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番外編 ハッピーエンドの生き証人(前編)
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私は自宅で、娘イベリス(生後二ヶ月)とベッドとの間に両手を挟まれて動けないでいた。
何を言っているのかわからない。わからないが、事実だから仕方がない。
ほんの五分ほど前まで、私はイベリスに添い寝しながら絵本(自作)の読み聞かせをしていた。年齢的にまだ早いとも思ったが、胎教であるくらいだしと実行。途中まではキャッキャと嬉しそうに聞いていたのだ、しかし突然イベリスは寝落ちした。そして彼女が寝返りを打った拍子に私の手が挟まれての、この惨劇である。
内容がわからないから心地良いリズムが眠気を誘ったのか、それとも話がつまらなかったのか……。後者でないことを切に願う。
「あっ、レフィー! 助けてっ」
夫が帰宅したのが見えて、私は即座に助けを求めた。
私がマイルールのつもりで設定した『定時』には、お互い仕事を切り上げる。職場がすぐ横の私の方が先に家に着くことになるが、彼もそう遅れることなく毎日きっちり帰ってくる。
「手が……抜け出せなくてっ」
すやすや眠る娘の下の埋もれた両手とレフィーを交互に見ながら、私は彼に現状を訴えた。
声を潜めている私を見て、小さく「ああ」と口にした彼が直ぐさま私たちに寄ってくる。彼の手で、イベリスの身体の角度が少し変えられた。
「あ、抜けた……ありがとう、レフィー」
ようやく自由になった手を、私はグーパーと開いたり閉じたりしてみた。……うん、異常はない。さすがふかふかのベッドである。緩衝効果は抜群だ。
「イベリスはもう、ミアより体重がありますね」
「本気で!?」
生後二ヶ月で!?
「ミアより、二十四キロ六十六グラム重いです」
「詳細!」
「見た目は人間ですが、体質は竜寄りと思われます。竜は繁殖相手が見つかりにくいため、その分、遺伝しやすいのかもしれません」
「えっ、じゃあもしかして、もっとすくすく育ってしまう……?」
「すくすく育つでしょうね。まあ、五つか六つくらいになれば、体重操作を覚えると思います。そうすれば同年代の人間と同じくらいの体重になるかと」
「それはそれで一、二年くらいしか抱っこできる自信がない……!」
私より重いなんて。通りで母乳をやるにしても、ルルにイベリスを抱き上げてもらわないといけないわけだ。子供の世話にとルルを紹介してくれた陛下には心から感謝である。
ただ、実年齢は知らないがルルは私より年下の少女の見た目をしていて。そんな彼女に育児のほとんどを肩代わりしてもらうというのは、精神的にゴリゴリすり減る。肉体的疲労とのトレードオフである。辛い。
イベリスへの読み聞かせを思い立ったのも、せめて何か母親らしいことをと考えてのことだった。結果、寝落ちした娘に伸し掛かられ、夫に救出されるという渋い展開になってしまったわけだが。
「ミア。育児中の怪我には、充分気を付けて下さい。ミアはか弱いので」
「怪我に気を付けるのは、子供じゃなくて私なの!?」
確かに手を挟まれたのが、ふかふかベッドでなかったなら、手を痛めていたかもしれない。それでもイベリスは体重が重いだけで、赤ん坊なのだ。普段は勿論気を付けるが、例えばもし彼女がベッドから落ちそうになったなら、身を挺してでも守る所存だ。
「ミアには黙っていましたが、先日ルルの抱っこからイベリスが抜け出して床に落ちてしまったことがありました」
「えええっ、怪我はなかったの!?」
思った側からそれ!?
「イベリスは無傷でしたが、魔王城の床は破損しました」
「ん?」
「ルルがイベリスに睡眠効果付き子守唄を歌ったところ返り討ちに遭い、逆に眠らされてしまったようで」
「娘が強過ぎる件について」
「床については陛下がすぐに修復したので、もう穴は空いていません大丈夫です」
「その「大丈夫」は、やっぱり私に向けて言っているのよね?」
「そうですね。穴に蹴躓くことも含め、日常生活を送っていて怪我をするのは、魔王城ではミアくらいですので。くれぐれも気を付けて下さい」
「……はい」
「ところでこれ、新作ですよね?」
「あっ、いつの間に」
片肘を付いた私と似たような体勢で、イベリスを挟んだ向こう側にレフィーが寝転がる。その彼の手には、つい先程までイベリスに読み聞かせていた絵本があった。
「新作は新作だけど、漫画じゃなくて絵本よ。それ」
「ふむ……全面に絵があって、文字が少なめの体裁ですか。これもまた新鮮です」
「言われてみれば、絵本て見たことがなかったかも」
オプストフルクトでは物語といえば、教会で壁画を見ながらシスターが語ってくれるくらいだった。絵本のような子供向けの本というものを、見た覚えがない。
レフィーが新鮮というくらいだから、私だけがそうなのではなく、オプストフルクト自体がそういう文化の国なのだろう。
「しかし、ミア。私の今朝の育児記録の時点では、イベリスはまだ文字を読めなかったはずですが?」
「ああ、うん。読み聞かせをしていたの」
「読み聞かせですか? 言葉もまだ理解していなかったと思いますが?」
「内容というよりは、話すリズムというかそういうのが良いって聞いたことがあったものだから」
「なるほど……では、私もミアから聞くことにします」
「え?」
開いていた頁を閉じたレフィーが、私に絵本を差し出してくる。
私から聞くことにというのは、それって私が彼に読み聞かせるということ? 大の大人――それも自分の夫に?
(何、この状況……)
冗談抜きで待ちの体勢になっている、レフィー。その瞳はキラキラとしている。
ああ、そうか。絵本が新鮮なのなら、読み聞かせも未知の世界なのか。わからないこと知らないことが大好きな彼が、見過ごすはずもなかった。
何を言っているのかわからない。わからないが、事実だから仕方がない。
ほんの五分ほど前まで、私はイベリスに添い寝しながら絵本(自作)の読み聞かせをしていた。年齢的にまだ早いとも思ったが、胎教であるくらいだしと実行。途中まではキャッキャと嬉しそうに聞いていたのだ、しかし突然イベリスは寝落ちした。そして彼女が寝返りを打った拍子に私の手が挟まれての、この惨劇である。
内容がわからないから心地良いリズムが眠気を誘ったのか、それとも話がつまらなかったのか……。後者でないことを切に願う。
「あっ、レフィー! 助けてっ」
夫が帰宅したのが見えて、私は即座に助けを求めた。
私がマイルールのつもりで設定した『定時』には、お互い仕事を切り上げる。職場がすぐ横の私の方が先に家に着くことになるが、彼もそう遅れることなく毎日きっちり帰ってくる。
「手が……抜け出せなくてっ」
すやすや眠る娘の下の埋もれた両手とレフィーを交互に見ながら、私は彼に現状を訴えた。
声を潜めている私を見て、小さく「ああ」と口にした彼が直ぐさま私たちに寄ってくる。彼の手で、イベリスの身体の角度が少し変えられた。
「あ、抜けた……ありがとう、レフィー」
ようやく自由になった手を、私はグーパーと開いたり閉じたりしてみた。……うん、異常はない。さすがふかふかのベッドである。緩衝効果は抜群だ。
「イベリスはもう、ミアより体重がありますね」
「本気で!?」
生後二ヶ月で!?
「ミアより、二十四キロ六十六グラム重いです」
「詳細!」
「見た目は人間ですが、体質は竜寄りと思われます。竜は繁殖相手が見つかりにくいため、その分、遺伝しやすいのかもしれません」
「えっ、じゃあもしかして、もっとすくすく育ってしまう……?」
「すくすく育つでしょうね。まあ、五つか六つくらいになれば、体重操作を覚えると思います。そうすれば同年代の人間と同じくらいの体重になるかと」
「それはそれで一、二年くらいしか抱っこできる自信がない……!」
私より重いなんて。通りで母乳をやるにしても、ルルにイベリスを抱き上げてもらわないといけないわけだ。子供の世話にとルルを紹介してくれた陛下には心から感謝である。
ただ、実年齢は知らないがルルは私より年下の少女の見た目をしていて。そんな彼女に育児のほとんどを肩代わりしてもらうというのは、精神的にゴリゴリすり減る。肉体的疲労とのトレードオフである。辛い。
イベリスへの読み聞かせを思い立ったのも、せめて何か母親らしいことをと考えてのことだった。結果、寝落ちした娘に伸し掛かられ、夫に救出されるという渋い展開になってしまったわけだが。
「ミア。育児中の怪我には、充分気を付けて下さい。ミアはか弱いので」
「怪我に気を付けるのは、子供じゃなくて私なの!?」
確かに手を挟まれたのが、ふかふかベッドでなかったなら、手を痛めていたかもしれない。それでもイベリスは体重が重いだけで、赤ん坊なのだ。普段は勿論気を付けるが、例えばもし彼女がベッドから落ちそうになったなら、身を挺してでも守る所存だ。
「ミアには黙っていましたが、先日ルルの抱っこからイベリスが抜け出して床に落ちてしまったことがありました」
「えええっ、怪我はなかったの!?」
思った側からそれ!?
「イベリスは無傷でしたが、魔王城の床は破損しました」
「ん?」
「ルルがイベリスに睡眠効果付き子守唄を歌ったところ返り討ちに遭い、逆に眠らされてしまったようで」
「娘が強過ぎる件について」
「床については陛下がすぐに修復したので、もう穴は空いていません大丈夫です」
「その「大丈夫」は、やっぱり私に向けて言っているのよね?」
「そうですね。穴に蹴躓くことも含め、日常生活を送っていて怪我をするのは、魔王城ではミアくらいですので。くれぐれも気を付けて下さい」
「……はい」
「ところでこれ、新作ですよね?」
「あっ、いつの間に」
片肘を付いた私と似たような体勢で、イベリスを挟んだ向こう側にレフィーが寝転がる。その彼の手には、つい先程までイベリスに読み聞かせていた絵本があった。
「新作は新作だけど、漫画じゃなくて絵本よ。それ」
「ふむ……全面に絵があって、文字が少なめの体裁ですか。これもまた新鮮です」
「言われてみれば、絵本て見たことがなかったかも」
オプストフルクトでは物語といえば、教会で壁画を見ながらシスターが語ってくれるくらいだった。絵本のような子供向けの本というものを、見た覚えがない。
レフィーが新鮮というくらいだから、私だけがそうなのではなく、オプストフルクト自体がそういう文化の国なのだろう。
「しかし、ミア。私の今朝の育児記録の時点では、イベリスはまだ文字を読めなかったはずですが?」
「ああ、うん。読み聞かせをしていたの」
「読み聞かせですか? 言葉もまだ理解していなかったと思いますが?」
「内容というよりは、話すリズムというかそういうのが良いって聞いたことがあったものだから」
「なるほど……では、私もミアから聞くことにします」
「え?」
開いていた頁を閉じたレフィーが、私に絵本を差し出してくる。
私から聞くことにというのは、それって私が彼に読み聞かせるということ? 大の大人――それも自分の夫に?
(何、この状況……)
冗談抜きで待ちの体勢になっている、レフィー。その瞳はキラキラとしている。
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