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さぁ、お迎えに上がりましょう

2.

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 すう、すう、穏やかな寝息を立てる少女を見つめる。うっすら目を腫らしてしまっているが、それでも彼女の美貌を損なうには足りていない。

 エレノア・アルテミス。

 シエル王国の名門公爵家の一人娘として生まれ、第1王子であるルーカス・ジュピターの元婚約者。17歳という若さながら眉目秀麗、英俊豪傑、才色兼備、天資英邁……あらゆる古語で褒めたたえられる彼女は、主に外交において高い能力を発揮しシエル王国内よりもむしろ諸外国で高い人気を博していた。
 さらにその優れた才覚を裏打ちするような美貌は、すれ違う男を皆振り返らせ足元に傅かせ、女性でさえも虜にしてしまうという。美しい紫色の目はどこまでも澄み切っていて、彼女のまっすぐさ、純真さ、正しさを証明しているし、腰ほどまで丁寧に伸ばされた癖のない金糸のような髪は、太陽神の慈悲の光を映し取ってきらきらと輝くのだ。

 しかし、彼女の勝ち気で完璧主義な性格は外交でこそ有効活用されたものの、恋愛においてはそうではなかったらしい。ちらりと確認しただけだが、ルーカス王子の好みがあの【天詠みの聖女】だというのならば、エレノアの容姿では歯牙にもかけられないのも頷ける。聖女は正しくの良い要素をすべて詰め込んだような可愛らしさがあった。

 それにしても、ルーカス王子も趣味が悪い。俺は絶対聖女よりエレノア派だ。――あくまで顔は。顔はね。
 だって、せっかく濃度の高い魔力を持っているのに誰かに身体を許したのか、かなり穢れていた。年頃の女に恋をするなとは言わないが、聖女なんだから処女くらいは守れよ。
 加えて、俺の顔を見ても誰かわかっていないようだったから、おそらく外交関係の勉強も全くしていない。自分で言うのもなんだが仮にも同盟国の「大公」だぞ。貴族ならば見た瞬間に誰かわからなければ話にならない。少なくとも星の王国にとって脅威となるような存在とは思えなかった。


 馬車が国境の魔法結界を超える。無断でお邪魔したお詫びに綻んでいたところを補修しておいてやった。おそらく俺の魔力に気付いた魔法騎士共が修復にやってくるだろう。関所の上空を馬車で通り抜けると、地上に立つ子どもたちが珍しさからか走って追いかけてきてくれる。可愛い。



「子供は嫌いだと思っていたわ」


 いつの間にか目を覚ましていたらしいエレノアが、小さな鏡を見つめながら呟く。睫毛がとれちゃった、なんて恥ずかしそうに眼の下をこすっている。どう見ても睫毛はあるが……何かのたとえ話だろうか。
 窓から顔を出し、子どもたちに向けて手を振る。恐ろしい速度で進む馬車からなのでおそらく見えてはいないだろうが、貴族たるもの平民の歓迎には応えないと。ーーなんて、エレノアが聞いたら「あんたが言うな!」と叫ぶであろうことを考えながら首を傾げた。


「嫌いじゃないよ。妹もいるし」
「妹?……知らなかったわ。ごめんなさい、勉強不足ね」
「まだ社交界入りしてないから知らなくて当然だよ。むしろ知ってたらストーカーを疑うね」
「……一々言葉に棘があるわ――ねっ!!」

――ゲシッ!!!

「いっだぁあ!!!何すんだこの暴力女!」

 
 顔を顰めるエレノアが面白くてケラケラ笑えば、先のとがった靴で足の脛を思いっきり蹴りあげられた。あまりの痛みに思わず足を椅子に持ち上げて悶絶する俺に、彼女は仕返しとばかりに鼻で笑う。やっぱりこんな女、全く好みじゃない。

 呻きながら足を摩る俺に「軟弱者ね」と吐き捨てて居住まいを正したエレノアは、手で口を隠してふわりと小さくあくびを漏らした。そんな気の抜けた姿も様になるのだから恐れ入る。


「妹様とは仲はよろしいの?」
「……あぁ、とっても。世界一大切な存在だ」


 愛おしい妹のことを思い出し、心が温かくなる。まだ幼いながらに俺を慕ってくれる可愛い少女。兄の欲目なしにも世界一の美女だと断言できるほどの可愛らしい容姿に仕草の数々は常に俺を虜にしてやまない。あー、早く帰りたい。
 ところが、俺の言葉を聞いたエレノアは何か思うところがあったのか、そっと目線を下げる。陰る表情に、先程のことを思い出す。そうか、彼女は目の前でご両親に捨てられたも同然のことをされたのだった。配慮に欠けた発言をしてしまったことに若干の後悔が湧き上がる。

 しかし、思わずおろおろと視線を送る俺に気付いたエレノアがニヤリと笑う。――騙された。
 あろうことか彼女はプスゥーッと吹き出し、次いで腹を抱えて大爆笑し始めた。


「あははは!!オズワルド貴方、女の駆け引きという言葉知ってらっしゃる?こんな簡単な手管に騙されているようでは今に悪い女に捕まるわね!見てみたいわぁその姿!貴方が私のようにすべてを失っても、私の奴隷にして一生可愛がってあげるから安心なさいな」
「まっじでうぜぇ……その言葉丸ごとお返しいたしましょうか?今まさにすべてを失っているエレノアお嬢さ・ま」


 ぎりり、と睨みあう俺たちの会話を聞いていたらしい外の天馬が鼻を鳴らす音が聞こえる。俺とエレノアが顔を合わせれば大体こんな感じなので、天馬たちもすでに見慣れてしまっているのだろう。



 完全に興が削がれた俺はエレノアから目線を外し、窓の外を見る。眼前には、俺たちが喧嘩をしている間に星の王国に入ったようで、見慣れた風景が広がっていた。日はすでに沈み、空には満天の星が輝いている。夜の空を馬車に乗って走ると、まるで沢山の光の中に自分がいるような気分になるから心地よい。実際星の王国の平民街の屋台が最もにぎわうのも、昼ではなく夜であるから多くの国民も同じ気持ちなのだと思う。
 遠くの方に俺の屋敷である【宝瓶宮】がちらりと見えた。妹に今日は帰れないと伝えてはいるが、きっと寂しがっているだろう。早く帰ってやらないと。
 ぼんやりと外に見蕩れていると、エレノアがポツリと微かに呟いた。


「私、今日からどうしたらいいのかしら」
「……」
「ごめんなさい、なんだか急に不安になってしまって……駄目ね。私はエレノア・アルテ――エレノア。こんなことで私の人生に一片たりとも傷が付くことなんて、」
「別にいいんじゃないの」


 ぎゅっと両手を握りしめ、身体を縮めるエレノアをまっすぐ見下ろす。完璧でいようとしすぎなくたって、すでに彼女は完璧だ。彼女の言う通りルーカス王子にフラれて家を失ったとしても、エレノア自身が無事ならばどうにだってなる。それだけの能力があるし、人もついてくるし――それに。


「ここにいる限りは俺も守るし」


 エレノアは大きく目を見開いた。……らしくないとは思うが、彼女がしおらしくしているのは何となく見たくない。


「オズワルド……


 貴方そんな紳士じみたことも言えるのね」


 あ・の・さ・ぁ。――こめかみに青筋が浮かぶ。


「お―――っまえ、本気でウザイんだけど!今すぐ馬車から降りろ!歩いて行け!絶対何があっても助けねーわ今決めた」


 もう堪忍袋の限界だ。ちょっと気を遣ったらこれだよ本当に。可愛くないことこの上ない。今すぐ馬車から転落させて大けがさせてやろうか。馬車をがたがた揺らして酔わせてやろうか。
 もう二度としおらしくしている彼女を見ても助けてなんかやらない。せいぜい聖女に苛め抜かれて泣いてろバーカ!


 最早苛つきすぎて涙目になる俺をみて大笑いするエレノア。


 ぎゃんぎゃん騒ぐ俺たちを、夜空の星が呆れたように見つめていた。

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