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訳あり王子と秘密の恋人 最終章
1.空港
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十一月に入ると、季節は一気に冬へと傾く。小雨が降る日が増え、街ゆく人がダウンコートを着込んでいても気が早いと笑えないほど、朝晩に冷え込むこともあった。
この日も朝から小雨が降ったりやんだりとぐずつき、旅立ちに最適とはいえない空模様だったが、突然の出立を告げたキャロルは天気など気にも留めていない晴れやかな顔つきだった。
エリオットはオーバーサイズのパーカーに、珍しくデニムを合わせたお忍び仕様のゆるい格好で、父親の名前を冠するエドゥアルド国際空港──もしくはエッグ空港──にいた。こういうときにはやたらとタイミングのいいバッシュも、薄手のダウンを抱えた手をデニムのポケットに突っ込んで傍に立っている。
彼はキャロルの見送りというより、エリオットの付き添いのつもりかもしれない。極力目立つのを避けるために、侍従たちを待機所の車に残してきたから。
その甲斐あって、多くの搭乗客とその見送りが行き来する国際線ターミナルの隅で、三人は風景の一部になっていた。誰もが自分が乗る飛行機の出発時間を確認したり、離れ離れになる家族や恋人との別れを惜しんだりで忙しく、よくある友人の見送りになど注目しない。
「見送り、おれたちだけでよかったのか?」
「えぇ」
友人たちとはきのうパーティーを開いた様子がSNSにアップされていたし、両親の見送りは断ったらしい。
「ターミナルで抱き合うのは趣味じゃないの」
キャロルらしい理由だ。
いつも影のように寄り添っていた警護官の姿も見当たらない。公務でない限り、シルヴァーナの警護官は国外へ同行しない決まりだ。それでも、寂しがったり不安そうな様子はない。すでにスーツケースを預けたキャロルは、ガーデンフェアのときと同じ伊達メガネにショルダーバッグひとつの身軽さだった。
荷物といえば、その手にある小さなバラのブーケくらい。
「ブルーグラビティ?」
「そうよ」
むこうに着いたら、まず花瓶を探さなきゃ。
呆れたように、しかし嬉しそうにキャロルは肩を揺らした。
「キャロル、留学は半年先っていってなかった?」
目深にかぶった帽子のつばを少しだけ上げて、エリオットは尋ねる。
恋人のふりをする必要はなくなったが、『契約期間』はまだ残っている。早くても年明けくらいからだと思っていたから、きのう「あした出発なの」という電話が来て驚いた。
「留学はまだ先ね。今回むこうに行くのは、クリスマス公演の出演依頼があったからよ」
それはまた急な話だ。
「飛びつくくらい有名な楽団なの?」
「いいえ。地方の新興楽団。人数もギリギリでやってるところで、ピアニストの欠員が出たの。あなたの会見をたまたまテレビで見てた関係者が、『王族のピアニスト』を呼べば話題になるかもってオファーしたってわけ」
「客引きのためじゃないか」
エリオットは顔をしかめた。
「でもチャンスでしょ? 国内のコンクールでいくつ賞をとっても本場じゃ見向きもされないんだから、あっちでの実績はひとつでも多いほうがいいもの。向こうがわたしを利用するなら、わたしもそうするだけ。それに、ボランティアみたいなギャラでクリスマスのランチを欠席する理由はあるわ」
「というと?」
「楽団の創立メンバーに、行きたい学校のOBがいるの。この際だから、色んなところを回って編入前に人脈を作るつもり」
つえーな。
エリオットは「お見それしました」と両手を上げる。
「じゃあ、頑張って、でいいんだ」
「もちろんよ」
キャロルは不敵に笑ってうなずいた。
短い時間だったが、ふたりは立ち話をした。論文の執筆が追い込みに入り、毎日のようにゴードンから進捗を確認されることとか、王子とのロマンスが始まらなかったことを、キャロルの友人たちが残念がっているとか。
そのなかで彼女は、これからの仕事を手伝えないことを謝った。巻き込んでおいて、自分はさっさと出国することに思うところがあるらしい。なのでエリオットは、困ったときには相談するといい、彼女は快く請け負った。
もちろん社交辞令ではなく、問題があればきっとエリオットは電話をするだろうし、キャロルも必ず助けてくれるはずだ。
この日も朝から小雨が降ったりやんだりとぐずつき、旅立ちに最適とはいえない空模様だったが、突然の出立を告げたキャロルは天気など気にも留めていない晴れやかな顔つきだった。
エリオットはオーバーサイズのパーカーに、珍しくデニムを合わせたお忍び仕様のゆるい格好で、父親の名前を冠するエドゥアルド国際空港──もしくはエッグ空港──にいた。こういうときにはやたらとタイミングのいいバッシュも、薄手のダウンを抱えた手をデニムのポケットに突っ込んで傍に立っている。
彼はキャロルの見送りというより、エリオットの付き添いのつもりかもしれない。極力目立つのを避けるために、侍従たちを待機所の車に残してきたから。
その甲斐あって、多くの搭乗客とその見送りが行き来する国際線ターミナルの隅で、三人は風景の一部になっていた。誰もが自分が乗る飛行機の出発時間を確認したり、離れ離れになる家族や恋人との別れを惜しんだりで忙しく、よくある友人の見送りになど注目しない。
「見送り、おれたちだけでよかったのか?」
「えぇ」
友人たちとはきのうパーティーを開いた様子がSNSにアップされていたし、両親の見送りは断ったらしい。
「ターミナルで抱き合うのは趣味じゃないの」
キャロルらしい理由だ。
いつも影のように寄り添っていた警護官の姿も見当たらない。公務でない限り、シルヴァーナの警護官は国外へ同行しない決まりだ。それでも、寂しがったり不安そうな様子はない。すでにスーツケースを預けたキャロルは、ガーデンフェアのときと同じ伊達メガネにショルダーバッグひとつの身軽さだった。
荷物といえば、その手にある小さなバラのブーケくらい。
「ブルーグラビティ?」
「そうよ」
むこうに着いたら、まず花瓶を探さなきゃ。
呆れたように、しかし嬉しそうにキャロルは肩を揺らした。
「キャロル、留学は半年先っていってなかった?」
目深にかぶった帽子のつばを少しだけ上げて、エリオットは尋ねる。
恋人のふりをする必要はなくなったが、『契約期間』はまだ残っている。早くても年明けくらいからだと思っていたから、きのう「あした出発なの」という電話が来て驚いた。
「留学はまだ先ね。今回むこうに行くのは、クリスマス公演の出演依頼があったからよ」
それはまた急な話だ。
「飛びつくくらい有名な楽団なの?」
「いいえ。地方の新興楽団。人数もギリギリでやってるところで、ピアニストの欠員が出たの。あなたの会見をたまたまテレビで見てた関係者が、『王族のピアニスト』を呼べば話題になるかもってオファーしたってわけ」
「客引きのためじゃないか」
エリオットは顔をしかめた。
「でもチャンスでしょ? 国内のコンクールでいくつ賞をとっても本場じゃ見向きもされないんだから、あっちでの実績はひとつでも多いほうがいいもの。向こうがわたしを利用するなら、わたしもそうするだけ。それに、ボランティアみたいなギャラでクリスマスのランチを欠席する理由はあるわ」
「というと?」
「楽団の創立メンバーに、行きたい学校のOBがいるの。この際だから、色んなところを回って編入前に人脈を作るつもり」
つえーな。
エリオットは「お見それしました」と両手を上げる。
「じゃあ、頑張って、でいいんだ」
「もちろんよ」
キャロルは不敵に笑ってうなずいた。
短い時間だったが、ふたりは立ち話をした。論文の執筆が追い込みに入り、毎日のようにゴードンから進捗を確認されることとか、王子とのロマンスが始まらなかったことを、キャロルの友人たちが残念がっているとか。
そのなかで彼女は、これからの仕事を手伝えないことを謝った。巻き込んでおいて、自分はさっさと出国することに思うところがあるらしい。なのでエリオットは、困ったときには相談するといい、彼女は快く請け負った。
もちろん社交辞令ではなく、問題があればきっとエリオットは電話をするだろうし、キャロルも必ず助けてくれるはずだ。
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