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3.箱庭
33*.俺のものだ①
しおりを挟む実験場には、まだ収まらぬ荒い息が響き渡っていた。エットはというと、部屋の中央へ力なく倒れていた。その下腹部は熱を帯び、内腿にはまだ生々しく黒い獣が吐き出した痕跡が残されている。むき出しの腹の皮膚はかすかに痙攣し、まるで受精した卵が自身の誕生を示唆しているかのようであった。
『……以上で検体四号との交配実験を終了します』
黒い獣はというと、未だエットに対して名残惜しそうな様子を見せていたが、首輪越しに麻酔薬を投与されると、そのまま眠りについたようだった。防護スーツに手袋、長靴を履いた職員たちが檻へと押し込め、どこかへ引きずっていく。
やがて、場の空気を裂くようにして、ノルの檻を解錠する電子音が鳴った。ぴくりとノルの耳が反応し、ゆっくりと顔を上げた。エットは、息も絶え絶えにノルの様子を見つめ、その様に思わず目を見開いていた。
ノルの様子は、番のエットでさえ見たことのない惨状だった。何度も檻へ体当たりしたせいか全身傷だらけで、爪は割れて血が滲んでいる。全身の毛は逆立ち、瞳孔は収縮して、牙がのぞく唇はひくついていた。
「……エット」
血にまみれた震える指が、鋼の格子を押し開けた。自由になった足が、音もなく床を踏みしめる。ノルは一言も発さないまま、ふらふらとエットのもとへ歩み寄った。
「どうして、こんな──」
その声には、何の感情も含まれていなかった。少なくとも、そう聞こえた。怒りも悲しみも、悔しさも何もかも、全てを削ぎ落としたかのような声だと。
「エット」
くたりと力を失ったままの番の名を呼ぶ声は、ひどく平坦だった。エットの身体からは、他の雄の臭いがした。熱く、濃く、圧倒的に暴力的なそれは、番であるはずのノルとの思い出を、上書きするようにこびりついていた。
「エット」
ノルは再び、エットの名を呼んだ。喉奥が焼けるようだった。思考がまとまらず、呼吸が浅くなる。
『ご心配なく。安静にしていれば、回復するでしょう――いや、まったく素晴らしい。検体四号は理性の利かないところがありますが、ここまで手荒に扱っても壊れないとは』
「――ッ⁉ 貴様らっ‼」
ノルが怒りを露わにしても、研究員の口調から余裕が剥がれることはなかった。それどころか、あの、クスリとした笑い声と共に言い放たれた言葉は場の空気を一変させた。
『落ち着いてください、対象Y。私たちは心から対象Xを賞賛し、この実験結果に満足しているのです——これで『次の段階』に進むことができる』
研究員の言葉に、ノルの耳がぴくりと震えた。そんなノルへ見せつけるように、天井のモニターが胎内のホログラム映像を再び映し出す。そこでは、受精の瞬間を捉えた記録映像が繰り返し再生されていた。ノルの脳裏に、さきほどまでエットの身体を蹂躙していた黒い影が蘇る。
『検体四号との交配実験は成功しました。次は――検体三号との交配実験です』
「な、に――、」
『あなたたち猫獣人は猫と同じ重複妊娠が可能と聞きます。その真偽を、是非確かめたい――肉体的にも精神的にも頑強な対象Xならば、十分可能でしょう――ですが、』
それは、悪魔の囁きだった。
『さて、どうしますか対象Y。通常であれば、交配相性の高い検体三号との交配になりますが……我々は番同士の交配にも興味があります』
ごくり、と生唾を飲んだのは誰だったのだろうか。
『番とそうでない雄との交配がどのような差異を生むのか、それともなにもないのか――ここにきて番というものが生殖の最終選択に関与するなら、それは非常に面白い研究対象になる。私たちとも止めはしません。もとより、対象Xとの『約束』でもありますしね』
研究員の冷笑がスピーカー越しに響く。その言葉は、エットにも届いていた。だめだ、これは罠だ。何をしても崩せなかったノルの理性を、今ここで破壊しようとしている。エットは力の入らない体を必死に捩って、ノルの方へ目を向けた。瞳孔が狭まり、牙が唇を突き破るほどに食いしばられていた。
「……だめ……だ、ノル……!」
呻くようなエットの呼びかけにノルは反応しなかった。ただ、ノルの腹の中では煮えたぎる鉄のような何かがわだかまっていた。研究者の嘲笑うような言葉――それが聞こえたとき、何かが切れた音がした気がした。檻の鍵が開く音に似たそれは、今度こそノルの鋼の如き理性を粉々に打ち砕いた。
エットを見る。何よりも大切な、唯一と言って良い番の姿。エットは、床に倒れていた。あのおぞましい獣に犯されて、あろうことか孕まされて。引き裂かれた衣服。ぐちゃぐちゃに乱れた髪と、力なく垂れている尾。何度もノルが梳いてやったことのある赤毛が、今は床に散らばっている。
守りたいと思っていた。大切にしたいと思っていた。そのためなら、なんだって差し出したし、どんなことだって耐えられた。
ノルが立ち上がる。一歩、一歩とエットに向かって歩き出す。踏み出す一歩ごとに、足の裏で感情が潰れていくような感覚がした。優しさ、気遣い、思いやり――そういった、エットに全て捧げたかったもの。宝物のようなそれを素足で踏み潰して、代わりに残ったのは醜い独占欲と征服欲。
――俺のものだ。
それは、慟哭のような衝動だった。
それは、祈りにも似た切望だった。
それは、狂気に等しい渇望だった。
エットの番は、俺だけだ。エットは、俺のものだ。俺だけのものだ。
エットの側に膝をつく。エットの、涙に濡れた鮮やかな緑色の瞳がノルを見つめた。懇願するような、怯えるようなそれに、声をかけてやりたかったが、叫び枯れた喉は何の言葉も発しなかった。或いは、自分自身で言葉を呑み込んだのか。ノルにはもう、判断できなかった。代わりに、手を伸ばす。
「……み」
爪が割れて血の滲んだ指先をエットの小さな舌がなぞった。ぴりりとした痛みなど、胸を焦がす嫉妬の炎に比べれば些細なものだった。或いは、この痛みが狂おしいほどに身を焦がす激情を消してくれるのではないかと期待したが、そんなことは起こらなかった。寧ろ、自らの身を顧みることなくノルばかりを気遣うエットを、頭のてっぺんから足のつま先まで、全て自分のものにしたいという欲求が増すばかりだ。
もはや、ノルがエットに向けられるのは優しさではなく醜く歪んだ支配欲だけだった。エットを自分のものにしたい。頭から呑み込んで、そのまま閉じ込めてしまいたい。そんな呪いのような情念がノルの胸には渦巻いていた。たとえ、その胎に他の雄の精を受けた命が宿っていても。いや、だからこそ。エットのやわらかなゆりかごを、自分の精で染め上げてやりたかった。
「……」
「にゃ、ぁ、う、……っ」
手始めにべろり、とエットの頬を舐め上げる。今までにしたような毛繕いのようなちろちろと舐め取るような仕草ではない。もっと直接的な、情欲を煽るようなそれに、驚きからか、あるいは本能的な恐れからか、エットの目が見開かれる。
「にゃ、あっ、や、め……っ」
制止を無視して、顎の下に指を添え、やや強引に顔を上げさせる。なだめるような制止の声は無視して、ノルはその唇に噛み付いた。
「んっ、んーーっ⁉」
驚いて逃げようとした頭を押さえつけ、無理やり舌を捻じ込む。逃げる舌を掴まえ、絡め取って吸ってやれば、息が上手くできないのか、ピクピクと耳と尾を震わせた後、くったりとその体から力が抜けていった。それを良いことに、ノルはなおも口内を犯した。上顎の裏を舐め上げ、歯列の裏側をなぞり、頬の内側を擦る。時折漏れる苦しそうな声が、ますますノルの劣情を煽った。
「んぁ、……ぅ」
キスだけで感じ入ってしまったのだろうか、耳をぺたりと下げてすっかり脱力してしまった様子に満足すると、ノルはゆっくりと口を離した。つう、と唾液の糸がかかり、やがて重力に従ってふつりと切れる。ノルの眼前には、肩で息をするエットがいた。力なく垂れた耳と尾、潤んだ瞳、紅潮した頰、そして唇の端からは飲み込めなかった唾液が一筋伝っている。
「はっ、はぁっ、の、る、だめ……だっ」
酸欠のせいか、はたまた先ほどの乱暴な口付けのせいか、呼吸を乱しながらもそれでも自分を拒絶するエットに、ノルの胸はひどくざわついていた。もう一度口づけたい衝動を抑えつつ、ノルは力の抜けたエットの脚を掴み、肩に担いだ。
「にゃ、あ、なに……?」
突然の浮遊感に驚いたのか、エットが戸惑った声を上げる。だがそれも束の間のことで、すぐさま先ほど散々弄ばれたばかりの秘所が顕になる。羞恥のためか、慌てて閉じようとする両脚を開かせ、ノルはそこに顔を近づけた。すん、と鼻を鳴らせば、そこは知らない雄の匂いがした。あの、黒い獣の匂いがした。途端、どす黒い嫉妬の炎が腹の底で燃え盛り、一気に視界が真っ赤になったような気がした。
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