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訳あり王子と秘密の恋人 第一部 第ニ章

2.その目的は?

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 ゴードンと同じく、ライブラリーでエリオットを待っていたレディ・キャロルは、ずいぶんと大人しい出で立ちだった。

 濃紺の半そでワンピースに、ベージュのパンプス。飾りと言えばウエストで結んだリボンだけで、耳飾りもしていない。眉は測ったように左右対称に引かれているけれど、口紅も頬も節度のある赤だ。深紅のドレスが印象にあるだけに、保守的なファッションをすると別人のように見えた。

「おはよう、キャロル」
「殿下」

 Tシャツと綿パンと言うラフな服装のまま現れたエリオットに、キャロルは膝をかがめお辞儀をする。

「エリオットでいいよ。座って」
「失礼します」
「お茶を?」
「えぇ、いただきます」

 ロダスがティーセットを整える間、エリオットはソファに浅く腰かけるキャロルを観察した。

 前触れのない訪問は、取るものも取らず誤解を生んだ謝罪に駆けつけたようにも見えるが、それにしては落ち着いている。しかし、付き添いもなしで乗り込んでくること自体が異常だ。

 もしかして、逆にエリオットを非難しに来たのだろうか。

 あんたのせいで変な記事を書かれた、とか?

 母と義姉を見ているだけに、女性を敵に回す厄介さは承知している。なにせあの兄でさえ、怒った義姉をなだめるのには苦労しているのだ。エリオットが太刀打ちできるはずがない。

 なんとでも理由をつけて、バッシュを防波堤として立たせておくのだったと後悔した。こうなれば、キャロルの後ろに立つイェオリが頼りだ。

 ロダスが下がると、キャロルはくせのない赤毛を払って背を伸ばした。

「まずは、友人の軽率な行いで、あなたの周囲を騒がせていることを謝罪します」
「けっこう驚いてる。いずれ出る話題だろうけど、思ってたよりずっと早かったから」
「申し訳ありません」

 侍従に八つ当たりしたのは、けして褒められたことではない。けれどガス抜きができていたおかげで、彼女に対してみっともなく批判するようなことは言わずに済んだ。バッシュとの休日を邪魔された恨みは、また別だけれど。

「キャロルのほうこそ、騒がれてるんじゃない?」

 お茶に手を付けたエリオットが、この件に関して荒立てるつもりがないと判断したのか、キャロルの頬から緊張が抜けた。

「えぇ、昨日から屋敷の前にカメラが山ほど。機材の見本市みたいになってます」
「気の毒に。すぐ否定すればよかったのに」
「お決まりのコメントを出そうとした両親を止めたのは、わたしです。あなたにお願いがあって」
「お願い?」

 カップを置いたタイミングで、キャロルの長い指が伸びて来た。しっかりと鍛えられたピアニストの指が、二オクターブ先の鍵盤を捉えるように、エリオットの手に重なりそうになる。

 う、わっ──。

 とっさに引いた右手を、左手で抱え込んだ。落としたカップから、残っていたお茶が波打ってこぼれる。幸い、ほとんどをソーサーが受け止めてくれた。

「バジェットさま、お召し物が濡れます」

 逃げ出すより早く、イェオリが白手袋で彼女の肩をそっと押さえ、それ以上の動きを封じる。エリオットは、止まった息をおそるおそる吐き出した。精いっぱい後ろへ傾けた体を戻して、ソファに座り直す。

 その数秒間、キャロルは濃いブラウンの目をエリオットから離さなかった。同じだけ、エリオットも。彼女の顔に驚きはなかった。結末を知っているミステリー映画を見るように。

「殿下」

 キャロルの肩に手を置いたまま窺うイェオリに、エリオットは深呼吸をした。パニックの発作がやってこないかを慎重に探る。体は震えていないし、息もできる。大丈夫そうだ。

「ごめん、お茶こぼした」
「お怪我がなくなによりです」
「代わりのお茶もお持ちしましょう」

 ようやくイェオリは一歩下がり、テーブルを拭いたロダスが、ワゴンから新しいカップを運んできてくれる。いかなるときも平静な彼らのおかげで、エリオットの跳ねた鼓動もじきに落ち着きを取り戻した。リハビリの賜物だ。

 しかし演じていた王子の仮面は、すっかり剥ぎ取られてしまった。膝を抱えたい衝動にかられるが、つま先を上下させることでなんとかこらえる。

「率直に話をしようか、キャロル。気付いてるかもしれないけど、おれは人に触られるのが得意じゃない」

 とくに不意打ちは。

 事故なら仕方ない。だが彼女は、エリオットに問題があるのを確信した上で手を伸ばした。

「あまり、いい趣味とは言えないんじゃないのか」

 イェオリに捕まれてしわの寄ったそでを引っ張り、キャロルは胸を張る。上品な王族、情熱的な音楽家と言う重なり合った花びらの中から、勝気な顔が現れた。

 むしろパンドラの箱じゃないのか、とエリオットは身構える。

「試すようなことをしたのは謝るわ。きのう挨拶したとき、あなたは握手を求めなかったでしょ? それに、イヤリングを投げ渡した。普通なら手渡してくれそうなものなのに。もしかしたらそうなのかと」
「見事な観察眼だな、ミス・マープルには口の堅さも期待したいね」
「どうかしら。彼女、意外とおしゃべりだし」

 挑戦的に、細い顎が上がる。

「言ったでしょ。あなたにお願いがあるって」
「へぇ」

 人の弱みを握っておいて『お願い』とは、ずいぶんお行儀のいいことで。

 二杯目のお茶までひっくり返すわけにはいかないので、腕を組んでソファに深く沈み込む。
 ぱちぱちと瞬く大きな瞳に続きを促すために、エリオットはなけなしの寛容さをかき集めなければならなかった。

「お願いって?」

 膝の上で指を組んだキャロルは、魅力的な笑顔で要求した。

「わたしを、あなたの恋人にして」
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