38 / 40
26.
しおりを挟む「心配したのよほんとに…ッほんとうに…!」
会うのはどれくらいぶりだろう。
泣きじゃくるセナの涙が肩に心に、積もる。
「カノンと毎日教会で祈ってたわ!わたしたち今まででいちばん祈ってた…!きっと、ぜったい、…助かるまた会えるって、っ、」
ーーこんなに、
こんなに近くにあったのに、わたしは。
静かで、知らない場所のようで、未だ、胸は騒めく。
キュリオ殿下が手配してくれた少数の使用人しかいない侯爵邸。
わたしは戻ってきた。
「ーー…カノンはあなたが帰ってくるときいて気が緩んだのか熱を出して寝込んでるの。大丈夫よ、いつものことでしょう?赤ん坊が知恵熱を出すのと一緒だもの」
「…悪いことをしたわ」
「そうね、そう思うなら二度と馬鹿なことはしないでちょうだい。そうして早く元気な顔を見せてあげるのよ」
泣き腫らした瞳で、つん、と顔をすますセナを見つめる。
思うことはあっても、決して問い詰めることはしないで待っていてくれた。
「……セナ、」
「なぁに?」
ありがとう。
「わたしね、やらなくちゃいけないことがあるの。それが終わったら話したいことがある。
……すべて話すから、きいてくれる……?」
「ルコラ、」
無理はしないでと、気遣ってくれるのを遮ってわたしは微笑む。
何が起きたかは周知の事実。
けれどわたしから話すことに意味がある。
「あなたにきいてほしいの」
隠したかったこと。知られたくなかったこと。
言いたくなかったこと。言えなかったすべて。
わたしの身に起きた、信じられないこと。
「……最後にするから、もう少しだけ、待っていてくれる……?」
わたしの、物語を。
「…いつまでだって待つわよ…だってわたしたちにはこれからいくらでも時間があるんだから…!」
わたしが泣きたくなったのはきっと、セナが泣いているから。
強く瞼を閉じて、そう言い聞かせてた。
ーー後悔と懺悔だけが綴られた長い手紙の終わりには、真っ当な人間になりいつか勇気を持つことができたらとあった。
そのとききみがまだそう望んでくれていたなら、と。
そしてーー
自身のことには何ひとつ触れていない。
後遺症は重くなくても癒えるのはすぐにとはいかないときいた。
会えるかどうかは賭けのようなもの。
今会えなければ、きっとこの先会うことはないように思う。
わたし自身のために必要だと思ったことで、相手を思い望んだわけではないから。
「…」
懐かしい文字。
少し、歪んで。
最後の一文を、なぞる。
ミドル様は気づいてもいないだろう。
育つまえに蕾のまま手折られた想いだったけれど、それがわたしにもあったことを。
言わないけれどたしかに在って、でも、
乱暴に摘み取られたとしても歪なかたちの花は、きっと咲くことはできなかったことを。
紙吹雪が夜風に紛れ見えなくなる。
消えてゆく。
文通をしていた時間、あのころのわたしにとって救いだった。
もう二度と。
出せない手紙を抱えた孤独な夜は、訪れない。
ーー怪物のようなあの親娘はもうこの世にはいなかった。
曰く義妹は、呆気なく死んだという。
わたしは義妹のことを何も知らない。
ただ、
雨が降ったから。
今日が水曜日だから。
そこにいたから。
そんな理由で、特に理由もなくて、偶々目についた人間を、甚振り虐げるような人間だったということしか知らない。
ひとを虐げる人間は自らも虐げられた過去を持つという。
ほんとうだろうか。
生まれながらに悪人の人間はいないという。
ーーほんとうだろうか。
快楽のために笑顔で悪意を振り下ろす人間を見た。
多くのひとたちを、破滅させ死に追いやった人間。
義妹は、ある日突然怪物になったのだろうか。
それとも、
身の内にずっと、飼っていたのだろうか。
墓標もない義妹はどこにいったのか。
最期に何を思ったのか。
わたしは知らない。
門にたどり着く資格すらなく、永劫彷徨うのかもしれない。
成れの果て。
人間の心を無くした人間の末路。
境界線を軽々しく越えた義妹は、後戻りなどできなかったのだ。
夜明けが近づく。
踏みとどまり、振り返ることなどせず、わたしはこれからも生きてゆく。
ーーソルト子爵家当主の伯父に会うのはたぶん母の葬儀以来。
ほぼ初対面で開口いちばん謝罪されたけれど、伯父は何も悪いことなどしていない。
祖父はわたしが赤ん坊のころにすでに亡くなっているけれど祖母は、騒動のまえ病で亡くなったそうだ。
それを知らないでいたわたしこそ非礼を詫びなければならなかった。
母方の祖父母は存命で会うこともできたけれど他人でいた時間は長すぎて、お互いどこか戸惑うようなぎこちない会話は弾んだとはいえなかった。
義妹が言いくるめていたのかやはり交流を絶ったのは父からで、言いわけには母の死が使われていたようだ。
抗議するも支配は伝染したのか、だんだんとわたしの存在は薄れ気にならなくなっていたらしい。
面影を記憶のなかで探しても見つからない。
どちらの家でも当然、感動の再会とはいかなかった。
「…ここだ」
監視付きの離れ。
見張りは室内にも配置され、それらを含めすべて王宮から派遣されている。
空気は澱んでいないのに、踏み入るのを身体が拒む。
「もう自力で身体を動かすことはできないと医師が言っていた。不可能ではないが、本人にその意思も気力もないのだと」
「…」
一年以上ぶりに見た父は、ゆるやかに死へ向かっていた。
「…ハルディオ、聞こえるか。お前に会いたいと来てくれたぞ」
「…」
「……ルコラが、……お前の娘が来てくれたんだ」
鮮やかだった緋色は白に変わり、その表情には死相が浮かぶ。
薄いブルーが、わたしを捉えた。
51
あなたにおすすめの小説
アンジェリーヌは一人じゃない
れもんぴーる
恋愛
義母からひどい扱いされても我慢をしているアンジェリーヌ。
メイドにも冷遇され、昔は仲が良かった婚約者にも冷たい態度をとられ居場所も逃げ場所もなくしていた。
そんな時、アルコール入りのチョコレートを口にしたアンジェリーヌの性格が激変した。
まるで別人になったように、言いたいことを言い、これまで自分に冷たかった家族や婚約者をこぎみよく切り捨てていく。
実は、アンジェリーヌの中にずっといた魂と入れ替わったのだ。
それはアンジェリーヌと一緒に生まれたが、この世に誕生できなかったアンジェリーヌの双子の魂だった。
新生アンジェリーヌはアンジェリーヌのため自由を求め、家を出る。
アンジェリーヌは満ち足りた生活を送り、愛する人にも出会うが、この身体は自分の物ではない。出来る事なら消えてしまった可哀そうな自分の半身に幸せになってもらいたい。でもそれは自分が消え、愛する人との別れの時。
果たしてアンジェリーヌの魂は戻ってくるのか。そしてその時もう一人の魂は・・・。
*タグに「平成の歌もあります」を追加しました。思っていたより歌に注目していただいたので(*´▽`*)
(なろうさま、カクヨムさまにも投稿予定です)
氷の貴婦人
羊
恋愛
ソフィは幸せな結婚を目の前に控えていた。弾んでいた心を打ち砕かれたのは、結婚相手のアトレーと姉がベッドに居る姿を見た時だった。
呆然としたまま結婚式の日を迎え、その日から彼女の心は壊れていく。
感情が麻痺してしまい、すべてがかすみ越しの出来事に思える。そして、あんなに好きだったアトレーを見ると吐き気をもよおすようになった。
毒の強めなお話で、大人向けテイストです。
真実の愛がどうなろうと関係ありません。
希猫 ゆうみ
恋愛
伯爵令息サディアスはメイドのリディと恋に落ちた。
婚約者であった伯爵令嬢フェルネは無残にも婚約を解消されてしまう。
「僕はリディと真実の愛を貫く。誰にも邪魔はさせない!」
サディアスの両親エヴァンズ伯爵夫妻は激怒し、息子を勘当、追放する。
それもそのはずで、フェルネは王家の血を引く名門貴族パートランド伯爵家の一人娘だった。
サディアスからの一方的な婚約解消は決して許されない裏切りだったのだ。
一ヶ月後、愛を信じないフェルネに新たな求婚者が現れる。
若きバラクロフ侯爵レジナルド。
「あら、あなたも真実の愛を実らせようって仰いますの?」
フェルネの曾祖母シャーリンとレジナルドの祖父アルフォンス卿には悲恋の歴史がある。
「子孫の我々が結婚しようと関係ない。聡明な妻が欲しいだけだ」
互いに塩対応だったはずが、気づくとクーデレ夫婦になっていたフェルネとレジナルド。
その頃、真実の愛を貫いたはずのサディアスは……
(予定より長くなってしまった為、完結に伴い短編→長編に変更しました)
失踪していた姉が財産目当てで戻ってきました。それなら私は家を出ます
天宮有
恋愛
水を聖水に変える魔法道具を、お父様は人々の為に作ろうとしていた。
それには水魔法に長けた私達姉妹の協力が必要なのに、無理だと考えた姉エイダは失踪してしまう。
私サフィラはお父様の夢が叶って欲しいと力になって、魔法道具は完成した。
それから数年後――お父様は亡くなり、私がウォルク家の領主に決まる。
家の繁栄を知ったエイダが婚約者を連れて戻り、家を乗っ取ろうとしていた。
お父様はこうなることを予想し、生前に手続きを済ませている。
私は全てを持ち出すことができて、家を出ることにしていた。
愛を語れない関係【完結】
迷い人
恋愛
婚約者の魔導師ウィル・グランビルは愛すべき義妹メアリーのために、私ソフィラの全てを奪おうとした。 家族が私のために作ってくれた魔道具まで……。
そして、時が戻った。
だから、もう、何も渡すものか……そう決意した。
良いものは全部ヒトのもの
猫枕
恋愛
会うたびにミリアム容姿のことを貶しまくる婚約者のクロード。
ある日我慢の限界に達したミリアムはクロードを顔面グーパンして婚約破棄となる。
翌日からは学園でブスゴリラと渾名されるようになる。
一人っ子のミリアムは婿養子を探さなければならない。
『またすぐ別の婚約者候補が現れて、私の顔を見た瞬間にがっかりされるんだろうな』
憂鬱な気分のミリアムに両親は無理に結婚しなくても好きに生きていい、と言う。
自分の望む人生のあり方を模索しはじめるミリアムであったが。
最後の誕生日会
まるまる⭐️
恋愛
「お父様のことを……お願いね……」
母は亡くなる間際、まだ小さかった私の手を握り締めてそう言った。
それから8年……。
母の残したこの言葉は、まるで呪文のようにずっと私の心を縛り付けてきた。
でも、それももう限界だ。
ねぇ、お母様。
私……お父様を捨てて良いですか……?
******
宮廷貴族ゾールマン伯爵家の娘アイリスは、愛する母を病気で亡くして以来、父ヨーゼフと2人肩を寄せ合い暮らしてきた。
そんな日々が続いたある日、父ヨーゼフはいきなり宰相から筆頭補佐官への就任を命じられる。それは次の宰相への試金石とも言える重要な役職。日頃からの父の働きぶりが認められたことにアイリスは大きな喜びを感じるが、筆頭補佐官の仕事は激務。それ以来、アイリスが父と過ごす時間は激減してしまう。
そんなある日、父ヨーゼフは彼の秘書官だったメラニアを後妻に迎えると屋敷に突然連れて帰って来た。
「彼女にはお前と一つ違いの娘がいるんだ。喜べアイリス。お前に母と妹が一度に出来るんだ! これでもう寂しくはないだろう?」
父は満面の笑みを浮かべながらアイリスにそう告げるが……。
私は『選んだ』
ルーシャオ
恋愛
フィオレ侯爵家次女セラフィーヌは、いつも姉マルグレーテに『選ばさせられていた』。好きなお菓子も、ペットの犬も、ドレスもアクセサリも先に選ぶよう仕向けられ、そして当然のように姉に取られる。姉はそれを「先にいいものを選んで私に持ってきてくれている」と理解し、フィオレ侯爵も咎めることはない。
『選ばされて』姉に譲るセラフィーヌは、結婚相手までも同じように取られてしまう。姉はバルフォリア公爵家へ嫁ぐのに、セラフィーヌは貴族ですらない資産家のクレイトン卿の元へ嫁がされることに。
セラフィーヌはすっかり諦め、クレイトン卿が継承するという子爵領へ先に向かうよう家を追い出されるが、辿り着いた子爵領はすっかり自由で豊かな土地で——?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる