箱庭の空をあげる

ゆるふわ畜生

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1.出会い

8.なまえ

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 ノルが頷くと、女主人は満足したように笑うと、ぱちん、と指を鳴らした。するとすぐに店の奥へと続く扉が開かれ、店の女たちがわっと群がってきた。

「ノル、おかえり!」

「あいつのこと、やっつけてくれたのね! ありがとう‼」

「シャーリィにはもう会った? あの子、あいつに腕を折られてから、まだ部屋に閉じこもってるの」

「今日はひとりじゃないのね。その子は?」

「あんたたち、あんまりはしゃぐんじゃないよ! そんな暇があるならさっさと仕事をしな‼」

 きゃあきゃあと黄色い声でノルを取り囲む女たちを楼主が一喝すると、娼婦たちは悪びれもなくまばらに散っていく。

「はあい」

「またね、ノル」

「いつでもいいから、シャーリィに顔見せてあげてね」

「ノル、今度こそ遊んでね」

 口々に別れの言葉を口にしながら娼婦たちは皆、一様に階段を上っていく。カンタレラは一階は食事処のようになっており、娼婦たちは二階より上で客を取るからだ。階上へ登っていく娼婦たちを見送り終え、楼主について店の奥へ進もうとするノルだったが、くい、と服の裾を引かれて振り向いた。当然、そうしたのはひとりしかいない。今もノルの尻尾を掴み、もう片方の手でノルの服の裾を掴んでいるのは、赤毛の猫だ。

「何だ」

「のる?」

 そこで初めて、ノルはああ、と納得した。

「俺の名前だ」

「坊や。あんた名前も名乗ってなかったのかい」

 女主人が呆れたように肩をすくめた。

「必要ない」

「あんたに必要なくたってこの仔にはあるだろうさ……もしかして、この仔の名前も聞いてないんじゃないだろうね?」

「……」

「呆れた! それでよく『拾った』なんて言ったもんだ‼」

 ノルの沈黙は肯定だった。名前など、必要もないし興味もなかった。しかし、ここまで大げさな反応をされるとは思ってもみなかった。どこか居心地の悪い思いを感じながら、ノルは赤毛の猫を見返した。赤毛の猫は不思議そうにノルを見つめている。

「……お前の名前は」

「? なまえ?」

「そうだ」

「名前って、何?」

 首を傾げながらそう言う赤毛の猫に、ふざけた様子やからかっている様子は見られない。

「……」

「こりゃあ……随分と訳ありみたいだね。いいさ、積もる話は奥でしよう」

 思わず言葉を失ったノルの代わりに、女主人が言った。その声にはっと我へと返り、ノルは女主人のあとを追うようにして階段へと歩みを進めた。

 一番奥の部屋に通されたノルと赤毛の猫は、円卓の入口側の席に腰掛けた。入口から最も奥に女主人が座り、やがてボーイがリストを持ってきた。

「何か好き嫌いはあるかい?」

 リストを眺めながら、女主人が口を開く。楼主の言葉はノルではなく、ノルの隣で興味深そうに周囲を見渡している赤毛の猫へと向けられていた。

「本来ならこんなところスラムで好き嫌いなんてできないがね。ここなら多少の融通は利かせてあげられるよ。ほら、メニューだ」

 リストを受け取った赤毛の猫は、細かい字がずらりと並んだメニューを眺めていたが、ややあって口を開いた。

「大丈夫。食べてはいけないもの、ない」

「そうかい。それはよかった」

 赤毛の猫の答えに、女主人は満足そうに笑った。それからボーイへ二、三指示を出すと、赤毛の猫から受け取ったリストを渡す。ボーイは一礼すると、そそくさと厨房の方へ去って行った。部屋の中は、ノルと赤毛の猫、それから女主人だけとなった。

「さて、まずはその仔の名前をどうにかしないとね」

「なまえ?」

「そうさ。名前ってのは、そいつだけのもの。そっちの坊やはノル、あたしはローシャ。他人と自分を区別する特別なものさ。あんたにはそいつが必要だ」

「……俺も『ノル』がいい」

「そいつは良くない。言っただろ? 名前は自分だけのもので、他人と自分を区別するためのものだって……でも、いや、そうだね。坊や、あんたが名付けてやりな」

「俺が?」

「あんたが拾ったんだ。そうするのが道理だろう。それに、その仔はその気みたいだよ?」

 女主人――ローシャに言われて、ノルがふと隣に座る赤毛の猫を見ると、赤毛の猫は深い緑色の瞳をきらきらときらめかせてノルの方を見つめている。まるで、今からノルがとびっきりの宝物でもくれるのではないかと期待しているような目だった。
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