巻き戻し?そんなの頼んでません。【完】

雪乃

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侯爵家後妻

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アニタはどこかが欠落しているような女だった。
 


子どもらしい暮らしを送ることもできなかったがそれを不幸だと思ったこともなかった。
母親はいたがいつも口うるさかったので、いなくなればいいのに・・・・・・・・・・と、
よく家に出入りしていた母親の友人・・だという男たちに言ったことがある。
そうしたらほんとうに、いつのまにかいなくなっていた。
それを悲しいと思うこともなかった。
だから母親がいたという事実も存在も、記憶さえ今や朧げだった。
食べ物をくれ、可愛い服をくれる男たちとの暮らしのほうが楽しかったから。

そのなかには自分の父親がいたかもしれないが、アニタにはどうでもいいことだった。


アニタは。

自分にのしかかってくる巨体男たちを、怖いとも思わず笑っているような女だった。



感情の起伏が乏しくても、痛みはわかる。
最初は痛かった。
冬の寒い朝に、氷のように冷たい水に触れたときの刺すような痛み。
それよりずっとずっと痛かった。
抵抗しなかったのは、今思えば自己防衛の反応。
おとなしく終わるのを待つ。
何度もくり返されるたび、痛みはなくなり。
痛みから見知らぬ感覚に変わっていった。

それが悪いことなのかもわからず、また、教えてくれる大人もいなかった。


ある日ひとりの男が言った。
これはなんだと。
愛しているから、こうするんだと。


アニタはその言葉を口にしてみた。
すると今まで感じたことのないような、とてもいい気分になり、気持ちよさも増していった。
それからアニタはそれを求めるようになる。


アニタの毎日は、愛で溢れていた。


背が伸び、身体つきも変わってきたとき、アニタは男に連れられ違う場所へ住むようになった。
新しい家にはたくさんの人間が住んでいたが、そこでも当然アニタは愛され、大勢を愛していた。
本音を言うと狭い家では少々物足りなくなっていたので、ここはちょうどよかった。


アニタの毎日は、愛で溢れている。



そんな素敵な毎日に変化が表れたのは、アニタの平たい腹が膨らんできたことに、今日も愛してあげようとやってきた男が気づいた日からだった。

アニタを連れだし、愛を教えてくれた男。
その日からその男が来ることはなくなった。

それでもアニタは愛を求め続ける。






身体のなかにべつの生き物がいるなんて、気味が悪い。膨れてゆく腹も。
こんな不気味なモノは要らないと思ったが愛される毎日は変わらなかったのでまぁいいか、と思った。
そうして過ごし、ズキズキ痛む腹がはち切れそうに膨らんできたのだがそのころの記憶はあまりない。
長いこと眠っていたあいだに身体は元通りになり、どうやら自分は子を産んだらしいがその実感も、世話をした記憶もない。
周りにいつもいる誰かが、上手くやってくれたんだと思う。



産まれてきた子はアニタにそっくりで、成長すると今はもうあまり思いだせなくなっていた母親のように口うるさかった。
いなくなってほしいと思いはしたが、子の言う通りにすればアニタの毎日は今まで以上に楽しくなっていったのでまぁいいか、とまた思った。


幾度となく住む家が変わっても、愛を送り合う相手が代わる代わる変わっていっても、
アニタは変わらず愛し、愛される日々を送っていた。







その日も子は口うるさく喚いていたので、アニタはふらりと家を飛びだし賑やかな場所に辿り着いた。
そこでも大勢に囲まれたが、ひとりだけ近づいてこない男がいたので、しょうがないとアニタから迎えに行ってあげることにした。





ーー違う。


アニタはすぐさまそう思い直し、胸が高鳴るという、不可解で不思議な感情に見舞われていた。


アニタは、その男に近づきたかった。
愛してほしいと思った。
散々愛し愛されてきたというのに、初めてそう思ったような気がしたのだ。


のろのろと顔を上げ、緋色の綺麗な髪がさらりと揺れるのを見たとき、心の底ーーもっともっと深いところから、それだけを強く思った。













「ーー…アタシが思ったのはそれだけよ。悪いことなんて何もしてないし魅了なんて知らないわ。
アタシはただ運が良かっただけ。
アタシはたくさんのひとを愛してきた。だから周りもアタシを愛してくれた。それだけ。
死んだ娘のことなんて知らないしアタシは何もしていない。あの子がやったことでしょう?アタシは関係ないわ、だってほんとうに何もしていないんだから。
あの子は口うるさい欲張りだからアレもコレも欲しがったんだと思うわ。愛がいちばん大事だってこと知らないのよ。あの子の人生はあの子が決めることだしね。アタシが欲しかったのは愛だけよ、愛。真実の愛が欲しかっただけ。」



アニタは愛を求め続けた。



「何をしてもダメだったけどね。薬もお酒も、どれだけ強く思ってもダメだった。
あの子は手伝ってくれなかったし…。だから添い寝をするだけだったけどべつに悪くなかったわよ?
愛のかたちって色々あるの。
あなたには分からないだろうけど。
あのひとはアタシに初めての経験をくれたのよ。
名前?そんなの関係ある?あぁ、やめて、要らないわ、覚えられないし。あの子の名前だって知らないのよ?誰がつけたのかも知らないし興味もないもの。
……だから魅了なんて知らないんだってば。親のことも覚えてないの。アタシは死ぬんでしょ?
そのあと血でも何でも調べたらいいわ、許可してあげるから」



アニタに愛を教えてくれた



「え?……そうねぇ……ずっと昔のことだからよく思いだせないけれど、綺麗な色をしていた気がするわ。あのひととおなじね。元気でいるかしら…死んではいないでしょう?
もちろんあのひとのことよ、アタシが愛したーー」



その男の髪色は、アニタによく似ていた。



「……もう疲れたからいいでしょう?休みたいわ」



アニタはそう言ったきり、最期まで二度と口を開くことはなかった。
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