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訳あり王子と秘密の恋人 第二部 第三章

7.たったひとつの冴えたやりかた

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「ところでサザーランド伯。本日の議題は、ヘインズ家の相続問題や公の健康についてではなかったように思うのだが?」

 タウンゼント公爵は、少し波を送ることで岸に漂着した笹舟を川の流れに乗せるように、会議の方向性を修正して見せた。驚いたのは、カニングハム公爵も「あぁ、失礼」とあっさり脱線を認めたところだ。引き際の見極めはしっかりしているのか。

「ヘインズ公爵が委員会に出席できず、我々がことの経緯を知ることができなかったのは、ひとえに文書室の落ち度によるもの。この場で責任者の処分を検討してはいかがか」

 違った。全方位に好戦的なだけだ。

 その立ち直りの速さだけは見習いてーな。

 かすかな衣擦れの音とともに立ち上がったフォスター女伯爵が、粛々とした足取りでテーブルの側まで進み出る。全員の顔が向けられ、他人事ながらエリオットの胃はきりきりと痛んだ。
 爵位から言えば格下である子爵や男爵でさえ、彼女を政治的な敗者として優越と哀れみの入り混じった目で見ている。

 この状況を作り出したであろうカニングハム公爵が、角ばった顎をさすりながらいけにえの羊をねめつけた。

「フォスター伯、貴殿からの申し開きがあれば聞こう」

 いやそれ聞く気ねーじゃんもう。

「ございません。すべては、わたくしの不徳の致すところと存じます」

 魔女裁判だ。

 確定している有罪という結論は、なにを言い募ろうと覆らない。フォスター女伯爵の言葉には諦観の念が満ちていて、火あぶりを見物に来た者は、だれも彼女を救おうとしない。

「よろしい。身の処し方は、『正しく』伝統と責任を受け継いだ者なら、問うまでもないと思うが──」

 そのときフォスター女伯爵がぱっと顔を上げて、すがるようにカニングハム公爵を見た。その目に走った一瞬の怯えに、エリオットはたしかに気付いた。間違いなく、フォスター女伯爵を脅して切り捨てたのはカニングハム公爵だ。同時に──そして意外にも──彼の「正義」が理解できたような気がした。

 彼にとって貴族たちを統率し国に貢献することは義務なのだ。なぜなら自分は、何世紀分もの誇り高い伝統を受け継ぐ公爵だから。

 フェリシアがエドゥアルドを指して「善良な王になることを疑問に思わず育ってしまった」といっていたが、彼もまた「公爵になることを疑問に思わず」育てられ、いまこうしているのだろう。ゆえに、貴族の長子相続という伝統を汚し、爵位を簒奪したに等しいフォスター女伯爵を嫌悪している。

 貴族らしい貴族だ。時代には合わないけど。

 エリオットは全員を見回すふりをして、ベイカーに視線を送った。老侍従がさりげなく人差し指を立て、さっと振る。ゴーサインだ。

「カニングハム公。少し、気になることがあるのですが」

 やや上ずった声に、フォスター女伯爵に向いていた目が自分へ戻ってくる。エリオットは慌てて視線を落とし、中身のない報告書をぺらぺらめくった。

「……サザーランド伯の報告に、不明な点でも?」

 せっかくの独壇場を邪魔されて鼻白んだカニングハム公爵は、それでもエリオットに発言を譲った。厄介だと分かっていても、儀礼上、彼は自分を無視できない。それこそが、エリオットが利用できる唯一最大のアドバンテージだ。

「報告書にはフォスター女伯爵の管理不足ばかりが取りざたされていますが、三年もそれが放置されていた原因には、執行部の怠慢もあるのでは?」
「怠慢?」

 カニングハム公爵の表情は、純粋に困惑が浮かんでいた。

「ヘインズ公には先ほど、我々の努力を認めていただいたばかりだと認識しているが?」

 エリオットは「もちろんです」と答えた。そして貼りつかせていたクッションから背中を離し、テーブルの上に腕をのせて指を組む。

「委員長に選出されていた身として、わたしも遅ればせながら、貴族会の規定を勉強したんです」
「さようで」

 なにを言い出すのか警戒しながらも、殊勝な心がけには満足したようにカニングハム公爵が顎を引く。なんというか、ものすごく好意的に解釈すれば、裏表のないひとなのかもしれない。

 しかしここからだ。

 エリオットは重ねた指先に力を入れる。風穴は開けた。サイラスのように余裕のあるフリで、エドゥアルドのように善良を貫け。

「貴族会の運営に関する規定にはこうあります。『執行部は二年に一度、外部の弁護士および会計監査人を招き、各活動部署の査察および監査を行うことで、組織の健全化に努めなければならない』。しかし公表されている過去数年の報告書を見ても、文書室に関する査察や監査は行われていない。対象から漏れていることを、執行部が見落としているのです。フォスター女伯爵の責任を問うならば、検証を怠った執行部も同じく責を負うべきでしょう」

 エリオットはあくまでメンバーを視界から排除し、カニングハム公爵の袖から覗く黒瑪瑙のカフスボタンに視線を注ぎ続ける。

「幸運なことにこの三年、執行部の顔ぶれは変わっていないと聞いています。であれば、その責任は全員に等しくあるでしょう。もちろん、知らずにいたとは言え、委員長の任をまっとうしなかったわたしにも」

 テーブルに、驚愕と緊張が走った。

 ひとりだけを差し出すつもりが、ここにきて全員の首が切られようとしていることに気が付いたのだ。

 道理の上ではエリオットが正しい。しかしそれを支持すれば、自分たちが貴族会の笑いものだ。辞任しても座る椅子が確保されている公爵四人と違い、伯爵以下は再び自分が属する階級で選出されなければ、この会議室へは入れなくなる。

 どう言い訳して自分の椅子を守るかという計算と、家同士の思惑が視線で忙しく交わされる不気味なほどの沈黙の中、エリオットは尋ねた。

「カニングハム公爵、どう思われます?」

 火が放たれる寸前だった薪の山から降ろされたフォスター女伯爵は、胸の前で両手を握り締めてエリオットを見つめている。文書室の不祥事どころではない不正を握られている緊張と、接点のないエリオットがなぜだか自分の危機を救ってくれようとしているという混乱に、目じりのしわまでこわばった顔が青ざめていた。

 恐ろしいほどの沈黙が、時間を停めたかのようだった。もはやサザーランド伯爵も議事の進行を諦めざるを得ず、最終判断はカニングハム公爵にゆだねられた。

 白い扉に施された金のモールディング、半円形の飾り柱に、重厚なカーテンがひだを作るガラス窓。何十年も変わらず貴族たちの政治の舞台となってきた広間に、初めて踏み入ったその足でエリオットは整然とした予定調和を木っ端みじんにしたのだ。
 寛容な姿勢を見せて退くのか、それとも強硬に対抗するのか。カニングハム公爵の反応を、みなじっと待っている。

 そうか、ここではおれがニュータイプなのか。

 立て板に水のごとくしゃべるクレイヴを思い出して、エリオットは少しだけ愉快な気分になった。

 そうして、カニングハム公爵が口を開く。

「ヘインズ公のおっしゃる通り、我々はこの事態を招いた責任を深く受け止め、反省しなければならない」
「カニングハム公、それは……わたくしどもに、フォスター女伯爵とともに辞任せよとおっしゃるの?」

 バーバリーのスカーフを首に巻いた年配の女侯爵が、おそるおそる尋ねた。片手を上げたカニングハム公爵は、強者としての余裕を完全に取り戻している。まるで迷える信者を諭す聖職者のような風格だ。

「それもひとつの責任の取り方ではある。しかし我々は、多くの同胞の委任を受けている執行部として、今後もより一層、自らの責務を忠実に果たしていくべきだともいえる」

 エリオットは閉じたまぶたの中でぐるりと目を回した。

「ヘインズ公がおっしゃりたいのは、問題のある規定の見直しと履行の徹底。つまり人員の処分より再発防止。文書室筆頭の解任と、執行部の解散および再編成の混乱を招くことは、本意ではないのではとわたしは思うのだが、いかがかな?」

 カニングハム公爵が選んだのは、迎合でも対立でもない。テーブルごとひっくり返して、机上の問題をなかったことにする力業だった。もしくはすべての事柄の棚上げ。

 こちら側としては、フォスター女伯爵の処分を前提とした執行部への糾弾だから、処分が取り消されたうえ、形だけでも責任の取り方を示されれば、それ以上の追及をする理由がなくなる。

 潮時だな。

 ベイカーが頷いたのを確認し、エリオットは無害な微笑みで答えた。

「賢明な判断を期待します」
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