バッドエンドの女神

かないみのる

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順風満帆のように見えるでしょう?

そう上手くはいかないのがあたしの人生なんだな、悲しい事に。



休みの日、お父さんに子どもができた事を伝えようかと思ったけど、お父さんはその日は例の活動に行ったのかあたしが起きた時にはいなかった。



家に食材がなかったので散歩がてら買い出しに行くことにした。

スニーカーを履いて外に出ると、外は晴れていて気持ちが良かった。

初夏の熱を帯びた風があたしを包んでくれる。

子どもが生まれたら、霜田と三人で一緒にお散歩したいな。

お腹を撫でながら子どもに心の声で話しかける。



買い物を終え、買い物袋を持って歩道橋の階段を降りていると、黒いジャンパーを着てフードを深く被った人が向かい側から走って登ってきた。

ランニング中なのか腕を勢いよく振りながら、結構なスピードで駆け上がってきた。

危ないなと思いながら、あたしは狭い階段の端によった。

すれ違いざまにその人は体勢をくずし、あたしに腕がぶつかった。

左腕を勢いよく後ろに引き、それがあたしの身体を押した。


一瞬の浮遊感の後、あたしは一気に階段から滑り落ちた。

段差に何度も腰を打って動けなくなり、あまりの衝撃に意識を失ったらしい。

気付くとベッドの上だった。

お父さんが横にいた。

この光景、前にも見た気がする。



「奈緒、大丈夫か!?」


「ここは?」


「病院だよ。びっくりしたよ。奈緒が歩道橋の階段から落ちたなんて。でも、かすり傷で済んだみたいだし、良かった」



お父さんはまた啜り泣いていた。



ああ、あたし、階段から落ちて、気を失ってたんだ。

腰を強く打って、そのまま気を失って……



「赤ちゃんは、無事……?」


「赤ちゃん?奈緒の他にも落ちた人がいたのか?」


「違うの。あたしの子ども」


あたしはお父さんに妊娠したことを打ち明けた。

父親がわからないことも、援交をしていたことも含め、洗いざらい話した。

お父さんは唇を震わせて聞いていた。

何も言わずに、急いであたしを産婦人科の救急外来に連れて行ってくれた。



「お気の毒ですが、流産です」



担当してくれた医師は、命のこもっていないような声で淡々と言った。

実際は哀れみを込めて言ってくれたのかもしれないけど、あたしにはエレベーターのアナウンスよりも人間味を感じられなかった。

医師の言葉にあたしは何も言えなかった。

声を出す事ができなかった。

あたしの元へ来てくれた生命が、あたしの中で息絶えてしまったなんて。



確かに望んだ妊娠ではなかったけど、少しずつ愛着が湧いていた。

短い間だったとはいえ、確実に母としての愛が芽生えていたのに。

会うことを楽しみにしていたのに。

弟と同じで、顔を見ることもできないまま、あたしを残してあの世へ行ってしまった。



担当医の判断で、流産手術をできるだけ早く受けることにした。

帰り道、パパの運転する車に乗り、家に向かった。



「ごめんなさい」



助手席に座り、振り絞るような声でパパに伝えた。

パパは静かに頭を横に振った。



「パパこそ、悪かった。仕事やいつもの活動にかまけて奈緒の変化に気づいてあげられなかった。パパが奈緒を怒る資格なんてない。パパは、奈緒が元気ならそれでいいから」



パパは力なく言った。

違うよ、あたしがパパに隠してたんだよ。

援交のことも妊娠のことも。

だから、パパを責めないで。



家に着いて、あたしは霜田にメールを送った。

辛い事があった、とだけ。

メールを送ってすぐに霜田から電話がかかってきた。



「諏訪部、大丈夫?」


「うん。平気」


「何があったの?」


「……霜田、会いたい」



霜田の声を聞いたら、あのとき二人で子どもを一緒に育てようって話したことが思い出されて、悲しみが込み上げてきた。



「諏訪部、今どこにいる?」


「今は家だけど、駅裏の公園がいい。この時間なら誰もいないだろうし」


「わかった。すぐに向かう」



あたしはお腹と腰が痛くて、ゆっくり時間をかけて公園に向かった。

公園に着くと、霜田がベンチに座っていた。

あたしを見ると、慌てて駆け寄ってくれた。



「諏訪部、何があったの?」



あたしは流産した事を伝えようとしたが、先に涙がこぼれた。



「とりあえず、座ろうか」



霜田はあたしの手を引いてくれた。

でもあたしは動かなかった。



「諏訪部、身体に負担がかかるでしょ?座ろう?子どものために労わらないと」



子どものため───その言葉が重くのしかかった。

あたしのお腹の子どもは生きていない。

あたしは黙って霜田の胸に飛び込んだ。

霜田の胸で、「ごめんなさい」と啜り泣いた。

霜田はやさしく抱きしめてくれた。



「あたし、人とぶつかって階段から落ちたの」


「そうだったんだ。怪我は?」


「赤ちゃん、死んじゃった。あたしのせいで死んじゃった」



霜田は動かなかった。

衝撃を受けて頭が整理できなかったのか、二人で数秒間氷ついたように固まっていた。



「諏訪部のせいじゃないよ」


「でも、もういないんだよ。赤ちゃん、会えないんだよ」



霜田はあたしの頭を撫でてくれた。



「水子供養に行こう。供養してあげれば、赤ちゃんだって幸せになれるはずだから」



あたしは黙って頷いた。



「これからも辛いことや悲しいことが起こるかもしれないけど、二人で乗り越えよう」


「じゃあ、これからも一緒にいてくれるの……?」



勝手に妊娠して、二人で育てようと決めた子どもを流してしまったあたしと、離れないでいてくれるの?



「うん」



霜田にはどれほど迷惑をかけたか分からない。

霜田がいなければあたしは一生前に進めなかったと思う。

あたしが霜田のためにしてあげられた事ってあっただろうか。



その後のあたし達は赤ちゃんとのお別れで忙しかった。

あたしは流産手術を受け、その数日後、霜田とパパとで水子供養の地蔵尊のあるお寺へお参りに行った。

本当は霜田と二人で行くつもりだったけど、パパがどうしても着いていくといって聞かなかったから。



「奈緒の子どもはパパの孫だ。孫があの世で幸せに暮らせるように祈るのはおじいちゃんの勤めだ」



パパは初めて霜田を見たとき、あたしを妊娠させた相手ではないかと疑って掴み掛かろうとしたが、あたしが事情を説明したら土下座して謝ってた。

霜田は慌ててパパを立ち上がらせた。

あたしは会う前にきちんと説明してなかったことを反省した。

霜田があたしと仲良くしてくれていること、自分の子じゃないのに子どもを一緒に育てようとしてくれたこと、これからもそばにいてくれることを聞いて、涙を流しながら霜田にお礼を言ってくれた。



「霜田君、奈緒をよろしく頼みます。小さい頃から寂しい思いをさせてしまったもので、人との関わり方も分かっていないかもしれないが、素直な子なんです。どうか奈緒とこれからも仲良くしてあげてください。何か困ったことがあったら、私が援助します。霜田君のために何かしてあげること、それが、私が娘のためにしてあげられることなんです!」



あたしはそんなパパを見て恥ずかしかったけど目頭が熱くなった。

一方霜田は辛そうな顔をしていた。

パパの今までの苦しみを汲み取っているのか、頭を下げるパパの言葉を噛み締めるように聞いていた。



お寺に着いて、地蔵尊にお線香をお供えして、三人で手を合わせた。

あたしが幸せにできなかった、あたしの子ども。

こんなママでごめんなさい。

どうか安らかに眠れますように。

お地蔵様、どうかあたし達の子どもを導いてあげて下さい。
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