聖女の蜜闇ー優しい仮面を剥がされて

獣は誰か

４

　敬吾は優子の嫌がる事柄を無邪気に見破り、なお続ける。

「知ってる？　お姉さんは徳増が好きなんだ。で、この際だから徳増がお嫁さんにしてあげたらいいと思うんだよね」

　悪意を漂わせず、なんなら親切心で言っている所に優子は慄く。

「優子ちゃんは鈍感で気付かないかもしれないけど、お姉さんの徳増への気持ちは露骨だったし、徳増が独身で居続けるのにも限界がある。あぁ見えて徳増は女性の人気が高いーー」

「承知しています！」

　言葉を遮る優子。姉の気持ち、徳増に沢山の好意が寄せられているのも承知していると。

「じゃあ、話は早い。２人を結婚させようよ。お姉さんにいつまでも身を潜めさせているのは辛いんでしょう？　徳増と結婚させれば日の当たる場所へ帰ってこられる！」

「……」

「やっぱり嫌？　お姉さんに徳増をとられるのが？」

「……」

　疑問めいた追求に対して、優子は沈黙を選択する。すると敬吾が手招きをしつつ耳打ちをしたいとの仕草をしてきた。自分が場を動くことはせず優子を呼び寄せる。

　ここは優子が行かねば話は終わりそうない。警戒しながらも敬吾の側へ。

　敬吾と正面から目を合わせるのを避け、足元の紙を見る。走り書きの優子は曖昧な表情をしており、笑っているようで泣いていそう。きっと敬吾にはそう見えているのだろう。

「徳増はさ、君に命令されればお姉さんと結婚する。優子ちゃんの言うことなら何でもやるよ」

　囁く敬吾に優子は爪先から寒気がわいてきた。

「何を仰ってるんですか？」

「しっ！　声が大きい！　徳増が部屋に入ってきちゃう」

「そんな真似ができるはずありません！」

「声が大きいって言ってるでしょう！」

　敬吾の手が容赦なく口元を覆い、優子はそのまま押し倒された。敬吾はそのまま馬乗りになると首筋を締めようとする。

「黙りなよ、僕はうるさい女は大嫌いなんだ。いいかい？　黙るんだよ？」

　全身を押さえ付けられ、こくこくと頷くことしか許されない優子。

「僕は徳増だけは幸せになって貰いたい。義兄になれば優子ちゃんの側にずっと居られるでしょう？　だって家族なんだから。
　お姉さんを憎んでいないのなら、お姉さんの恋心が成就して素晴らしいじゃない？
　君が徳増と結ばれるんじゃ価値がないんだ。作品に手を出すなんて美しくない」


　緊張と恐怖から呼吸がうまく出来ない優子の目尻に涙がたまる。敬吾の言う意味は全く頭に入ってこない。それでも彼なりの美学を持ち、語っているのであろう。

　徳増に幸せになって貰いたいのは優子も同じ。しかし、良子と結婚して徳増が幸せになるとは到底思えない。

「申し訳ありませんが、わたしは命じません」

「徳増のことになると、しっかり意思があるね。幼い独占力というか、そういうのが徳増を繋ぎ止めるんだよ」

　徳増が関わるとむきになると両親を始め、秀人にも指摘されるが、優子本人は当たり前の感情と疑わない。幼少期より心身共に支えてくれた相手を想い、何が悪いのだ。敬愛を邪推された気分になる。

「あぁ、泣かないで。君を泣かすと僕が殺されてしまうだろう？」

　敬吾は声音をころっと変え、おどけた。と同時に徳増がずかずか部屋へ入ってくる。
　優子は反射的に敬吾を突き飛ばし、徳増へ駆け寄った。

　徳増は両手を広げ、飛び込んできた優子を受け止める。柔らかな髪をすき、何も言わず優子を包む。それこそ絵に描いた美しい包容、下心が微塵もない手付きだ。

「今日はここまでにして帰りましょう」

　己の判断で敬吾の創作を打ち切り、了承を得ないまま徳増は踵を返したのだった。

　徳増が少し間を作るので、優子が察した。こういう間が置かれる時は誤魔化したり、優子を傷つけない嘘をつく合図だ。
　いつもの優子なら徳増が踏み込まれたくないのなら引き下がれる。

　しかし、今日は違う。

「わたしは知りたいの。教えてくれないかしら？」

　優子に真っ直ぐに見つめられ、徳増は肩を竦める。私的な部分への介入をよしとしてこなかったが教育係の性質か、知りたい教えてとねだられたら弱い。無論、優子に限っての話だが。

「脅されてはいませんよ、今のところは」

「今のところはって？　今後は脅迫される可能性があるの？　どうして？　前も言ったけれど、あなたに危ない真似はして欲しくない」

「優子様の言う危険とは何ですか？　ちょっとした怪我を負う程度に人間関係をこじらせてしまうのは、生きていく上で仕方がありません」

「そんな！　仕方がないなんて言わないで！　あなたにもしもがあったら、わたしはーー」

　言いかけ、はっとする優子。口走りそうになった言葉を頭の中で巡らせ、かぶりを振った。
　徳増がいないと生きていけない、そう言ってしまいそうだった。

「所帯はともかく、特定の恋人を作るのすら億劫に感じております。しかしながら優子様の独占力は心地よいものです」

　良子に徳増を取られてしまう、優子の未熟な思考などお見通しの徳増。

「恥ずかしいけれど、敬吾様にも幼い独占力と言われたわ。そんなつもりないのに。わ、わたしはあなたの幸せを考えて……」

　優子は机上へ視線を落とす。拗ねて口を尖らせてしまいそう。

「全然恥ずかしくないです」

　異性として徳増を求める良子に対し、優子は求めない。恋情が汚らわしいとまで思っていないとしても、徳増の中では純粋に自分を必要とするのは優子となり、その優子に嫉妬されるのが気持ちが良いらしい。

　ここで冗談でも良子と結婚すると伝えれば優子は間違いなく多大な衝撃を受けるはず。それは暁月と結婚すると決まった日に与えられた痛みや悔しさと同じくらいだろうか、徳増は胸を抑えた。

「ともかく結婚話を進めるにしろ終わらせるにしても、お姉様を見付けないことには……」

　ね？　と優子は話を事の始まりへ移す。やはり良子の家出を解決したい。

「そうですね、良子様を見付けましょう。実はお仕置きをかね、良子様と結婚すると言ってみようとも考えましたが、私には出来なかったです」

　むやみに優子を傷付けるなんてできない、徳増が瞳で物語る。

「ほ、本当に？」

「おや、私を疑うのですか？」

「いや、そうじゃなくて、その」

「ですから、こんな馬鹿げた話を終わらせる為、良子様を見つけましょう。敬吾さんならすぐ探してくれますよ。明日も丸井家に行く計画ですので頼んでみますね」