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第1話

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「マリーアネット。トレッティ家から連絡がきた。やはり婚約は白紙だ」

 お父様は苦々しい表情で言った。

「申し訳ございません」

 わたしもそうなると思っていたから、驚きはない。
 ただただ身を縮こませるようにして謝罪を呟く。

 婚約者のラウール様は、わたしにも優しい良い方だった。
 恋愛での婚約ではなく家同士の繋がりのための政略結婚だったのに、とても誠実な人だった。
 この婚約が壊れてしまったのは、心から悲しいし、残念だ。
 ラウール様となら、幸せになれるような気がしていたのに。

 だけど、仕方がない。
 わたしは傷物令嬢になってしまったのだから。
 なるべくして婚約破棄となった。
 ラウール様とのご縁は諦めるしかないのだ。

 トレッティとバシュレーの家格は伯爵家と子爵家で、家自体は釣り合っていないと言うほどではないけれど、わたしは愛人の子で庶子だ。
 後継ぎには正妻腹の兄がいるので、わたしは本当に政略結婚のためだけに引き取られた。
 母はわたしをお父様に渡し、手切れ金を受け取って姿を消した。
 それからどこで何をしているのか、母の消息は知らない。

 ラウール様との婚約は、格下の子爵家の庶子の娘と伯爵家の嫡男の縁談だと思えば、お父様はだいぶ頑張ったと思う。
 見目もそこそこ良くて性格も良くて家柄もそこそこなら、年頃の令嬢には結婚相手として狙い目の男性だ。

 だからだろう。
 多分誰かが、いや皆が、わたしを邪魔に思った。
 そしてあの令嬢は、その気持ちを実行に移した……のだと思う。

「何度も言ったが馬鹿をしたものだ。おまえは昔からぼんやりしたところがあったが、警戒心が足りな過ぎたな」

 先日わたしの身に降りかかった事件以来、お父様は激昂してわたしを罵ったりはしなかったが、呆れ諦めたようなこの小言は繰り返した。

 わたしは返す言葉もなく、俯くしかなかった。
 どう思い返しても、警戒心が欠けていたのは事実なようにわたし自身も思うからだ。

 半分庶民育ちなら、もう少し抜け目なくとも良さそうだが、とお父様は言う。
 わたしもそう思う。
 だからぼんやりしたところは生来のものなんだろう。
 だけど、このぼんやりしたと言われるところが、半分庶民のわたしをお嬢様に見せかけていた。

 数日前に婚約者であったトレッティ家のラウール様のエスコートで参加した夜会で、知人の令嬢が「あれはどうなさったのかしら」などと言ってわたしを庭に連れ出した。
 庭で具合悪そうにうずくまる男性に親切心を出して近付いたのが悪かった。
 具合が悪そうだったのは演技で、植え込みに引きずり込まれそうになって、知人の令嬢は悲鳴を上げて助けを呼びに行った。
 助けは来て、わたしを襲った男は逃げていったけれど、助けを呼びに行った令嬢が無駄に大騒ぎをしたせいでわたしには暴漢に穢された令嬢の評判が残ってしまったのである。

 如何にラウール様がいい人でも、貴族の跡取りとなると婚約者の純潔は重要である。
 予想通りに、婚約は白紙となった。

 その知人の令嬢が主犯なのか共犯なのかは明確にはならなかったが、嵌められたのだろうと、お父様は言った。
 主犯がいたとしても、誰なのかはわかっていない。

 しかし知人の令嬢も暴漢の男もわたしの婚約を壊してすっきりするという以外には直接利になることはないので、やっぱり実行者である彼らは主犯に手足として良いように使われたのだろう。
 逆らえなかったのか、何か別の報酬があったのか。
 わたしの醜聞は醜聞として、暴漢の男だって捕まる危険を冒していたし、嵌めた令嬢だってただでは済まない。

 そういうことをすれば、そういうことをした令嬢だと影の評判は残るのだから、保身に長けた令嬢方からは距離を取られてしまう。
 それはゆくゆく、社交の足をかなり引っ張ることになるだろう。
 社交にマイナス点のついた令嬢は、いい条件の婚姻相手からも縁がなくなるので、自分の身にも返ってくるのだ。

 それでもと思うほど嫌われていた……という可能性もあるが、それならばずいぶん捨て身だ。
 お父様自身には家に有利な縁談を抜きにしても、嫌がらせや邪魔をしてくる相手に心当たりがありすぎるようで、結局主犯が判明することはなさそうだった。

「おまえに真っ当な縁談をもう一度あてがうことはできない。傷物になった娘は修道院に行かせるか、どこかのやもめの後妻にするか、どこかの妾にするか、羽振りのいい商人に投資の担保にくれてやるか……そんなところだ」
「はい」

 説明されなくても、そこはわかっている。
 わかっているということは、つまり前例がたくさんあるのだ。

 自分の身には降りかからないと思っていた己が甘かった、それは間違いない。

 だけど半分庶民のおかげで諦めはついた。
 お父様に引き取られる前の友達は、うちの母を見習って貴族の愛人を目指していたくらいだ。
 友達がちょっと変わってる娘だったのは否定しないが、それでも庶民の美しい娘なら貴族の愛人に納まって贅沢をし、また手切れ金をもらってから働き者の男と再婚する未来もありなのだ。
 きっと産みの母もそうやって、今頃それなりに幸せになっているんじゃないかと思う。

 生粋の令嬢じゃあ、そんな風に割り切れなくて辛いだろう。

「どうせ傷物の評判がついたのなら、その評判に興味本位で釣られるようなちょろい男を体を張って誑し込んでこさせる方法もあるが、おまえには無理だろう。逆に弄ばれて捨てられるのがオチだ」

 お父様の認識が正しくて冷静で、恐れ入ります。

「修道院は最後の選択肢だ。おまえを修道院に入れても何もいいことはないからな」

 そうですね。
 わたしが慎ましやかに神に仕えても、お父様の商売や政治の影響力の足しにはなりませんよね。

「そうすると、やもめの後妻か、色好みの妾か、商人の妻だが、どれがいい?」

 それを本人に聞きますか!
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