風に散る─幕末戊辰二本松─

紫乃森統子

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本編

第五章 降嫁予告(2)

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 けろりと言い返す丹波の顔をじっとり窺ってから、瑠璃は後ろに仰け反り天を仰いだ。
「どっちにしろ、誰かと婚姻しろということじゃないか。こんな時に婚礼に暇を割くわけにゆかぬじゃろ、んもー、めんどくさい」
 後半は本音だが、事実この正月が明けてからというもの、城には周辺の諸藩からの使者が後を絶たない。
 朝廷より出された徳川慶喜追討令については、奥羽の諸藩もどう身を振るべきかと鵜の目鷹の目なのである。
「そんなことよりも、我が藩はどう動くのじゃ。丹羽家が朝廷に付くのか、あくまで幕府の側として貫き通すのか」
 それ次第で今後の展望も大きく変わる。
「……未だ定まってはおりませぬ」
 江戸藩邸からの報せは引きも切らずに届くものの、日を追うごとに情勢は幕府側を追い詰めていた。
 二本松藩丹羽家は外様大名である。
 古くは戦国の世において織田家の宿老、丹羽長秀から続く血筋であった。
 隣接する会津藩とはそもそもの立場が異なる。
 故に諸国は同様に仙台や米沢など主立った外様大名の出方を伺っているようだった。
 十万余石の二本松藩も例外ではなく、諸国はその動向に目を光らせている。
「こうした時勢であればこそ、ですぞ。瑠璃様の為さり様一つで事態が動くことも充分にあり得る」
「私の立場で藩政を動かすのは無理じゃ、なにを寝呆けたことを」
「なーんでか瑠璃様はいつの間にやら皆に取り入っておられますからなぁ。瑠璃様にその気がなくとも、そのお立場を利用して良からぬことを企てる者が出ないとも限りませぬ」
 口調は普段と何ら変わりないが、丹波は至って真剣な面持ちだ。
 瑠璃に想像の及ばぬ何かを懸念しているか、それとも既に起こりかけている何かを察知しているのか。
「幸い妹姫もおられます。まだ幼くあられるが、何、瑠璃様ほど扱いにくくはございませんからな! そういうわけですので、さくっとそれなりの相手へ降嫁されては如何かと」
「丹波殿、さっきからそなたは喧嘩を売っておるのか……? 噛み付いてやろうか? それとも嫌な家老第一位に名を刻んでやろうか? 石碑を建てて末代まで語り継ぐぞ?」
「二位と三位が気になるところですな」
 それで、と丹波は答えを迫る。
 が、当然ぽっと出た降嫁の話にすぐに頷く気にもなれず、瑠璃はただ一言、考えておくとだけ言い残して部屋を出たのであった。
 
   ***
 
 片膝を立て、手順通りに銃身を構えると、遠く向う側に見据えた的に照準を合わせる。
 引き金を引く瞬間はいつも、周囲の声が聞こえなくなる。
 篠竹のさざめくのも、鳥の声も、何もかもが遠く感じられ、自らの呼吸の音だけが一定の間隔で己の内側に寄せては返す。
 やがて照準が定まると、瑠璃はその指の腹で引き金を引いた。
 弾丸は見事に的の中央付近を撃ち抜き、銃口からは硝煙が立ち昇る。
「………」
「………」
 発砲の音の後、見守っていた銃太郎も助之丞も、そして他の門弟たちもが一様に的を凝視して沈黙する。
「……あれ? 外したか?」
「っはぁぁああ!? なんっだよ瑠璃姫すげぇじゃん! なにこの目覚ましい上達!?」
「待て青山。まぐれという可能性もある」
 幾度か通い、これまで一度も的に掠りすらしなかった弾道がぴたりと中央を捉えたのである。
 助之丞は途端に歓声を上げたが、銃太郎のほうは一時瞠目したものの実に冷静に言い捨てる。
 実際、銃太郎の見立てのほうが正しいだろう。
「今の感覚で、もう一度やってみなさい」
「えー、若先生、次俺の番なのにー」
「少し待て、篤次郎」
 共に小銃の重さに驚いていた篤次郎は、瑠璃とは対象的に入門直後から順調に力を付けており、放つ度に的に当てるようになっていた。
「さあ、もう一度」
 銃太郎に促され、瑠璃は再び弾を込めて暫時瞑目してから今し方と同様の手順と構えで的に臨む。
「あぁあああぁぁ、惜しいィ!」
「やっぱりまぐれだったかぁー」
「ほら見ろ、瑠璃姫より俺のほうが絶対巧いと思ってたー!!」
 全く同じように狙ったにも関わらず、弾は的の端を辛うじて掠めただけであった。
 助之丞は盛大に悔しがり、篤次郎は大喜び、銃太郎は得心がいったように何度か頷く。
 他の門下生たちも口々に揶揄からかったり励ましたりと忙しいが、小銃を抱えて膝をついたままの瑠璃の頭上に、すっと影が掛かった。
「多分、肘を置く位置だ」
「え? そうなのか……?」
 見上げた拍子に、こちらを見下ろす銃太郎の視線とぶつかる。そうしてそのまま寄り添うように膝を折り、瑠璃の腕ごと小銃を取ると今一度片膝を立てて射撃姿勢を取るよう促された。

 
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