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1.出会い
7.カンタレラ
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「……いくらだ」
話を終え、ノルはおもむろに席を立った。赤毛の猫も、ノルに続いて立ち上がる。
「治療費も含めて一シルと二百。シャワーと服、あとそのココアはまけておいてやるよ」
「あんたがそう言うなんてな。どうりで雨の匂いがする訳だ」
「雨ね……患者が増えるのはいいが、その内のどれだけが金を払ってくれるのかね」
「さあな。俺の知ったことじゃない」
ノルはポケットから金貨を一枚と銀貨を二枚取り出すと、押しつけるようにしてファロへ渡した。ファロは指先で硬貨の感触を確かめてからゆっくりと微笑んだ。
「まいどあり。金払いの良い客は嫌いじゃない……またいつでも来な」
「生憎、自分から怪我を負いに行く趣味はない」
「そうかい。坊やはそう思っていても、厄介ごともそう考えているとは限らないよ――さっきみたいにね」
「……」
くつくつと喉を鳴らすファロに返事をせず、ノルは老医師へと背を向けた。同時に尻尾に温かな感触。赤毛の猫が尻尾に掴まっているのを確認してから、ノルは振り返ることなくゆっくりと歩き出した。
ノルも赤毛の猫も、互いに無言のまま、辿り着いたのはファロの診療所よりも上層にある繁華街だった。スラムといえど、娯楽は必要だ。中層よりも上は基本的に娼館や酒場などが連なっており、娯楽に特化したつくりとなっている。利用できるのは金を持ったごく一部に限られるがその分、このムルクホルムに集まる全てのものがこの繁華街にあるといっても過言ではなかった。下層にある市場には並ばない新鮮な果物や煙草といった嗜好品、果ては違法薬物まで枚挙にいとまがない。
絶え間なく流れる人混みの隙間を掻い潜り、辿り着いたのは一件の娼館だった。ムルクホルムで最も大きく、最も豪奢なその店の名は『カンタレラ』――古い言葉で『甘い毒』の名を冠する通り、そこには男女どころか種族を問わず、相手を手玉に取る百戦錬磨の娼婦たちが集う場所だ。ノルはその入口に佇み、楼主が来るのを待っていた。尻尾の付け根を握り込まれる感覚が強くなる。後ろに立っている赤毛の猫が緊張している気配が伝わってきた。
「ああ、番犬……いや、番猫の坊やじゃないか。随分遅いから、死んだかと思ったよ」
店の奥から出てきたのは、楼主の女だった。かつてはこの店で娼婦として働いていたせいか、真っ赤な紅を引いた口元を初めとした派手な化粧と肩と胸元が大きく広がった露出の高いドレスが目立つ。両手には黒い革手袋を嵌め、煙管を吹かしている。
「……悪かった。少し、治療を受けていた」
「坊やが? ヘマをするなんて珍しいね」
「ああ。少し油断した」
ノルの言葉に、女はふう、と煙管の煙を吐いてからじろじろと頭の天辺からつま先までノルを見つめた。途中、ノルの体のあちこちに巻かれた包帯を捉えた女の視線が、僅かに細められた。
「ふうん……まあいいさ。あのろくでなしはどうした?」
「殺した。まずかったか?」
「いいや。願ったり叶ったりだね。あのぼんくら、うちの看板を傷物にしやがって……おや、」
そこで初めて、女の視線がノルの後ろへと向いた。女の黒曜石のような瞳が、ノルの後ろで縮こまっている赤毛の猫を射貫くようにして見つめている。
「坊やが連れ……しかも猫なんて珍しい。うちの子たちがいつもどれだけ誘っても靡かなかったのに。やっぱり坊やの好みは人間の女より同族の方だったかい?」
「勘違いするな。拾っただけだ……それより、」
「分かってるよ。焦るなんとかは貰いが少ない、って言うだろう? ほら」
女はおもむろに大きく開いた胸元へ手を突っ込むと、二枚の金貨をノルへと手渡した。ノルはそれらをじっくりと検分した後、硬貨同士をぶつけ音を確かめていたが、やがて無造作にポケットへと突っ込んだ。
「失礼だね。誤魔化したりなんかしていないよ」
「そのようだ」
「もちろんさ。さて、さて。あたしはまだそっちの仔に興味があるね。どうだい。食事がまだなら何か用意させるから、雇い主のおしゃべりに付き合ってくれるかい?」
「……仕方ないな」
話を終え、ノルはおもむろに席を立った。赤毛の猫も、ノルに続いて立ち上がる。
「治療費も含めて一シルと二百。シャワーと服、あとそのココアはまけておいてやるよ」
「あんたがそう言うなんてな。どうりで雨の匂いがする訳だ」
「雨ね……患者が増えるのはいいが、その内のどれだけが金を払ってくれるのかね」
「さあな。俺の知ったことじゃない」
ノルはポケットから金貨を一枚と銀貨を二枚取り出すと、押しつけるようにしてファロへ渡した。ファロは指先で硬貨の感触を確かめてからゆっくりと微笑んだ。
「まいどあり。金払いの良い客は嫌いじゃない……またいつでも来な」
「生憎、自分から怪我を負いに行く趣味はない」
「そうかい。坊やはそう思っていても、厄介ごともそう考えているとは限らないよ――さっきみたいにね」
「……」
くつくつと喉を鳴らすファロに返事をせず、ノルは老医師へと背を向けた。同時に尻尾に温かな感触。赤毛の猫が尻尾に掴まっているのを確認してから、ノルは振り返ることなくゆっくりと歩き出した。
ノルも赤毛の猫も、互いに無言のまま、辿り着いたのはファロの診療所よりも上層にある繁華街だった。スラムといえど、娯楽は必要だ。中層よりも上は基本的に娼館や酒場などが連なっており、娯楽に特化したつくりとなっている。利用できるのは金を持ったごく一部に限られるがその分、このムルクホルムに集まる全てのものがこの繁華街にあるといっても過言ではなかった。下層にある市場には並ばない新鮮な果物や煙草といった嗜好品、果ては違法薬物まで枚挙にいとまがない。
絶え間なく流れる人混みの隙間を掻い潜り、辿り着いたのは一件の娼館だった。ムルクホルムで最も大きく、最も豪奢なその店の名は『カンタレラ』――古い言葉で『甘い毒』の名を冠する通り、そこには男女どころか種族を問わず、相手を手玉に取る百戦錬磨の娼婦たちが集う場所だ。ノルはその入口に佇み、楼主が来るのを待っていた。尻尾の付け根を握り込まれる感覚が強くなる。後ろに立っている赤毛の猫が緊張している気配が伝わってきた。
「ああ、番犬……いや、番猫の坊やじゃないか。随分遅いから、死んだかと思ったよ」
店の奥から出てきたのは、楼主の女だった。かつてはこの店で娼婦として働いていたせいか、真っ赤な紅を引いた口元を初めとした派手な化粧と肩と胸元が大きく広がった露出の高いドレスが目立つ。両手には黒い革手袋を嵌め、煙管を吹かしている。
「……悪かった。少し、治療を受けていた」
「坊やが? ヘマをするなんて珍しいね」
「ああ。少し油断した」
ノルの言葉に、女はふう、と煙管の煙を吐いてからじろじろと頭の天辺からつま先までノルを見つめた。途中、ノルの体のあちこちに巻かれた包帯を捉えた女の視線が、僅かに細められた。
「ふうん……まあいいさ。あのろくでなしはどうした?」
「殺した。まずかったか?」
「いいや。願ったり叶ったりだね。あのぼんくら、うちの看板を傷物にしやがって……おや、」
そこで初めて、女の視線がノルの後ろへと向いた。女の黒曜石のような瞳が、ノルの後ろで縮こまっている赤毛の猫を射貫くようにして見つめている。
「坊やが連れ……しかも猫なんて珍しい。うちの子たちがいつもどれだけ誘っても靡かなかったのに。やっぱり坊やの好みは人間の女より同族の方だったかい?」
「勘違いするな。拾っただけだ……それより、」
「分かってるよ。焦るなんとかは貰いが少ない、って言うだろう? ほら」
女はおもむろに大きく開いた胸元へ手を突っ込むと、二枚の金貨をノルへと手渡した。ノルはそれらをじっくりと検分した後、硬貨同士をぶつけ音を確かめていたが、やがて無造作にポケットへと突っ込んだ。
「失礼だね。誤魔化したりなんかしていないよ」
「そのようだ」
「もちろんさ。さて、さて。あたしはまだそっちの仔に興味があるね。どうだい。食事がまだなら何か用意させるから、雇い主のおしゃべりに付き合ってくれるかい?」
「……仕方ないな」
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