来し方、行く末

紫乃森統子

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七.来し方

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 葬儀はごく小さなものだった。
 既に家督は与十郎が継いでいたし、親戚からも縁を切られて久しく、報せたところで参列者は少なかろうと思っていた。
 隣近所くらいは手伝いを買ってくれるかと期待したが、近くにいながら長年島崎の家を忌避してきたことへの遠慮からか、顔を出すには出しても、積極的なものではなかった。
 そんな中にも、係累がなくなった途端に態度を変える者はいるもので、「これで漸く嫁も取れるだろう」と不謹慎にも縁談話を振ってきた者もいる。
 これまで寄り付きもしなかった者に限って、場にそぐわぬ世話を焼きたがるのは実に滑稽であった。
 門下から人を出そう、という平井の言葉に甘え、平井の妻女と娘の志野もまた家内の一切を取り仕切ってくれたお陰で、何とか形にはなっただろう。
 参列者が通り一遍の挨拶を残してそそくさと帰り出した頃、与十郎はやっと人心地がついた気がしていた。
 父の位牌に、なんとなく母のそれを並べ添えてやると、背後に人が座る気配がした。
 何かと振り返った与十郎の斜め後ろに、志野が膝を折り、その場に頭を下げたのである。
「父の先日の非礼、私からもお詫び申します」
 非礼、と志野は言うが、与十郎は小首を傾げた。
「平井先生には一方ならぬ恩がありこそすれ、非礼などは何も……」
 と言いながら、はたと気付く。
(座敷牢がどうのという話か)
 以前平井が訪ねてきた折に、婿入りの話と共に話題に登ったのを覚えている。
「座敷牢などと、お父上の矜持を傷付けるようなことを申したと後になって知りました」
 志野は頭を下げたまま、一向に顔を見せようとしない。
「それも婿入りを打診する側でありながら、条件として提示したと聞きました。こんな時に申し上げるべきではないかもしれませんが、お父上のご存命中にお詫び出来なかったことが悔やまれてなりません」
「志野どのが詫びるようなことではありません。亡き父も、家中の皆様には多分に迷惑と心配をお掛けした」
「いいえ……父があのようなことを申したのは、私にも責があります」
 志野は自分がいつまでも婿を取らずにいることがその原因だとして、責任を感じているのだろう。
 頭を下げ続ける志野に、与十郎は困り果てた。
「志野どの。もうそのくらいで、顔を上げては頂けませんか」
「………」
 すると漸く、志野はそろそろと伏した顔を上げた。
「思うに……、如何に気を病んでいたとしても、父にはまだ理知があったはずなのだ」
 物に当たり、罵詈雑言を喚き散らすことはあっても、人に危害を加えることはなかった。
 刀の在処を知っていながら持ち出さず、最期は自ら果てたことからも、決して世間の言う狂人などではなかったのだ。
 ちらと二つ並んだ位牌に目を向ける。
「父は母を大切にしていたし、母も父を思えばこそ、あの時離縁の勧めに応じなかったのだろう」
 国許へ戻されたばかりの頃、父は家族を守ろうとし、母はそんな父を支えて励ましていた。まだ子供だった与十郎の目にも、二人は苦難と対峙しつつも互いに労りあっていたように思う。
 しかし、それが更なる不幸を招いた。
「皮肉なことだ」
 それから暫時、与十郎の語る昔の話を、志野は黙って聞いていた。
 
   ***
 
「父上からも、与十郎どのにしっかり謝罪をなさってくださいね」
 居間で囲炉裏にあたっていた平井道場の主に、志野は前のめりになって念を押した。
 朝稽古で一汗流し終え、これから朝餉だという時分のことだ。
「与十郎どののお父上は、狂人などではありませんでした。また道場にも顔を出して下さるようにお願いしましたから、きちんと頭を下げてお詫びしてください」
 平井は目を真ん丸にして、娘の志野を見返す。
「なんだお前、そんなに怒って。……さては与十郎に惚れたか」
「なんの話ですか! 私は父上のとんでもない発言を謝罪なさるよう言っているだけですよ」
「いや、分かっておる。確かにあれは失言であった」
 志野がむっとして言い返すと、平井は真摯に娘の言葉を受け止めた様子であった。
 勢いに任せて誤魔化しはしたが、志野は心中密かに動揺していた。
 どこか浮足立つような感情が、胸の内に湧き上がって満ちていくのを感じたからだった。
 
   ***
 
 初七日の法要が済んだ頃、志野は墓参のために婢を連れて早朝から家を出た。
 塀の向こうに蝋梅の咲く妙光寺の山門を潜ると、朝の光に照らされた本堂の甍が光るのが見えた。
 真新しい卒塔婆の立つ島崎家の墓所にまで来ると、婢と一緒になって献花を替える。
 志野は改めて、彦之進の墓前に手を合わせた。
 そろそろ与十郎も勤めを再開する頃だろう。
 あまり出しゃばるのも気が引けてしまい、葬儀の後は平井家の下男や下女を遣いに出すのみで、志野自身が直接訪ねて行くことは控えていた。
 奉公人はまだ見つからない様子だったが、今後はどうするつもりなのだろうか。
 当主の与十郎ひとりになったところで、縁談の一つ二つは持ち込まれただろうか。
 気に掛かるものの、話題に挙げればまた婿取りに焦る父を焚き付けてしまいそうで、志野は黙って朝な夕なに遣いを出していた。
「今朝はどんなご様子だったかしら」
 婢に尋ねると「お変わりなくお過ごしのご様子でした」と、さっぱり様子の伝わらない答えが返る。
 主菜を取分けて分けてその都度持たせ、ついでに困り事がないかを尋ねてくるように言い付けているが、婢は毎度この返事だ。
 もう少し詳しい様子が知れないものかと、もどかしく思いながら山門を出て坂道を下り始めた。
 その坂の麓に、見覚えのある男が佇立しているのに気付く。
 懐手で坂下の塀に背を預け、気味の悪い視線でじっと志野の姿を捉えているようだった。
 
 
 
 
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