境界線のモノクローム

常葉㮈枯

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浮遊都市・ルフトヘイヴン

37.騒々しい乱入者

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「ずっと弟にくっついて回ってさ、恥とか知らないのかな?」

 初めて他人がそう話していたのを聞いたのは、いつだっただろうか。ただ、きっかけだけは覚えていた。確か、珍しく弟に好意を寄せていた女の子がフラれたことから始まったはずだ。

 「ん?」

 思わずシリスは声が聞こえてきた方を振り返る。幾人かの同期がそれぞれグループを作り、養成所の廊下で会話に興じていた。雑多に話題が沸き起こるその場では、いましがたの言葉は誰から発されたものかは分からない。
 自分のことではないのか、考えすぎか。
 さっさとそう結論付けてふい、と踵を返せば再び"それ"は聞こえてきた。

「弟とずっと一緒なのもさ、周りの男友達が目当てじゃない?」
「あり得る。あはは、尻軽ビッチちゃんだ」

 嘲笑、侮蔑。聞こえよがしの陰険な罵倒。
 シリスにとってそれは青天の霹靂ともいえる言葉だった。

 だって、そんなふうに捉えられるなど考えたこともなかったからだ。
 幼い頃からいつも共にいた片割れ。やろうとすることも行こうとする場所も大体同じ。だから、普段一緒にいることは彼女の中でもはや当たり前で。

 再び振り返る。視線はどれもこちらを向かず、依然として廊下の様子は変わらない。気にしなければいいだけの単純な話。しかし他人からの不可視の悪意を、完全に流すことのできる者がどれだけいるだろう?

 再三、背を向ける。見えない"それ"がさらに強く、哄笑となって自分を取り巻いている気がして───。





「───おい、シリス」

 聞き慣れた声に、ハッと意識が現実に引き戻される。嘲るような冷笑ではない、静かで落ち着いた友人の声だ、

「そろそろ終わるから、シャキッとしてくれないか?」

 次いで、柔らかなテノール。こちらも聞き慣れた声だ。出てくる言葉はだいたい柔らかくはないのだが。
 声が知っているものなのは間違いないが、かけられた言葉の内容は全くもって理解できなかった。

「何が?」
「起きろ、馬鹿」
「いてっ」

 クロスタに後頭部を軽く小突かれて、シリスはようやく現在の状況を思い出す。

 儀式はまさに始まっていた。
 


 レッセを追いかけた彼女らは部屋を出てすぐの階段を上り、屋上へと至った。
 さすがは浮遊島というべきか。当初ディクシアが教示したように縦に伸びる世界では、横への移動よりも縦の移動の方が多い。
 階段に次ぐ階段は体力の無いディクシアの体を大いに叩きのめしたが、彼は意地で上り切ってみせた。

 遮るもののない、1番高い建造物の最上。
 青空は依然として高く、中天に至るにはまだ早い太陽が燦々さんさんと光を降り注ぐ。
 周囲には見たことのない道具が並べられていた。いくつかは駆動音を立てて蒸気を噴き出していることから、機械の一種なのだということだけはわかる。その中央、円形になった広場の中心に位置する場所にそれはあった。

「ほんと、姿見とかいうレベルを超えてるよね……」

 がくのように四辺を取り巻くよくわからない配管が、時折仄かに明滅していた。
 リンデンベルグでシリスが見た"石"ではなく、今度は本当に寸分違わず鏡。ただし、その大きさはリンデンベルグのものよりも巨大で、景色を反射していなければまさに壁とも形容できるほどだ。
 初めに目に飛び込んできたとき、クロスタまでも分かりやすく目を丸くしていたことからその異様さがわかる。

 確かにこれは、万が一を考えれば守護者を派遣して当然だった。幸いとして、その万が一は杞憂に終わりそうだが。

 中央。鏡の前に座す 空翼人アラサリの男が、両の手を空に向かって掲げていた。
 薄い金髪に、色に比例して頭頂もまた薄いその男は祭司長だ。始まる前に彼とは簡単な挨拶と儀式についての話だけは済ませている。

 翼ではなく、5本にしかと分かれた指先が見えない鍵盤を奏でるかのように踊り、宙に光の軌跡を灯す。漂う光は明滅する配管に次々と吸い込まれ、その光を受けて鏡の周囲は更に輝きを増すのだ。
 ふくよかな体格からの流れるような動きは、不思議と魅入るほどに神々しさすら感じる。



 この光景が、かれこれ10分ほど続いていた。

 祈りの儀レゾと呼ばれる儀式の前半は、こうやって鏡に浮遊石の力を反射しやすい加工を施すことを目的としているらしい。ディクシアが興味津々といった顔で眺めているのが見てとれる。
 仕組みが分からず確かに気にはなるが、10分も続けば集中力が切れてしまっても仕方ないだろう。その結果、シリスは短時間とはいえ意識を飛ばしてしまっていたわけである。

「ヒトのこと言えないけど、あからさまに寝てるよね」
「ほっとけ」

 横を見やれば、端に置かれている道具に腰を下ろして見事に寝息を立てているレッセがいた。シリスが物思いに耽る前には既に人目も憚らず欠伸をしていたので、あれから直ぐに寝てしまったのかもしれない。この場ですら変わらない態度に、呆れを通り越して感心すらしてしまう。

「ほら。明滅が無くなってきたから、これで最後のはずだ」

 照らされた鏡面が強く、強く閃光を反射する。ディクシアがそう言うのと同時に世界を覆った光は、瞬きの間に輝きを失う。わずかの時間だけ眩んだ目はすぐに、青空の下で変わらず鎮座する鏡を捉えた。
 空翼人アラサリの男が掲げていた腕を下ろせば、辺りで待機していた他のヒトが再び慌ただしく動き出した。

「くぁ……。終わったのねぇ」

 そんな雰囲気を察したのか。欠伸を噛み殺しながら、レッセが猫のように背中を弓なりに反らせた。目尻には涙が滲み、瞳はほんのりと赤い。フリでもなんでもなく、本当に寝ていたらしい。

「なーんも起こんなかったでしょ?アナタたちもそう真面目に立ってないで、楽にしときゃよかったのに~」
「……興味あったんで」

 揶揄うような声音のレッセに、シリスは短い言葉で返した。まだ彼女とは話したくもないが、ディクシアに相手を任せるのも憚られた。クロスタはそもそも論外だ。
 シリスの返答に肩をすくめるだけの反応を見せ、レッセはおもむろに立ち上がった。

「さぁ、私たちの仕事はこれで終わりだし。後はゆっくりお酒でも飲みながら、今年の儀式は成功するよう祈りましょっかねえ」

 今年の儀式、のワードがシリスの脳内に先程の記憶を呼び起こした。

 ─── 叶うことなら、鳥野郎どもが今年の奉納の儀は絶対に成功させるように───

 この世界の住人でもなく、ましてや担当でもないシリスが出来ることなどたかが知れている。だが、儀式の成功を願う意志を伝えることくらいは出来るだろう。もしかすると、有翼種側であれば彼女でも手伝えることなど教えてくれるかもしれない。ディクシアは渋るだろうが……。
 そうと自分の中で決めれば、あとは行動あるのみだった。

「ねぇ、ディク───」

 ともあれ、なんだかんだとまとめ役を担っているディクシアに声を掛けておくべきだろう。
 口の中で何やらぶつぶつと呟き、おそらく自分の知識を総動員して、儀式の仕組みを推察しようとしている彼に声をかけた。



「───鏡像だ!」



 緊迫したその響き。忙しない動きで溢れる騒々しい場が、水を打ったように静かになる、

 しん、とした静寂の中、初めに動いたのは、レッセだった。

「何処?警備隊はなにしてんのぉ?」
「それが、いくつか別々の場所に現れたみたいで雑魚は殆ど駆逐したのですが、運悪く逃れた個体が数人捕食したらしく……!」
「えええー!食べられちゃったのぉ!?」

 憚らず、露骨に嫌そうな顔をしたレッセが声を上げる。報告に現れた男の居る階段から遠い所にいる者にも、いま何が起きているのか一瞬で通じたはずだ。

「で、その個体はどうしたわけ?」
「ト……トカゲのような形になって、ここの壁を登って行ったようで」
「はぁぁああ!?」

 二度目の叫びが、どよめきを生む。
 聞こえよがしな舌打ち。不本意を隠そうともしないレッセの様子に、それこそ不本意だが今だけはシリスたちも同意せざるを得ない。

 モヤ型からの変形───つまり、その鏡像は数人のヒトを喰らって成長したと考えていい。鏡像はヒト型まで成長する過程で様々な形を取ることがあるが、どれもヒト型までと言わず厄介なのが常だ。
 その最もたるものが、治癒力だ。ただのヒトがその治癒力を押してまで彼らを砕くのは無理ではない───無理ではないが、ただひたすらに困難だ。

「ですからお願いします。守護者様がいらっしゃるタイミングだったのが、不幸中の幸いなのです……!」

 棄てられた残骸鏡像に対しての矛であり、絶対的な抵抗力である守護者の"血"。それ無しに倒し切るのは、いささか骨が折れるというだけの話ではない。
 土下座する勢いで頭を下げる男。必死な様子に対して、レッセの目はあくまで「面倒だ」と如実に語っていた。

「先輩、今こうしてる間にも……」
「わかってるわよ!」

 それでも流石に、自らの義務だけは忘れずにいたようだった。
 レッセと関わりたくない姿勢を見せていたディクシアも痺れを切らして苦言を呈す。わずらわしそうにその言葉を遮りながらも、しかし彼女は彼の言葉を拒絶したりはしなかった。

「しょーがないわね。コレがお仕事だから、無視するわけにもいかないしぃ」

 ガシガシと頭を掻きながら、レッセは忌々しそうに言い放つ。

「トカゲ退治よ新人くんたち。精々、先輩に手間かけない程度には頑張ってよねぇ」
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