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07 別れ
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◆
額に何かひんやりする物が乗せられている。レオナルドはそれを掴んだ。
「殿下!」
横を見ると副官がいた。朝日が差し込む部屋には、他に誰もいない。
「…どれくらい経った?」
掠れた酷い声で訊く。レフの助けを借りて上半身を起こした。
「お倒れになったのは一昨日の昼です」
「母上は?」
「今はお休みに」
手の中の細長いものが動いた。
「!」
驚いて離した。それはするりと床に下りた。白い蛇だ。女の手首程に太い。長さもレオナルドの背丈よりあるだろう。蛇は開いていた窓から出ていってしまった。
「実はですね…」
レフは顛末を語った。
◇
ブランカは逃げた。恥ずかしさと自己嫌悪でグチャグチャだ。口からチロチロと出入りする舌。手も足も無い。こんな忌まわしい姿は見せられない。でも王子の側にいたい。
(庭の隅っこで暮らしちゃダメかな)
少女は屋敷の裏にある大木のうろに住み始めた。少し首を伸ばせば玄関ホールの窓が見える。こっそり、大好きな彼が見える場所だった。
◆
レオナルドの熱は夕方には引いた。診察した宮廷医は驚いていた。
「蛇毒で解毒など、聞いた事もありません。奇跡です」
しかし実際に生き延びた。後遺症がないか丹念に診てもらった。眼帯を外した時、医者が異変に気づいた。
「殿下!右目が!」
「見える…」
レオナルドの右目は光を取り戻した。母が両手で顔を覆って泣き出した。ずっと気に病んでいたのだろう。悪いのは母ではなかったのに。
「ありがとう!ありがとう!雀…いえ、蛇ちゃん。あら?彼女はどこ?」
出て行ったきり戻って来ない。使用人に探させたが周囲にはいなかった。
「すぐに帰ってきますよ。あいつは俺の運命ですから」
「…そうなの?」
「聖女がそう言っていました」
彼は楽観していた。しかしいつまで経っても、ブランカは現れなかった。
◇
木のうろに住み着いて1週間ぐらいして、王子が出勤する姿が見られた。眼帯をしていない。お洒落だったのかしら。すっきりした顔も良い。
屋敷には使者が多く出入りするようになった。お母上が玄関で見送ったりしている。ブランカはなるべく外に出ないようにしていたが、空腹になると厨房に忍び込んだ。悪いと思いつつも卵を1つ頂戴する。
(ネズミとかカエルとか、絶対無理)
生卵の丸呑みが限界だ。その日も気配を消して食糧庫の軒下を這っていた。
「今日はアドラー侯爵家のお使者だってさ」
使用人の女性達が芋を剥きながらおしゃべりをしている。
「ようやく若様にお妃様が来るんかね」
ブランカは硬直した。
「アドラー侯爵令嬢って凄い美人なんでしょ?きっとお似合いだよ」
「若様も今や宮廷きっての美男子やしね。美男子って言えばさぁ…」
別の話になった。打ちのめされた蛇はヨロヨロと巣穴に戻った。王子に結婚の話が。今まで無かったのがおかしかったのだ。美しく、武勇に優れたレオナルド殿下。横に立つ女性も美しいに違いない。
知りたくなかった。自分はどうしたら良いのだろう。祝福できる自信がない。きっと嫉妬で狂ってしまう。花嫁を噛んでしまうかもしれない。ブランカは心まで醜くなりたくなかった。
(出ていこう。人殺しになる前に)
その前に一目、レオナルド王子を見たい。彼女は愛しい匂いを追って王城の奥に向かった。
◆
両目が揃っただけでレオナルドの待遇は一転した。今まで無かった縁談が山ほどやってきた。
否応なしに継承権争いに引き摺り込まれた。母のためにも強力な後ろ楯が欲しい。結婚するなら高位貴族の娘だ。今日は城の庭園でアドラー侯爵令嬢と茶を飲んでいた。
「まあ。ではその白い蝶が神の御遣いでしたの?」
金髪と緑の目の、アイリーンという令嬢だ。軍の話題にも楽しげに相槌を打ってくれる。善良そうで悪くない娘だ。レオナルドはたった15分話しただけで、婚約しても良いと思った。
(どうせ契約結婚だ。素直で従順であればいい)
「砦を落とせたのはそいつのお陰なんだ」
「不思議ですわね。私も会ってみたいわ」
今は白い蛇になっているけどな。王子はブランカを思った。あれ以来、姿を見せない。蜘蛛の時と一緒だ。
「キャーッ!」
近くのテーブルで悲鳴が上がった。貴族の男女が逃げてくる。レオナルドは立ち上がった。
「蛇だ!毒蛇だぞ!追い払え!」
男が生垣の下を指差し、従者達に命じた。彼らは剣の鞘で探った。すると白い蛇が飛び出して来た。
(ブランカ!?)
「キャっ!怖い!」
侯爵令嬢がレオナルドの腕に縋りついた。動けぬ間に従者達が蛇を打ち据えた。ブランカは這って逃げた。
「止めろ!逃してやれ!」
王子は叫んだ。だが警備の兵も呼ばれ、追い始めてしまった。
◇
少しでも近くで見ようと、首を伸ばし過ぎた。ブランカは見つかってしまった。強かに打たれ、石を投げられた。一瞬だけ、王子に寄り添う美しい令嬢が見えた。黄金の髪にエメラルドの瞳。女神のようだった。
ああ。お似合いだ。石をぶつけられた所が痛い。心も張り裂けそう。ブランカは茂みに隠れた。痛みで動けない。暫くすると、茂みがサッと掻き分けられた。
「大丈夫か?」
知らない男が声をかけてきた。日に焼けたカッコいいおじさんだ。
「おいで。逃してやる」
おじさんは上着を脱ぐと地面に広げた。ブランカは素直にその上に乗った。こんな瀕死の蛇を攫う人はいない。上着で包まれ、運ばれた。少し歩き、外の森に続く柵のところで出してくれた。
「行きな。もう迷い込むなよ」
(ありがとう)
ブランカは頭を下げた。柵を通り抜け森に入って行った。もう二度と来ないと誓った。
額に何かひんやりする物が乗せられている。レオナルドはそれを掴んだ。
「殿下!」
横を見ると副官がいた。朝日が差し込む部屋には、他に誰もいない。
「…どれくらい経った?」
掠れた酷い声で訊く。レフの助けを借りて上半身を起こした。
「お倒れになったのは一昨日の昼です」
「母上は?」
「今はお休みに」
手の中の細長いものが動いた。
「!」
驚いて離した。それはするりと床に下りた。白い蛇だ。女の手首程に太い。長さもレオナルドの背丈よりあるだろう。蛇は開いていた窓から出ていってしまった。
「実はですね…」
レフは顛末を語った。
◇
ブランカは逃げた。恥ずかしさと自己嫌悪でグチャグチャだ。口からチロチロと出入りする舌。手も足も無い。こんな忌まわしい姿は見せられない。でも王子の側にいたい。
(庭の隅っこで暮らしちゃダメかな)
少女は屋敷の裏にある大木のうろに住み始めた。少し首を伸ばせば玄関ホールの窓が見える。こっそり、大好きな彼が見える場所だった。
◆
レオナルドの熱は夕方には引いた。診察した宮廷医は驚いていた。
「蛇毒で解毒など、聞いた事もありません。奇跡です」
しかし実際に生き延びた。後遺症がないか丹念に診てもらった。眼帯を外した時、医者が異変に気づいた。
「殿下!右目が!」
「見える…」
レオナルドの右目は光を取り戻した。母が両手で顔を覆って泣き出した。ずっと気に病んでいたのだろう。悪いのは母ではなかったのに。
「ありがとう!ありがとう!雀…いえ、蛇ちゃん。あら?彼女はどこ?」
出て行ったきり戻って来ない。使用人に探させたが周囲にはいなかった。
「すぐに帰ってきますよ。あいつは俺の運命ですから」
「…そうなの?」
「聖女がそう言っていました」
彼は楽観していた。しかしいつまで経っても、ブランカは現れなかった。
◇
木のうろに住み着いて1週間ぐらいして、王子が出勤する姿が見られた。眼帯をしていない。お洒落だったのかしら。すっきりした顔も良い。
屋敷には使者が多く出入りするようになった。お母上が玄関で見送ったりしている。ブランカはなるべく外に出ないようにしていたが、空腹になると厨房に忍び込んだ。悪いと思いつつも卵を1つ頂戴する。
(ネズミとかカエルとか、絶対無理)
生卵の丸呑みが限界だ。その日も気配を消して食糧庫の軒下を這っていた。
「今日はアドラー侯爵家のお使者だってさ」
使用人の女性達が芋を剥きながらおしゃべりをしている。
「ようやく若様にお妃様が来るんかね」
ブランカは硬直した。
「アドラー侯爵令嬢って凄い美人なんでしょ?きっとお似合いだよ」
「若様も今や宮廷きっての美男子やしね。美男子って言えばさぁ…」
別の話になった。打ちのめされた蛇はヨロヨロと巣穴に戻った。王子に結婚の話が。今まで無かったのがおかしかったのだ。美しく、武勇に優れたレオナルド殿下。横に立つ女性も美しいに違いない。
知りたくなかった。自分はどうしたら良いのだろう。祝福できる自信がない。きっと嫉妬で狂ってしまう。花嫁を噛んでしまうかもしれない。ブランカは心まで醜くなりたくなかった。
(出ていこう。人殺しになる前に)
その前に一目、レオナルド王子を見たい。彼女は愛しい匂いを追って王城の奥に向かった。
◆
両目が揃っただけでレオナルドの待遇は一転した。今まで無かった縁談が山ほどやってきた。
否応なしに継承権争いに引き摺り込まれた。母のためにも強力な後ろ楯が欲しい。結婚するなら高位貴族の娘だ。今日は城の庭園でアドラー侯爵令嬢と茶を飲んでいた。
「まあ。ではその白い蝶が神の御遣いでしたの?」
金髪と緑の目の、アイリーンという令嬢だ。軍の話題にも楽しげに相槌を打ってくれる。善良そうで悪くない娘だ。レオナルドはたった15分話しただけで、婚約しても良いと思った。
(どうせ契約結婚だ。素直で従順であればいい)
「砦を落とせたのはそいつのお陰なんだ」
「不思議ですわね。私も会ってみたいわ」
今は白い蛇になっているけどな。王子はブランカを思った。あれ以来、姿を見せない。蜘蛛の時と一緒だ。
「キャーッ!」
近くのテーブルで悲鳴が上がった。貴族の男女が逃げてくる。レオナルドは立ち上がった。
「蛇だ!毒蛇だぞ!追い払え!」
男が生垣の下を指差し、従者達に命じた。彼らは剣の鞘で探った。すると白い蛇が飛び出して来た。
(ブランカ!?)
「キャっ!怖い!」
侯爵令嬢がレオナルドの腕に縋りついた。動けぬ間に従者達が蛇を打ち据えた。ブランカは這って逃げた。
「止めろ!逃してやれ!」
王子は叫んだ。だが警備の兵も呼ばれ、追い始めてしまった。
◇
少しでも近くで見ようと、首を伸ばし過ぎた。ブランカは見つかってしまった。強かに打たれ、石を投げられた。一瞬だけ、王子に寄り添う美しい令嬢が見えた。黄金の髪にエメラルドの瞳。女神のようだった。
ああ。お似合いだ。石をぶつけられた所が痛い。心も張り裂けそう。ブランカは茂みに隠れた。痛みで動けない。暫くすると、茂みがサッと掻き分けられた。
「大丈夫か?」
知らない男が声をかけてきた。日に焼けたカッコいいおじさんだ。
「おいで。逃してやる」
おじさんは上着を脱ぐと地面に広げた。ブランカは素直にその上に乗った。こんな瀕死の蛇を攫う人はいない。上着で包まれ、運ばれた。少し歩き、外の森に続く柵のところで出してくれた。
「行きな。もう迷い込むなよ」
(ありがとう)
ブランカは頭を下げた。柵を通り抜け森に入って行った。もう二度と来ないと誓った。
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