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惑う
しおりを挟む「リア。浮かない顔してどうしたの」
「……お兄様、」
「何それ、手紙…?あれ、」
淹れてもらった紅茶を一口だけで冷めさせてしまったままほったらかしに、思案に耽っていた。
お兄様が私の顔から手もとに視線を移す。
「……、王太子殿下からお茶会のお誘いをいただいて……」
杖と、薔薇の紋章。
お父様はお仕事。お母様は教会。お兄様もどこかへ出ていて、不在。
使者に厳かに差し出されたそれを見て眩暈がした。倒れないようにと必死に取り繕った。
美麗な文字で書かれた自身の名前。
開けばプリムローズがほのかに香り、綴られている文字を彩るようだった。
「届いた日から眠れないの…」
「あー…はは、」早速か。呟くから首を傾げれば、何でもないよ。と笑いながら頭を撫でる。
寄ってこようとしたシュナに軽く手を上げたお兄様は、その前にもう紅茶を温め直してくれていた。
「美味しい?」
「…うん…ありがとうお兄様」
「紅茶。殿下の好きな紅茶だよ」
にっこり笑ってお兄様は言う。
「ーーそう、なんだ」
この紅茶は海を超えた東方の国から三月に一度やってくる、キャラバン型の商会が売り出している。
非魔力保有国だから、頼み忘れてしまえば半年は飲めなくなってしまうもの。
淹れ方や、時間を置けば味も香りも変わる。
冷めてしまえば甘くなり、それはそれで果実水のようにおいしい。
心を落ち着かせたいときは、いつも飲んでいる紅茶だった。
「……行きたくないの?」
また少し、甘みが増したような気がする。
「行きたくないというより正直に言えば、
……行くべきではないと思う」
ソーサーに戻しながら伺うように見やれば、それで?という風に瞳に優しく促される。
「手紙をね、…読んだの」
「手紙?」
「……私、が、書いた手紙…私宛ての。
ーー国王陛下が話してくださったけれど、
……真実はもっと酷いと思ったの。…私がした事は、」
簡単に言えば。
嫉妬に駆られて義務も責任も放棄し、禁書を開いた。
そして望み通りすべて忘れ、自分だけ逃げたのだ。
魔力暴走なんて失態を犯してーー。
「ーーなのに与えられた罰は謹慎だけ…」
自分のした事が信じられなかった。
なんて、無責任なんだろう、と。
「……それに、」
事前に陛下に許可をいただいていなかったら、
協力してくれたシュナ、何も知らされていなかった家族、ーー公爵家だって、無事では済まなかったかもしれない。
ーー離宮に押し入り、一人の少女を再起不能にしたのだから。
"災厄の魔女"
エリザベート・ロートスはそう呼ばれ、
その名を名付けることを禁止している国もある。
彼女が始祖様を手に入れたい、と、たったそれだけの理由であの戦争を起こした。
精神干渉で籠絡した国々の権力者をけしかけて空を赤く染め、大地を黒く染めた。
大人も子どもも老人も赤ん坊も悪人も善人も、
等しく命が粗末に扱われた。
彼女から感じた思念はもう思い出せない。
推察通りならそれは怨嗟混じりの妄執としかいえない。
「ーーリア。あの魔女は悪霊みたいな存在だった。何百年もかけて甦って、また多くの人を操って。
…蹂躙され、穢された魂が癒えるのには途方もない時間が必要で、それでも元通りになるとは限らない。到底贖えるものじゃない。
命を弄んだ人間の末路だよ。」
「……うん……」
「リアを狙ってた。殿下も狙われてた。…お前が救ったんだよ。
お前が気づかなきゃ誰も分からなかったんだ。
…てっきり惚れてるもんだとばかり思ってたんだから…。
陛下の裁定が甘いって未だにほざくバカがいるけどチャラにしてもお釣りがくるくらいなんだよ?リアがしたことは」
「…」
「気に病んでるの?あの魔女にしたこと。…だから…?」
「後悔は、…してない。…お守りできたなら、守れたなら、…きっと私もそれを願っていたんだろうから…でも、」
「…でも、?」
「……10年以上も婚約者として過ごして、何があったにせよこんな風に終わらせることが私の望みだったなら、…こんな風に終わらせることしかできなかったのなら私は、もう関わるべきじゃないと思うの」
手紙には、王太子殿下のことは何も書いていなかった。
報告書のような内容、その中に淡々とお名前がでてくるだけ。
日記も、いただいたらしいプレゼントも何もかも処分していた。
シュナが言うには、私がそうしろと頼んだそうだ。
徹底してるなと、他人事のように思った。
ーーそれで思い出すわけでもないのに。
魔力を行使すれば大なり小なり代償を払うことになる。
大抵は疲れやすくなるだとか、その程度。
継続もしないし魔力量が多ければ補えることもある。それは王国の人々が扱いに長けているからだし、理解しているからだ。
契約はぜったいで、もし違えば利息のように加算され、膨れ上がったそれが身の破滅を招くことを。
彼女のように無計画に利益だけ得ようとすれば、払いきれずに破産することを。
私の代償は二度と取り戻せない記憶と、使用した魔力。
…だからか少し、身体が軽いような気がする。
覚えていないけれど、精神的な負荷がなくなったからなのかもしれない。
彼女から私が奪ったという始祖様の血は私のなかで浄化され、やがて消えていくだろう。
私が殿下の婚約者に選ばれたのは魔力量も大きく関係しているのだから、
今や平均よりわずかに高いといった程度の魔力持ちより、相応しい令嬢は多くいる。
しかも私は醜聞塗れ。
なおさら婚姻間近で婚約解消となった相手ーー王太子殿下という尊い身分の方ーーと、のんびりお茶など飲める気もしない。
初めてお会いしたときのあの、言い表せない表情で見つめられても。
何も無い私は戸惑うばかりで、逃げ出したくてたまらなかったのに。
「ーー…そっか。…変わらない?」
「変わらないというより変わってない、が、
…正しいのかも。」
『…そうか、…』
お兄様はあのときの殿下とおなじようにくり返して、さみしそうに微笑んだ。
恋心とは、どんなものだったのだろう。
失くした私にはわからないし、
再びそれを感じてみたいとは、どうしても思えなかった。
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