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ツェ二ティー編

後編

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 神殿の裁決の間に連れてこられたジルベルトは、隣国第二王子デオンからマリアンヌの逃亡劇を聞かされた。

 「この女は戦争が始まりそうになると、従者を唆して我が国の陣営に来て、国の重要機密を打ち明けると兄上を騙そうをしたのだ。しかも色仕掛けでな。兄上は、そんなものでは心を動かさない。逆に殺されなかっただけありがたく思うのだな」

 「な…なんで、わたしは美しいでしょう?そのわたしを好きにしてもいいと言ったのよ。どうして。こんな扱いを受けなければならないのよ」

 「ははは、お前は知らないのか。我が国にアルバット公爵が身を寄せた時、お前は既にわが国では知らぬものはいない程の悪女だったのだ。婚約者がいるにも関わらず、誰かれ構わずにその身を開く、娼婦のようなお前は我が国の信仰では異端扱いだという事を仮にも皇妃だった者が理解していないのか?わが国では、婚姻は神聖な儀式の一つで不義を犯した者は重い罪に問われる。例えそれが王族であってもだ。そんな事も知らずに兄上を籠絡しようなんて身の程知らずにも程がある。兄上には許嫁がいる。誰かと違って蔑にしたら王族から除籍され、追放されるくらいの罪に問われるのだ。この国のような緩い信仰と一緒にされては困る」

 デオンの蔑むような口調にマリアンヌは顔を真っ赤にして、怒り心頭だった。デオンに掴みかかろうとしたところを騎士に抑えられ、目の前に剣を突きつけられると、怯えてジルベルトに助けを求めた。

 「陛下、わたしは怖かったんです。逃げ出すつもりはありませんでした。助けて下さい。お願いです」

 ジルベルトの心にはかつてのマリアンヌへの想いなどなかった。逆に今目の前にいるセレニティーに興味があった。彼女は確かにツェ二ティーと瓜二つなのに何処か惹かれるものがあったのだ。そして、違和感も覚えている。

 じっとセレニティーを見つめているジルベルトにマリアンヌは、

 「陛下の真実の愛の相手はわたしでしょう。どうして、その女を見つめているの?あのツェ二ティーを──」

 「違う。この修道女はツェ二ティーの姉だ。それにさっきいた場所にツェ二ティーは眠っている。あの卒業パーティーの後、死んだと聞かされたばかりで、墓標も確認した。間違いない」

 「う…嘘よ。そんなの嘘だわ。あんたがツェ二ティーよ。だってその冷たい表情は、あの女のものだもの。陛下、この女はツェ二ティーよ。身代わりに姉を犠牲にしたのよ」

 「犠牲…?何を言っているんだ…」

 興奮して、マリアンヌはうっかり失言してしまった。ジルベルトは、その『犠牲』という言葉が引っ掛かった。

 「答えろ!君は何を知っているんだ」

 マリアンヌは目を左右に泳がせながら狼狽えていた。両腕をジルベルトにきつく掴まれながら、頭の中で必死に逃れる術を模索している。

 その様子を静かに見ていたセレニティーが口を開いた。

 「真実を口にするのが恐ろしい?」

 「真実…?」

 「ええ、そうです。あの日、妹がこの神殿に来たのは母の墓に別れを告げる為でした。でもいくら待っても帰って来ないので、屋敷にいた護衛騎士に迎えに行くから馬車を出すように言ってここへ連れて来てもらいました。でも着いた時には、侍女らに抑えられて手首を切られていた妹を発見したのです。騎士らに捕縛された侍女らに事情を聞くと、マリアンヌ…貴女の命令で行ったと白状しました。その侍女らは新しく来た者で、調べると王宮で罪を犯して追放になりそうになったところ、貴女がいい勤め先があるからと陛下に頼んで公爵家に紹介してきましたね。いずれ皇太子妃になるツェ二ティーの為によい侍女らを厳選してみましたと言って…」

 ジルベルトには心当たりがあった。確かに一年程前、マリアンヌからそういう事を言われ、『なんて優しい女性なんだ。あんな冷たい女にも親切にするなんて』そう言って紹介状を書いた。まさかツェ二ティーを殺す為の刺客を送り込む手助けをしていたとは思わなかった。

 「私はなんてことを……。では、君が来た時にはツェ二ティーは生きていたのか?あの墓は、一体誰の……」

 「ツェ二ティーは死にました。血を大量に流した所為で…あのお墓は彼女のものです。もうこの世にはいないのですよ」

 「違う、違うわ…嘘よ…そんなことを頼んではいない。でたらめ言わないでよ!陛下、信じてはダメです。この女はありもしない事を言ってわたしを罪をきせようとしているんです。信じないで…」

 ジルベルトは服をしがみつく様に握っていたマリアンヌの手を払いのけた。

 「なら、どうして隣国に行ったんだ?私を見捨てて、子供も置き去りにして…」

 「そ…それは、気が…そうよ。気が動転してしまって…」

 「気が動転していれば国を見捨ててもいいのか?皇族に籍を置いた者が…」

 「ち…違います。そんなつもりではなかったんです」

 「君は『真実の愛』と言ったが、君の愛はどんな困難に遭っても貫く覚悟はなかったという事なのだな」

 そのやり取りをセレニティーとデオンは冷ややかな目で見ていた。

 「そろそろ、茶番は終わりにしようか。もういいだろう。君の願いを叶えればいい」

 デオンはセレニティーに向かってそう告げた。

 「願い?」

 ジルベルトは困惑していた。まるでここにジルベルトが来ることを事前に分かっていたような素振りに。

 「では、陛下最後にお別れです」

 セレニティーは神殿の祭壇にある鋏を取ると自分の心臓の前で何かを切った。そして指で何かを抓むとそれをマリアンヌの心臓に結びつけたのだ。

 途端にマリアンヌは叫び声をあげて、体を捩り悶え苦しみだしたのだ。

 「ぎゃあああああ──っ、助けて──、痛い……体中が針に刺された様に痛いの……」

 「一体何をしたんだ…?」

 「ふふ、陛下の『真実の愛』の相手に本当の『真実の愛』を与えただけです。ご存知でしょう?この神殿は縁を切ったり結んだりできる神が祭られている事を、この鋏で私と陛下の縁を切り、マリアンヌ様にお渡ししただけです。本当に愛し合っているのなら、陛下の苦痛を共に味わわなければ」

 そう言って静かにマリアンヌを見下ろしておいた。暫くするとジルベルトにも同じような痛みが体中を駆け巡った。その痛みに既視感を覚えた瞬間、意識を手放してしまった。

 意識が遠のく時に見たセレニティーの礼は、あのパーティーで見た時と同じもののような気がした。

 その後、ジルベルトとマリアンヌは北の塔に一緒に幽閉され、死ぬまで出ることを許されなかった。





 「なあ、ツェ二ティーあれで良かったのか?後悔はしていないのか」

 「はい、デオン王子殿下?どうしてそんなことを聞くのです。最初に言ったはずです。あの日、共に毒を飲んだジルベルト様を救うために私が体を差し出した。私の愛で生かされていたのに、その愛を絶ったのもジルベルト様本人です。神が偽りの愛を罰したのだけのこと。私は神の加護を持っていてジルベルト様の体の毒を消して代わりに苦痛を受けていたのです。婚約を破棄した人と縁を切る為には神殿に来てもらわなくてはいけませんでした。貴方の配下の者が上手くジルベルト様を誘導してくれて助かりましたわ」

 「まあ、わが国にとってもこの国を手に入れるチャンスをくれたアルバット家には感謝している。このくらいの協力は惜しまないさ。これからどうするんだ?」

 「今までと同じでこの修道院で過ごします。妹のセレニティーの事をよろしくお願いしますね」

 「君に頼まれなくても弟は彼女に夢中だから安心するといい」

 「その言葉で安心しました。妹だけでも幸せになって欲しかったんです」

 「しかし、周到に用意したんだな。あの墓標は…?」

 「人は何時かは死ぬのです。自分の為の墓石を早く用意しただけです。中が空かどうかなんて見た目には分からないでしょう?」

 ふふっと悪戯が成功したように嗤っている彼女を見ながらデオンは不思議に思っていた。

 その答えは数年後に分かった。

 デオンが新しい国土となったこの国を任されて一年程経った頃、

 「殿下、北の塔の囚人が死んだと知らせが届きました」

 「そうか…」

 ジルベルトとマリアンヌはあの苦しみを味わいながら一年を過ごした。二人の遺体は酷かった。体中に掻き傷があり、爪も剥がれている。壁にはもがいた時に引っ掻いた痕が残されていた。

 デオンは、彼らが死んだ報告をしに修道院を訪れると、

 「エニーは今朝、早くに亡くなっておりました」

 「なんだって……」

 デオンは驚いた。ツェニティーからは縁を切れば生きながらえると聞いていたのに…。

 「あの鋏は縁を切れるのではないのか?」

 「殿下、あれは確かにそういう言い伝えがありますが、実際に使った者はいません。それにあれを使えば神罰が下るとも云われておりますので、使う者などいませんでしょう」

 「どういった神罰が……」

 「痛みでのたうちまわるとか…」

 「そうか……」

 デオンは力なく、ツェ二ティーの亡骸を確認した。その顔は満足そうな微笑みで眠る様に横たわっていた。

 後から、自国のセレニティーに確認したところ、あのパーティーの後、殺されそうになり、血が不足したことによって長くは生きられない事は分かっていたらしい。

 だから、愛する者を道連れにする方法とマリアンヌに対する報復を選んだと父や妹には話していた。

 デオンは、彼女の亡骸に静かに白い花を手向けた。

 ツェ二ティーは、結局ジルベルトを赦すことも諦める事も出来なかった。その想いを清算するために死を選んだ。ジルベルトのいない未来に未練はなかったのだろう。
 
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