いが発動する僕からしたら、羨ましいかぎりなんだけどねぇ」
呪いの発動に関して、シュニーは間違いなくロイアルドより苦労しているだろう。
弟にそう言われてしまっては、返す言葉もない。
元より今の状態では、言葉など口には出せないが。
とりあえずはいつものように、あの場所で人に戻れるか試してみるしかない。
ロイアルドは後ろ脚で椅子を蹴り、目の前の執務机を飛び越えた。
そのまま窓の方へと歩いていく。
「兄さん、何をす――」
弟の声を無視して、器用に手と口を使って窓を開けた。
そして、そのまま外へと身を乗り出す。
「ちょっと、ここ三階……!」
鍛えられた体と、獣の柔軟性を生かして軽やかに着地する。
黒ヒョウ時の動きについて、数々の訓練をこなしたロイアルドには、ある程度高さのあるところからの飛び降りなど朝飯前だ。
執務室の窓を振り返ると、シュニーがあきれた顔で見下ろしていた。
それを一瞥して、庭園へと駆け出す。
正直なところ、今の精神状態では戻れる気は全くしない。
彼女にしてしまったことを考えると、気は沈む一方だった。
1
あなたにおすすめの小説
婚約破棄されましたが、辺境で最強の旦那様に溺愛されています
鷹 綾
恋愛
婚約者である王太子ユリウスに、
「完璧すぎて可愛げがない」という理不尽な理由で婚約破棄を告げられた
公爵令嬢アイシス・フローレス。
――しかし本人は、内心大喜びしていた。
「これで、自由な生活ができますわ!」
ところが王都を離れた彼女を待っていたのは、
“冷酷”と噂される辺境伯ライナルトとの 契約結婚 だった。
ところがこの旦那様、噂とは真逆で——
誰より不器用で、誰よりまっすぐ、そして圧倒的に強い男で……?
静かな辺境で始まったふたりの共同生活は、
やがて互いの心を少しずつ近づけていく。
そんな中、王太子が突然辺境へ乱入。
「君こそ私の真実の愛だ!」と勝手な宣言をし、
平民少女エミーラまで巻き込み、事態は大混乱に。
しかしアイシスは毅然と言い放つ。
「殿下、わたくしはもう“あなたの舞台装置”ではございません」
――婚約破棄のざまぁはここからが本番。
王都から逃げる王太子、
彼を裁く新王、
そして辺境で絆を深めるアイシスとライナルト。
契約から始まった関係は、
やがて“本物の夫婦”へと変わっていく――。
婚約破棄から始まる、
辺境スローライフ×最強旦那様の溺愛ラブストーリー!
寵愛の花嫁は毒を愛でる~いじわる義母の陰謀を華麗にスルーして、最愛の公爵様と幸せになります~
紅葉山参
恋愛
アエナは貧しい子爵家から、国の英雄と名高いルーカス公爵の元へと嫁いだ。彼との政略結婚は、彼の底なしの優しさと、情熱的な寵愛によって、アエナにとってかけがえのない幸福となった。しかし、その幸福を妬み、毎日のように粘着質ないじめを繰り返す者が一人、それは夫の継母であるユーカ夫人である。
「たかが子爵の娘が、公爵家の奥様面など」 ユーカ様はそう言って、私に次から次へと理不尽な嫌がらせを仕掛けてくる。大切な食器を隠したり、ルーカス様に嘘の告げ口をしたり、社交界で恥をかかせようとしたり。
だが、私は決して挫けない。愛する公爵様との穏やかな日々を守るため、そして何より、彼が大切な家族と信じているユーカ様を悲しませないためにも、私はこの毒を静かに受け流すことに決めたのだ。
誰も気づかないほど巧妙に、いじめを優雅にスルーするアエナ。公爵であるあなたに心配をかけまいと、彼女は今日も微笑みを絶やさない。しかし、毒は徐々に、確実に、その濃度を増していく。ついに義母は、アエナの命に関わるような、取り返しのつかない大罪に手を染めてしまう。
愛と策略、そして運命の結末。この溺愛系ヒロインが、華麗なるスルー術で、最愛の公爵様との未来を掴み取る、痛快でロマンティックな物語の幕開けです。
【完結】ひとつだけ、ご褒美いただけますか?――没落令嬢、氷の王子にお願いしたら溺愛されました。
猫屋敷 むぎ
恋愛
没落伯爵家の娘の私、ノエル・カスティーユにとっては少し眩しすぎる学院の舞踏会で――
私の願いは一瞬にして踏みにじられました。
母が苦労して買ってくれた唯一の白いドレスは赤ワインに染められ、
婚約者ジルベールは私を見下ろしてこう言ったのです。
「君は、僕に恥をかかせたいのかい?」
まさか――あの優しい彼が?
そんなはずはない。そう信じていた私に、現実は冷たく突きつけられました。
子爵令嬢カトリーヌの冷笑と取り巻きの嘲笑。
でも、私には、味方など誰もいませんでした。
ただ一人、“氷の王子”カスパル殿下だけが。
白いハンカチを差し出し――その瞬間、止まっていた時間が静かに動き出したのです。
「……ひとつだけ、ご褒美いただけますか?」
やがて、勇気を振り絞って願った、小さな言葉。
それは、水底に沈んでいた私の人生をすくい上げ、
冷たい王子の心をそっと溶かしていく――最初の奇跡でした。
没落令嬢ノエルと、孤独な氷の王子カスパル。
これは、そんなじれじれなふたりが“本当の幸せを掴むまで”のお話です。
※全10話+番外編・約2.5万字の短編。一気読みもどうぞ
※わんこが繋ぐ恋物語です
※因果応報ざまぁ。最後は甘く、後味スッキリ
悪役令嬢、記憶をなくして辺境でカフェを開きます〜お忍びで通ってくる元婚約者の王子様、私はあなたのことなど知りません〜
咲月ねむと
恋愛
王子の婚約者だった公爵令嬢セレスティーナは、断罪イベントの最中、興奮のあまり階段から転げ落ち、頭を打ってしまう。目覚めた彼女は、なんと「悪役令嬢として生きてきた数年間」の記憶をすっぽりと失い、動物を愛する心優しくおっとりした本来の性格に戻っていた。
もはや王宮に居場所はないと、自ら婚約破棄を申し出て辺境の領地へ。そこで動物たちに異常に好かれる体質を活かし、もふもふの聖獣たちが集まるカフェを開店し、穏やかな日々を送り始める。
一方、セレスティーナの豹変ぶりが気になって仕方ない元婚約者の王子・アルフレッドは、身分を隠してお忍びでカフェを訪れる。別人になったかのような彼女に戸惑いながらも、次第に本当の彼女に惹かれていくが、セレスティーナは彼のことを全く覚えておらず…?
※これはかなり人を選ぶ作品です。
感想欄にもある通り、私自身も再度読み返してみて、皆様のおっしゃる通りもう少しプロットをしっかりしてればと。
それでも大丈夫って方は、ぜひ。
【完結】辺境に飛ばされた子爵令嬢、前世の経営知識で大商会を作ったら王都がひれ伏したし、隣国のハイスペ王子とも結婚できました
いっぺいちゃん
ファンタジー
婚約破棄、そして辺境送り――。
子爵令嬢マリエールの運命は、結婚式直前に無惨にも断ち切られた。
「辺境の館で余生を送れ。もうお前は必要ない」
冷酷に告げた婚約者により、社交界から追放された彼女。
しかし、マリエールには秘密があった。
――前世の彼女は、一流企業で辣腕を振るった経営コンサルタント。
未開拓の農産物、眠る鉱山資源、誠実で働き者の人々。
「必要ない」と切り捨てられた辺境には、未来を切り拓く力があった。
物流網を整え、作物をブランド化し、やがて「大商会」を設立!
数年で辺境は“商業帝国”と呼ばれるまでに発展していく。
さらに隣国の完璧王子から熱烈な求婚を受け、愛も手に入れるマリエール。
一方で、税収激減に苦しむ王都は彼女に救いを求めて――
「必要ないとおっしゃったのは、そちらでしょう?」
これは、追放令嬢が“経営知識”で国を動かし、
ざまぁと恋と繁栄を手に入れる逆転サクセスストーリー!
※表紙のイラストは画像生成AIによって作られたものです。
敗戦国の元王子へ 〜私を追放したせいで貴国は我が帝国に負けました。私はもう「敵国の皇后」ですので、頭が高いのではないでしょうか?〜
六角
恋愛
「可愛げがないから婚約破棄だ」 王国の公爵令嬢コーデリアは、その有能さゆえに「鉄の女」と疎まれ、無邪気な聖女を選んだ王太子によって国外追放された。
極寒の国境で凍える彼女を拾ったのは、敵対する帝国の「氷の皇帝」ジークハルト。 「私が求めていたのは、その頭脳だ」 皇帝は彼女の才能を高く評価し、なんと皇后として迎え入れた!
コーデリアは得意の「物流管理」と「実務能力」で帝国を黄金時代へと導き、氷の皇帝から極上の溺愛を受けることに。 一方、彼女を失った王国はインフラが崩壊し、経済が破綻。焦った元婚約者は戦争を仕掛けてくるが、コーデリアの完璧な策の前に為す術なく敗北する。
和平交渉の席、泥まみれで土下座する元王子に対し、美しき皇后は冷ややかに言い放つ。 「頭が高いのではないでしょうか? 私はもう、貴国を支配する帝国の皇后ですので」
これは、捨てられた有能令嬢が、最強のパートナーと共に元祖国を「実務」で叩き潰し、世界一幸せになるまでの爽快な大逆転劇。
『婚約破棄された令嬢、白い結婚で第二の人生始めます ~王太子ざまぁはご褒美です~』
鷹 綾
恋愛
「完璧すぎて可愛げがないから、婚約破棄する」――
王太子アルヴィスから突然告げられた、理不尽な言葉。
令嬢リオネッタは涙を流す……フリをして、内心ではこう叫んでいた。
(やった……! これで自由だわーーーッ!!)
実家では役立たずと罵られ、社交界では張り付いた笑顔を求められる毎日。
だけど婚約破棄された今、もう誰にも縛られない!
そんな彼女に手を差し伸べたのは、隣国の若き伯爵家――
「干渉なし・自由尊重・離縁もOK」の白い結婚を提案してくれた、令息クリスだった。
温かな屋敷、美味しいご飯、優しい人々。
自由な生活を満喫していたリオネッタだったが、
王都では元婚約者の評判がガタ落ち、ざまぁの嵐が吹き荒れる!?
さらに、“形式だけ”だったはずの婚約が、
次第に甘く優しいものへと変わっていって――?
「私はもう、王家とは関わりません」
凛と立つ令嬢が手に入れたのは、自由と愛と、真の幸福。
婚約破棄が人生の転機!? ざまぁ×溺愛×白い結婚から始まる、爽快ラブファンタジー!
---
貴族令嬢、転生十秒で家出します。目指せ、おひとり様スローライフ
凜
ファンタジー
第18回ファンタジー小説大賞にて奨励賞を頂きました。ありがとうございます!
貴族令嬢に転生したリルは、前世の記憶に混乱しつつも今世で恵まれていない環境なことに気が付き、突発で家出してしまう。
前世の社畜生活で疲れていたため、山奥で魔法の才能を生かしスローライフを目指すことにした。しかししょっぱなから魔物に襲われ、元王宮魔法士と出会ったり、はては皇子までやってきてと、なんだかスローライフとは違う毎日で……?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる