氏神よ、獅子と舞え

山椒丸

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第1話

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風が駆け抜ける。
地面を大きく踏み締め、全力で駆ける。
激しい呼吸に肺が悲鳴を上げながらも、橘奏汰たちばなそうたは田舎道を走っていた。黒髪や半袖のシャツは、汗で体に張りついている。
コンクリートで塗装された道が真っ直ぐに続き、左右には青々とした田が広がっている。
そして背後には、大きな黒い影が奏汰を追いかけて来ていた。

事の起こりは数分前。高校の授業が5限で終わり、いつもよりも早めの下校道。視界の端に映った“何か”と目を合わせてしまったのが原因だった。
奏汰は幼少期から霊的なものが視えてしまう体質だった。更にはその霊的な“何か”は、関わると厄介な事な経験をする事が多く、嫌な印象を抱いていた。その為普段から視えても避けるようにしていて、なるべく他人にも伝えようとしなかった。それが奏汰が自分を守る為に心がけていた事だった。
しかし今日、目の前に立ち塞がった黒い物体は奏汰の身長を優に越していて、あまりの大きさについ見上げてしまったのがいけなかった。おかげで相手もこちらを認識して、このように追われる羽目になってしまった。

黒い何かはモヤの様に動いていて、正直どこが頭で体か、走っているのか浮いているのかさえも分からない。ただ形を成していない事と、僅かに金切り声の様なものが聞こえる事から、それが悪いものだろうと言うのは理解できる。
一見してここまで”やばそう“な相手に関わってしまうのは久々で、奏汰は後悔の念に駆られながら走り続けていた。

「はぁっ…はぁっ…!」

田んぼを横切る様に続くアスファルトの道は、まだしばらく直線に続いている。
既に体力は限界を迎えていて、恐怖心だけが体を突き動かしていた。
しかし次第に踏み出す足は弱くなる。数歩駆けながら、遂にもつれて転倒してしまった。

手や体を打ちつけて、奏汰は痛みに顔を顰めながら振り返る。黒い何かは追いついたかと思うと速度を落とし、ゆっくりと迫って距離を詰めてきた。
もやがかった全体は、空間との境目を激しく揺らめかせている。まるで獲物を目の前にして喜んでいるかの様だ。

奏汰はゾッとして体が上手く動かず、諦めそうになりながら打開策を必死に考えた。

(このまま逃げられない…いっそ話しかける?言葉が通じる相手?)

思い詰めていると、張り詰めた空気を裂くかの様に、チリンチリンと2回、自身の背後から大きなベルの音が響いた。自転車だ。
地面に這いつくばりながら驚いてそちらを見ると、自転車にまたがった男子がこちらを見下ろしている。自分と同じ制服を着ているが、逆光で眩しく顔が見えない。
なんにせよ奏汰はこの状況を見られてしまった、と嫌な気分になった。

「何やってるんだ?」

その男子は少し低めの声で、呆れたように問いかける。どう説明したら良いか分からず、とにかく共に逃げようと目を前の何かに戻した。
しかしそこには、ただ変哲も無い道が続いているだけである。
先ほどまでの黒い物体は、なぜか跡形もなく消滅していた。

「なんで…」

「馬鹿な事してるなよ。同じ高校生として恥ずかしい。」

呆気に取られる中、疑問に思う間もなくそう告げられ、急速に頭が冷える。あんまりな言い方だ。人がどれほど必死に逃げてきたか知らないで。
言い返そうと立ち上がり、その顔を見た途端、奏汰は言葉を飲み込んだ。
短く整えた黒髪に、体育会系のがっしりとした体躯。剣道部でイケメンで、モテ街道まっしぐらのその男の名は、宮部武みやべたけると言う。
奏汰がこの高校生活で、最も嫌っている人間だった。







斉田さいだ町。約1万人の人口で、面積の北半分を山が占めている、自然豊かな町である。
南半分の平地を横切る様に走る私鉄は1時間に1本ペースで走っている。開けた田園の中を走る姿は風情があり、撮り鉄がまばらにいる時もある。

奏汰の暮らす祖父母の家は駅からほど遠く、高校までは自転車で15分ほどの町はずれにある、昔ながらの日本家屋である。
家の周りは奏汰の祖父が私有する田園に囲まれていて、稲作農家の祖父は毎日朝早くから田仕事に励んでいる。隣近所の家は1km程先にある、非常にのどかな土地であった。

そんな家の居間、夕日に照らされた窓と雨戸を閉めて、奏汰は床に座り込んだ。居間に繋がる台所で祖母が料理を作っていて、美味しそうな揚げ物の香りが漂ってくる。
いつもは帰宅後、1番に台所に行って献立を確認する奏汰が、今日はダンマリである。更には長いため息をついている。それはもう、食卓に座って早めの晩酌をしていた祖父、達夫が声を掛けざるを得ないぐらいに。
達夫はどうしたもんかと思いながらも、咳払いをしながら一応声をかけてみる。

「奏汰、どうしたぁ?」

「クラスメイトに見られちゃった。しかも嫌いなやつ。」

奏汰は先ほどあった事を説明する。いつもの“変なの”に追われていて、転けたところを目撃されたと。
武があの後、自転車に跨り直し、こちらを一瞥しながら颯爽と置いて行った事も。
あの冷たい瞳と言ったら。どうしてああなんだろうと憤りを感じる。

「アイツにだけは見られたくなかったのに…!」

「走ってて転けたのを見られただけだろう?思うほど変じゃないさ。大丈夫だ。」

達夫は田仕事で日焼けした笑顔を見せながら、さっぱりと言った。持ち前のおおらかさに、奏汰はいつも助けられる事が多かった。

「とにかく何も無くて一安心ですよ。ほらほら、早く手を洗って着替えていらっしゃい。」

祖母のみつ子が料理を食卓に持って来た。達夫の嬉しそうな声に釣られて、奏汰は前のめりになって駆け寄った。

「唐揚げだ!」

大皿にじゅわりと揚げたての唐揚げが積み重なっている。傍にレタスやトマトが添えられて、見栄えも美しい。食べ盛りの高校生である奏汰は、急に空腹感がしてごくりと唾を飲み込んだ。

食欲には逆らえまいと、嬉々としてその場を移動する。手を洗い、自室で制服を着替えながら、奏汰はシャツを開けた胸元に触れた。
首には紐に繋がった藍色の小さな御守り袋が下がっていいて、奏汰は袋の中身を取り出して確認した。
一見して分厚い石版の様にも、何かの鉄板の破片の様にも見える。消しゴム程の大きさで、平になっているそれの表面はざらついて曇っていた。少し歪な形をしているものの、角は丸く緩やかになっていて、人工的に削られたのか、自然と丸まったのかは分からない。

変わりないことを十分に確認してから、安心して元の袋にしまい込んだ。
奏汰の両親が言うには、奏汰が乳幼児の頃、いつの間にか手にしていたものらしい。家にこんな物はなかったし、外出した際にどこかで拾ったのではと思った様だが、歩けもしない歳だろうに変な話だ。

鉄片は奏汰が片時も離そうとしないので、母が首にかけられる様に袋を縫ってくれたらしい。
奏汰に当時の記憶はあまりないが、両親の形見に近い物という事もあって、側に置いておく様にしていた。それになぜか護られている様な気がして、片時も離さず身につけていたのだった。

当時の詳細を聞こうにも、両親は奏汰が小学校に上がってすぐ、事故で亡くなってしまった。両親が死んでからは祖父母に目一杯愛情を込めて育てられたが、ふと両親の事を考えて虚しくなる時もあった。
けれど奏汰はこの家が好きだったし、祖父母も勿論好きだ。高校を卒業したら、達夫の仕事を継ごうとも考えている。
それにはまず、自分のこの力と上手く付き合っていかなくてはならない。
祖父母には伝えているし、隠し事をする様な仲ではない。けれど本当に危険な事になるとも限らないし、あまり心配を掛けたくないとも思う。
そこまで考えて、奏汰は先程のことを思い出す。黒い影が消えたのは少し不思議だっただが、それよりもあの一連に対して宮部が何か悪い事を考えて無いだろうか、と不安になる。
クラスメイトに言いふらされ、肩身の狭い思いをするより、何も無かったことにしてくれたら良いと願わずにはいられない。

ため息をつきながら部屋着に着替えて居間へ戻ると、食卓には唐揚げを始め料理が揃っていた。美味しそうな料理を眼前に、奏汰の先ほどまでの杞憂はすっかりどこかへ行ってしまった。
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