34 / 39
エピローグ
34 太陽とひまわり
しおりを挟む正式に婚約を交わしてから五日が過ぎ、スーリアは今すぐ王城に来て欲しいと、ロイアルドから呼び出しを受けていた。
何事かと、用意された馬車に乗り込む。
王城に到着すると、いつもの隊服ではなく、少しだけかしこまった服装をしたロイアルドが出迎えてくれた。
五日ぶりに再会した彼は、突然呼び出したことを詫びてから、スーリアを城の奥へと案内する。
そうして辿り着いた先は、謁見の間に続く厳かな扉の前だった。
「…………どう言うことかしら?」
「すまない。君に会いたいと愚痴をこぼしたら、弟が余計なことをしてくれて……」
どうやら五日間もお預けをくらっていたロイアルドに、弟である第三王子殿下が気を利かせたようだ。国王陛下に挨拶をすると言う名目で、スーリアを呼び出したらしい。
まったくもって余計なお世話である。
そのうち挨拶に伺わなくてはと思っていたが、こうも突然その機会がやってくるとは。
普段着で来なくてよかった。
せっかくだから彼からもらった髪留めを使いたくて、少しだけおしゃれをしてきたのだ。危うく一国の王の前で醜態を晒すところだった。
「悪いが、少しだけ我慢してくれ。別にかしこまった話をするわけじゃないから」
「……いいわ。どうせいつかは、しなくてはいけないことだし」
彼は申し訳なさそうな顔をしながらも、ありがとうと礼を言った。
*
「あー! 緊張した」
無事に国王との面会を済ませ、二人はいつもの木陰を訪れていた。
だいぶ気温が高くなってきたこともあり、日差しが肌に痛い。
それでも、時より涼しさを乗せた風が通り過ぎ、熱をもった肌を撫でていくのが心地よかった。
「そうは見えなかったが」
「追いつめられると、逆に冷静になるのよ」
「……なるほど」
彼は神妙に頷いてみせた。
「急に呼び出してしまったのは申し訳なかったが、助かったよ」
「ロイ、あなた謝ってはいるけど、本当は私を呼び出す口実ができて喜んでるでしょう?」
「……なぜそう思う?」
「顔がにやけているわ」
はっとして、彼が片手で口元を押さえる。
鎌をかけてみたのだが、どうやら図星だったようだ。
本当はにやけてなどいなかったが、これは言わないでおこう。
「仕方がないだろっ、やっと君と結ばれたと思ったのに、五日も会えないなんて……」
「結ばれたって言っても、まだ仮だけれどね」
婚約を交わしただけで、結婚したわけではない。
それを指摘すると、ロイアルドは大きく息を吐いてから、一歩距離を詰めた。
「スーリア。あまりからかうと、俺も遠慮しないぞ?」
少し低い声で言って、彼は両手でスーリアの頬を包み込んだ。
そのままゆっくりと顔を近づける。
これでは後ろにも下がれないし、顔を背けることもできない。
「ちょっとまっ――」
どんどん己の顔が赤くなっていくのが分かった。
唇が触れ合いそうな距離まで彼の顔が目前に迫り、反射的にぎゅっと目を閉じる。
これから起こるだろうことを想像して、身体を強張らせた。
「ふっ」
待ち構えていたスーリアに聞こえてきたのは、苦笑交じりの吐息だった。
恐る恐る目を開けると、彼がくすくすと笑いながら、何もせずに離れていく。
「期待したか?」
「してない!」
思わず勢いで否定する。
否定はしたが、触れ合わなかった熱に少しだけ寂しさを感じたのも事実で。
そんな自分に恥ずかしさを覚え、さらに顔の赤みが増したような気がした。
一連のやり取りで、ひとつ思い出したことがある。
スーリアはこの五日間、ずっともやもやと心の内で感じていた疑問を口に出す。
「――気になっていたのだけど、あなたはどうしたら黒ヒョウになるの?」
「それは……言いたくない」
彼が表情を曇らせる。よほど聞かれたくないことなのだろうか。
「それじゃあ、人の姿に戻る時は?」
誘拐事件の際、スーリアが口付けをした直後に彼は人の姿に戻った。
まさかとは思うが、あれが要因だったのかとずっと気になっていたのだ。
「戻る時は、簡単に言えば行動欲だな。何かをしたいと、強く思えば戻れる」
「ということは……あの時のキスは関係ないのね」
彼の言葉を聞いて胸を撫で下ろす。
もしキスで人に戻るのであれば、今まで黒ヒョウになった時、どうしていたのかと気になったのだ。
黒ヒョウになる度に、誰かと口付けしていたのかと考えたら、胸がざわざわして落ち着かなかった。
「……もしかして、妬いてくれたのか?」
スーリアの言葉の意図を見抜いたのか、彼が期待を込めた瞳で覗いてくる。
「そうね、もしそうだったら妬いたわ。でも違うなら、あの時はどうして戻ったの?」
「あれは……君からしてくれるなんて思っても見なくて、その……続きがしたいと……」
微かに頬を染めて、彼は視線を逸らしながら答えた。
要するに、スーリアともっとキスをしたいと思ったら、人の姿に戻ったというわけか。
あの時の行動はある意味正解だったようだ。まあ、そのおかげでえらい目にも合ったのだが。
「俺は君のことになると、どうしても抑えがきかなくなる。本当にずっと昔から、君が好きだったんだ」
「昔?」
「ここで、ひまわりを見たことを覚えていないか?」
記憶を辿る。
頭に浮かんだのは、幼いころに樹の上から眺めた、黄色いひまわり畑だった。
あのとき、自分の膝の上にいた存在を思い出す。
「――まさか、あの黒猫はあなただったの!?」
ロイアルドが、こくりと頷いた。
スーリアは幼少の頃、父に連れられて王城にきていた。
庭園の広さに驚き、楽しくて毎日遊びに行きたいと強請って、連れてきてもらっていたのだ。
その時庭園の端にあるこの場所で出会ったのが、一匹の黒猫だった。
いま思い返せば、たしかに猫というには、体つきががっしりしていた気がする。
「あの時、俺は黒ヒョウの姿で毎日君を探していた。それくらい、君が好きだった」
銀灰色の瞳をまっすぐスーリアに向けて、彼が言う。
「幼い俺にとって、君は明るくて優しくて、まるで太陽のような存在だった。10年以上探していたんだ。スーリアがあの時の少女だと知ったら、もう自分を抑えることができなかった」
再び彼の右手が伸びてきて、スーリアの頬に触れた。
彼があの時の黒猫だったことも驚きだが、それ以上に、そんなにも長い間想われていたことが信じられない。
でも、彼がスーリアを欲しいといった理由が、あの樹の上の出会いにあるのだとしたら、納得もできる。
「もう絶対に放さないから、覚悟しておけよ」
今度はためらいなく、彼の唇がスーリアのそれに重なった。
ロイアルドの想いを聞いてしまったら、触れた場所がいつも以上に熱く感じる。
「ん……」
吐息を漏らすと、名残惜しそうに彼は離れていった。
それから、長い腕が背中にまわされる。
スーリアを抱きしめながら、前髪に頬を寄せ、髪を梳くように撫でられた。
「結婚するまで君に必要以上に触れるなと、フロッドに言われているんだが――」
大きく息を吐いて、彼は続けて言った。
「我慢できそうにない」
「がっがまんして!」
「無理だ……もっとキスしたい」
「ちょっと……!」
腕を緩めて顔を近づけてくるので、スーリアは両手で彼の口元を覆った。
吐息が手のひらにあたり、擽ったさにびくりと肩を揺らす。
「身の危険を感じたら、そうやって自衛してくれ」
他人事のように笑いながら、彼が離れていく。
今まで、ヒューゴには触れられたことすらなかった。
こんなにも強く求められたのは初めてで、慣れないことに戸惑いを感じる。
どくどくと大きく刻む、己の鼓動がうるさい。
このままでは心臓がもたないと、無理やり話題を変えた。
「そ、そう言えば、今年の夏はひまわりを植えてもらおうと思うの」
「ひまわりを?」
「ええ。あの頃みたいな大きなひまわり畑は無理だけれど、花壇の一部を使わせてもらう予定よ」
「それは楽しみだな」
銀灰色の瞳を細めて、彼が微笑む。
「咲いたら、また一緒に見にいきましょう」
今度はふたり、手をつないで――
0
あなたにおすすめの小説
婚約破棄されましたが、辺境で最強の旦那様に溺愛されています
鷹 綾
恋愛
婚約者である王太子ユリウスに、
「完璧すぎて可愛げがない」という理不尽な理由で婚約破棄を告げられた
公爵令嬢アイシス・フローレス。
――しかし本人は、内心大喜びしていた。
「これで、自由な生活ができますわ!」
ところが王都を離れた彼女を待っていたのは、
“冷酷”と噂される辺境伯ライナルトとの 契約結婚 だった。
ところがこの旦那様、噂とは真逆で——
誰より不器用で、誰よりまっすぐ、そして圧倒的に強い男で……?
静かな辺境で始まったふたりの共同生活は、
やがて互いの心を少しずつ近づけていく。
そんな中、王太子が突然辺境へ乱入。
「君こそ私の真実の愛だ!」と勝手な宣言をし、
平民少女エミーラまで巻き込み、事態は大混乱に。
しかしアイシスは毅然と言い放つ。
「殿下、わたくしはもう“あなたの舞台装置”ではございません」
――婚約破棄のざまぁはここからが本番。
王都から逃げる王太子、
彼を裁く新王、
そして辺境で絆を深めるアイシスとライナルト。
契約から始まった関係は、
やがて“本物の夫婦”へと変わっていく――。
婚約破棄から始まる、
辺境スローライフ×最強旦那様の溺愛ラブストーリー!
寵愛の花嫁は毒を愛でる~いじわる義母の陰謀を華麗にスルーして、最愛の公爵様と幸せになります~
紅葉山参
恋愛
アエナは貧しい子爵家から、国の英雄と名高いルーカス公爵の元へと嫁いだ。彼との政略結婚は、彼の底なしの優しさと、情熱的な寵愛によって、アエナにとってかけがえのない幸福となった。しかし、その幸福を妬み、毎日のように粘着質ないじめを繰り返す者が一人、それは夫の継母であるユーカ夫人である。
「たかが子爵の娘が、公爵家の奥様面など」 ユーカ様はそう言って、私に次から次へと理不尽な嫌がらせを仕掛けてくる。大切な食器を隠したり、ルーカス様に嘘の告げ口をしたり、社交界で恥をかかせようとしたり。
だが、私は決して挫けない。愛する公爵様との穏やかな日々を守るため、そして何より、彼が大切な家族と信じているユーカ様を悲しませないためにも、私はこの毒を静かに受け流すことに決めたのだ。
誰も気づかないほど巧妙に、いじめを優雅にスルーするアエナ。公爵であるあなたに心配をかけまいと、彼女は今日も微笑みを絶やさない。しかし、毒は徐々に、確実に、その濃度を増していく。ついに義母は、アエナの命に関わるような、取り返しのつかない大罪に手を染めてしまう。
愛と策略、そして運命の結末。この溺愛系ヒロインが、華麗なるスルー術で、最愛の公爵様との未来を掴み取る、痛快でロマンティックな物語の幕開けです。
【完結】ひとつだけ、ご褒美いただけますか?――没落令嬢、氷の王子にお願いしたら溺愛されました。
猫屋敷 むぎ
恋愛
没落伯爵家の娘の私、ノエル・カスティーユにとっては少し眩しすぎる学院の舞踏会で――
私の願いは一瞬にして踏みにじられました。
母が苦労して買ってくれた唯一の白いドレスは赤ワインに染められ、
婚約者ジルベールは私を見下ろしてこう言ったのです。
「君は、僕に恥をかかせたいのかい?」
まさか――あの優しい彼が?
そんなはずはない。そう信じていた私に、現実は冷たく突きつけられました。
子爵令嬢カトリーヌの冷笑と取り巻きの嘲笑。
でも、私には、味方など誰もいませんでした。
ただ一人、“氷の王子”カスパル殿下だけが。
白いハンカチを差し出し――その瞬間、止まっていた時間が静かに動き出したのです。
「……ひとつだけ、ご褒美いただけますか?」
やがて、勇気を振り絞って願った、小さな言葉。
それは、水底に沈んでいた私の人生をすくい上げ、
冷たい王子の心をそっと溶かしていく――最初の奇跡でした。
没落令嬢ノエルと、孤独な氷の王子カスパル。
これは、そんなじれじれなふたりが“本当の幸せを掴むまで”のお話です。
※全10話+番外編・約2.5万字の短編。一気読みもどうぞ
※わんこが繋ぐ恋物語です
※因果応報ざまぁ。最後は甘く、後味スッキリ
悪役令嬢、記憶をなくして辺境でカフェを開きます〜お忍びで通ってくる元婚約者の王子様、私はあなたのことなど知りません〜
咲月ねむと
恋愛
王子の婚約者だった公爵令嬢セレスティーナは、断罪イベントの最中、興奮のあまり階段から転げ落ち、頭を打ってしまう。目覚めた彼女は、なんと「悪役令嬢として生きてきた数年間」の記憶をすっぽりと失い、動物を愛する心優しくおっとりした本来の性格に戻っていた。
もはや王宮に居場所はないと、自ら婚約破棄を申し出て辺境の領地へ。そこで動物たちに異常に好かれる体質を活かし、もふもふの聖獣たちが集まるカフェを開店し、穏やかな日々を送り始める。
一方、セレスティーナの豹変ぶりが気になって仕方ない元婚約者の王子・アルフレッドは、身分を隠してお忍びでカフェを訪れる。別人になったかのような彼女に戸惑いながらも、次第に本当の彼女に惹かれていくが、セレスティーナは彼のことを全く覚えておらず…?
※これはかなり人を選ぶ作品です。
感想欄にもある通り、私自身も再度読み返してみて、皆様のおっしゃる通りもう少しプロットをしっかりしてればと。
それでも大丈夫って方は、ぜひ。
【完結】辺境に飛ばされた子爵令嬢、前世の経営知識で大商会を作ったら王都がひれ伏したし、隣国のハイスペ王子とも結婚できました
いっぺいちゃん
ファンタジー
婚約破棄、そして辺境送り――。
子爵令嬢マリエールの運命は、結婚式直前に無惨にも断ち切られた。
「辺境の館で余生を送れ。もうお前は必要ない」
冷酷に告げた婚約者により、社交界から追放された彼女。
しかし、マリエールには秘密があった。
――前世の彼女は、一流企業で辣腕を振るった経営コンサルタント。
未開拓の農産物、眠る鉱山資源、誠実で働き者の人々。
「必要ない」と切り捨てられた辺境には、未来を切り拓く力があった。
物流網を整え、作物をブランド化し、やがて「大商会」を設立!
数年で辺境は“商業帝国”と呼ばれるまでに発展していく。
さらに隣国の完璧王子から熱烈な求婚を受け、愛も手に入れるマリエール。
一方で、税収激減に苦しむ王都は彼女に救いを求めて――
「必要ないとおっしゃったのは、そちらでしょう?」
これは、追放令嬢が“経営知識”で国を動かし、
ざまぁと恋と繁栄を手に入れる逆転サクセスストーリー!
※表紙のイラストは画像生成AIによって作られたものです。
敗戦国の元王子へ 〜私を追放したせいで貴国は我が帝国に負けました。私はもう「敵国の皇后」ですので、頭が高いのではないでしょうか?〜
六角
恋愛
「可愛げがないから婚約破棄だ」 王国の公爵令嬢コーデリアは、その有能さゆえに「鉄の女」と疎まれ、無邪気な聖女を選んだ王太子によって国外追放された。
極寒の国境で凍える彼女を拾ったのは、敵対する帝国の「氷の皇帝」ジークハルト。 「私が求めていたのは、その頭脳だ」 皇帝は彼女の才能を高く評価し、なんと皇后として迎え入れた!
コーデリアは得意の「物流管理」と「実務能力」で帝国を黄金時代へと導き、氷の皇帝から極上の溺愛を受けることに。 一方、彼女を失った王国はインフラが崩壊し、経済が破綻。焦った元婚約者は戦争を仕掛けてくるが、コーデリアの完璧な策の前に為す術なく敗北する。
和平交渉の席、泥まみれで土下座する元王子に対し、美しき皇后は冷ややかに言い放つ。 「頭が高いのではないでしょうか? 私はもう、貴国を支配する帝国の皇后ですので」
これは、捨てられた有能令嬢が、最強のパートナーと共に元祖国を「実務」で叩き潰し、世界一幸せになるまでの爽快な大逆転劇。
『婚約破棄された令嬢、白い結婚で第二の人生始めます ~王太子ざまぁはご褒美です~』
鷹 綾
恋愛
「完璧すぎて可愛げがないから、婚約破棄する」――
王太子アルヴィスから突然告げられた、理不尽な言葉。
令嬢リオネッタは涙を流す……フリをして、内心ではこう叫んでいた。
(やった……! これで自由だわーーーッ!!)
実家では役立たずと罵られ、社交界では張り付いた笑顔を求められる毎日。
だけど婚約破棄された今、もう誰にも縛られない!
そんな彼女に手を差し伸べたのは、隣国の若き伯爵家――
「干渉なし・自由尊重・離縁もOK」の白い結婚を提案してくれた、令息クリスだった。
温かな屋敷、美味しいご飯、優しい人々。
自由な生活を満喫していたリオネッタだったが、
王都では元婚約者の評判がガタ落ち、ざまぁの嵐が吹き荒れる!?
さらに、“形式だけ”だったはずの婚約が、
次第に甘く優しいものへと変わっていって――?
「私はもう、王家とは関わりません」
凛と立つ令嬢が手に入れたのは、自由と愛と、真の幸福。
婚約破棄が人生の転機!? ざまぁ×溺愛×白い結婚から始まる、爽快ラブファンタジー!
---
貴族令嬢、転生十秒で家出します。目指せ、おひとり様スローライフ
凜
ファンタジー
第18回ファンタジー小説大賞にて奨励賞を頂きました。ありがとうございます!
貴族令嬢に転生したリルは、前世の記憶に混乱しつつも今世で恵まれていない環境なことに気が付き、突発で家出してしまう。
前世の社畜生活で疲れていたため、山奥で魔法の才能を生かしスローライフを目指すことにした。しかししょっぱなから魔物に襲われ、元王宮魔法士と出会ったり、はては皇子までやってきてと、なんだかスローライフとは違う毎日で……?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる