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数年後
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屋敷から街へ出るのはそれほど苦労はしなかった。徳増が仕事をするにあたり、辺境に住む訳にはいかないのだ。
屋敷を飛び出してしまえば空は高く、青く、風に誘われるだけ。優子の足は道なりにまっすぐ街を目指し、久し振りに活気で満ちた空気を肌で感じる。
「とにかくお医者様を……」
街並みに誘惑が多いのは事実だが、物見する暇はない。顔を隠しながら人混みを縫うと街の案内板を探していると、立花の個展について話している声が耳に入った。
「今日は立花先生がいらっしゃるそうだぞ」
ーーこれは朗報か。土地勘のない街を無闇に歩き回るより、立花に協力を仰いだ方が早い。少なくとも立花は優子が生存していると知っているはず。
ところが噂が流れてきた方向を見れば行列ができており、個展の大盛況ぶりが伺われた。
やはり自力で医者を探すしかない。再び案内板を見上げた際、背後から何者かに衝突される。そして何者かはよろめく優子から荷物をひったくり、あっという間に去ってしまう。
「え? あ、待って!」
そう発した時には後の祭り。ひったくり犯は完全に人混みへと溶け込み、優子の困惑がぽつり置き去りとなる。
「あんた、大丈夫かい?」
青ざめる優子を見かね、事態を眺めていた1人の男が声を掛けてきた。
「あの荷物の中にはお金が……どうしよう」
「あはは、あんたみたいないかにも育ちの良さそうのが、ぼーっと突っ立てたらこうなるさ。誘拐されなかっただけマシだと思うんだ」
犯人を追いかけて荷物を取り返そうと考えるも、誘拐の響きで思考が固まる。
「まぁ、勉強代だと諦めな」
強張った様子を覗き込もうとした男は優子の顔に息を呑む。優子も優子で男と丸井家当主が重なり、小さく悲鳴を上げた。
「おい、待ちなよ! あんたーー」
優子は襟巻きで表情をより覆い、制止を振り払って駆け出す。親切心から優子に声を掛けたであろう男は、行人達の好奇心に肩をすくめる。
「いやいや、別に変な真似をしたんじゃないぜ? あの女が勝手に怯え出して……」
周囲はそんな男の言い分を聞き流すと日常へ戻る。ひったくりや女への強引な誘いは、この街でよくある光景だから。
男は優子が走っていった裏路地へ溜息を吐く。
優子は薄暗い路地へ入り、人の気配がないのを確かめて座り込む。あの件以来、徳増としか接していなかったので意識しないでいられたが、男性が怖い。膝を抱えて嫌悪に耐えた。
(ひばり……)
汗ばむ手の平をぎゅっと握る。一文無しになったからといって、おめおめ尾を丸めて引き返せるものか。
病人が待っているとなんとか奮い立つ側、次なる試練が待ち受ける。
「どうしたんだ? 具合が悪いなら介抱してやろうか?」
明らかに酔っ払った相手がこちらへ近付いてきたのだ。優子は緊張で跳ね、立ち上がる。
「……いえ、大丈夫ですので。ところでお医者様を探しているのですが」
「医者? なんだ、やっぱり具合悪いんだろう」
「お手を煩わせるわけにはいきませんので、場所を教えて頂ければーー」
じりじり迫る酒の匂いに後ずさり。ついに背中が行き当たりとぶつかり、言葉尻まで潰れる。
男はにやにや下品な笑みを浮かべ、襟巻きへ手を伸ばす。優子は身を固くしつつ、顔を背けることしかできない。
「おい、こんなところで何をしている?」
その時、別の声が響く。どうやら優子にではなく男へ向けた質問らしく、男はすぐさま反応を示した。
「いや、なんにも。こちらのご夫婦が気分が悪そうだったものでね」
男は声の主に打って変わって丁寧な口調で返す。逆光で声の主の表情が見えにくいが、肩を竦め呆れている様子。
声の主がかつかつと大股で靴を鳴らし、間に入ってきた。
屋敷から街へ出るのはそれほど苦労はしなかった。徳増が仕事をするにあたり、辺境に住む訳にはいかないのだ。
屋敷を飛び出してしまえば空は高く、青く、風に誘われるだけ。優子の足は道なりにまっすぐ街を目指し、久し振りに活気で満ちた空気を肌で感じる。
「とにかくお医者様を……」
街並みに誘惑が多いのは事実だが、物見する暇はない。顔を隠しながら人混みを縫うと街の案内板を探していると、立花の個展について話している声が耳に入った。
「今日は立花先生がいらっしゃるそうだぞ」
ーーこれは朗報か。土地勘のない街を無闇に歩き回るより、立花に協力を仰いだ方が早い。少なくとも立花は優子が生存していると知っているはず。
ところが噂が流れてきた方向を見れば行列ができており、個展の大盛況ぶりが伺われた。
やはり自力で医者を探すしかない。再び案内板を見上げた際、背後から何者かに衝突される。そして何者かはよろめく優子から荷物をひったくり、あっという間に去ってしまう。
「え? あ、待って!」
そう発した時には後の祭り。ひったくり犯は完全に人混みへと溶け込み、優子の困惑がぽつり置き去りとなる。
「あんた、大丈夫かい?」
青ざめる優子を見かね、事態を眺めていた1人の男が声を掛けてきた。
「あの荷物の中にはお金が……どうしよう」
「あはは、あんたみたいないかにも育ちの良さそうのが、ぼーっと突っ立てたらこうなるさ。誘拐されなかっただけマシだと思うんだ」
犯人を追いかけて荷物を取り返そうと考えるも、誘拐の響きで思考が固まる。
「まぁ、勉強代だと諦めな」
強張った様子を覗き込もうとした男は優子の顔に息を呑む。優子も優子で男と丸井家当主が重なり、小さく悲鳴を上げた。
「おい、待ちなよ! あんたーー」
優子は襟巻きで表情をより覆い、制止を振り払って駆け出す。親切心から優子に声を掛けたであろう男は、行人達の好奇心に肩をすくめる。
「いやいや、別に変な真似をしたんじゃないぜ? あの女が勝手に怯え出して……」
周囲はそんな男の言い分を聞き流すと日常へ戻る。ひったくりや女への強引な誘いは、この街でよくある光景だから。
男は優子が走っていった裏路地へ溜息を吐く。
優子は薄暗い路地へ入り、人の気配がないのを確かめて座り込む。あの件以来、徳増としか接していなかったので意識しないでいられたが、男性が怖い。膝を抱えて嫌悪に耐えた。
(ひばり……)
汗ばむ手の平をぎゅっと握る。一文無しになったからといって、おめおめ尾を丸めて引き返せるものか。
病人が待っているとなんとか奮い立つ側、次なる試練が待ち受ける。
「どうしたんだ? 具合が悪いなら介抱してやろうか?」
明らかに酔っ払った相手がこちらへ近付いてきたのだ。優子は緊張で跳ね、立ち上がる。
「……いえ、大丈夫ですので。ところでお医者様を探しているのですが」
「医者? なんだ、やっぱり具合悪いんだろう」
「お手を煩わせるわけにはいきませんので、場所を教えて頂ければーー」
じりじり迫る酒の匂いに後ずさり。ついに背中が行き当たりとぶつかり、言葉尻まで潰れる。
男はにやにや下品な笑みを浮かべ、襟巻きへ手を伸ばす。優子は身を固くしつつ、顔を背けることしかできない。
「おい、こんなところで何をしている?」
その時、別の声が響く。どうやら優子にではなく男へ向けた質問らしく、男はすぐさま反応を示した。
「いや、なんにも。こちらのご夫婦が気分が悪そうだったものでね」
男は声の主に打って変わって丁寧な口調で返す。逆光で声の主の表情が見えにくいが、肩を竦め呆れている様子。
声の主がかつかつと大股で靴を鳴らし、間に入ってきた。
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