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26.
しおりを挟む「心配したのよほんとに…ッほんとうに…!」
会うのはどれくらいぶりだろう。
泣きじゃくるセナの涙が肩に心に、積もる。
「カノンと毎日教会で祈ってたわ!わたしたち今まででいちばん祈ってた…!きっと、ぜったい、…助かるまた会えるって、っ、」
ーーこんなに、
こんなに近くにあったのに、わたしは。
静かで、知らない場所のようで、未だ、胸は騒めく。
キュリオ殿下が手配してくれた少数の使用人しかいない侯爵邸。
わたしは戻ってきた。
「ーー…カノンはあなたが帰ってくるときいて気が緩んだのか熱を出して寝込んでるの。大丈夫よ、いつものことでしょう?赤ん坊が知恵熱を出すのと一緒だもの」
「…悪いことをしたわ」
「そうね、そう思うなら二度と馬鹿なことはしないでちょうだい。そうして早く元気な顔を見せてあげるのよ」
泣き腫らした瞳で、つん、と顔をすますセナを見つめる。
思うことはあっても、決して問い詰めることはしないで待っていてくれた。
「……セナ、」
「なぁに?」
ありがとう。
「わたしね、やらなくちゃいけないことがあるの。それが終わったら話したいことがある。
……すべて話すから、きいてくれる……?」
「ルコラ、」
無理はしないでと、気遣ってくれるのを遮ってわたしは微笑む。
何が起きたかは周知の事実。
けれどわたしから話すことに意味がある。
「あなたにきいてほしいの」
隠したかったこと。知られたくなかったこと。
言いたくなかったこと。言えなかったすべて。
わたしの身に起きた、信じられないこと。
「……最後にするから、もう少しだけ、待っていてくれる……?」
わたしの、物語を。
「…いつまでだって待つわよ…だってわたしたちにはこれからいくらでも時間があるんだから…!」
わたしが泣きたくなったのはきっと、セナが泣いているから。
強く瞼を閉じて、そう言い聞かせてた。
ーー後悔と懺悔だけが綴られた長い手紙の終わりには、真っ当な人間になりいつか勇気を持つことができたらとあった。
そのとききみがまだそう望んでくれていたなら、と。
そしてーー
自身のことには何ひとつ触れていない。
後遺症は重くなくても癒えるのはすぐにとはいかないときいた。
会えるかどうかは賭けのようなもの。
今会えなければ、きっとこの先会うことはないように思う。
わたし自身のために必要だと思ったことで、相手を思い望んだわけではないから。
「…」
懐かしい文字。
少し、歪んで。
最後の一文を、なぞる。
ミドル様は気づいてもいないだろう。
育つまえに蕾のまま手折られた想いだったけれど、それがわたしにもあったことを。
言わないけれどたしかに在って、でも、
乱暴に摘み取られたとしても歪なかたちの花は、きっと咲くことはできなかったことを。
紙吹雪が夜風に紛れ見えなくなる。
消えてゆく。
文通をしていた時間、あのころのわたしにとって救いだった。
もう二度と。
出せない手紙を抱えた孤独な夜は、訪れない。
ーー怪物のようなあの親娘はもうこの世にはいなかった。
曰く義妹は、呆気なく死んだという。
わたしは義妹のことを何も知らない。
ただ、
雨が降ったから。
今日が水曜日だから。
そこにいたから。
そんな理由で、特に理由もなくて、偶々目についた人間を、甚振り虐げるような人間だったということしか知らない。
ひとを虐げる人間は自らも虐げられた過去を持つという。
ほんとうだろうか。
生まれながらに悪人の人間はいないという。
ーーほんとうだろうか。
快楽のために笑顔で悪意を振り下ろす人間を見た。
多くのひとたちを、破滅させ死に追いやった人間。
義妹は、ある日突然怪物になったのだろうか。
それとも、
身の内にずっと、飼っていたのだろうか。
墓標もない義妹はどこにいったのか。
最期に何を思ったのか。
わたしは知らない。
門にたどり着く資格すらなく、永劫彷徨うのかもしれない。
成れの果て。
人間の心を無くした人間の末路。
境界線を軽々しく越えた義妹は、後戻りなどできなかったのだ。
夜明けが近づく。
踏みとどまり、振り返ることなどせず、わたしはこれからも生きてゆく。
ーーソルト子爵家当主の伯父に会うのはたぶん母の葬儀以来。
ほぼ初対面で開口いちばん謝罪されたけれど、伯父は何も悪いことなどしていない。
祖父はわたしが赤ん坊のころにすでに亡くなっているけれど祖母は、騒動のまえ病で亡くなったそうだ。
それを知らないでいたわたしこそ非礼を詫びなければならなかった。
母方の祖父母は存命で会うこともできたけれど他人でいた時間は長すぎて、お互いどこか戸惑うようなぎこちない会話は弾んだとはいえなかった。
義妹が言いくるめていたのかやはり交流を絶ったのは父からで、言いわけには母の死が使われていたようだ。
抗議するも支配は伝染したのか、だんだんとわたしの存在は薄れ気にならなくなっていたらしい。
面影を記憶のなかで探しても見つからない。
どちらの家でも当然、感動の再会とはいかなかった。
「…ここだ」
監視付きの離れ。
見張りは室内にも配置され、それらを含めすべて王宮から派遣されている。
空気は澱んでいないのに、踏み入るのを身体が拒む。
「もう自力で身体を動かすことはできないと医師が言っていた。不可能ではないが、本人にその意思も気力もないのだと」
「…」
一年以上ぶりに見た父は、ゆるやかに死へ向かっていた。
「…ハルディオ、聞こえるか。お前に会いたいと来てくれたぞ」
「…」
「……ルコラが、……お前の娘が来てくれたんだ」
鮮やかだった緋色は白に変わり、その表情には死相が浮かぶ。
薄いブルーが、わたしを捉えた。
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