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第一章 32歳~

09 一周忌③ 33歳 

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 蓮の一周忌のあった夜。
 大志が深雪の家から戻り、簡単な夕食と風呂を済ませたところで電話が鳴った。
「…もしもし?」
 電話の向こうから、煙草を吸って吐く音が聞こえてくる。
「東京には戻ったのか?」
≪ああ。今日はお疲れ。≫
「そちらこそお疲れ。」
 友人の拓海は蓮の一周忌に出た後、すぐに東京に戻ったらしい。
≪一年って早いな。蓮が本当にいないなんて信じられない。≫
「お前はそうかもな。俺はいやってほど蓮の不在を味わわされてるよ。一緒に働いていた職場にいない。紗栄子の夫で子供たちの父親としての役割を果たしていない。あいつの不在を埋めるために、川原のお母さんと青山のお母さんがかわるがわるA市の青山家のマンションに来てる。」
≪なるほど。ずいぶん詳しいな。≫
 ククッと拓海の笑い声がした。
「これはなんの電話だ?」
≪ん?ああ…。お前、紗栄子を抱いてるか?≫
 唐突にもほどがある質問だ。
「そんなことするわけない。」
≪どうして。紗栄子はずっとお前の大事な女だろ。弱ってるのを見たら慰めたくなるだろう。≫
「慰めるのに必ずしも肉体は必要じゃない。」
≪お前がそう思っても紗栄子はお前を欲しがるかもしれないじゃないか。≫
 拓海の勘の良さと遠慮のなさは、今の大志にひどく不快だ。
「お前が俺を挑発して何をしたいのか、わからない。」
《紗栄子は蓮を亡くした寂しさで俺を欲しがったりするような女じゃないって言わないんだな。》
 ———しくじった。はめられた。だから拓海はいやなんだ。
「俺にとって紗栄子が大事な女だって言うなら、紗栄子を侮辱して俺を怒らせるようなことは言わない方がいいんじゃないか。」
《侮辱だなんてとんでもない。状況確認だよ。》
 再び電話の向こうで煙を吐く音がする。
《最愛の夫を亡くした時からずっと、隣に大志がいるんだろ?お前は知らないかもしれないけど、お前はなかなか魅力的な男なんだぞ。ましてや紗栄子はお前の体も“やり方”も知ってる。慰めてほしくなるに決まってる。》
「紗栄子をそういう風に言うな。こんな状況じゃなきゃ、蓮以外の男を欲しがるような女じゃないんだよ…。」
 紗栄子に欲情させられ、それでも拒否したあの日以降、紗栄子が大志と2人で会いたがることはなかった。
 全く会わなくなるのも不自然なので、大志の方から子供達に会いに青山家を訪ねたことは何度もある。
 子供達や母親の前で、紗栄子は何事もなかったかのように“夫の友人”である大志に接してきた。
 ちゃんと泣いてるんだろうか。心のバランスを大きく乱していないだろうか。大志は不安な心で紗栄子を見つめていた。紗栄子は大志の視線に気づいても、“どうしたの?”というように自然な視線を返してきた。大志の視線の意味に気づいていないはずがないのに。
≪蓮がいない以上、紗栄子の心の空白を埋められるのはお前だけだ。≫
「俺の意志は?他に女がいるかもしれない。」
≪いたらあんな目で紗栄子を見ない。≫
「あんな目ってどんな目だ。」
≪気づいてないのか?紗栄子の視線が自分に向いてないときはずっとそうじゃないか。憧れと渇望と欲情と畏れが絶妙に混在してる。≫
「…頭が痛くなってきた。藤堂拓海センセイは哲学の話でもしてるのかな?」
《シンプルな話だ。惚れてる女を幸せにしろって話だよ。愛してるんだろ。》
「簡単じゃないんだよ。」
《なるほどねえ。簡単じゃないんだな。》
「簡単じゃないんだ。」
 ———愛してるという言葉は否定しないんだな。
 これを言わないのは、拓海にしてはずいぶん優しくて遠慮深いと大志は思う。
 厄介な女に惚れたのか、自分が厄介な男なのか。
 答えが出ないまま、大志は拓海との通話を終えた。
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