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だが、四川省に近づくにつれ、戦場特有のピリピリした空気が伝わってきた。ポン元帥の演説が頻繁にラジオで受信できるようになり、それを部下の兵士に聞かせるまいと、ラジオを隠し持っていないかと見回る上官の姿が目に付くようになる。里樹が人民日報の記者だと名乗ると、上官は「おれはリン元帥の命令で省境まで派遣されてきているが、かつての同志である四川省の兵士たちとは戦いたくないね」と語った。
(こりゃ、街道は、ポン元帥の兵で固められているな。ならば、山奥の険しい道を通って四川省に入るしかない。幸い、あたしはくノ一として、悪路を進む訓練を受けてきたから、この里樹の体が素人の体だとしても、知識だけはあるからな)
里樹は街道をはずれると、山奥の隘路を選んで進み始めた。山奥に進むにつれて、集落はポツリポツリと点在するだけになり、食糧の入手も難しくなってきたので、出発前に中南海で調べておいた、四川省の山中での食べられる木の実についての知識を動員し、何とか食いつないだ。山中を一ヵ月ほど歩き通し、ようやく四川盆地に入ると、山を越えてきたとバレないように、汚れてすりきれた服を脱ぎ捨て、新しい服に着替えて宿に入った。
「お姉さん、どこから来たんだい? 今、四川省は、ポン元帥が北京に攻め上ろうとしておられるとかで、戦争が始まるかもしれないと、皆ビクビクして暮らしているよ。我々にはご政道のことはよくわからないけど、四川省の軍管区の地方軍も、北京の野戦軍も、元をただせば皆、貧農の出身だ。共産党軍は、貧農が地主を倒して、皆で豊かになるために組織された軍だもんな。同じ立場の貧農どうしで戦うのは、我々としては反対だね」
四川省の人民公社の農夫は言った。隣では、農夫にくんでもらった井戸水を飲む里樹がいる。その頃には、里樹も北京から来たことを隠すため、人民日報の記者と名乗るのをやめて、北京から四川省に親戚を訪ねてきた最中に軍管区から出られなくなったことにした。農夫たちから情報を集めながら、ポン元帥が滞在しているせいと成都へと近づいていく。軍管区の兵士たちも、党中央からのスパイや工作員の流入を警戒して、街道沿いに何箇所も検問をしいていた。里樹は四川省の親戚を訪ねてきたという通行証を見せて、検問を何とかすり抜けていく。もちろん、四川省に入る際に着ていたボロボロの服は、煙の見えなくなる夜陰に乗じて焼き捨てておいた。
そうやって何日もかけてたどり着いた成都で、宿に泊まりながらポン元帥の居所を探り始める。
(まずはポン元帥の行きそうな場所を把握するために、ポン元帥の好みから探らないと……。といっても、女好きな毛沢東や張作霖と違って、ポン元帥は女にも金にも汚くないしな。だから、あたしの閨房術が通じない。女好きなら、妾になって閨房術で情報を聞き出すこともできるけど……。このぶんだと、兵士や官吏に情報料を払って情報を集めるしかないな)
だが、後の腐敗した共産党軍とは違って、まだ共産党軍には革命の理想が浸透していた時代である。ポン元帥が常に「上に立つ者は賄賂を受け取ってはならん」と言っているので、里樹は情報料を払っても、なかなか有益な情報を得ることができなかった。仕方ないので、自分と背格好の似た官吏を一人気絶させて、衣服をはぎとり、その官吏に変装して政庁に潜り込んでみた。もともと胸も大きくなくてボーイッシュな体型の里樹だからこそ、できることである。
「お、高順じゃないか。ちょうど良かった」
廊下を何気なく歩いていると、ふいに里樹は背後から声をかけられて驚いた。振り向くと、老年の太った官吏が、分厚い書類を差し出している。
「これをポン元帥の執務室まで届けてくれ。急ぎの用ではないが、大事な書類だ。じゃあ、頼んだよ」
里樹は危うく「ポン元帥の執務室はどこですか?」と聞き返しそうになり、あわてて口をふさぐ。そんなことを聞き返せば、党中央から派遣された暗殺者だと言っているようなものだ。里樹は落ち着いて「わかりました」と一礼して、適当に歩き始めた。幸い、老年の太った官吏は、「あ~、忙しい」と言いながら、里樹から離れていく。
しかし、広い政庁の中でポン元帥の執務室を見つけるのは、簡単ではなかった。ポン元帥とて、暗殺を警戒している以上、執務室の場所は限られた者にしか教えていない。おそらく、里樹が扮している高順も、執務室の場所を内密に教えられている一人だろう。だからこそ、おいそれと他人に執務室の場所を尋ねるわけにはいかないのだ。かといって、このまま何もしなければ、ポン元帥を暗殺する機会を永久に逸することになる。八方ふさがりになった里樹は、一計を案じた。
「大変だ! 政庁に党中央のスパイが紛れ込んだぞ!」
里樹は廊下を走り回りながら、大声で触れ回る。政務をしていた官吏たちは、何事かと驚いて廊下に出てくる。
「スパイは放送室に立てこもり、『ポン元帥こそ主席に逆らう逆賊だ』と放送するつもりだ! 皆、放送室に向かい、スパイを取り押さえよ!」
パニックになった官吏たちは、我先にと放送室に向かう。里樹は同時に、「ポン元帥が執務室で賊と交戦中だ! ポン元帥を守れ!」と廊下を走り回りながら触れ回る。ポン元帥の執務室の場所を知っている官吏や兵士たちは、すぐに執務室に向かったので、里樹も彼らの後をついていく。
(ここまでは作戦通りね。問題はここからよ)
里樹は密かにポケットに手をつっこみ、木の欠片を取り出す。
(こりゃ、街道は、ポン元帥の兵で固められているな。ならば、山奥の険しい道を通って四川省に入るしかない。幸い、あたしはくノ一として、悪路を進む訓練を受けてきたから、この里樹の体が素人の体だとしても、知識だけはあるからな)
里樹は街道をはずれると、山奥の隘路を選んで進み始めた。山奥に進むにつれて、集落はポツリポツリと点在するだけになり、食糧の入手も難しくなってきたので、出発前に中南海で調べておいた、四川省の山中での食べられる木の実についての知識を動員し、何とか食いつないだ。山中を一ヵ月ほど歩き通し、ようやく四川盆地に入ると、山を越えてきたとバレないように、汚れてすりきれた服を脱ぎ捨て、新しい服に着替えて宿に入った。
「お姉さん、どこから来たんだい? 今、四川省は、ポン元帥が北京に攻め上ろうとしておられるとかで、戦争が始まるかもしれないと、皆ビクビクして暮らしているよ。我々にはご政道のことはよくわからないけど、四川省の軍管区の地方軍も、北京の野戦軍も、元をただせば皆、貧農の出身だ。共産党軍は、貧農が地主を倒して、皆で豊かになるために組織された軍だもんな。同じ立場の貧農どうしで戦うのは、我々としては反対だね」
四川省の人民公社の農夫は言った。隣では、農夫にくんでもらった井戸水を飲む里樹がいる。その頃には、里樹も北京から来たことを隠すため、人民日報の記者と名乗るのをやめて、北京から四川省に親戚を訪ねてきた最中に軍管区から出られなくなったことにした。農夫たちから情報を集めながら、ポン元帥が滞在しているせいと成都へと近づいていく。軍管区の兵士たちも、党中央からのスパイや工作員の流入を警戒して、街道沿いに何箇所も検問をしいていた。里樹は四川省の親戚を訪ねてきたという通行証を見せて、検問を何とかすり抜けていく。もちろん、四川省に入る際に着ていたボロボロの服は、煙の見えなくなる夜陰に乗じて焼き捨てておいた。
そうやって何日もかけてたどり着いた成都で、宿に泊まりながらポン元帥の居所を探り始める。
(まずはポン元帥の行きそうな場所を把握するために、ポン元帥の好みから探らないと……。といっても、女好きな毛沢東や張作霖と違って、ポン元帥は女にも金にも汚くないしな。だから、あたしの閨房術が通じない。女好きなら、妾になって閨房術で情報を聞き出すこともできるけど……。このぶんだと、兵士や官吏に情報料を払って情報を集めるしかないな)
だが、後の腐敗した共産党軍とは違って、まだ共産党軍には革命の理想が浸透していた時代である。ポン元帥が常に「上に立つ者は賄賂を受け取ってはならん」と言っているので、里樹は情報料を払っても、なかなか有益な情報を得ることができなかった。仕方ないので、自分と背格好の似た官吏を一人気絶させて、衣服をはぎとり、その官吏に変装して政庁に潜り込んでみた。もともと胸も大きくなくてボーイッシュな体型の里樹だからこそ、できることである。
「お、高順じゃないか。ちょうど良かった」
廊下を何気なく歩いていると、ふいに里樹は背後から声をかけられて驚いた。振り向くと、老年の太った官吏が、分厚い書類を差し出している。
「これをポン元帥の執務室まで届けてくれ。急ぎの用ではないが、大事な書類だ。じゃあ、頼んだよ」
里樹は危うく「ポン元帥の執務室はどこですか?」と聞き返しそうになり、あわてて口をふさぐ。そんなことを聞き返せば、党中央から派遣された暗殺者だと言っているようなものだ。里樹は落ち着いて「わかりました」と一礼して、適当に歩き始めた。幸い、老年の太った官吏は、「あ~、忙しい」と言いながら、里樹から離れていく。
しかし、広い政庁の中でポン元帥の執務室を見つけるのは、簡単ではなかった。ポン元帥とて、暗殺を警戒している以上、執務室の場所は限られた者にしか教えていない。おそらく、里樹が扮している高順も、執務室の場所を内密に教えられている一人だろう。だからこそ、おいそれと他人に執務室の場所を尋ねるわけにはいかないのだ。かといって、このまま何もしなければ、ポン元帥を暗殺する機会を永久に逸することになる。八方ふさがりになった里樹は、一計を案じた。
「大変だ! 政庁に党中央のスパイが紛れ込んだぞ!」
里樹は廊下を走り回りながら、大声で触れ回る。政務をしていた官吏たちは、何事かと驚いて廊下に出てくる。
「スパイは放送室に立てこもり、『ポン元帥こそ主席に逆らう逆賊だ』と放送するつもりだ! 皆、放送室に向かい、スパイを取り押さえよ!」
パニックになった官吏たちは、我先にと放送室に向かう。里樹は同時に、「ポン元帥が執務室で賊と交戦中だ! ポン元帥を守れ!」と廊下を走り回りながら触れ回る。ポン元帥の執務室の場所を知っている官吏や兵士たちは、すぐに執務室に向かったので、里樹も彼らの後をついていく。
(ここまでは作戦通りね。問題はここからよ)
里樹は密かにポケットに手をつっこみ、木の欠片を取り出す。
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