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弐 人ならざる半獣(もの)
《四》花嫁の役割【後】
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セキコは、菊に持ってこさせた筆記具で、さらさらと和紙に筆を走らせ、日本地図のようなものを記した。
ようなもの、としたのは、それが咲耶の知っている『日本の形』と微妙に違っていたからだ。
「この大きな形の世界を陽ノ元といってね。これを統治するために昔の権力者が、いくつもの国に分けて、それぞれの国に国司と国獣を遣わしたの。
で、アタシ達のいるのがココ───下総ノ国ってわけ。
下総ノ国のいまの国司は萩原尊臣。国獣は白・黒・赤の三体の虎……つまり、アタシらのことね」
地図に✕印を入れ、余白に咲耶が分かるように美麗な楷書で『陽ノ元』『下総ノ国』『国獣』……と、記していく。
「ちなみに、下総ノ国 同様、他の国にもそれぞれに国獣がいるわ。お隣の上総ノ国は、狼だそうよ。
そして、この国獣……国のなかにあっては神獣と呼ばれるアタシ達は、民に恵みをもたらす存在で、国司と共に国を豊かにするべく尽力している。
……というのが、陽ノ元 全体の、建前論になるわ」
「建前……ですか」
「まぁ、よくあることよねぇ~。実際は国司と国獣は対等じゃない。特に、この下総ノ国にあっては国獣は国司の、かなり下の位に置かれてる。
ハクの儀式を三度で打ち切るなんてしたのが、いい例よ。あれは尊臣が勝手に決めたこと。本当は、神獣には神獣に見合う花嫁を、探す機会が与えられるはずなんだから!」
憤然と言いきり、
「ま、結果としては、三度目のアンタがハクの花嫁になれたから、良かったんだけどね」
と、付け加えた。
「で、そのうえ、恩恵を受けるはずの当人たちからは、
『民に恵みをもたらすどころか、結託して搾取してるくせに、偉っそうにしててムカつく!』……って。思われてるのよね~、やんなるわぁ」
セキコは書いていた和紙をグシャグシャと丸め、ぽいっと放り投げる。くずかごを手にした菊が、寸分狂わず受け止めた。
咲耶は、ここへ来る途中に出会った男の子の父親を思いだす。……確かに、セキコの言う通りだろう。
「でも……そういう恩恵って、私のいた世界じゃ『天の恵み』ってことで、人の力の及ばぬところから受けるもの、って、考え方でしたけど。
ここでは……セキ──茜さん達に、何か特別な力とかって、あるんですよね? 犬貴が神力がどうのって、言ってたくらいだから」
「ん~……まぁ、あるといえばあるし、ないといえばないのよねぇ、アタシ達には」
筆を手にしたまま、セキコこと茜は、脇息に頬づえをつく。
「……ないんですか? 変な──じゃない、人語を話す猿を配下にしたり、綺麗な虎に変わったりする力は、あるのに?」
咲耶が「綺麗な虎」と言った瞬間だけ、わずかに眉を上げた茜だが、おどけるように肩をすくめた。
「残念ながら遣えないのよね~、民が期待するような神力は。咲耶のいう通り、『変な猿』や犬やきじを配下にすることは可能だけど。
───だから、アンタたち花嫁が必要になるってワケ」
「えっ……」
ぴたりと咲耶に筆の先を合わせ、茜が真顔になる。ふたたび、和紙を取り上げ、硯に筆をつける。
「アタシ達にはそれぞれ、司る役割がある。
『赤い神の獣』は、懐胎と生を。
『黒い神の獣』は、破壊と死を。
『白い神の獣』は、治癒と再生を。
民が望めば、それぞれが与えることになっているわ。
だけど」
茜は、口にした言葉を短く記していく。咲耶は耳で聞きながら、目で確認した。
「役割は、アタシ達が行えるものじゃない。行うのは、『神の獣の伴侶』……つまり、花嫁が代行することになっているの。
正確には、花嫁の意思でしか扱ってはいけない力──咲耶が言ってた意味の神力は、これに相当すると思うわ。だからアタシ達には遣えないって、言ったのよ」
「えーと……」
頭のなかで、いままで得た情報を整理しながら、ふと疑問に思ったことを言おうとした瞬間。室内に、第三者の可愛いらしい声が、響く。
「あんた、もうハクとヤッたの?」
……不つり合いな、内容と共に。
「あらヤダ。美穂ってば、第一声からお下品ねぇ。しかも、もう昼前よ? いつまで寝てるつもりだったの?」
「うっさいなー。そもそも、お前が寝かせてくれなかったんじゃんか!」
「なによぉ、そっちがムダに可愛いのがいけないんじゃない。そんなとこに突っ立ってないで、こっち来なさいよ、こっち!」
パンパンと、自分の側の畳を叩いて言う茜の視線の先にいるのは、栗色の髪を少年のように短くした十七八歳の少女だった。赤生地の甚平を着ている。
声の可愛いらしさから、容姿もさぞかし……と、思ったが、咲耶の目に映ったのは、ごく普通の顔立ちだ。
「あ、美穂さん……だよね? 私は、咲耶。よろしくね」
「…………言っとくけど、あたしあんたより年上だかんね? 敬語くらい使いなさいよ?」
つかつかと咲耶の側までやって来て、座る。美穂の言葉に、咲耶はあたふたしてしまう。
「え? えっ? そうなの……ですか? すみません!」
「───な~んてね、冗談だよ、冗談。あ、実年齢があんたより上っつーのは、ホント。敬語は、むしろナシの方向で」
咲耶の反応を楽しむためだったようで、美穂は笑いながら咲耶の肩をパシッと叩いてきた。
「ゴメンねぇ。アタシの仔猫ちゃん、性格悪くってぇ」
と、茜が悪びれもせずに、言い添える。……どっちもどっちのようだ。
「あたしは、こっちに来てから二十年以上 経つんだけど、こいつと契ってからは歳とってないから。あ、外見が、ってコトだけどね」
「花嫁は、契りの儀を終えると神籍に入るから、肉体の成長が止まるのよ。だから咲耶も殺されない限り永遠の二十八歳ってワケ」
美穂の言葉を補足するように、茜がいたずらっぽく片目をつむる。
(永遠の二十八歳……コレ、喜ぶところなのかな?)
何やら複雑な心境にならなくもない。と同時に、咲耶は、茜の『殺されない限り』などという物騒な言いぐさを気にかけた。
「それって、老化はしないけど、ケガしたり病気になったりは、するってことですよね?」
果たして、茜は大きくうなずいた。
「そうよ。ただし、厳密にいえば傷の治りは早いし、病にもかかりにくいの。自然治癒力も免疫力も、高くなるってことね。
つまり、アンタたち花嫁を確実に仕留めるには、心の臓をひと突きにするか、首を斬り落とすかしか、ないってこと」
「……そう、です、か」
なんだか嫌な話を聞いてしまったと、咲耶は思った。
裏を返せば、なかなか死ねない身体は、拷問などの苦痛にも堪え生き長らえてしまうのではないだろうか?
「───で? ハクとは、ゆうべ寝たの?」
ふたたびの美穂のあけすけない問いかけに、咲耶は頭を抱えそうになった。
(それ、いま話さなきゃならない?)
「そりゃあモチロン、一緒に寝たでしょうよぉ。……まぁ、寝ただけなんだろうけど」
「なにソレ。ハクって変わってはいるけど、別にアッチは普通じゃなかったの? お前とは逆に、ソッチの趣味だったわけか?」
「イヤぁねぇ。性的指向を言ってんじゃないわよ。単純に、あの子が性成熟してないんじゃないかって、思っただけ。
だってハク、まだ生まれてから、二年と四ヶ月しか経ってないワケだし」
「────え?」
咲耶は、言葉を失いそうになった。それは……今日聞いた、どんな話のなかでも、一番に驚かされる事実だった……。
ようなもの、としたのは、それが咲耶の知っている『日本の形』と微妙に違っていたからだ。
「この大きな形の世界を陽ノ元といってね。これを統治するために昔の権力者が、いくつもの国に分けて、それぞれの国に国司と国獣を遣わしたの。
で、アタシ達のいるのがココ───下総ノ国ってわけ。
下総ノ国のいまの国司は萩原尊臣。国獣は白・黒・赤の三体の虎……つまり、アタシらのことね」
地図に✕印を入れ、余白に咲耶が分かるように美麗な楷書で『陽ノ元』『下総ノ国』『国獣』……と、記していく。
「ちなみに、下総ノ国 同様、他の国にもそれぞれに国獣がいるわ。お隣の上総ノ国は、狼だそうよ。
そして、この国獣……国のなかにあっては神獣と呼ばれるアタシ達は、民に恵みをもたらす存在で、国司と共に国を豊かにするべく尽力している。
……というのが、陽ノ元 全体の、建前論になるわ」
「建前……ですか」
「まぁ、よくあることよねぇ~。実際は国司と国獣は対等じゃない。特に、この下総ノ国にあっては国獣は国司の、かなり下の位に置かれてる。
ハクの儀式を三度で打ち切るなんてしたのが、いい例よ。あれは尊臣が勝手に決めたこと。本当は、神獣には神獣に見合う花嫁を、探す機会が与えられるはずなんだから!」
憤然と言いきり、
「ま、結果としては、三度目のアンタがハクの花嫁になれたから、良かったんだけどね」
と、付け加えた。
「で、そのうえ、恩恵を受けるはずの当人たちからは、
『民に恵みをもたらすどころか、結託して搾取してるくせに、偉っそうにしててムカつく!』……って。思われてるのよね~、やんなるわぁ」
セキコは書いていた和紙をグシャグシャと丸め、ぽいっと放り投げる。くずかごを手にした菊が、寸分狂わず受け止めた。
咲耶は、ここへ来る途中に出会った男の子の父親を思いだす。……確かに、セキコの言う通りだろう。
「でも……そういう恩恵って、私のいた世界じゃ『天の恵み』ってことで、人の力の及ばぬところから受けるもの、って、考え方でしたけど。
ここでは……セキ──茜さん達に、何か特別な力とかって、あるんですよね? 犬貴が神力がどうのって、言ってたくらいだから」
「ん~……まぁ、あるといえばあるし、ないといえばないのよねぇ、アタシ達には」
筆を手にしたまま、セキコこと茜は、脇息に頬づえをつく。
「……ないんですか? 変な──じゃない、人語を話す猿を配下にしたり、綺麗な虎に変わったりする力は、あるのに?」
咲耶が「綺麗な虎」と言った瞬間だけ、わずかに眉を上げた茜だが、おどけるように肩をすくめた。
「残念ながら遣えないのよね~、民が期待するような神力は。咲耶のいう通り、『変な猿』や犬やきじを配下にすることは可能だけど。
───だから、アンタたち花嫁が必要になるってワケ」
「えっ……」
ぴたりと咲耶に筆の先を合わせ、茜が真顔になる。ふたたび、和紙を取り上げ、硯に筆をつける。
「アタシ達にはそれぞれ、司る役割がある。
『赤い神の獣』は、懐胎と生を。
『黒い神の獣』は、破壊と死を。
『白い神の獣』は、治癒と再生を。
民が望めば、それぞれが与えることになっているわ。
だけど」
茜は、口にした言葉を短く記していく。咲耶は耳で聞きながら、目で確認した。
「役割は、アタシ達が行えるものじゃない。行うのは、『神の獣の伴侶』……つまり、花嫁が代行することになっているの。
正確には、花嫁の意思でしか扱ってはいけない力──咲耶が言ってた意味の神力は、これに相当すると思うわ。だからアタシ達には遣えないって、言ったのよ」
「えーと……」
頭のなかで、いままで得た情報を整理しながら、ふと疑問に思ったことを言おうとした瞬間。室内に、第三者の可愛いらしい声が、響く。
「あんた、もうハクとヤッたの?」
……不つり合いな、内容と共に。
「あらヤダ。美穂ってば、第一声からお下品ねぇ。しかも、もう昼前よ? いつまで寝てるつもりだったの?」
「うっさいなー。そもそも、お前が寝かせてくれなかったんじゃんか!」
「なによぉ、そっちがムダに可愛いのがいけないんじゃない。そんなとこに突っ立ってないで、こっち来なさいよ、こっち!」
パンパンと、自分の側の畳を叩いて言う茜の視線の先にいるのは、栗色の髪を少年のように短くした十七八歳の少女だった。赤生地の甚平を着ている。
声の可愛いらしさから、容姿もさぞかし……と、思ったが、咲耶の目に映ったのは、ごく普通の顔立ちだ。
「あ、美穂さん……だよね? 私は、咲耶。よろしくね」
「…………言っとくけど、あたしあんたより年上だかんね? 敬語くらい使いなさいよ?」
つかつかと咲耶の側までやって来て、座る。美穂の言葉に、咲耶はあたふたしてしまう。
「え? えっ? そうなの……ですか? すみません!」
「───な~んてね、冗談だよ、冗談。あ、実年齢があんたより上っつーのは、ホント。敬語は、むしろナシの方向で」
咲耶の反応を楽しむためだったようで、美穂は笑いながら咲耶の肩をパシッと叩いてきた。
「ゴメンねぇ。アタシの仔猫ちゃん、性格悪くってぇ」
と、茜が悪びれもせずに、言い添える。……どっちもどっちのようだ。
「あたしは、こっちに来てから二十年以上 経つんだけど、こいつと契ってからは歳とってないから。あ、外見が、ってコトだけどね」
「花嫁は、契りの儀を終えると神籍に入るから、肉体の成長が止まるのよ。だから咲耶も殺されない限り永遠の二十八歳ってワケ」
美穂の言葉を補足するように、茜がいたずらっぽく片目をつむる。
(永遠の二十八歳……コレ、喜ぶところなのかな?)
何やら複雑な心境にならなくもない。と同時に、咲耶は、茜の『殺されない限り』などという物騒な言いぐさを気にかけた。
「それって、老化はしないけど、ケガしたり病気になったりは、するってことですよね?」
果たして、茜は大きくうなずいた。
「そうよ。ただし、厳密にいえば傷の治りは早いし、病にもかかりにくいの。自然治癒力も免疫力も、高くなるってことね。
つまり、アンタたち花嫁を確実に仕留めるには、心の臓をひと突きにするか、首を斬り落とすかしか、ないってこと」
「……そう、です、か」
なんだか嫌な話を聞いてしまったと、咲耶は思った。
裏を返せば、なかなか死ねない身体は、拷問などの苦痛にも堪え生き長らえてしまうのではないだろうか?
「───で? ハクとは、ゆうべ寝たの?」
ふたたびの美穂のあけすけない問いかけに、咲耶は頭を抱えそうになった。
(それ、いま話さなきゃならない?)
「そりゃあモチロン、一緒に寝たでしょうよぉ。……まぁ、寝ただけなんだろうけど」
「なにソレ。ハクって変わってはいるけど、別にアッチは普通じゃなかったの? お前とは逆に、ソッチの趣味だったわけか?」
「イヤぁねぇ。性的指向を言ってんじゃないわよ。単純に、あの子が性成熟してないんじゃないかって、思っただけ。
だってハク、まだ生まれてから、二年と四ヶ月しか経ってないワケだし」
「────え?」
咲耶は、言葉を失いそうになった。それは……今日聞いた、どんな話のなかでも、一番に驚かされる事実だった……。
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