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本編
第十四章 恋は思案の外(2)
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「今朝も和左衛門殿を通して若君のお招きがあったそうですな」
「ああ、あったな」
翌朝、鳴海を伴って藩庁門に向けて歩きながら、瑠璃はどっと吐息した。
この日改めて、砲術道場へ赴くことにしたのである。
銃太郎の顔を浮かべると途端に胸中に靄がかかるようですっきりとしないが、そこは弟子として割り切らねばならない。そもそもあれだけ無理を押し通して弟子入りしたのだ。妻女があったからと言って、師弟関係には何ら影響はない。寧ろ世話になっている身として、しっかり挨拶せねばなるまいと気合を入れ直したばかりだった。
そこに更に和左衛門の襲撃があり、いつもの口上でやや強引に躱してきたのである。
鳴海が側に控えている時には影も見せないのに、和左衛門は一体どこで見ているものか、瑠璃が一人になった途端に姿を現す。
お忍びに役立ちそうなその極意を、是非にも教授願いたいものだ。
「常々考えておりましたが、瑠璃様は若君を如何ように御思いか」
「何とも思うておらぬぞ」
どう思おうにも、五郎についてあまりに知らなさ過ぎる。好感も嫌悪感も、共にある程度相手を知らねば湧いてこない感情で、判断が付かないというのが正直なところであった。
「ついでに言えば、和左衛門のことも別に嫌いではない。寧ろ、これまで民政に心血を注ぎ、奢侈を嫌って毎度炊き返しの飯を喰むという倹約振りは好感が持てるくらいじゃ。そら、それを見よ」
言って、瑠璃は藩庁門の脇にどっしりと鎮座する大岩を示す。
士分の者を戒める、十六字の漢詩が彫られた自然の一枚岩だ。
士分の者の禄は、民の血と汗から与えられるもの。民を虐げる事あらば必ずやその報いを受けるだろう、という教えである。
和左衛門の姿は、まさにそれであった。
思えば獄中から上書を認めたという三浦権太夫という男も、その教えを強く抱いているのかもしれなかった。
「そなたも一学殿と同様、反薩長であるようじゃが──」
「当然ですな。既に徳川家が恭順しているというのに、この上会津や庄内を何が何でも叩き潰すという姿勢は気に入らん。この奥州に土足で踏み込み、我ら奥州諸藩の兵をもって同じく奥州の会津庄内を攻めさせるなど、赦し難い」
途端に、鳴海の眼差しが鋭くなる。
番方の者たちは特に、恭順を良しとしない。義憤に駆られる者も事実多かった。
「……そうじゃな」
歯切れの悪い返答に、鳴海はその目に微かな緊張を走らせた。
「瑠璃様、よもや恭順をお考えではありますまいな」
その声音が張り詰めているように聞こえるのも、気のせいではあるまい。
「まさか。私とて、薩長のやり様に憤るところは大いにあるのじゃぞ」
ただ、二律背反する主張に触れたとき、どう振る舞えば良いのか迷う時がある。
独り言のように呟き、瑠璃は漢詩の彫られた岩にぺたりと手を触れる。
「ならば宜しゅうございますが」
そう息をついた鳴海の声に重なるように、門の外から何かを言い合うような声と下駄の音が近付いた。
やがて姿を現したのは、銃太郎と助之丞であった。
会話の声はそう大きなものでもなかったが、朝の清々しい空気に不似合いな、険悪なものだ。
「お前も道場へ出向かねばならんのだろう? 瑠璃は私に任せて貰って構わないぞ」
「何言ってんですか、俺はねぇ、瑠璃姫直々に役目を仰せつかってんですよ。それに昔馴染みだ。ぽっと出の銃太郎さんより厚い信頼を得てるんで!」
「瑠璃は私の門弟だ。昔がどうだろうと、今瑠璃を預っているのは私だ。それもご家老様のお許しあってのこと。大体、瑠璃は少し目を離すとどこまででも脱走する。つい先日も私が付いていたから良かったものの、おかしなことに巻き込まれかけていたんだぞ」
「護衛なら俺にだって務まる」
「お前では日によって側を離れることもあるだろう、任せてはおけない」
二人は互いに先を競うように、睨み合いながらやって来た。
瑠璃がそこにいるのにも気付かぬらしく、鳴海が苛立った顔で二人の前へ進み出る。
「貴様ら、瑠璃様をお待たせするとは何事だ。私に言わせればどちらも不適合だ、この青二才どもが!」
「鳴海、何もそんなに罵らんでも……」
そなたも寝坊して朝稽古すっぽかしたことがあるだろう、と言及しなかったのはせめてもの情けである。
二人はそこで漸く気付いたのか、少々慌てた様子でこちらに向き直ると一礼し、口々に詫びと挨拶を述べる。
二人を睨めつけたものの、鳴海はすぐにその表情を変える。
「銃太郎。おかしなこと、とは何だ」
今し方の二人の会話の中にあったことを、聞き流してはいなかったらしい。
瑠璃もそれではたと思い出したが、先日中島黄山に出会い、詰め寄られたことは鳴海にも一切話してはいなかった。
話せば必ずや監視の目が更に強化されると予測がついていたからだ。
「じ、銃太郎殿……!」
鳴海の背から顔を覗かせて、瑠璃は賺さず指を立てながら身振り手振りで黙秘するよう訴えかける。
が、鳴海は背中に目でもあるのか、振り返りもせずに瑠璃を遮った。
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