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訳あり王子と秘密の恋人 第一部 第四章

6.スカウト

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 試着にはドレス部門の責任者が立ち会うと言うことで、ブランシェールは応接室に残ってエリオットの正面に腰を下ろした。

 居抜きのテナントを買い取った工房は、外観は周囲と同じレンガ造りだが、内装は現代的でモダンだった。シャツやボトムスを吊り下げるポールは、すべて黒の細いアイアン。ニット素材のカーディガンや小物を並べたラックも、同じ素材のフレームだ。天板は強化ガラスで、商品を選んでいるとき、コンクリート敷にした床以外に余計なものが目に入らない。

 そしてそのラックは、応接室のテーブルとしても使われていた。

「改めて、お待たせしたことをお詫びします」

 かちりとかすかな音とともに、ソーサーを置いたエリオットは首を振る。待たされたのは十五分程度だし、前の客の対応が長引いていたことは、なんども謝罪するスタッフから聞いていた。

「盛況のようでなによりだよ」
「えぇ。あなたのおかげで、三年先まで予約で埋まっていますよ。あの衣装は、間違いなくわたしの代表作になるでしょうね」

 ブランシェールの工房は若年層向けのワードローブを取り扱っているが、大量生産を行うメーカーではない。店頭に並んでいるコレクションならともかく、オーダーするとなるとそれなりの時間と金がかかる。それでも流行に飛びつきたい上流階級の若者にウケているらしかった。

「彼女も、着られるドレスはすべて着るつもりで来てる」

 ステージでライトを浴びるってだけでも気を失いそうなのに、さらに目立つドレスを着ようだなんて、エリオットには狂気の沙汰としか思えないが。

「大丈夫ですか? 『レディ』の試着は長いですよ」

 普段なら退屈で干からびるだろう。しかしきょうは、エリオットにも目的があった。

「ちょうどいいよ。おれのほうにも用がある」
「いくつかご紹介しましょうか? 秋物ならもうジャケットがそろっていますし、ストールなんかもあります。お好きな色に合わせて、何点かお持ちしますよ」

 エリオットは少し唇を尖らせた。

「その質問ってさ、服を選ぶときには不適当だと思うんだけど」
「なぜです?」
「たとえば青が好きで、赤が死ぬほど嫌いだったとしても、周りのひとが全員赤を着てるなら、おれは赤い服を選ぶ」
「似合う、似合わないではなく、目立たないことが重要だと」
「できる限り」

 ブランシェールは丸みのある爪の先で額をかいて、黄色いレンズの向こうからエリオットを見た。そしてきっぱり言い切る。

「殿下、それは無理です」
「無理?」

 客の要望に応えるのがデザイナーじゃないのか? という視線をなだめるような手ぶりをして、彼は足を組む。ガラスの天板から、黒革の靴と赤い靴下が見えた。

「もちろん、TPOに配慮した形や色を選ぶことで、悪目立ちを避けることはできるでしょう。しかし、あなたがあなたである以上、だれもが注目するのは避けられません」
「でも、地味な色を選べば目立たないだろ?」
「そうは仰いますが、あなたは成婚の儀からこちら、人前に出るときは青かネイビーを選んでいるでしょう。それが繰り返し報道される『天使』を想起させ、あなたのイメージ作りに一役買っているわけです。ですから服を選ぶときは、隠れ蓑ではなく武器として考えていただけると嬉しいですね。わたしにできるのは、そのささやかなお手伝いですよ」

 その「ささやか」にかける情熱を映した瞳から、ブランシェールのプライドを読み取って、エリオットは微苦笑で首を振った。

「……申し訳ない。あなたの仕事を軽く扱ったわけじゃないんだ」

 ブランシェールは両手を広げ、天井を仰いだ。

「もしかして、わたしはなにか試されたんでしょうか?」

 試すというほどのことではないけれど、本題に入る前にブランシェールの話を聞いておきたかったのだ。

「──イェオリ」
「はい、殿下」

 店内のトルソーのように気配を消していたイェオリが、ジャケットの内ポケットから白い封筒を取り出した。エリオットの紋章印が捺された封蝋つきの滑らかなそれを、丁寧にブランシェールに手渡す。

 数カ月前にバッシュが運んで来た、あの封筒と同じものだ。

「これは?」
「ヘインズ公爵エリオット王子より、貴殿へのオファーでございます」

 透視でもするように、ブランシェールは封筒を撫でる。

 それ、めっちゃ手触りいいんだよな。

「サー・ブランシェール、おれのオフィスで働いてほしい」

 さすがに予想外だったらしい。たっぷり三十秒は口を開けて硬直したあと、ようやくブランシェールはかすれた声で聞き返した。

「……あなたの?」
「あぁ、オフィスって言っても場所を指すわけじゃなくて」

 エリオットの服飾アドバイザーとして、必要に応じて助言をする立場という意味だ。封筒の中身は、その正式な要請書だった。

「おれがこの先、公務その他で着る服、小物のスタイリングの一切を任せたい。応じてくれるなら、アドバイザー契約料のほかに、おれがオーダーする衣装の四割をこの工房に発注する」
「破格ですね。ずいぶんと気前がいいことで」
「そういう、率直なところも買ってる」

 儀式の衣装に関して交渉を担当したベイカーも、ブランシェールの仕事ぶりには満足していた。だから個人で雇う服飾関係のスタッフにも、彼の名前が一番に挙がっていたのだ。

「ですが殿下、すでにあなたの服を選んでいるスタッフがいるのでは?」

 はなから自分で選んでいると思われていないことは、この際置いておこう。

「よくお似合いですよ。いまさらわたしを引っ張って来なくてもいいでしょう」

 エリオットは自分の服を見下ろす。襟に白い縁取りのあるネイビーのシャツと、カーキのチノパン。キャロルのカジュアルに合わせるため、硬くなりすぎないアイテムを選んだのはバッシュだ。リバーハウスへ行ったときの、セレストブルーのボタンダウンシャツと灰色チェックのスラックスも。

「たしかに選んでもらってるけど、ずっと頼むわけにはいかない事情があって」

 たとえエリオットに一番似合う服を選べるのがバッシュだとしても、それは彼の仕事ではないから。なるべく早く、仕事として働いてくれる相手を雇うつもりだった。

 それから、とエリオットは一番の理由を口にした。

「あなたが作ったシャツとパンツ、いままで着た服の中で一番、着心地がよかったんだ」

 残念ながら処分せざるを得なかったけれど、ブランシェールが作ったシャツは毛玉だらけのジャージが普段着というだらけ切ったエリオットにも優しい、締め付けが少ないけれどだぼつかない、手触りも柔らかな逸品だった。彼の作るものなら、フォーマルも少しは好きになれるかもしれない。

「クローゼットに、ああいうのがたくさんあると嬉しい」

 一瞬、ブランシェールは虚を突かれたような顔をした。過去、数多くのコレクションで成功をおさめ、言葉を尽くして称えられてきたであろう彼は、それでもエリオットの飾り気のない誉め言葉を誇らしげに受け取った。

「……とんだ殺し文句ですね」

 眼鏡を外したブランシェールは、「拝見します」と丁寧に封蝋を剥がして中身を取り出した。
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