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訳あり王子と秘密の恋人 第二部 第一章

9.お知恵を拝借

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「散歩」という言葉には、「ごはん」の次に魔力があるらしい。

 自室に戻ったエリオットが「散歩行くぞ」と声をかけると、年代物のベッドの脚を噛んでいたルードは勢いよく起き上がり、壁にかかったハーネスをくわえて駆け寄って来た。

 基本的に屋敷内で放し飼いにしてあるルードだが、最近の人気ぶりを見るとイベントなどに呼ばれるかもしれないということで、散歩のときだけハーネスをつける訓練を始めている。
 自由を謳歌していただけに嫌がるかと思ったけれど、これをつけると外に出られるうえに、もれなくエリオットがついてくると学習して、ルードは大喜びでハーネスを受け入れた。

 ばさばさ打ち振るわれるしっぽと、早く早くというように動く頭を避けながら苦労して水色──ここでもチームブルーだ──のハーネスに前足を通し、背中で留め具を固定する。そして顔を上げたところに、エリオットは自分のスマートフォンを見つけた。

 ベッドサイドのチェストに、あの貝殻のビンと一緒に並べて置いてある。身に覚えはないから、掃除をしたメイドが発見してくれたのだろう。エリオットはバッテリーの残量があることを確認して、それをパンツのポケットに突っ込んだ。

 散歩のコースはとくに決まっていない。しかし十分や十五分ではルードが満足しないから、たいていは庭をひとつかふたつ、ぐるりと回ることになる。庭いじりをしなくなって屋敷にこもりがちだったから、いい気分転換だ。

 ゆらゆらと揺れるルードのしっぽを見ながら歩くエリオットは、いくつかの事柄について考えていた。たとえば、ダニエル・マクミラン。いまだになんのアクションも見せないが、結婚しようという相手に、本当にすこしの興味もないのだろうか。いや、このまま諦めてくれるならそれが一番いいんだけど。
 持ち込んできた厄介ごとを除けば、キャロルはそれなりに付き合いやすい相手だ。身につけた技術で外国に挑もうという努力は素直に尊敬するし、応援したい。エリオットなど、閉じこもる場所が硬い繭からお菓子の城になったくらいで、まだ自分の周りのことすらちゃんと見ていないのに。

 一番の──そして唯一の──友人のことさえ。

 エリオットは首をそらし、空を見上げてため息をついた。

「なんか、いまになってダメージ来たんだけど……」

 もしかして、けっこうショックだったのだろうか。ナサニエルが見せた、踏み込むなという明確な線引きが。

「べつにさ、家族だから仲よくしろなんて思ってないんだぞ?」

 振り返って首を傾げるルードに、エリオットはいった。

 むしろ、そんなに不仲なら本人がいうとおり干渉しないのが一番だと思う。しかし今回のことは、エリオットが初めて貴族会で立ち位置を示す場になる。心情としてはナサニエルに不利なことはしたくないが、事情を知らないまま賭けに出ることはできないのだ。

 エリオットはパンツのポケットからスマートフォンを取り出して、メッセージボックスを開く。ナサニエルからの連絡はなし。試しに電話もしてみたが、繋がらないまま留守電に切り替わった。

 おい、おれに話し合いの必要性を説いたのはだれだよ。

 思わず舌打ちする。

 どうにかして、ナサニエルと会えないものか。

 スマートフォンの角を顎に当てて考えていると、急にリードを握った右手を引っ張られて、「うわ」と声が出た。虫かカエルでも見つけたのか、ルードがジャパニーズアネモネの群れに突っ込もうとしている。まずい。

「それはダメだ。あ、待て掘り返すな。ルード、待て!」

 両足を踏ん張って全力でリードを引っ張ると、恨めしそうな顔でエリオットを見上げてきた。断固たる「ノー」を繰り返すと、しぶしぶ足元まで戻って来る。よかった。本気で綱引きして勝てる気がしない。

「よしよし、いい子」

 思い切り顔を撫でてやると、しょぼくれたしっぽが元気を取り戻す。

「お前は力が強いな。前もいいところで、あの胸筋ゴリラを突き飛ばして邪魔してくれたし……あ」

 胸筋ゴリラだ。

 エリオットはスマートフォンのアドレス帳を開き、最初に表示される番号をタップする。

『──バッシュです』
「おれ。仕事中にごめん。まずいならかけなおす」
『構いません、どうぞ』

 人通りが多い場所にいるのか、後ろがざわざわしているのが聞こえる。侍従モードで応じたバッシュに、エリオットはすぐ本題に入った。

「あんたさ、おれが意に沿わない交渉を持ち掛けられてるなら、手段を選ばず相手を黙らせるっていったよな」
『えぇ。その必要が?』
「そうじゃなくて。そういう悪知恵の中に、ニールと『偶然』会える場所を作る方法ってない?」
『あなたが彼を招く以外で、ということですね?』
「うん」
『それも、すぐに』
「できれば三日以内」
『手配は、こちらにお任せいただいてもよろしいですか』

 任せる、といいかけて、首に縄付けてでも、とのたまった彼の前科を思い出して、「なるべく穏便に」と注文をつける。

『承知いたしました。ほかにご用は?』
「あー、特にないんだけど」
『はい』
「その……仕事、頑張って」
『…………』

 よき恋人として努力したつもりだったのに沈黙が返って来て、エリオットは急に恥ずかしくなった。

「そんだけ。もう切る」
『待て、エリー』

 エリー⁉

 硬直したエリオットの耳に、機械越しのため息がかかる。

『失礼。人に聞かれては障りがございますので。……次からはベイビーとお呼びします』
「やってみろ、あんたをキティと呼んでやる」
『楽しみにしております』

 するな。

『正直、あなたの一言で気分が上がっている自分に、どうかしていると思わなくもないのですが』

 どう見たって子猫なんて柄じゃない男は、その体躯にふさわしい落ち着きと深みのある声でいった。彼を構成する要素の中で、エリオットが特に好きなもののひとつだ。

『頑張れと言われることがあまりないので少々気恥ずかしいですが、いま信じられないくらいやる気が出ました』
「なによりだよ」
『では、失礼いたします』

 通話が切れると、エリオットは手の中のスマートフォンを見て、それから傍らにお座りしているルードへ囁いた。

「……聞いた? エリーだって」

 エリオットのほうこそ、その一言でひとまず屋敷まで戻れるほどに気分が回復した。
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