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番外編 重ねる日々
チリコンカンと噂話
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同僚たちもよく通う王宮近くのバルは、今夜も盛況だ。
運よく前の客と入れ替わりでカウンターの端に席を取り、頼んだ料理がそろうと、バッシュはさっそくフォークを取り上げた。チリコンカンの海の横たわるベイクドポテトを潰し、バゲットにのせて噛り付く。
ピリッと辛く煮込まれた豆は、ポテトにもパンにもよく合った。スーパーで缶詰になって売られているほどありふれた料理だが、気取らない食事にはちょうどいい。
その隣で、フレッドがエールのグラスを傾ける。
多国籍料理を出すバルはアルコールの品ぞろえのよさも評判だが、侍従や侍女の暗黙の了解で、最初の一杯は王室御用達のエンブレムを掲げる工房のエールと決まっていた。
一気に半分ほど空けたグラスをコースターに置き、自分が注文したスカンピーフライをひとつ口に放り込んで、フレッドはバッシュを夕飯に誘った理由に直球で切り込んだ。
「お前、転属するんじゃないかって噂が立ってるぞ」
「転属?」
再びバゲットに噛り付こうと開いた口で、怪訝な問いを返す。
端から落ちた豆が、ぴかぴかに磨かれたカウンターに転がった。おっと。すかさず手を伸ばして紙のナプキンを引き抜き、汚れを拭く。
「なんだ、その様子じゃガセか」
「当たり前だろう。まだ配属されて一年もたってないんだぞ」
「そりゃそうだけど、あの兄なら弟のためにやりかねないから、だれも否定できなくてさ」
目ざとくやってきた店員に丸めたナプキンを渡して、バッシュは頬をかいた。
「……噂の転属先って、『別宅』か」
「ベイカーに引き抜きかけられてるって話も聞いたな」
「勘弁してくれ」
ただの噂だと分かったとたん、嬉々としてからかってくる同僚にため息をつく。
「お前が『別宅』に通ってるの、向こうのフォローだろ? 正式な復帰でいよいよ人員が足りなくなって、補充要員に選ばれたんじゃないかってのが、もっともらしい理由だな」
「残念ながらハズレだ」
どちらの意味でも。
実際は恋人に会いに行っているだけで仕事はしていないし、カルバートンのスタッフは優秀で、忙しくはあってもほかのチームから現役侍従を引き抜くほど切羽詰まってはいない。
しかし、そんな噂が出ているとは。
刻まれた玉ねぎ、ひき肉、トマトのかけらを舌の上で仕分けしながら、バッシュは眉を寄せる。
「……メイスンは知ってるのか?」
「知ってるだろ」
おれらの筆頭だぜ?
学生時代にアイスホッケーで鍛えた肩を上下させて、フレッドがいう。
主力は三十代から四十代の若手が占めるサイラスの侍従たちだが、筆頭のメイスンはじき七十に手が届こうかという老紳士だ。エリオットとベイカーの関係と同じく、サイラスが子どものころから傍に仕えてきた。
現在は年齢のこともあり、部下を動かす司令塔として事務所にいることが多い。主人の公務にもほとんど同行しないし、ともするとひとつ飛ばして侍従長のほうがサイラスと距離が近いように見えることもあるくらいだ。
しかし長年の信頼関係はやはり特別で、サイラスは公的な書類を収めた書類箱の鍵の所持を、メイスンにしか許していない。
そんな上司に、ガセとはいえ妙な噂が知られているのは愉快なことではなかった。
深刻な顔をしたからか、二杯目のシャンディガフを注文したフレッドは「まぁでも」ととりなした。
「そもそもの話し、お前があっちのフォローに入るのを許したのもメイスンなんだから、別に二心があるなんてことは思わないだろ」
それもそうか。
サイラスの成婚の儀を前に招待状を届けてから、しばらく本来の仕事を離れてエリオットのフラットに入り浸っていたことを思い出す。
いくら侍従長とはいえ、筆頭のメイスンが了承しなければそんな指示を出すことはできないはずだ。
「そうだな」
うなずき、バゲットをちぎる。横から手を伸ばしたフレッドが、カラッと揚がったエビでチリコンカンを狙ってきた。ランチミーティングや招待された食事会では絶対にやらない暴挙だ。
エールのグラスでガードしようかとも思ったが、自分がいないところで囁かれている噂を教えてくれた礼にディップを許し、バッシュはふたりの肘のあいだに皿を押しやった。
「おれは正直なところ、恋人ができて心境の変化でもあっての転属かと思ったけどな」
「エビをくれ」
「代わりに恋人の話しはしない、だな」
相変わらずそっちのガードは硬いな、と面白そうにいうので、バッシュは空になったグラスを振って店員に二杯目を要求した。
この同僚は噂好きで調子のいい男だが、引き際もちゃんとわきまえている。バッシュの秘密はのどから発せられることもなく、供されたピムスと一緒に腹へと落ちていった。
運よく前の客と入れ替わりでカウンターの端に席を取り、頼んだ料理がそろうと、バッシュはさっそくフォークを取り上げた。チリコンカンの海の横たわるベイクドポテトを潰し、バゲットにのせて噛り付く。
ピリッと辛く煮込まれた豆は、ポテトにもパンにもよく合った。スーパーで缶詰になって売られているほどありふれた料理だが、気取らない食事にはちょうどいい。
その隣で、フレッドがエールのグラスを傾ける。
多国籍料理を出すバルはアルコールの品ぞろえのよさも評判だが、侍従や侍女の暗黙の了解で、最初の一杯は王室御用達のエンブレムを掲げる工房のエールと決まっていた。
一気に半分ほど空けたグラスをコースターに置き、自分が注文したスカンピーフライをひとつ口に放り込んで、フレッドはバッシュを夕飯に誘った理由に直球で切り込んだ。
「お前、転属するんじゃないかって噂が立ってるぞ」
「転属?」
再びバゲットに噛り付こうと開いた口で、怪訝な問いを返す。
端から落ちた豆が、ぴかぴかに磨かれたカウンターに転がった。おっと。すかさず手を伸ばして紙のナプキンを引き抜き、汚れを拭く。
「なんだ、その様子じゃガセか」
「当たり前だろう。まだ配属されて一年もたってないんだぞ」
「そりゃそうだけど、あの兄なら弟のためにやりかねないから、だれも否定できなくてさ」
目ざとくやってきた店員に丸めたナプキンを渡して、バッシュは頬をかいた。
「……噂の転属先って、『別宅』か」
「ベイカーに引き抜きかけられてるって話も聞いたな」
「勘弁してくれ」
ただの噂だと分かったとたん、嬉々としてからかってくる同僚にため息をつく。
「お前が『別宅』に通ってるの、向こうのフォローだろ? 正式な復帰でいよいよ人員が足りなくなって、補充要員に選ばれたんじゃないかってのが、もっともらしい理由だな」
「残念ながらハズレだ」
どちらの意味でも。
実際は恋人に会いに行っているだけで仕事はしていないし、カルバートンのスタッフは優秀で、忙しくはあってもほかのチームから現役侍従を引き抜くほど切羽詰まってはいない。
しかし、そんな噂が出ているとは。
刻まれた玉ねぎ、ひき肉、トマトのかけらを舌の上で仕分けしながら、バッシュは眉を寄せる。
「……メイスンは知ってるのか?」
「知ってるだろ」
おれらの筆頭だぜ?
学生時代にアイスホッケーで鍛えた肩を上下させて、フレッドがいう。
主力は三十代から四十代の若手が占めるサイラスの侍従たちだが、筆頭のメイスンはじき七十に手が届こうかという老紳士だ。エリオットとベイカーの関係と同じく、サイラスが子どものころから傍に仕えてきた。
現在は年齢のこともあり、部下を動かす司令塔として事務所にいることが多い。主人の公務にもほとんど同行しないし、ともするとひとつ飛ばして侍従長のほうがサイラスと距離が近いように見えることもあるくらいだ。
しかし長年の信頼関係はやはり特別で、サイラスは公的な書類を収めた書類箱の鍵の所持を、メイスンにしか許していない。
そんな上司に、ガセとはいえ妙な噂が知られているのは愉快なことではなかった。
深刻な顔をしたからか、二杯目のシャンディガフを注文したフレッドは「まぁでも」ととりなした。
「そもそもの話し、お前があっちのフォローに入るのを許したのもメイスンなんだから、別に二心があるなんてことは思わないだろ」
それもそうか。
サイラスの成婚の儀を前に招待状を届けてから、しばらく本来の仕事を離れてエリオットのフラットに入り浸っていたことを思い出す。
いくら侍従長とはいえ、筆頭のメイスンが了承しなければそんな指示を出すことはできないはずだ。
「そうだな」
うなずき、バゲットをちぎる。横から手を伸ばしたフレッドが、カラッと揚がったエビでチリコンカンを狙ってきた。ランチミーティングや招待された食事会では絶対にやらない暴挙だ。
エールのグラスでガードしようかとも思ったが、自分がいないところで囁かれている噂を教えてくれた礼にディップを許し、バッシュはふたりの肘のあいだに皿を押しやった。
「おれは正直なところ、恋人ができて心境の変化でもあっての転属かと思ったけどな」
「エビをくれ」
「代わりに恋人の話しはしない、だな」
相変わらずそっちのガードは硬いな、と面白そうにいうので、バッシュは空になったグラスを振って店員に二杯目を要求した。
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