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1章 強制入学編

5-2 ひどいことになるよ

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(兄さん、大丈夫かな……)

 観客席へと戻る道中、リムが考えていたのはその不安だった。慕う兄貴分、ムジカのことだ。
 周囲に視線を巡らせれば、辺りにはたくさんの観客がいる。彼らは別に、ムジカの決闘を見に来たわけではない。単に、今日も行われているいくつかのランク戦を見に来ただけだ。開幕シーズンということもあり真新しさもあって人が多い。
 ムジカの決闘は、そのランク戦のついでとも言うべき余興だ――その一方で、娯楽としての側面自体は否定はできない。ランク戦と同程度の見世物ではあるのだ。それはやってること自体は、ランク戦と変わらないというのもあるし……

(かかっているものがあるんだから、人によっては命がけになる……本気の戦いだから、余興になる)

 だから、リムは決闘が嫌いだ。決闘だから――命を懸けているという建前があれば、何を願っても許されると。そう認めてしまったこの制度自体が。
 と。

「おーい、リムちゃーん!」

 目的地のほうから聞こえてきた声に、リムはひっそりとため息をついた。
 視線の先、声の主はピョンピョン跳ねながらこちらを呼んでいる。最初は喧嘩を売りに来たくせに、何故か兄に懐いたらしいバリアント出身の少女、アーシャだ。お付きの二人も一緒にいる。
 本当なら、今日は一人静かに観戦していたかったのだが。朝はムジカに置いていかれ、父も不在。仕方なく一人で第一演習場に向かったら、タイミング悪く彼女たちに見つかったというわけだ。

 あの三人が嫌い、というわけではない。思うところが(特にアーシャに対しては)ないわけではないが。それでも関わることに消極的なのは、単にリムが他人を信用できないからだ。
 ムジカはああ見えて、敵意を向けない限り誰とでも人付き合いするし、父も大人だから人との距離の取り方をわきまえている。だがリムは逆に、基本的には誰も受け入れない。父かムジカ、その二人との関係が見えない相手なら、まず関わらないようにしてきた――し、もし繋がりがあったとしても、リム個人としては他人のままでいたかった。

 バリアントの少女たちは、一応ムジカの知人だ。彼が傭兵だと知っていて、なお悪意を持っていない人たちでもある。
 観念すると、リムは顔に微笑を張り付けて、三人に近寄った。

「ただいま戻りました」

 相手は年上なので、敬語で返す。
 答えてきたのはやはりというべきか、アーシャだった。気安く手を振ってから言ってくる。

「お帰り、リムちゃん。ムジカはどうだった? 緊張とかしてた?」
「どうでしょうね。たぶん、緊張はしてないと思います。少なくとも、談笑できる程度には余裕があったみたいなので」
「こんなに人の目があっても、緊張しないのかな……」

 と、クロエが辺りを見回しながら小さく呟く。
 別に全員が決闘目当ての客というわけではないが、確かに人数は多い。どうやらクロエは人見知りとか、あがり症の気があるようだが。
 リムはなんとも言えない表情で答えた。

「まああの人ですから。人の目とか、どうでもいいんだと思いますよ」
「それはそれで、どうなんだろうって気もするけど……」
「でも確かに、ムジカが緊張してるところって、あんまり想像できないかも」

 クロエの微妙な呟きに、サジが同意を示す。

「この前の戦闘科の講義でちらっと見たけど、一年生の中じゃ飛び抜けてたしね。アレだけの技量があるならたぶん、学生相手なら緊張なんかしないと思う」
「ちょっとやめてよ、イヤなこと思い出させるの。あたし、ムジカに滅多打ちにされたんだけど」

 何やら遠い目をしてアーシャがうめく。どうも、先日の講義で彼女はムジカとペアを組まされたらしい。まああの人はことノブリスに関してはわずかにも容赦してくれないので、何が起きたのかは想像に難くないが。
 ふと気になったのか、アーシャがこんなことを訊いてくる。

「でもムジカって、いつ頃からノブリスの操縦始めてたの? 傭兵始めたのがいつ頃からかっていうのも知らないけど。短期間でアレだけできるようになったってわけじゃないでしょ?」
「傭兵業は三年前から、ですね。ただ……ノブリスの訓練を始めたのは、十年前からって聞いてます」
「……え? 嘘でしょ? 五歳から訓練してたの!?」
「ええ。といっても、本人はお遊びみたいなことしかしてないって言ってましたけど。それでも十年の経験は大きいです。普通の学生相手ならまず負けないでしょう。緊張してないのは、ある種の自負の裏返しです。ただ……」

 懸念がある。というより予感が。おそらくはそれを、ムジカも感じ取っている。
 リムにとっての不安はそれだ。その予感が仮に当たっていたとして、ムジカがそれをどう思うか。
 ひねくれているようで、その実真っすぐなあの人が、それに何を思うのか――
 と。

「――ただ?」

 先を促してきたのは、バリアントの少女たちの声ではなかった。もっと厳つくて、重たくて、泰然としている。ついでに言えば聞き慣れた声でもある。
 背後からの唐突な声かけに、バリアントの少女たちが一切に振り返った。リムは振り返らなかったが、誰が来たかは察している――

「ら、ラウル先生!?」
「やあ。娘がいるのを見かけてね。隣、失礼させてもらってもいいかな?」
「ど、どうぞ……」

 許可を取って隣に座る父に、リムはむすっとした視線を向けた。
 ムジカが大変な時に、この父はいつだって役に立たない。それはまあ自分もなのだが、自分は子供で父は大人だ。非難したくなるのも仕方ない――

「それで?」
「え?」
「さっき、何か言いかけただろ。続きは?」

 どうやら、近くで盗み聞きでもしていたらしい。どうやって、とも思うが、これは気づかなかったリムも悪いだろう。父はそういう人だと知っていたのだし。
 それに、どうせこれは父にしか話せなかったことだ。半ば八つ当たりだったが、リムは微笑の仮面を外すといつもの口調で父に告げた。

「兄さん、本気で怒ってるよ。たぶん、気づいてる」
「気づいてる? なににだ?」
「わからない。だけど、空気が三年前と似てる。やられたよ、たぶんね。仕掛けられてる」
「……お前の嗅覚が鋭いのはいつものことだが、あいつの勘も大概だな。いや、この場合逆か?」
「どっちでもいいよ、どうでもいいし。それより、問題はこの後。

 どうなっても知らないから、と付け加えて告げると、父は肩をすくめてみせた。
 父にとってはどうでもいいのだろう――この後がどうなろうと。気にするべきは自分たちではないと、完全に割り切っている。
 というより、割り切っているのは自分が本当に何をすべきか、というところか。それを思えば、確かにリムにとってもこんな座興はどうだっていいが……

「あの……何の話、ですか?」

 会話の不穏さに気づいたのか、サジがおずおずと訊いてくる。
 返答は父に任せたが、父は微笑を絶やさずにこう答えた。

「いや、なに。どうも不正を仕掛けられたようでね」
「……え?」

 あまりにもあっさりとした言いように、サジが絶句したようだ。表情では他の人たちも似たようなものだが。
 だがラウルは確信を持って言う。リムのように勘に頼ったわけではなく、調査か何かしていたようだ。

「何をしたのかまでは聞いてないが、やられたのはノブリス周りだそうだ。ムジカに手配されたノブリスの整備担当に、スバルトアルヴの縁者が関わっていたらしい……が、その整備記録が出てこない。決闘管理委員会が、そんなわかりやすい工作を見逃すとも思えん。窓口も含めて抱き込まれたんだろうな」
「え? そんな……そんなことって――」

 呆然と、信じられないとアーシャが呟く。
 アーシャが愕然としているのは、彼女がまだ真っ当なノーブルだからだろう。決闘は神聖なものとされている。己の信念と誇りをかけているのだから、それが当然だ。
 だがリムは無視すると、刺すような声音でこう訊いた。

?」


 え? と、呟いたのは誰だったか。まあ、そんなことはどうでもいい。
 厳しく見据えた視線の先、父は不機嫌そうに頷いた。流石に笑って答えることではないし、実際、父は相当不快に思っているのも間違いではないようだが。

「どうも、傭兵風情がでかい顔しすぎたらしい。講義のアシスタントを頼んだせいか、ムジカは俺の弟子扱いされてるみたいだしな。ちょうどいいタイミングで都合のいい騒ぎが起きたから、見逃してやったといったところかな」
「そんな……何よそれ!?」

 叫ぶなり、ばっとアーシャが立ち上がった。
 ぎょっとするお付きの二人も気にせず、どこかに駆け出そうとして――父が慌てて止める。

「待ちたまえ、アーシャ君。どこ行く気かね?」
「止めないと!! 不正されてるんなら、決闘なんて無効でしょう!? 止めないと――!!」

 それこそ止める間もなく、彼女の背中は場内へ向かう階段の先に消えていった。
 呆然とそれを見送ってしまった後、父がぼやくように言う。

「しまった、止め損ねたな。目的地は……控室かな?」
「たぶん……ムジカとアルマ先輩に話をして、そこから決闘管理委員会に話を通そうとしてるんだと思いますけど……」
「なるほど。まあ、今から追いかけても間に合わんか。アーシャ君も間に合わんだろうしな」

 サジの予測に、父はあくまでのんびりと言う。そののんきさには腹が立つが。

「……どうして、そんなに落ち着いてるんですか?」

 刺すように鋭く聞いてきたのは、クロエだった。
 瞳にどこか、非難するような色を浮かべて言ってくる。

「今のって、ムジカさんが危ない目にあいそうだって話じゃないんですか? それなのに、どうして――」

 その眼にあるのは本当の心配だ。どうやら彼女は善人らしい。本気でムジカの身を案じているようだが――
 理解できていないクロエに、ラウルはシニカルに告げた。

「――あいつの心配なんてするだけ無駄さ」
「え……?」
「止めないでも、何も問題はない。相手の実力は分かりきってる。あんな程度で、アレに勝てるはずがない――。悲惨な結果になるのは相手のほうだ」

 それだけでは伝わらないだろう。だからリムが補足した。

「仕掛け方がずさんだったら、兄さんはわざと引っかかりますよ。みんなの前で罠を見せつけて、その上で真正面から叩き潰すんです。ひどいことになるって言ったのはそういうこと。全部潰れますよ。相手の面目も、決闘管理委員会のメンツも、決闘に掛けるノーブルの誇りとやらも、全部」
「こういう場合、容赦はしないからな、あいつは……ある意味、あいつが一番ノーブルに幻想を抱いている。だから、その理想を踏みにじる奴は一切許さないだろう……ガキだよなあ。何度裏切られれば学ぶんだか」

 父はもう、信じてなどいない。ノーブルも、平民も。裏切られ続けたからだ。信じる価値などないと見捨てた。
 それはリムも同じだ。だから今、あの故郷を捨ててここにいる。
 理想を見捨てられないでいるのは、あの人だけだ。
 だから、父にだけ伝わる言葉で呟いた。

「兄さんが苦しむくらいなら、こんな場所に用なんてないよ」
「……わかってるさ」
「…………?」

 不穏さは伝わっても、バリアントの子供たちに意味までは伝わらなかったらしい。だがそれでいいと思う。
 リムも父も、大切な人を大切にしたいだけだ。自らの何もかも全てを引き換えに、リムを救ってくれたあの少年を。
 必要なのはそれだけだ。それが叶わないのなら、こんな島には用などない。

 ――視線の先、開かれた扉の中から現れた<ナイト>を、リムは祈るように見つめた。
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