箱庭の子ども〜世話焼き侍従と訳あり王子〜

真木もぐ

文字の大きさ
316 / 338
番外編 重ねる日々

チリコンカンと噂話

しおりを挟む
 同僚たちもよく通う王宮近くのバルは、今夜も盛況だ。

 運よく前の客と入れ替わりでカウンターの端に席を取り、頼んだ料理がそろうと、バッシュはさっそくフォークを取り上げた。チリコンカンの海の横たわるベイクドポテトを潰し、バゲットにのせて噛り付く。

 ピリッと辛く煮込まれた豆は、ポテトにもパンにもよく合った。スーパーで缶詰になって売られているほどありふれた料理だが、気取らない食事にはちょうどいい。

 その隣で、フレッドがエールのグラスを傾ける。

 多国籍料理を出すバルはアルコールの品ぞろえのよさも評判だが、侍従や侍女の暗黙の了解で、最初の一杯は王室御用達のエンブレムを掲げる工房のエールと決まっていた。

 一気に半分ほど空けたグラスをコースターに置き、自分が注文したスカンピーフライをひとつ口に放り込んで、フレッドはバッシュを夕飯に誘った理由に直球で切り込んだ。

「お前、転属するんじゃないかって噂が立ってるぞ」
「転属?」

 再びバゲットに噛り付こうと開いた口で、怪訝な問いを返す。

 端から落ちた豆が、ぴかぴかに磨かれたカウンターに転がった。おっと。すかさず手を伸ばして紙のナプキンを引き抜き、汚れを拭く。

「なんだ、その様子じゃガセか」
「当たり前だろう。まだ配属されて一年もたってないんだぞ」
「そりゃそうだけど、あの兄なら弟のためにやりかねないから、だれも否定できなくてさ」

 目ざとくやってきた店員に丸めたナプキンを渡して、バッシュは頬をかいた。

「……噂の転属先って、『別宅』か」
「ベイカーに引き抜きかけられてるって話も聞いたな」
「勘弁してくれ」

 ただの噂だと分かったとたん、嬉々としてからかってくる同僚にため息をつく。

「お前が『別宅』に通ってるの、向こうのフォローだろ? 正式な復帰でいよいよ人員が足りなくなって、補充要員に選ばれたんじゃないかってのが、もっともらしい理由だな」
「残念ながらハズレだ」

 どちらの意味でも。

 実際は恋人に会いに行っているだけで仕事はしていないし、カルバートンのスタッフは優秀で、忙しくはあってもほかのチームから現役侍従を引き抜くほど切羽詰まってはいない。

 しかし、そんな噂が出ているとは。

 刻まれた玉ねぎ、ひき肉、トマトのかけらを舌の上で仕分けしながら、バッシュは眉を寄せる。

「……メイスンは知ってるのか?」
「知ってるだろ」

 おれらの筆頭だぜ?

 学生時代にアイスホッケーで鍛えた肩を上下させて、フレッドがいう。

 主力は三十代から四十代の若手が占めるサイラスの侍従たちだが、筆頭のメイスンはじき七十に手が届こうかという老紳士だ。エリオットとベイカーの関係と同じく、サイラスが子どものころから傍に仕えてきた。

 現在は年齢のこともあり、部下を動かす司令塔として事務所にいることが多い。主人の公務にもほとんど同行しないし、ともするとひとつ飛ばして侍従長のほうがサイラスと距離が近いように見えることもあるくらいだ。

 しかし長年の信頼関係はやはり特別で、サイラスは公的な書類を収めた書類箱の鍵の所持を、メイスンにしか許していない。

 そんな上司に、ガセとはいえ妙な噂が知られているのは愉快なことではなかった。

 深刻な顔をしたからか、二杯目のシャンディガフを注文したフレッドは「まぁでも」ととりなした。

「そもそもの話し、お前があっちのフォローに入るのを許したのもメイスンなんだから、別に二心があるなんてことは思わないだろ」

 それもそうか。

 サイラスの成婚の儀を前に招待状を届けてから、しばらく本来の仕事を離れてエリオットのフラットに入り浸っていたことを思い出す。

 いくら侍従長とはいえ、筆頭のメイスンが了承しなければそんな指示を出すことはできないはずだ。

「そうだな」

 うなずき、バゲットをちぎる。横から手を伸ばしたフレッドが、カラッと揚がったエビでチリコンカンを狙ってきた。ランチミーティングや招待された食事会では絶対にやらない暴挙だ。

 エールのグラスでガードしようかとも思ったが、自分がいないところで囁かれている噂を教えてくれた礼にディップを許し、バッシュはふたりの肘のあいだに皿を押しやった。

「おれは正直なところ、恋人ができて心境の変化でもあっての転属かと思ったけどな」
「エビをくれ」
「代わりに恋人の話しはしない、だな」

 相変わらずそっちのガードは硬いな、と面白そうにいうので、バッシュは空になったグラスを振って店員に二杯目を要求した。

 この同僚は噂好きで調子のいい男だが、引き際もちゃんとわきまえている。バッシュの秘密はのどから発せられることもなく、供されたピムスと一緒に腹へと落ちていった。
しおりを挟む
感想 10

あなたにおすすめの小説

うちの前に落ちてたかわいい男の子を拾ってみました。 【完結】

まつも☆きらら
BL
ある日、弟の海斗とマンションの前にダンボールに入れられ放置されていた傷だらけの美少年『瑞希』を拾った優斗。『1ヵ月だけ置いて』と言われ一緒に暮らし始めるが、どこか危うい雰囲気を漂わせた瑞希に翻弄される海斗と優斗。自分のことは何も聞かないでと言われるが、瑞希のことが気になって仕方ない2人は休みの日に瑞希の後を尾けることに。そこで見たのは、中年の男から金を受け取る瑞希の姿だった・・・・。

怒られるのが怖くて体調不良を言えない大人

こじらせた処女
BL
 幼少期、風邪を引いて学校を休むと母親に怒られていた経験から、体調不良を誰かに伝えることが苦手になってしまった佐倉憂(さくらうい)。 しんどいことを訴えると仕事に行けないとヒステリックを起こされ怒られていたため、次第に我慢して学校に行くようになった。 「風邪をひくことは悪いこと」 社会人になって1人暮らしを始めてもその認識は治らないまま。多少の熱や頭痛があっても怒られることを危惧して出勤している。 とある日、いつものように会社に行って業務をこなしていた時。午前では無視できていただるけが無視できないものになっていた。 それでも、自己管理がなっていない、日頃ちゃんと体調管理が出来てない、そう怒られるのが怖くて、言えずにいると…?

身代わりにされた少年は、冷徹騎士に溺愛される

秋津むぎ
BL
第13回BL大賞奨励賞頂きました! 最終17位でした!応援ありがとうございます! あらすじ 魔力がなく、義母達に疎まれながらも必死に生きる少年アシェ。 ある日、義兄が騎士団長ヴァルドの徽章を盗んだ罪をアシェに押し付け、身代わりにされてしまう。 死を覚悟した彼の姿を見て、冷徹な騎士ヴァルドは――? 傷ついた少年と騎士の、温かい溺愛物語。

借金のカタで二十歳上の実業家に嫁いだΩ。鳥かごで一年過ごすだけの契約だったのに、氷の帝王と呼ばれた彼に激しく愛され、唯一無二の番になる

水凪しおん
BL
名家の次男として生まれたΩ(オメガ)の青年、藍沢伊織。彼はある日突然、家の負債の肩代わりとして、二十歳も年上のα(アルファ)である実業家、久遠征四郎の屋敷へと送られる。事実上の政略結婚。しかし伊織を待ち受けていたのは、愛のない契約だった。 「一年間、俺の『鳥』としてこの屋敷で静かに暮らせ。そうすれば君の家族は救おう」 過去に愛する番を亡くし心を凍てつかせた「氷の帝王」こと征四郎。伊織はただ美しい置物として鳥かごの中で生きることを強いられる。しかしその瞳の奥に宿る深い孤独に触れるうち、伊織の心には反発とは違う感情が芽生え始める。 ひたむきな優しさは、氷の心を溶かす陽だまりとなるか。 孤独なαと健気なΩが、偽りの契約から真実の愛を見出すまでの、切なくも美しいシンデレラストーリー。

ある少年の体調不良について

雨水林檎
BL
皆に好かれるいつもにこやかな少年新島陽(にいじまはる)と幼馴染で親友の薬師寺優巳(やくしじまさみ)。高校に入学してしばらく陽は風邪をひいたことをきっかけにひどく体調を崩して行く……。 BLもしくはブロマンス小説。 体調不良描写があります。

帝に囲われていることなど知らない俺は今日も一人草を刈る。

志子
BL
ノリと勢いで書いたBL転生中華ファンタジー。 美形×平凡。 乱文失礼します。誤字脱字あったらすみません。 崖から落ちて顔に大傷を負い高熱で三日三晩魘された俺は前世を思い出した。どうやら農村の子どもに転生したようだ。 転生小説のようにチート能力で無双したり、前世の知識を使ってバンバン改革を起こしたり……なんてことはない。 そんな平々凡々の俺は今、帝の花園と呼ばれる後宮で下っ端として働いてる。 え? 男の俺が後宮に? って思ったろ? 実はこの後宮、ちょーーと変わっていて…‥。

【BL】捨てられたSubが甘やかされる話

橘スミレ
BL
 渚は最低最悪なパートナーに追い出され行く宛もなく彷徨っていた。  もうダメだと倒れ込んだ時、オーナーと呼ばれる男に拾われた。  オーナーさんは理玖さんという名前で、優しくて暖かいDomだ。  ただ執着心がすごく強い。渚の全てを知って管理したがる。  特に食へのこだわりが強く、渚が食べるもの全てを知ろうとする。  でもその執着が捨てられた渚にとっては心地よく、気味が悪いほどの執着が欲しくなってしまう。  理玖さんの執着は日に日に重みを増していくが、渚はどこまでも幸福として受け入れてゆく。  そんな風な激重DomによってドロドロにされちゃうSubのお話です!  アルファポリス限定で連載中

4人の兄に溺愛されてます

まつも☆きらら
BL
中学1年生の梨夢は5人兄弟の末っ子。4人の兄にとにかく溺愛されている。兄たちが大好きな梨夢だが、心配性な兄たちは時に過保護になりすぎて。

処理中です...