風に散る─幕末戊辰二本松─

紫乃森統子

文字の大きさ
79 / 98
本編

第十七章 万感交到る(4)

しおりを挟む
 
 
「すっごく訊きにくいんだけど、さ」
「? 何じゃ」
「上覧射撃で勝ち抜いた相手と縁組するって話、おまえはそれでいいのか」
「!? ……なんでそれを」
 話の広まり方が速すぎる。
 まだ瑠璃ですら、事の詳細を聞き出していないというのに。
 既に家中に広まっているとは考えにくいが、何故助之丞が逸早く承知しているのか。
 訝ると、助之丞はふと真顔になり、一度躊躇った後で瑠璃の目を見た。
「俺にも話が来たんだよ。今朝、父上に呼ばれてさ。何かと思えば、射撃勝負で勝ち抜けば別家を立てるお許しを頂ける、って」
「助左衛門殿が、そう申したのか」
「そ。どうも丹波様から直々に打診があったみたいでさ」
 助之丞の父、青山助左衛門は用人として、兄の半蔵は小姓頭として出仕している。いずれも藩主一家には非常に近い役どころである。
 青山家の家督は長男の半蔵が継ぐだろうが、助之丞は二男ながら以前の水戸の役でも従軍しており、実力も十分なのである。
 それで声が掛かったのだろう。
「別家、……そうか」
 助之丞にとっては、これは好機に違いなかった。
 おまけで瑠璃が熨斗をつけられて転がり込んでくるとは言っても、家中の二男三男にとって、願ってもない立身出世の機会なのだ。
 他家に養子入りするか、或いは何らかの特技で身を立てねば、生涯実家の厄介叔父という身分に甘んじなければならず、肩身の狭い思いをする羽目になる。
 そうした背景もあるだろうと慮れば、真向から馬鹿げた座興に過ぎぬと一蹴することも憚られた。
「その様子じゃ、おまえも話は知ってたんだな」
「羽木殿と丹波殿の戯言と思うたが、本当のようじゃ。ただし、私には何の断りもなかった。鳴海が教えてくれねば、今初めて聞かされることになっていただろうなぁ」
「そっか。まあ、これも政の一環だと思えば、勝った相手に嫁げ、の一言で済ませちまうんだろうけど」
 助之丞の目が、やや同情的な色を含んで瑠璃に向けられる。
 どれほどの人数に声を掛けるつもりなのかは知らないが、その中の一人が助之丞であることには、どことなく安堵のようなものを感じた。
 もしも勝ち抜くのが助之丞だったとして、気心知れた相手ならばまだ救いがあるようにも思うのだ。
「俺は話を受けるぞ」
「えっ!?」
 不意に助之丞がきっぱりと告げ、瑠璃は密かに息を呑んだ。
 吃驚したのも束の間。助之丞の立場なら、それも当然なのかもしれないと思い直す。
「出るからには、本気で勝ち抜くつもりだ」
「……う、うん」
「今度ばかりは、銃太郎さんにも負ける気はない」
 そう言った助之丞の眼差しは、今し方までの穏健なものとは打って変わって精悍なものになっていた。
 
   ***
 
「もう戻りませんか、若様! やめましょうよ、お忍びだなんて」
「ならん。義姉上はいつも砲術道場に出掛けていらっしゃるのだろう。降嫁先だと目されるような者なら、まずはその砲術師を知る必要がある」
「降嫁先!?」
「噂に聞いた。義姉上は否定なさったが、少なくとも今、義姉上の関心はそやつに向けられているはずだ」
「いやぁ、どうでしょうね? あの姫様が殿方に興味を持たれることなんて、……」
 瑠璃は小銃をぶっ放すために日々通っているのであって、少なくともそこに恋路のようなこそばゆい感覚が存在するようには見えなかった。
 寧ろ、同門の少年たちと木登りでもしてそうな印象のほうが強い。
「それを確かめるために来たんだ。いいからついて参れ!」
「ですが若様! もし露見したら、手引きした私はどうなりますか!? 姫様のためなら女中は罪に問われても構わんと仰るんですか」
 城を抜け出すという五郎の勢いに圧し切られ、引き摺られるようにしてついてきた澪だったが、北条谷へ入る辻で漸く五郎の袖を引っ掴んだ。
「そ、そうは申しておらんだろう。万が一騒ぎになったとしても、すべての責は私が負う。おまえが罪に問われるようなことにはしない!」
「未だ家督を継がれぬ御身で、どこまでご自身の言い分が通るとお思いですか」
 城からここに至るまでに、どれだけ諫言し引き留めたか分からない。分別ある聡明な少年と思えばこそ、澪も懸命に言葉を尽くしたが、とうとう白昼の路地にまで出て来てしまっていた。
 早ければ既に若君の姿が見えぬことに気付いた者もあるかもしれない。
「で、でも義姉上は毎日のように出掛けておいでだし……」
「あんな風でも一応、姫様は御父上様や御家老様方からきちんとお許しを得ておいでです」
 あくまで砲術道場に通うことについてのみで、その他のお忍びについては許しも何もないのだが。

 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

吊るされた少年は惨めな絶頂を繰り返す

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

セーラー服美人女子高生 ライバル同士の一騎討ち

ヒロワークス
ライト文芸
女子高の2年生まで校内一の美女でスポーツも万能だった立花美帆。しかし、3年生になってすぐ、同じ学年に、美帆と並ぶほどの美女でスポーツも万能な逢沢真凛が転校してきた。 クラスは、隣りだったが、春のスポーツ大会と夏の水泳大会でライバル関係が芽生える。 それに加えて、美帆と真凛は、隣りの男子校の俊介に恋をし、どちらが俊介と付き合えるかを競う恋敵でもあった。 そして、秋の体育祭では、美帆と真凛が走り高跳びや100メートル走、騎馬戦で対決! その結果、放課後の体育館で一騎討ちをすることに。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

処理中です...