社内恋愛を始めたところ、腹黒上司が激甘彼氏になりまして

八千古嶋コノチカ

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「はぁぁぁ」

 喧騒から遠のき、資料室に入るなり大きく息を吐く。
 実質ここは私の作業部屋と言ってもいい場所で会社的には物置スペース。滅多に人がやってこない。

「皆、一体何なの? 私は全然気にしてないって言ってるじゃない! 人を可哀想な目で見ないでよ!」

 強がりを展開しつつ、その場で膝を抱える。
 本当は足が震えて歩いている感覚が無かった。ただ負け犬よろしく走り去るのはプライドが許さず、必死でいつも通り振る舞う。

「ーーっ」

 毎日歩いて歩いて擦り減らしたパンプスを見下ろし、弱音と鼻を啜る。

「あー、こっちは恋愛なんかに見向きもせず仕事をやってたんだ! こんなことなら彼氏を作れば良かった、私も社内恋愛すれば良かったよ!」

 だんだん目尻が熱くなり、涙が溢れる前に天井へ吠えた。

 そして『まぁ、彼氏になってくれる相手に心当たりはないけれどね』などと自分で突っ込もうとした時だった。

「誰と?」

 ガダン、側で物音がする。

「へ?」

 ある人物が棚の隙間からヒョイッと顔を覗かせたのだ。
 若干埃っぽく、薄暗い環境下でも独特のオーラを纏う男性の登場に見開く。相変わらずこんなにも目立つのに気配を全く感じなかった。

「ま、松下部長……どうしてこちらへ?」

「資料を探しに来たに決まっているでしょう?」

 物陰から姿を表したのは松下部長。私はすぐさま立ち上がり、警戒感を示した。

「部長が? わざわざ?」

「そんな顔しないで、僕だって資料を探しに来るさ。それで? 誰と社内恋愛するんだい? 教えてくれよ、君と僕の間柄じゃないか」

 一見、部長は物腰やわらかく人当たりも良い。そのうえ整った容姿をしている為、朝霧君と女子社員の人気を二分してきた。朝霧君が結婚するとなった今、独身最優良株となったであろう。

 ちなみに『一見』と前置きしたのには理由がある。私は松下部長の瞳の奥を多少なりとも知っているんだ。

 会話の主導権を握られないよう、部長の言葉を訂正していく。

「君と僕の間柄って、新人の頃にお世話になったのを妙な言い方しないで下さい」

「新人教育ーーつまり今の君の礎となるものを僕が教えたとも言えない? うんうん、君みたいな優秀な部下を育てた僕って凄いと思わない?」

 部長はのらりくらり、真意を掴ませない話し方をする。

「私はもう部下じゃありません。そもそも、あなたが追い出したんじゃないですか?」

「あ、まぁ、うん、その件は一旦置いておいてさ」

「話題を反らさないで下さい!」

「反らしてない。一旦置いておくって言ったんだ。どうやら暫く見ないうちに、君は忘れっぽくなったのかな?」

 部長は机へ腰掛け、長い脚を組む。廃棄寸前の備品を背景にしても絵となり、鏡みたく磨かれた爪先に私の困惑する様子が映り込む。

「社内恋愛は作業効率を下げるって教えてあげたのも忘れちゃった? 君といい町田といい、うちの男共と付き合いたいなんて。外には良い男が山程いるのに。あぁ、残念だよ」

 町田さんとは朝霧君の奥さんになる方で、業務上の関わりは無いが名前は把握する。私が営業部へ移動する際、町田さんが部長付きとして配属されたはずだ。

「まだ変わらないんですね、そのお考え」

「だって町田はともかく、君の社内恋愛は結果を伴うのかな?」

 笑顔で昇進が叶わなかった旨を差す。
 まぁ、部長の立場で人事ニュースが耳に入らないはずない。

「……」

 返す言葉がない。

 部長は広げたままのファイルをパラパラ捲る。朝霧君の件で煮詰まってしまい、作業を放置してあった。

「繰り返しますが、私はもう直属の部下じゃありません。プライベートにまで口を出さないで下さいませんか?」

 このまま内容をチェックされたら駄目出しされる。奪うよう取り上げて部長を机から引っ張り下ろす。

 と、ふわり懐かしい香りがした。

(部長、まだあの香水を使っているんだなーーって、そんな場合じゃない!)

 当時の記憶を刺激する甘い匂いに意識を奪われかけ、首を横に振る。
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