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3章

20 衝動的な感情

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「殿下、珈琲でも飲まれますか?」
「……いらない」

 気遣うように訪ねてきたクアイズを見ることもせず、机に突っ伏したままロイアルドは答えた。

 窓の外からは暖かな陽射しが降り注ぎ、のどかな鳥のさえずりが聞こえてくる。
 そんな穏やかな日常とは打って変わり、ロイアルドの執務室にはどんよりとした空気が漂っていた。

「まさか兄さんがあんな攻め方をするなんて、さすがの僕もびっくりだよ」

 窓際にあるソファに座り、声を投げてきたのはシュニーだ。
 珈琲を啜りながら、あきれたような顔をしている。

「だから、拗らせるとろくな事にならないって言ったのに」
「うるさい」

 弟の言葉を一蹴して、ロイアルドは昨夜の出来事を思い出す。

 ここ数日、自分の失態から彼女とは会っていなかった。
 あの木陰で衝動的にしてしまった行為のせいで、スーリアから拒絶されたのだ。会う勇気など持てず、彼女もまたロイアルドを避けているようだった。
 もう彼女のことはあきらめるしかないかと思いかけていた時、参加した夜会で、思いもよらぬ人に出会った。

 彼女がいたのだ。
 いつもとは違う豪華なドレスに身を包み、化粧をして、女性らしくおしゃれをしたスーリアが。

 しかも見知った人物の娘だという。
 どうやら身分を偽って、王城で働いていたようだ。

 驚きや喜び、さまざまな思いが一度に押し寄せてきたが、その時のロイアルドの心を占めていたのは、ただひとつの感情だった。

 ――彼女が欲しい。あきらめることなど、できない。

 それからは、己の欲望のままに行動していた。
 彼女を手に入れるために、手段など選んではいられなかった。

 しかし、妻になってほしいと言ったロイアルドの願いは、またしても拒絶される。
 それもそうだ。
 スーリアはもともと、ロイアルドを恋愛対象としては見ていないのだろうから。

 ただの気の合うお菓子をくれる友人、それがこの国の第二王子だったなんて知ったら、余計に近づきたくなんてないだろう。
 自分にどういう噂が流れているのかくらいは知っている。

「後悔してるの?」

 弟の言葉に顔を上げる。
 机の上を見つめながら、重苦しく口を開いた。

「後悔は、していない。でも、彼女には嫌われた……と思う」

 あの場で強引に宣言して、逃げ道を塞いだのだ。
 完全に嫌われていたとしてもおかしくはない。

 それでも彼女が欲しかった。
 どんな手を使っても、逃がしたくはなかった。
 こんな感情、初めてだ。

「変なところで強引なのはそっくりだね、僕たち」

 確かに、これでは弟のやったことに文句を言えるような立場ではない。
 ただの似た者同士だ。

 しかし要領のいい弟とは違って、自分はただ墓穴を掘っただけではないか。
 今考えれば、もっとやりようはあったはずだ。

 強引に婚約者に据えた上に、彼女に嫌われるなんて……

「最悪だ……死んでしまいたい――」

 負の感情が込み上げる。

 こんな馬鹿な自分は消えてしまえばいい。
 いいや、いっそ消してしまえ。
 そうすれば、彼女は解放される。

 そうだ、自分が消えれば――

「ちょっと兄さん、それ以上は――」

 兄を宥めようと、シュニーが慌ててソファが立ち上がる。
 その瞬間、ロイアルドの身体が光の粒子となってはじけた。

 一瞬の眩しさに、その場にいた者は目をつむる。
 気づくと、ロイアトルドが座っていた椅子の上で、大きな黒いヒョウが項垂れるようにお座りをしていた。

「あーあぁ……」

 額を片手で押さえながら、シュニーは困ったように息を吐く。
 黒ヒョウへと姿を変えてしまった兄を見て、シュニーはあきれを滲ませた声で言った。

「気持ちは分からなくもないけど、兄さんが死んだらその娘も悲しむんじゃないかな」

 背中を丸めて俯いていた黒ヒョウが、顔を上げた。

「言ってしまったことは仕方がないんだから、どうやったらその娘に好かれるか、まずは考えてみたら?」

 弟の提案に、黒ヒョウは考え込むようにして視線を彷徨わせてから、小さく頷いた。
 弟なりに慰めてくれようとしているのだろう。

 黒ヒョウの様子を見て、シュニーは側にいた兄の副官へと視線を向ける。

「クアイズ、兄さんの予定は?」
「本日は特別な任務はありませんが、明日はバース伯爵がお見えになる予定です」
「となると、明日までに戻る必要があるか……」

 スーリアの父親であるバース伯爵は、王家の呪いについて知っている人物だ。
 事情を話せば日を改めてもらえるだろうが、いつ戻るかはロイアルド本人にも保証ができない。

 ロイアルドの呪いは、発動にも元に戻るにも感情が引き金になる。

「生理現象で呪いが発動する僕からしたら、羨ましいかぎりなんだけどねぇ」

 呪いの発動に関して、シュニーは間違いなくロイアルドより苦労しているだろう。
 弟にそう言われてしまっては、返す言葉もない。
 元より今の状態では、言葉など口には出せないが。

 とりあえずはいつものように、あの場所で人に戻れるか試してみるしかない。

 ロイアルドは後ろ脚で椅子を蹴り、目の前の執務机を飛び越えた。
 そのまま窓の方へと歩いていく。

「兄さん、何をす――」

 弟の声を無視して、器用に手と口を使って窓を開けた。
 そして、そのまま外へと身を乗り出す。

「ちょっと、ここ三階……!」

 鍛えられた体と、獣の柔軟性を生かして軽やかに着地する。
 黒ヒョウ時の動きについて、数々の訓練をこなしたロイアルドには、ある程度高さのあるところからの飛び降りなど朝飯前だ。

 執務室の窓を振り返ると、シュニーがあきれた顔で見下ろしていた。
 それを一瞥して、庭園へと駆け出す。

 正直なところ、今の精神状態では戻れる気は全くしない。
 彼女にしてしまったことを考えると、気は沈む一方だった。

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