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「松下部長がーー結婚?」
そのニュースを聞いた瞬間、私は手元の資料を落としてしまった。
「あの部長もついに身を固めるらしいな。逆玉の輿みたいだぞ」
「逆玉の輿?」
「なんでも相手は取引先のご令嬢で、ゆくゆくは部長が会社を継ぐらしい。岡崎にしてみたらチャンスじゃないか」
「え?」
「部長のポジションが空くだろ?」
この際、同僚の嫌味などどうでもいい。無視を決め込んで資料を拾うと、そのまま朝霧部長のデスクへ移動する。
彼は私の顔を見るなり襟足を掻く。いかにも気まずそう。
「松下部長の件なら俺もよく分かりません」
「分かりませんとは? 松下部長が退社されたら我社の損失がどれだけ大きいか、お分かりになりますよね?」
両手をデスクにつき、聞き返す。
取引先相手との縁談ならば上層部が知らないはずがない。一枚、いやニ枚も三枚も噛んでいるに違いなかった。
その証拠に社内に情報が拡散されるのが早すぎる。外堀を埋めて松下部長を逃さないつもりか。
「と言われても……プライベートな話ですし、幸せと仕事を天秤にかけるのはナンセンス。松下部長も今すぐ辞めたりしないと思いますし。それよりコンペの進み具合は如何ですか?」
「それは松下部長が抜けた穴を埋められる出来栄えかと聞いてます?」
「あぁ、そういう意味として受け取って構いませんよ、岡崎君」
部内の空気が張り詰める。先輩後輩の位置関係が今や部下と上司、周りも色々気を揉むだろう。
「不本意であるのは察します。しかし、岡崎君が今やるべきことは明確なはず。仕事に集中して下さい」
朝霧部長の言い分は正しい。松下部長の縁談話に気を取られている場合じゃなく、企画書を仕上げないといけない。
「申し訳ございませんでした。仕事へ戻ります」
両手を股につけて頭を下げる。すると周囲の緊張が解け、雰囲気は回復した。
私も朝霧部長もお互いの距離感をいまいち掴みきれていないだけで、いがみ合いたいんじゃないのだ。リスペクトを忘れず適切な関係を構築したい。
「……それで注意したばかりですが、少々頼まれてくれませんか?」
茶封筒を持ち出す朝霧部長。
「はい、構いませんよ。そちらをどなたにお渡しすれば?」
「第三会議室へ持っていって欲しいです」
「第三? あちらは使用禁止では?」
「そうなんですがーー行けば用件が分かると思います」
言い淀む朝霧部長は追求しないでおく。お使いを引き受けるのは皆へアピールになるし。
面白ろ可笑しく部長の結婚について噂してきた社員をちくりと睨み、部屋を後にした。
松下部長が結婚ねーー廊下を歩きながら、どうしても考えてしまう。いよいよ年貢の納め時か、それとも取引先のご令嬢が運命の人だったとか。部長に結婚のイメージを持っていない、いや持ちたくない為、信じられず疑う。
だが、結婚を控えていたから私をポップアップストアへ連れて行き、企画書のアドバイスをしたのなら辻褄は合った。会社に残す元部下を案じて行動したのだ。
部長にはこれまでも数多の見合い話があったと推察する。それをのらりくらり避ける様子も容易に思い浮かぶ。
身を固めないことで何を言われても気にせず、部長は独身を謳歌し続けると思っていたのに。
なんだか裏切られた気分。
恋愛的な意味合いではないものの、私は彼に待っていて欲しい旨を伝えたはず。それなのに寿退社をしようとするなんて。
「失礼します」
使用禁止のはずの第三会議室から明かりが漏れていた。ノックをして扉を開けるとーー。
「やぁ、お疲れ様」
そこに松下部長がいた。軽く手を上げ挨拶してくる。まさか渦中の人物がこんな場所にいるとはーー私は瞬時に反応出来なかった。
「松下部長がーー結婚?」
そのニュースを聞いた瞬間、私は手元の資料を落としてしまった。
「あの部長もついに身を固めるらしいな。逆玉の輿みたいだぞ」
「逆玉の輿?」
「なんでも相手は取引先のご令嬢で、ゆくゆくは部長が会社を継ぐらしい。岡崎にしてみたらチャンスじゃないか」
「え?」
「部長のポジションが空くだろ?」
この際、同僚の嫌味などどうでもいい。無視を決め込んで資料を拾うと、そのまま朝霧部長のデスクへ移動する。
彼は私の顔を見るなり襟足を掻く。いかにも気まずそう。
「松下部長の件なら俺もよく分かりません」
「分かりませんとは? 松下部長が退社されたら我社の損失がどれだけ大きいか、お分かりになりますよね?」
両手をデスクにつき、聞き返す。
取引先相手との縁談ならば上層部が知らないはずがない。一枚、いやニ枚も三枚も噛んでいるに違いなかった。
その証拠に社内に情報が拡散されるのが早すぎる。外堀を埋めて松下部長を逃さないつもりか。
「と言われても……プライベートな話ですし、幸せと仕事を天秤にかけるのはナンセンス。松下部長も今すぐ辞めたりしないと思いますし。それよりコンペの進み具合は如何ですか?」
「それは松下部長が抜けた穴を埋められる出来栄えかと聞いてます?」
「あぁ、そういう意味として受け取って構いませんよ、岡崎君」
部内の空気が張り詰める。先輩後輩の位置関係が今や部下と上司、周りも色々気を揉むだろう。
「不本意であるのは察します。しかし、岡崎君が今やるべきことは明確なはず。仕事に集中して下さい」
朝霧部長の言い分は正しい。松下部長の縁談話に気を取られている場合じゃなく、企画書を仕上げないといけない。
「申し訳ございませんでした。仕事へ戻ります」
両手を股につけて頭を下げる。すると周囲の緊張が解け、雰囲気は回復した。
私も朝霧部長もお互いの距離感をいまいち掴みきれていないだけで、いがみ合いたいんじゃないのだ。リスペクトを忘れず適切な関係を構築したい。
「……それで注意したばかりですが、少々頼まれてくれませんか?」
茶封筒を持ち出す朝霧部長。
「はい、構いませんよ。そちらをどなたにお渡しすれば?」
「第三会議室へ持っていって欲しいです」
「第三? あちらは使用禁止では?」
「そうなんですがーー行けば用件が分かると思います」
言い淀む朝霧部長は追求しないでおく。お使いを引き受けるのは皆へアピールになるし。
面白ろ可笑しく部長の結婚について噂してきた社員をちくりと睨み、部屋を後にした。
松下部長が結婚ねーー廊下を歩きながら、どうしても考えてしまう。いよいよ年貢の納め時か、それとも取引先のご令嬢が運命の人だったとか。部長に結婚のイメージを持っていない、いや持ちたくない為、信じられず疑う。
だが、結婚を控えていたから私をポップアップストアへ連れて行き、企画書のアドバイスをしたのなら辻褄は合った。会社に残す元部下を案じて行動したのだ。
部長にはこれまでも数多の見合い話があったと推察する。それをのらりくらり避ける様子も容易に思い浮かぶ。
身を固めないことで何を言われても気にせず、部長は独身を謳歌し続けると思っていたのに。
なんだか裏切られた気分。
恋愛的な意味合いではないものの、私は彼に待っていて欲しい旨を伝えたはず。それなのに寿退社をしようとするなんて。
「失礼します」
使用禁止のはずの第三会議室から明かりが漏れていた。ノックをして扉を開けるとーー。
「やぁ、お疲れ様」
そこに松下部長がいた。軽く手を上げ挨拶してくる。まさか渦中の人物がこんな場所にいるとはーー私は瞬時に反応出来なかった。
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