風に散る─幕末戊辰二本松─

紫乃森統子

文字の大きさ
78 / 98
本編

第十七章 万感交到る(3)

しおりを挟む
 
 
「澪!」
「はぁ」
「義姉上を骨抜きにするにはどうすればよい!?」
 澪はその耳を疑った。
 目の前で堂々と声を張るのは、間違いなく若君である。
 が、若君といえば、年少ながらに利発で品も備わり雅量に富む、とか何とかいう評判である。
 その若君が、今何と言ったのか。
 澪は一瞬のうちに三度は反芻した。
「……は?」
「義姉上をよく知るおまえなら、何かよい知恵を出せるであろう!?」
「ん? ……んん? なになになに? 何ですって?」
「だから、義姉上はいずれ私と夫婦になるんだ! 家臣の嫁には絶対にやらん!」
 何がそこまで五郎を急き立てるのかは解せぬが、兎に角珍しく頭に血が上っているらしいことだけは分かる。
「それを義父上までお許しになるなど……! 義姉上は物ではない! 将来私の妻となる大切な方だ! そうだろう!?」
「えっ、ああ……、まあそう、ですかね?」
「だから義姉上を籠絡する手立てを共に考えてくれ!」
「若様、もう少し十三歳らしい物言いってありませんか」
 これほど起伏の激しい人だったかと思うほど、今の五郎には余裕が感じられなかった。
「姫様とは、きちんとお話しになられたはずでは?」
 夫婦になる相手が瑠璃だと思い違いをしていたから、しっかり否定しておいた、というのは瑠璃本人から聞き及んでいる。
 しかし五郎の口振りからすると、瑠璃の話はあまり御理解頂けていないのだろう。
(姫様の詰めが甘かったのね)
 理解どころか、完全に五郎を煽り立てただけにも見える。
「話はした。結果、このまま大人しくしていては、義姉上の視界に入る事も出来ないのだと気付かされた」
「え……、そっちの方向なんですね……」
 聡慧と評されるものの、ちょっとばかり話が通じなさそうで、澪は頬を強張らせる。頭が良すぎるせいで、二段も三段も物事をすっ飛ばしてしまう性質なのだろうか。
「まずは私も義姉上の御身辺を探ってみようと思う。おまえも力を貸してくれるだろう?」
 五郎の顔は微笑んでいながらも、どこか犀利で、有無を言わさぬ威圧感が漂っていた。
 
   ***
 
 ふっくりとした紅色の頬を艶々と輝かせ、喃語を話す赤子を構いながら、瑠璃は青山家の庭にいた。
 きゃっきゃと甲高い声を上げ、瑠璃の髪を引っ張る小さな紅葉も、ふくふくと柔らかく愛くるしい。
 赤子は青山助之丞の甥、松之介である。
 昨年、助之丞の兄夫婦に生まれた子で、叔父となった助之丞もその可愛さに目尻を下げ、声音も柔和に喃語で語りかける溺愛ぶりだ。
「はぁぁぁあ、めんごいのぉぉお」
「そうだろぉ? うちの松之介、本っ当めんげぇんだよ」
「うんうん、城下一の愛らしさじゃなぁぁ」
「当然だろー? 城下どころか、きっと日の本で一番だぞー?」
 助之丞は口許を緩ませ、「なー?」と声を掛けながら、まんまるの頬を軽くつつく。
「まあまあ、姫様も助之丞さんも褒め過ぎですよ」
「そんなことはなかろぉぉ? こーんなに可愛い子では、褒めるなというのが無理な話じゃ」
 青山邸は城からも目と鼻の先で、瑠璃は助之丞の誘いを受けてご自慢の甥に会いに来ていた。
 庭の縁台に二人並んで腰かけ、代わる代わる抱いてあやすのだが、松之介は頗る機嫌よく、どちらの腕にあっても楽しげに笑う。
 助之丞のあによめである母親のつやが、そろそろ午睡をさせるからと抱き上げ、座敷の奥へ引き揚げるまで、場の中心は松之介であった。
「あぁん、もう行ってしまうのか?」
「燥がせすぎると、あとでむずかるのですよ」
「そうかぁ、そうなってはつや殿も松之介も互いに難儀じゃな」
 名残惜しく松之介の手を取ってすりすりと撫でてから、瑠璃はつやに視線を投げる。
「また会いに来ても構わぬかの?」
 するとつやは、いつでも歓迎しますよと穏やかに微笑んだのであった。
 三十手前のつやは、殆ど同い年の夫・青山半蔵と夫婦になり、子にも恵まれた。
 世情の不安さえなければ、今が最も幸せな時なのかもしれない。
 その笑顔は松之介にも負けず輝かんばかりで、母となった女の全身から溢れ出る、強い慈愛の色に中てられそうになる。
 松之介を連れて奥へ下がるつやの背を見送りながら、瑠璃は助之丞に問いかけた。
「おなごは皆、いずれはつや殿のようになるものなのか……」
 周囲の決めた相手と夫婦になり、子を生して母となる。むろん、どの家でもそれが連綿と続いてきたから今があり、己が存在し得るのである。
 そして、自分にもその順番が回ってくるというだけの話だ。
 だが、つやの姿をどれだけ眺めても、どうしても自分の先の姿を重ねることが出来なかった。
「瑠璃姫、おまえさ」
「うん?」
 少々しんみりとした問いを投げかけてしまったが、助之丞はそれには答えず、改まって咳払いをする。

 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

吊るされた少年は惨めな絶頂を繰り返す

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

セーラー服美人女子高生 ライバル同士の一騎討ち

ヒロワークス
ライト文芸
女子高の2年生まで校内一の美女でスポーツも万能だった立花美帆。しかし、3年生になってすぐ、同じ学年に、美帆と並ぶほどの美女でスポーツも万能な逢沢真凛が転校してきた。 クラスは、隣りだったが、春のスポーツ大会と夏の水泳大会でライバル関係が芽生える。 それに加えて、美帆と真凛は、隣りの男子校の俊介に恋をし、どちらが俊介と付き合えるかを競う恋敵でもあった。 そして、秋の体育祭では、美帆と真凛が走り高跳びや100メートル走、騎馬戦で対決! その結果、放課後の体育館で一騎討ちをすることに。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

処理中です...